第282話「伝説の聖なる詩人」
力いっぱい投げられたダーツは、通常ならよほど変な投げ方をしない限り的に刺さるはずなのに、パリンと床にあえなく落下していった。
ダーツの先端のティップが折れてしまっている。
あれは交換しないとダメだね。
ティップ、バレル、シャフト、フライトというダーツを構成する部品は分解して交換することもできるから、予備さえあれば取り換えるのは簡単だ。
ちなみに折れたティップは的となる盤の凹に刺さってしまっているので、付属のペンチで抜かなければならない。
しかし、ゲーム開始から三時間は経っているとはいえ、すでに五本は交換しているという事実からいかにおかしなことになっているかがわかる。
ダーツを五本壊した投げ手は渋い顔をしていた。
対戦している方は慣れた手つきでペンチを使っていた。
「―――力任せになんでもすればいいってもんではないんだよ。まったく、レイはいつまでも成長が足りない」
「うるせー、こんなチマチマしたもんで勝って嬉しいのかよ?」
「百芸が一芸に通ずる、だ。いつまでたっても〈神腕〉頼みの戦い方しかしないからダメなんだよ」
「くそ、初めてダーツやったルーキー相手に説教するとはいいご身分じゃねえか」
「まあ、ボクはキミよりは巧いし、上級者の忠告は聞いておくものさ」
ドヤ顔で親友に説教をする御子内さん。
つい数か月前に僕に対して似たような文句を言っていた口で、今はあんな偉そうなことを語るとは。
ダーツの投げ方にどうしても力が入りすぎてしまうレイさんの姿は、かつての自分と瓜二つだというのによく言えたものである。
順番が回ってきた御子内さんはラインに立って、右手でダーツを構える。
レイさんのレンタルしたものとは違って、彼女のはマイダーツだ。
なかなか凝り性な彼女は、自分用にカスタマイズしたダーツをわざわざ用意して、レイさんを迎え撃ったというわけである。
ひょいひょいと同じ動きで三本を投擲した。
一本目は5のシングルだったが、残りの二本が真ん中のブルに当たり、合計105点。
どれもブルを狙っていて、高得点狙いだ。
おかげで御子内さんの得点はもう501から32になっていた。
32という数値はほぼ勝負ありに等しい。
対するレイさんはまだ297でまったく勝ち目がない。
「くそっ!!」
レイさんは焦りからかまた一本が的に刺さらなかった。
ダーツの矢は羽根がついているおかげでよほど変なことをしないかぎり的に刺さるのだが、〈神腕〉の力で無理矢理に投げるからかどうもうまくいかない。
よって合計で21点。
これでは御子内さんには届かない。
自分の番が回ってきた御子内さんは、余裕で18のダブルを射抜いて、WINNERとなった。
二人がやっていたのは、ダーツのゲームの中でも
301、501、701と設定した数字からダーツで当てた数字を引いて行き、最後に0にした方が勝ちというシンプルなルールである。
プレイヤーは三本投げて一スローとなり、そのたびに交代する。
数字を越えてしまったらバーストとしてその分はやり直しで、サドンデスとして互いに投げ合うというシステムだ。
これを事件までの暇つぶしとして三時間やってレイさんは一度だけ勝ったきりのほぼ全敗。
負けず嫌いだからか、不貞腐れたりせずゲームを続けていられるだけ、たいしたものな気がする。
ちなみに僕たち以外に、このダーツ場には客はいない。
最初は他にもいたのだが、いつもの改造巫女装束で黙々とゲームを始めた二人に恐れおののいてどこかに行ってしまった。
タバコとか酒とかをやっていた人たちなので、おかげでゲームしやすくなったといってもいいけど。
僕は飲んでいたジンジャーエールを置いて、読みかけの文庫本から目を上げた。
二人はまだ続ける気らしい。
筋肉痛なんかとは縁のなさそうな二人組だからなあ。
「読み終わったかい?」
御子内さんが声を掛けてきた。
「うん。昔からたまに読み返していたしね。でも、これが問題になるの?」
「まあね。今回の事件の中核となるのはそれさ。だから、京一には知識を再確認しておいてもらいたいだよ」
「いや、別にいいんだけど……」
僕は文庫本のタイトルを確認した。
集英社の「風の又三郎」である。
「なんで宮沢賢治なのかな?」
「よし、京一が予習できたのなら事件の話をしようか。レイ、そろそろ遊びは終わりだ」
「うるせー、まだやるぞ。私が勝つまでやるぞ」
「レーイ、〈社務所〉の媛巫女の使命を忘れるなよ」
全勝の余裕からか極めて上から目線の御子内さんだった。
使命を持ちだされたら、根が生真面目なレイさんは逆らえない
渋々といった顔で僕らのテーブルについた。
「でも、御子内さんとレイさんの二人がタッグなんて珍しいね。夏の茨城以来じゃないの?」
「そうだったかな。まあ、今回は用心を兼ねてボクとレイが呼び出されたんだ。相手が完全に未知数というのもあるけどね」
「だから、二人が?」
「おお。或子だけじゃあ力不足だからな」
「―――レイ、ボクに喧嘩売る気かい?」
「いいぜ。やる気かよ」
仲が良すぎて殺し合いにまで発展しそうな二人だよ。
「でも、なんで宮沢賢治なのさ?」
「そりゃあ、今回の黒幕がそいつだからだよ」
「へ?」
レイさんの言葉の意味が良くわからなかった。
宮沢賢治が黒幕?
