第326話「妖怪〈サトリ〉」



 青梅市に入ったところで、腹ごしらえに地元のソバを食べに入った先で、ヴァネッサ・レベッカ・スターリングは用意された資料に目を通していた。

 FBIの女捜査官にとって必須ともいえるプロファイリングのスキルを持つ彼女が、日本の妖魅事件においても何か貢献できるのではと考えたすえの行動であった。

 ただ、アメリカの殺人鬼と違い、やはり極東の島国の妖怪ではさすがに分が悪い。

 彼女にとってわからないことが山ほど存在していた。


「―――この……〈サトリ〉によって重傷を負わされて、病院に担ぎ込まれた三人ってどうして全員前科持ちなの?」

「んー、どれどれ」


 十割ソバを啜っていた皐月が差し出された書類を見る。

 一週間前に、地元の病院に緊急入院した三人の写真付きの書類なのだが、一目見てわかる通り、警察によって作成された部外秘の捜査報告書の写しであった。

〈社務所〉と警察には密接な繋がりがあり、このような情報の交換は秘密裏に頻繁に行われている。

 警察からすると、〈社務所〉の管轄の事件などは手に負えないものばかりであり、無理に反発し合うよりは協力体制をとった方がいいということなのだろう。

 以前の殺人鬼〈J〉の事件の時のように連絡の行き違いがない限り、〈社務所〉と警察は共同歩調をとるのが通例だ。


「全員が傷害か暴行、あと恐喝の前科があるんだね。へー、怖い。びびっちゃって足が竦んで立てなくなりそう。ネシー、うちを抱っこして」

「……二人は広域指定暴力団に所属して、もう一人は六本木を根城にする半グレの構成員。どうして、そんなギャングみたいな連中がこんな田舎にいたのかしら。しかも、妖怪に襲われて半死半生なんて」

「そりゃあ、ハイキングじゃないの? ヤクザだってたまにはサンドイッチとバナナをもって野山を散策したくなるんだよ。ハイレハイリフレハイリホー、ハッハッハッハッ、おまえはよくやった森へ帰ろう」


 真面目に答えない相棒にため息をついて、ヴァネッサ・レベッカは、今度は病院のカルテのコピーを差し出した。


「鎌を振るって襲ってきたらしいよ。全身に鎌のによる切り傷がついていて、助けがきたときにはほとんど血まみれだったみたいだわね。……ただ、命に別条がない程度だということが不思議」

「なんで?」

「何故かは知らないけど、この妖怪は殺す気はなかったみたい。……別の目撃者によると、上半身は裸で、下半身は猿のように毛むくじゃらの姿をしているんですって。手には鎌のような武器を持っていて、能面みたいな硬い貌をしているそうよ」


 今度、差し出されたのは鳥山石燕の『今昔図画続百鬼』に記された〈覚〉という妖怪の図だった。

『飛騨美濃の深山にり 山人呼んで覚と名づく 色黒く毛長くして よく人のことをなし よく人のこころを察す あへて人の害をなさず これを殺さんとすれば、先そのこころをさとりてにげ去と云う』

〈覚〉についての記述はそうある。

 ただ、今回、奥多摩に出たという〈サトリ〉とはあまり似ていないようだ。


「この図だけだと猿の変化みたいだけど、被害者の話を聞くとどうも違うよね。猿っぽいのは下半身だけか。パンツ履いていないからきっと剥き出しなんだろうな」

「あと、鎌っぽい武器を持っている点が違うわよね」

「鎌程度じゃどうでもいいよ。オカマだと困るけどね。うちはバイだけど、どっちつかずってのだと立ち居振る舞いに迷うからさ」


 一言喋るたびにどうしても下ネタみたいなものを入れてこないと気が済まない皐月にうんざりしながらも、ヴァネッサ・レベッカは事件の分析を続ける。

 ソバ屋の一番奥を陣取っているので、他の客には話が聞き取れないからか、資料もテーブルの上に派手に広げた。

 店側もアメリカ人の美少女である彼女をやや遠巻きに眺めていた。

 話しかけづらいのだろう。

 日本人のこういうシャイな面は、良い時もあるし悪い時もある。

 今回は放っておいてもらえるのならば願ったりだが、普段はもう少し積極的になって欲しいというのが彼女の希望だ。

 もっとも、彼女だけならばともかく隣に紫色のメッシュの入った黒髪に、金属のトゲやらスタッドのついた黒い革ジャンをアレンジした改造巫女装束のキツイ美少女がいたりしたら、まともな人間ならこちらから呼ばない限り絶対に近寄っては来ないか。

