第227話「MIKAとセリーナ」



「にゃ、にゃんでえええ!!」


 矛盾するようだが、藍色さんが小さな声で叫んだ。

 完全に崩壊した顔色から、僕は見てはいけないものを見てしまったことに気が付いた。

 今の藍色さんは羅生門の下人なみに眼が光って泳いでいる。

 僕は小さく手を振って、


「ごめん、何も見なかったということにするから」


 何ごとも起きなかったかのように立ち去ろうとしたのに、振り向いた首筋をぐいと掴まれた。


「えっ」

「……待ってくださいにゃ」


 藍色さんが僕の服の襟を握りしめている。

 怖い顔をしていた。

 気の弱い人が真夜中に見たらショック死しそうな形相だった。


「だから……見なかったことにしますんで……」


 殺さないで。

 思わず命乞いをしたくなったところで、今度はむんずと手を握られた。

 女の子から手を握られるのは随分と久しぶりだ。

 ただ、色恋沙汰のロマンチックなシチュエーションではなくて、逃げられないように手をとられたみたいな感じであった。

 このまま小手投げとかされて引っ繰り返されたりするなんてことがあっても不思議じゃない。

 相手は秘密を目撃されて死に物狂いなのだ。

 投げ飛ばされないまでも、どこか人目につかない場所に拉致監禁される恐れがある。


「は、はにゃしを聞いて―――ください……」

「殺さないでもらえると大変助かります」

「……にゃにもしませんから、話だけは聞いてくださいぃぃぃぃ……」


 あまりに悲痛な懇願に、さすがの僕も心が痛んだ。

 別にコスプレが趣味ってだけなのに、藍色さんの取り乱しようはかなりのものがある。

 とりあえず、普段の生真面目なクールビューティーらしからぬ姿なのは確かだった。


「は、話を聞くだけなら……」

「ありがとうございますぅぅぅぅぅぅぅ!!」


 まるで僕が悪辣非道な脅迫犯みたいだった。

 話を聞いていたのか、周囲のコスプレイヤーが痛ましげな目つきでこちらを見て、カメラマンたちは僕を敵のごとく睨んでいる。

 この場合、涙目になりつつある藍色さんは同情をされるが、僕の方は忌み嫌われている蛇蝎のようであった。

 僕は藍色さんに手を引っ張られて、コスプレスペースの隅にあるコスプレイヤーたちの休憩場所に行った。

 藍色さんはうつむき加減だ。

 よくよく観察しないと、あの巫女ボクサーとしての普段の彼女と同一人物には思えない。


「……にゃんでわたしだとわかったんですか……?」


 はっきり言えば、声の質と口調だ。

 あと、眼の色かな。

 お化粧というのを通り越して、がっつりとメイクしている藍色さんだけど、眼の色だけはカラーコンタクトでもしないと変えられない。

 以前、この眼の色で親しい人なら区別できるということを御子内さんに話すと、「うわ、キモい」と大変失礼な感想を頂戴した。

 観察力に優れているといってほしい。


「うわっ、それじゃあしかたにゃいですね……」


 藍色さんにまで、なんだか含むものがありそうなことを言われてしまった。


「でも、別に隠す必要はないと思いますよ。コスプレが趣味だっていいじゃないですか……」


 すると、藍色さんは伏し目になって、


「いや、わたしという女の有するパブリックイメージとのギャップが、他者との認識に乖離を起こしそうなので……」


 などと難しいことを言い出した。

 意識高い系なのかもしれない。

 というか、まだ混乱しているだけか。


「バレてしまったのは仕方にゃいのですが、お願いしますのでどうか或子さんたちには特に内緒でお願いします」

「御子内さんたちには……?」

「ええ。あの―――わたし―――こう見えても同期の中では委員長っぽい役回りにゃので、みんにゃに示しがつかにゃいんで……す」

「そうなんですか」

「あと、みんにゃ、体育会系の、ちょっと……」


 意外と酷いことをいう。

 確かにその通りなのだけど。


「いいですよ。みんなには黙っておきます。それでいいですね」

「お願いしますぅぅ!!」


 土下座せんばかりの懇願の仕方だった。

 どれだけ知られたくないのかってぐらいに必死だ。

 藍色さんってわりとドツボにはまるタイプとみた。

 独身のままアラサーぐらいになって婚活に失敗しそうになったら、彼女がどんな風になるのかこれだけで想像がつくぐらいである。


「ところで、コスプレなんていつから始めたんです。見たところ、その衣装もしっかりしているし長いんですか?」

「二年ぐらいです」

「……もしかして、退魔巫女を辞めようとしたのは……」


 彼女は両手を振って、首も横に振った。


「そ、それは違います。あれは本当にに負けて挫折したからにゃんで!! ―――ただ、色々とあって落ち込んでいたときに気分転換に動画投稿サイトを見ていたら、コスプレのやり方という動画があって面白そうだったもので……。リカちゃんの服とか自作したりしていたから手先は器用だったし」