岩手県出身の詩人で、日本人の心の故郷みたいな文学者が?
「事の発端は、この錦糸町の周辺で行方不明事件が多発していることだった」
御子内さんの説明が始まった。
「大都会東京じゃあ、よくあることだ。ただ、その行方不明者リストがね、尋常じゃないんだ」
「どういう風にかな?」
「広告代理店の営業、スポーツ選手、アパレルのオーナー、俳優―――セレブといっていい連中だ。とても何もなくて行方不明になるタマじゃない。だから、最初は誘拐の線も考えられたんだけど、身内はおろか勤め先に身代金の要求もない。そんな中、うちの八咫烏が妙な妖気を捕まえてきた」
「どんな妖気なの?」
「京一も覚えているだろう。マヨイガ―――〈迷い家〉さ」
確か数か月前に奥多摩で変な怪現象について調査したことがあった。
あの時に、その〈迷い家〉というものに遭遇した。
人間を謎で誘き寄せて取り込んでしまうという、不可解なものだった。
実のところ、あれがどうなったかは僕は知らない。
御子内さんと一緒にいても命からがら逃げだすのが精いっぱいというところだったからだ。
その〈迷い家〉がこの東京のど真ん中で起きているというのだろうか。
「しかも、八咫烏が妖気を感じた地点には博物館があって、おりしもちょうど『宮沢賢治の物語展』なる催しが三か月にわたって開かれていて、展示物として大量の彼の私物が集まっていた。ここで〈社務所〉は、〈迷い家〉が発生していると断定したんだ」
僕は首をひねった。
論理が繋がっていないような気がしたからだ。
「なんで、宮沢賢治の展示がされていると〈迷い家〉になるの? そこがまったくわからない。宮沢賢治って詩人でしょ。仏教に信心深くて、貧しい農民のために人生を捧げた聖人みたいな人のはずだけど……」
「一般のイメージではね。学者もそう考えているらしいけど」
「だったら……」
「しかし、ボクたちのギョーカイでは違う。おそらく〈社務所〉も関西の仏凶徒も同じ見解に立っているだろう。ボクらにとって、宮沢賢治という人物は―――」
いったん、台詞を区切る。
「―――〈
ドルイド……
聞いたことがある。
ケルト人の司祭のことで、精霊と会話が出来たりする、シャーマンのような役割のはずだ。
ただ、御子内さんの口調からはそんな牧歌的な印象は微塵も感じない。
「〈
「でも、別に悪いことをしている訳ではないんでしょ……?」
宮沢賢治についてはいいイメージしかない僕はそんなおどろおどろしいものが、彼の正体だと言われてもすぐには納得できない。
「宮沢賢治がどうやって〈魔術師〉としての術を学んだかは、まだ研究が進んでいない。だが、彼の著作にもある通り、かの詩人は多くの超自然的な術を利用してなにかをしようとしていたの確かなんだ」
「いや、だって……」
「寸劇で怪しい神を演じたり、目的のわからないユートピアを目指したり、奇行の多さもあるが、妹のトシの死を機に半年ほど創作活動を止めていた時期に、どこかで何かから魔術を習ったようなんだ」
レイさんが続けた。
「〈春と修羅〉って詩集あんだろ。第二版は今でも売られているものなんだが、実は初版があってな。それには、巻末にわけわからない呪文が数ページ記されていたらしい。関根書店からの発売は実はそのページのせいでおじゃんになるところだったそうだ。だから、一度、故郷の石巻で印刷しなおして売ることになった。自費出版扱いなのはそのせいらしいな。その初版本は現存しているのは五冊ぐらいなんだが、どれも糊でベッタリと接着されていて一枚もめくれない。おそらくは宮沢賢治本人の呪詛のせいだろうって言われている。しかも、持ち主には恐ろしい呪いが降りかかるっていう評判があるのさ」
「……わかったかい。時間がないから細かくは説明しないけど、宮沢賢治はその生涯において奇怪な行動の果てに多くの事件を起こしているんだ。そして、その中には〈迷い家〉に関するものもあってね」
寝耳に水過ぎて、二人が何を言っているのかよくわからない。
「さっき言った通りに、すぐそこの江戸東京博物館では宮沢賢治の遺品がたくさん集まっていて、しかも、一際ヤバイと言われている〈春と修羅〉の一冊がどうやったのかは知らないが展示されているんだ」
だが、僕が聞いた情報を総合すると、その日本でも最も有名な詩集の一つは……
「おそらく〈春と修羅〉の真の姿は魔導書だ。名状しがたい言葉と力をもった闇の存在を讃えて崇拝するためのね」
「じゃあ、行方不明事件って……」
「魔導書を手に入れた何者か、もしくは魔導書そのものが悪魔のように生贄を求めて行っている“狩り”だろうさ。ホント、これはヤバすぎる事件という訳なんだよ」
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