第257話「音子さま、ご指名でございます」
「国会図書館に〈
『¿
「そうよ。だから、放課後、高校が終わったらすぐに霞が関まで行ってちょうだいね」
関東の退魔巫女の統括という立場である
もともとTwitterなどのSNS以外では無口なタイプであることはわかっていても、子供の頃から面倒を見ている相手だ。
やる気がないことぐらい容易に見通せる。
「細かいことはメールで送るから、図書館の職員の指示に従って動いてちょうだいね。〈鉄鼠〉なんて放置して置いたら、どんな重要文化財レベルの書物が齧られて駄目になるかわからないから急いで退治しちゃって」
『シィ』
「―――音子ちゃん。お仕事なんだからもっとやる気を見せてくれないと困るのよ。いい、あなたは〈社務所〉の媛巫女なの」
『別にやる気がない訳じゃ……。あたし、いつも頑張ってんじゃん』
携帯電話の相手である
これからすぐに命がけの仕事をしなければならないというテンションではない。
さすがのこぶしも少し心配になった。
「何か、不満でもあるのかしら」
『別にぃ。あ、でも、千代田区とか中央区の管轄だと、普通はアイちゃんやアルっちが行くはずなのにあたしが指名される理由がわかんないなんて一度も言っていないし。先輩に行けと言われれば行くし。あたし、キンベンだし』
あからさまに不平タラタラだった。
勤勉なんて妙なアクセントまでつけている。
何よりも、機嫌のいいときはペラペラと喋るスペイン語を使わず、ギャルのようにあてこすってくるあたり相当不満があるようだ。
確かに、音子の管轄は横浜を中心とした神奈川全域と、西東京の端のあたりだ。
普段は町田や世田谷区ぐらいまでの事件しか割り当てられることはない。
また、彼女の特性を活かせる妖怪退治でもなければあまり管轄外への出張は命じられることもない。
国会図書館のあるあたりは、普段なら同期の猫耳藍色か御子内或子の管轄であり、場合によっては常磐線やつくばエクスプレスでやってこれる明王殿レイの出番のはずだった。
つまり、音子が指名されること自体、まずありえないのが通常なのである。
「藍色ちゃんは着ぐるみにとりついた怨霊との戦いのダメージがまだ回復していないし、或子ちゃんは最近働かせすぎなので休ませたいの」
『ミョイちゃんは?』
「あの子に、国会図書館なんてデリケートな場所を任せる訳にはいかないわ。本人は文学少女のつもりだから喜ぶでしょうけど、明王殿家の〈神腕〉は荒事にしか向かないから」
もう一つ、熊埜御堂てんという選択もあることはあるのだが、デビューしたての小娘よりは、やはり経験値をとって音子の方がいいと判断したのである。
場所が場所だけに、あまり騒ぎを大きくしたくないというのがあった。
てんは火に油を注ぐ性格の持ち主なので、静かに物事を収めるということには向いていないのだ。
その点では、こぶしの脳筋揃いの後輩どもの中では、音子が一番マシだと考えたのである。
「あなたが一番適任なのよ」
『……
ようやく折れてくれたらしく、先輩は安堵する。
昔から音子は扱いが難しい女の子だった。
気分がいいとスペイン語で喋ったり、突然マスクを被りだしたり、SNSに長時間入り浸ったり、電子掲示板を荒らしたり、とりあえず面倒くさかった。
同期との関係も最初はあまり良好ではなく、今のようにみんなと仲良くしているのが不思議なぐらいだ。
三日ほど前に同期ばかりでハロウィーンパーティーをしていたらしいが、昔はそんなものに参加するタイプではなかった。
頭の中では物凄く色々と考えてお喋りなのだが、それをうまく言い表すことができず、したとしても偏った表現方法になってしまうため、脳筋揃いの仲間たちとの付き合いが上手にできなかったのである。
要するに、自分の殻に閉じこもりやすい性格なのだ。
しかし、変われば変わるものだと感心してしまう。
いつ頃から、こんな風に素直な娘になったのであろうか。
『一つ、条件をつけていい?』
「……なに」
また、始まった。
さっきの評価を覆さなければならない条件でなければいいけど。
『……助手をつけて』
「国会図書館では〈護摩台〉は設置できないわ。特に地下の〈民俗資料監督室〉はそういうスペースがないもの。簡易結界がせいぜいといったところよ。だから、助手は必要ないの。助手に支払う時間外手当とか、人件費もばかにならないのよ」
『ノ。助手が欲しいの。つけてくんないと行かない』
「だから、必要ないって……」
我が儘を言い出した後輩を宥めようとしたとき、こぶしの脳裏に一つの解決策が浮かんだ。
「―――バイトなら安く上がるけど、それでいい?」
曲がりなりにも裏の世界の退魔組織である〈社務所〉の関係で、アルバイトを使うことなど滅多にない。
そんな甘い職場ではないのだ。
ただ、ここ最近では例外的にアルバイトに支払う予算の割合が増えていた。
たった一人の例外的なアルバイトのために、である。
現在の〈社務所〉でバイトという肩書で呼ばれるものはその人物だけであった。
『シィ』
「でも、彼だって学校があるし、絶対に来てくれるとは限らないわよ」
『大丈夫。京いっちゃんならあたしが頼めば来てくれる。……でも先輩、アルっちには内緒でね』
「……はいはい、わかりました。私としても龍虎が相討つシーンは見たくありませんからね。でも、音子ちゃん、慎重にやりなさいよ」
『グラシアス』
複雑な気分だった。
彼女がまだ現役だった頃は、〈社務所〉の媛巫女同士でこんな関係ができたことなどなかったからだ。
まさか、一人の男性を巡って熾烈な争いが生じるようになるとは……
こぶしは執務室のデスクに飾ってある写真のうち、後輩たちと撮ったものを手に取ってみた。
そこには十人前後のまだ子供そのものの巫女たちが並んでいる。
「―――この子たちが私よりも先に結婚するかと思うと死ぬほど腹が立つんだけど……」
まず私怨が先に立つ、もうすぐアラサーの不知火こぶしであった……
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