「それで衣装を作ってみた、と。へえ、独学でたいしたものですね」

「いえ、最初はダメダメだったんですけど、教えてくれた人がいて……」

「あれぇ、セリーナが珍しくパンピーさんと話してるぅ。珍しいじゃない」


 会話中に、するりと僕らの間に割り込んできた人がいる。

 派手な和服に日本刀の二本差しという、ゲームのキャラクターっぽい男装をした麗人だった。

 年は僕らよりもかなり上。

 メイクも堂にいっている。

 親し気に藍色さんと肩を組んで、僕を舐めるように観察してきた。


「セリーナあ、もしかして彼氏ぃ?」


 揶揄うような口調と目つきで、藍色さんの耳元で囁く。

 かなり親しい間柄だということはわかった。

 年齢が離れていても友達ということかもしれない。

 ちなみに僕の彼女かと邪推された藍色さんは必死になって否定した。


「違いますって!! わたしの……親友の彼氏です」


 それも違うけどね。

 ちなみに親友とは誰のことを差しているのか、ちょっと聞きたい。


「なるほどぉ、友達の彼氏にばったり出会ってどうしようかってところか。レイヤーってことが身バレすると人によってはやばいからねえ。うんうん、肉体からだ使って口止めしなよ。セリーナのでっかいおっぱいなら十分行けるよ、ぶい!!」

「MIKAさん! 胸の話はやめてくださいにゃ!!」

「別にいいじゃん。セリーナってさあ、どんなイケメンのレイヤーが声かけても基本的に無視じゃん? あんた狙いも多いのにもったいないぞ」

「わたしはコスで彼氏を作りに来ている訳じゃにゃいので!」

「あんまり男に冷たくしていると気取っているとか更衣室の裏で言われるよぉ」

「レイヤーのそういうノリは嫌いです」


 退魔巫女の仲間たちといるときは、凛として一線を画しているところのある彼女がなんともいえない子供っぽさをだしている。

 年相応という感じだった。

 MIKAさんという人も、揶揄うようなチェシャ猫っぽさがあるけれど、藍色さんのことを妹のように思っていることが手に取るようにわかった。

 なるほど、と僕は内心で手を叩いた。

 彼女が戦いに敗れて落ち込んでいるとき、あの古い倉庫の一画にある賭けボクシングの〈合戦場〉以外にも、こういうMIKAさんみたいな人が藍色さんを支えていたのか。

 邪悪な妖怪退治を使命とする媛巫女たちは基本的に敗北は許されない。

 彼女たちが負けたら多くの人たちが傷つけられるからだ。

 だから、もし敗れて心が折れてしまったら、藍色さんのように立ち上がれなくなってしまうこともあるのだろう。

 藍色さんはなんとか踏みとどまったけれど、そのまま引退してしまう巫女だっているはずだ。

 僕の御子内さんだってそのあたりは例外ではないだろう。

 もし、そんな日が来たら彼女をこのMIKAさんのように支えてあげられたらいいな。

 そんなことを僕は思った。


「……あ、そうそう、セリーナ、ビッグニュースがあるのよ」

「にゃんですか?」


 MIKAさんが嬉しそうに手を叩いた。


「84年の〈怪獣王〉の着ぐるみが見つかったんだ!」

「……あの、行方不明ににゃっていたってやつですか? MIKAさんたちがずっと探していた?」

「ああ、それだよ! 盗難にあっていたのか、手続きのミスで紛失していたのか、理由はまだ聞いていないけれど、高崎が見つけだしたらしいんだよ。さっきあいつのフェイスブックに写真が挙げられていたの!」

「良かったじゃにゃいですか!」

「明日のイベが終わったらみんなで拝みに行くことになったんだけど、セリーナも行くよな」

「はい、すごく興味あります!」


 なんだかMIKAさんのはしゃぎようが凄い。

〈怪獣王〉ってなんだろう。

 映画のアレのことかな。

 僕なんかのことは置いてけぼりで二人は盛り上がっていた。


「君も来るかい、藍色の親友の彼氏さん?」


 いきなり僕にも声がかかった。

 話が見えないのですぐに返事はできなかったけれど、明日のイベントが終わったころには確かに僕はヒマだった。

 明日の昼間には印刷所待機スペースを出て、さっさと家に帰るだけのつもりだったし……

〈怪獣王〉の着ぐるみというのに多少興味が湧いていた。


「行けそうなら行きます」

「そんときは、セリーナに連れてきてもらえばいいよ。高崎にはあたしが断っておくから」

「ありがとうございます」


 ……こうして、コミフェというイベントの片隅で、僕はちょっと変わった再会と出会いをした結果、その後にあまり普通ではない退魔巫女の戦いを目撃することになるのである。


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