 ヴァネッサ・レベッカが逆の立場だったとしてもきっと避けて通ったであろう。

 日本人が内気だということを抜きにしたとしても。


「他のお客さんもこないし、もう少しくっついてもいいかな。寒くてさ、ネシーに温めて欲しいなあ。ほら、ぎゅっとぎゅーと」


 ……ここまで図々しくなってほしくはないが。

 イタリアの男でさえもう少し慎ましやかだと思わざるを得ない。


「皐月。わたしが一生懸命分析をしているのは、のお役目なのよ。人の心を読むなんていうモンスターと戦わなければならないんだから、どんなに用心しても足りないんだからね」


 だが、ヴァネッサ・レベッカの忠告も皐月には馬耳東風のようだった。

 いくらなんでも弛み過ぎだとも思うが、それにしてもあまり警戒をしていないようだ。

 珍しいわね、と不思議になった。


「ねえ。いつもり皐月らしくないわね。あなたは本当に怠け者で、セクハラ好きで、いい加減で、お調子者だけど、戦いに関しては結構シビアなはずよね。どうして、そんなに弛んでいるの?」


 すると、〈社務所〉の異端の退魔巫女は、


「だって、〈サトリ〉って普通の人には強敵かもしれないけど、うちの刹彌流柔さつみりゅうやわらにとってはそんなに危険じゃないもんねー」

「どうして? 考えていることを読まれるって、いくら強い人でも対処に苦労するんじゃないの?」

「それは普通の戦いが先の先を奪い合おうとするものだからなんだよね。どっちが先に仕掛けて、先手必勝、それがノーマルじゃん。〈サトリ〉と戦う場合は心を読まれるからどうしてもそのさらに先を行かれることになる」

「確かにそうね」

「でも、うちの刹彌流は、相手の発する殺気を視て、掴んで、投げる。敵の殺意が前提なんだよ」


 その原理のよくわからない武術には何度も助けられた。

 理屈はともかく使い方は理解しているつもりだった。

 そして、ヴァネッサ・レベッカは頭の回転の速い少女である。

 だから、皐月の言いたいことが瞬時に呑み込めた。


「……〈サトリ〉が敵の思考を読んで後の先をとるような戦いをしたとしても、妖怪自身がだす殺気を視てしまう刹彌流の方が結局は先に動けるということ?」

「ピンポン大正解!!」


 ……どこからともなくタイミングも知らせずに撃ってくる弓矢を、手で掴んでしまうという人間業とは思えない芸当をする刹彌流の使い手を相手にすることは疲れる。

 ヴァネッサ・レベッカは素直に感想を抱いた。

 心を読まれても殺気さえ視えれば先に投げ飛ばせるって……


(冗談でしょ?)


 と言いたくなるが、皐月の余裕といい役目を言いつけた不知火こぶしの態度といい、おそらく間違ってはいないのだろう。

 FBIの報告によると、アメリカにも心を読む〈殺人現象フェノメノン〉がいたという話だが、殺害排除するのにどれだけの警察官が犠牲になったか。

 それを相性の問題もあるが、皐月一人で片づけてしまうというのである。

 日本と〈社務所〉の恐ろしさを実感した彼女であった。


(だけど……やはりおかしいわね)


 ヴァネッサ・レベッカは書類を見て捜査官らしい勘が疑義を唱えるのを覚えていた。


(他の目撃者は〈サトリ〉に接触した後、脅かされてさっさと逃げ出せたというのに、この三人はどうしてこんなになるまで傷つけられたのだろう。しかも、山には不似合いなマフィアとギャングだし……)


 彼女はこの事件には何か裏がありそうだと推理していた。

 そして、それは図らずも正解するのである。



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