第291話「二匹は仲良しの猫」
蒼赤二匹の巨大な猫たちは、左右から或子目掛けて襲い掛かった。
ともに上半身だけは人間と同じ服を着て、蒼い方はブラウンのチョッキ、赤い方は黒の背広をネクタイとともにまとっていた。
かつて〈化け猫〉と戦った経験のある或子だったが、左右から爪を振るってくる二匹を相手にすることは至難の業であった。
使ってくるのは手首から先をスナップさせるいわゆる「猫パンチ」で、一瞬の速度がただの振り下ろしのテレホンなものとは違って速い。
見切りの達人でもある或子でさえ、両者からの攻撃を凌ぐのに全集中力を駆使しなければならなかった。
「ちぃ!!」
扉の奥で舌足らずに喋っていたときとは、比べ物にならない獰猛さに、思わず後退してしまう。
ただでさえ、或子よりも大きい相手が二匹だ。
さばくので手一杯といえた。
『あれ、あれあれ?』
『なんで抵抗するのさ。さっさと僕たちにやられて食材になってもらわないと塩を揉みこむ時間がないじゃないか』
『クリームを塗る時間もね』
『香水もかけないとならないんだよ』
『ああ、忙しい忙しい』
二匹の猫たちは、どことなく人間を思わせる貌をして、まさに猫なで声で或子を話しかけてきた。
まだ元々の物語に倣って、或子たちを取って食おうという企みは捨てていないようだった。
「残念だけど、ボクぐらいの美少女だと身持ちが堅くなってね。好きでもない口の臭い相手に食べられてあげる訳にはいかないのさ!」
減らず口ならば或子も負けない。
ハッタリと煽りも戦術の一環だ。
こういう口技もみっちりと〈社務所〉の修業場では仕込まれる。
あまり使わないが、寡黙な質の音子や藍色でさえ、その気になったらえげつない駆け引きをすることもできるのだ。
『生意気な人間だね』
『さっき脅かされたのもちょっと腹が立つから、お腹を割いて、腸を引きずり出してあげちゃおうか』
『それよりも両腕をもいで、右と左を付け替えてあげようよ』
『首を切って、脚の先に結び付けてしまおうか』
『いいね、いいね、それはいいね』
『僕たち一緒にやろうねえ』
猫の貌がさらに人に似たものになっていく。
鼻づらが引っ込み、ヒトと獣の合いの子のようになっていった。
さっきまで四足だったのに、気が付くと後脚で立ちあがり、或子に猫パンチを浴びせかけてくる。
本来、四足獣が立ち上がると、全体のバランスが悪く長く維持できるものではない。
だが、この人の服を纏った二匹の大猫は、器用に人間同様に歩き始めた。
動きもしなやかでぎこちなさは見当たらない。
もともとこちらの方が真の姿だと言わんばかりに。
〈化け猫〉というよりも、〈人猫〉といった方がいい容姿に変化していく。
「広異記にある踵のない虎人の同類ってことかな。それとも、此夕渓山対明月―――中嶋敦の山月記か? どのみち、ネコ科の妖怪ってのに間違いはないけどねっ!」
猫たちにとって真の姿を見せたのは、実のところ動きやすくなるためであり、これでさらに或子を圧倒できるはずであった。
だが、JKの退魔巫女にとっては違っていた。
逆に立ってくれた方がやりやすかった。
なんといっても、御子内或子は立ち技最強を誇るのだから。
ブラウンのチョッキの猫の前肢を挟んで極めると、そのまま捩りあげ、床に叩き付ける。
猫は関節をとられた痛みから従わざるを得ない。
頭から床にぶつかった。
『ジョバンニ!!』
背広の赤い猫が仲間を助けるために駆け寄るが、一足早く立ち上がった或子のヤクザキックを腹に受けてたじろぐ。
当初圧されていたのは、二対一という数的不利があったからだ。
うまく各個撃破に持ち込めれば……
或子の得意とする形に持ち込める。
「でりゃあ!!」
或子はカンパネルラと呼ばれている赤猫の背後に回り、へそで持ち上げて、ブリッジで頭から落とした。
バックドロップだった。
ここは〈護摩台〉ではないから三秒フォールはルールとしてない以上、スープレックスはダメージを与えるためにしか使えない。
得意のジャーマンよりもバックドロップを選んだのはそのためだ。
そして、起き上がろうとするカンパネルラの首筋に跳びあがってギロチンドロップを叩きこむ。
ダブルドロップだ。
そして、そろそろと近づいていた青猫―――ジョバンニに対して向き合い、猫パンチにカウンターを合わせて崩拳を叩きこむ。
プロレス技と中国拳法のコラボレーションが基本的な或子の戦い方だった。
それが通用する限り。
この二匹の人猫は、以前の〈化け猫〉ほど野生というわけではなかった。
だが……
クシュン
耐えきれずに或子はくしゃみをした。
攻められていたときはなんとか堪えていたが、やはり自然現象には勝てない。
いや、自然現象とはいいきれない。
おそらくはジョバンニとカンパネルラの二匹の猫ッ毛が彼女にとって軽いアレルギーを引き起こしているはずだからだ。
倒した〈化け猫〉の呪いともとれる猫毛アレルギー反応が、急激に目の奥に涙をにじませ、鼻孔を刺激し、くしゃみを誘発していた。
よく見ると手に湿疹がある。
ただの猫アレルギーではなく、妖魅から放出される妖気が増幅していることだろう。
欧米で猫の呪いと呼ばれるものがこれであった。
むずむずとする眼窩と鼻孔に気を取られないようにしなければならない。
『カンパネルラ~』
『情けない声を出すなよ、ジョバンニ。僕たちはこいつをサザンクロスの駅に降ろさなればならないんだからさ』
『……そうだね。僕らがやらなくちゃならないだもんね。意地悪なザネリを始末する時のようにさ』
相棒から手を差し伸べられてジョバンニは立ち上がった。
猫アレルギーのせいで動きが止まっている間に、再び状況は二対一に戻ってしまう。
或子は舌打ちをした。
本当なら、あそこで畳みかけていかなければならないところなのに。
『仕方ない、銀河ステーションに行こうか。そこでなら、このお客様を簡単に捌いて腑分けできるってもんだ』
『いいねえ、カンパネルラ。僕らで一緒にやろうねえ』
次の瞬間、或子の観ている景色は一変した。
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