第304話「夢のポジション」



 僕には視えない。

 でも、メンバーたちには視えている。

 つまり、そのことが指し示す答えは……


『ストップ!』


 御子内さんが手を挙げて音楽を止めた。

 さすがというべきか、彼女もアイドル達と同じ空間をずっと見続けている。

 僕なんかでは及ばないが、御子内さんレベルの神通力の持ち主ならば視通せるのだろう。

 霊力ではなく神通力―――神に通じる力―――と呼ぶのもわかる気がする。


「やっぱり、出てきたか…… ステージで歌ってみればわかりそうな気がしたけど、勘頼みでも当たるときは当たるね」

「御子内さん、僕には何も視えない」

「私にもだ……」

「え、波佐くんたちにも何か視えるのか…… 白本くんがいるとかいないとか言っていたけど……」


 僕たちとアイドル達に見えている世界は、まるで別次元のように差があるらしかった。

 少なくとも、御子内さんとアイドル以外には変なものは欠片も視えていない。

 ライブハウスの片隅に漂っているものと思われる、だ。


「いや、あそこに視えないの!」

「なっちゃんじゃない!」

「でも、どうして…… あたしたちだけにしか見えないっての?」

「嘘、怖い!」


 アイドル達は抱き合って震えあがっていた。

 すぐ傍に幽霊が浮かんでいたら無理もないことだけど、こちらには視えないのでまったく実感がない。

 一年以上、退魔巫女と付き合ってきた僕にはよくわかる。

 ごく一部の人間にしか視えない霊というのは、人にとって自分の気が狂ってしまったんじゃないかと疑えてしまうほどに怖い話なのだから。

 彼女たちもそういう気分なのだろう。


「……どういうことなの?」

「だいたい聴いたら人が自殺する曲なんてナンセンスなんだ。『暗い日曜日』だって散々技巧を凝らして作られてはいるけれど、実際にはアレを聴いて死んだ人はいないはずだ。まあ、女にフラれて欝々としていた人間の作詞だから落ち込んでいるときに聴いたら、自殺のきっかけになるのはわかるけれど」

「でも、「夢のポジション」でも三人が……」

「もっと原因をよく調べてみることだね。引き金を引いたのはまた別の原因があると思う」


 だが、実際にそこに白本菜月の霊らしきものが浮かんでいるというのに……


「なんのことはない。この事件そのものは、なっちゃん―――白本菜月の郷愁の想いが招いたボタンの掛け違いなのさ」


 御子内さんがスタッフに声をかけると、少しして彼がマイクを抱きかかえてやってきて、アイドルたちに配った。

 残った四人がそれを受け取る。


「何をするの?」

「とりあえず、合唱でもしてみる。どうも、あそこの霊を動かすには歌の力が必要みたいだからね」


 彼女の指示に従って、マイク持ったアイドルたちがステージに上がり、そして、室内の一角を恐る恐る見上げる。

 相変わらず僕には何もわからない。

 ただ、何かがそこにということだけはわかる。

 漂う雰囲気がそれを告げている。


「―――いいかい、恐れることはない。「夢のポジション」を歌ったとしても、ボクも波佐琥珀も自殺したりはしなかった」

「でも……ハルミが……」


 ハルミというのはさっきステージ上で僕が助けた人だ。


「大丈夫、ボクを信じてくれ。それに、キミらの方が白本菜月については詳しいだろうし、人柄も熟知しているんだろ? 彼女を想って歌ってみてくれ」

「なっちゃんを……」

「ああ。アイドルへの道を見失ってしまった彼女がようやく手にした実感がきっとキミらなんだよ。キミらが呼びかけなければ応えてくれないだろうさ」


 靴の踵を三回鳴らして あの世界に戻りたい

 みんなと歩いた あの道に

 花壇のチューリップが 笑い合った二人に見えてくる

 大きな夢を膨らませ 彷徨い終えたあの時代

 踊る曲は軽やかだった日のイリュージョン ♪


 いつのまにかセンターが御子内さんになっていたが、そのまま五人で「夢のポジション」を歌っていく。

 藤娘の衣装に囲まれた巫女装束というのは中々にシュールだが、初めて合わせたとは思えないハモり方だった。

 アイドルたち四人はやや怯え気味なせいで、御子内さんがひっぱりあげないと歌うこともさえできそうもない状態なのに、彼女が先頭に立っているだけで安心して歌えているようだ。

 しかし、おかしな光景だ。

 僕らは妖魅による怪奇現象の解決に来たはずなのに、やっていることは巫女レスラーによるアイドルソングの熱唱である。

 御子内さんも色々と言いながらもアイドルっぽい振付をして、一生懸命歌っているのがなんともいえない。


「うまいな」


 社長さんが無意識なのだろうが褒めていた。

 わりと適当雑把にやっているように見えても指先にまで力がこもっているせいか、素人目に見ても御子内さんの存在感は凄まじい。

 おそらくいつものように〈気〉を練るための調息をして、全身に巡らせているからだろう。

〈護摩台〉で戦っているのと変わらない感覚なのだろうね。

 でも、例えアイドルのように歌っていたとしても、彼女がやることは退魔なのだ。

 妖魅の事件解決が彼女の役目だった。


「視えた!」


 ついにライブハウスの天井に貼りつくようにしてこちらを見下ろしているうすぼんやりとした例の姿が浮かび上がった。

 白本菜月らしき霊は、四肢の先を天井と壁に貼りつけたさかさまの格好なのに、首だけは180度ねじ曲げて真正面からアイドルたちを見ていた。

 白目がない、黒い眼窩が陥没したかのような不気味な顔をして、口には締まりがない。

 とても生きている人間とは思えないところがいかにも霊体だ。

 だが、悪霊の類いには思えない。

 僕には何か哀しい叫びをあげるオブジェクトにしか思えないのである。

 

「―――泣いているの?」


 だから、わかったのだろうか。

 天井に虫のごとく貼り付いた彼女が泣き腫らしていることが。


『ウギュギュギョ……』


 霊のどこからか秋の羽虫のような音がした。

 物と物が遠慮なくこすり合うとこんな音がする。

 そして、僕はこの音の正体を悟った。

 泣き声だ。

 嗚咽だ。

 あの霊が涙をこぼしている。


「……歌を聴いているのか? それとも、ステージが羨ましいのか?」


 僕にはわからない。

 わからないでもいいことなのかもしれない。

 ただ、いえることはは自分がプロデュースしたアイドルのステージを愉しんでいるに違いないということだけだ。

 自分のしくじりによって失くしてしまった大切な場所を懐かしく思い出すための代替行為かもしれないが、それでも彼女は満足できるかもしれない。

〈不死娘〉のメンバーが真意をきちんと受け取ってくれるのならば。


 靴の踵を三回鳴らして―――


 ステージに帰ろう。

 もう戻れはしない懐かしい舞台へ。

 

「―――あまりに霊の未練が強いと、心に隙があるものにとっては毒になるのさ」


 すべてが終わってから御子内さんが言ったことが心に響いている。

 白本菜月が抱いた新しい情熱が逆に作用してこんな結末になってしまったことを嘆くように。


「自ら捨てた夢は絶対に取り戻せはしない。白本菜月は大人になってようやくそのことに気づいて、希望を持った後にまた絶望したんだよ……」


 曲が終わったとき、もう、不気味な霊はライブハウスのどこにも残ってはいなかった……





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