第182話「退魔の巫女は人を救う」
〈鎌鼬〉は、風に乗って移動し、手にしているもしくは口に咥えている鎌で人に切りつけるイタチのような妖怪である。
これに遭遇し斬りつけられる、刃物で切られたような鋭い傷を受けるが、痛みはなく、傷口からは血も出ない。
人を切って傷つける風というものが妖怪になったものと言われており、俗に「かまいたち」現象と呼ばれる、旋風の中心に出来る真空または非常な低圧により皮膚や肉が裂かれる現象ではないかと考えられていたが、実際に人間の皮膚を裂くほどの真空が発生することは気圧の安定した地上ではありえないことである。
むしろ「かまいたち現象」が解明されていないことこそ、科学技術の発展によって妖怪の存在が確定された事案とさえ言われていた。
〈鎌鼬〉は三匹で一組の妖怪であり、一匹目が人を転ばせ、二匹目が皮膚を切り裂き、三匹目が傷口に薬を塗り、痛みを与えずに怪我をさせられるのだという。
この動きをほんの一瞬でするために、ただの人は姿も見えない空風にやられたものと思い込むのである。
「―――やはり〈鎌鼬〉ですか」
『ソウジャ。儂ガコノ娘ヲ助ケタコトニヨッテ、スグニ逃ゲダシテシマッタノダ』
「でも、普通の〈鎌鼬〉だと傷からは血が出にゃいはずですけど」
『オソラク儂ガ割ッテハイッタたいみんぐガ悪カッタノジャ。〈鎌鼬〉ノ三匹目ガ薬ヲ塗ルノ前デアッタノダロウ』
「にゃるほど」
八咫烏が彼女を救おうとしたことが裏目に出たのか。
藍色は、退魔巫女たちの手助けをするための使い魔に過ぎない八咫烏が妙に肩入れしている理由を悟った。
つまりは自責の念なのだ。
〈鎌鼬〉から受けた傷は、〈鎌鼬〉の薬によって治る。
しかし、それを塗られる前に止めてしまったことで傷が残ってしまったということだ。
「でも、あにゃたが悔やむことはありません。だいたい、これまでの報告からすると、
『確カニ』
「日野さんも殺されにゃかっただけよかった。それはあにゃたのおかげです」
『……』
それから、はっと気づいたように摩耶の方を向き、
「ごめんにゃさい……。良かったにゃんて軽々しく言って」
「あ、それはいいんです」
摩耶の顔についた大きな傷がどれほど彼女を傷つけているか、わかっていながらの失言であったので藍色は即座に謝罪した。
許してもらえるかはともかく自分のミスなのだ。
だが、摩耶の方は逆に恐縮していた。
今一つ、状況が呑み込めないということもあり、どういうリアクションをすればいいのかよくわかっていないのである。
帰り道に妖怪らしいものに襲われ、そこを喋るカラスに助けられ、謎の病院に入院させられたうえで、妖怪退治のための巫女だと憧れのクラスメートがやってきたというのが流れなのだが、どれも現実味がなさ過ぎなのだ。
あえて一つ挙げるとすれば、美少女のボーイッシュクラスメートの巫女姿は異次元めいていて見惚れてしまうということだろうか。
「ごめん、一つだけ教えてもらえますか」
「なにかな?」
「辛い?」
「―――うん」
藍色は目を閉じた。
しっかりとバンテージを撒いていない拳を握る。
二年ぶりの実戦に挑むということでやや心細かったが、眼前のクラスメートの辛さに比べたら些細なことであった。
女の命といってもいい顔にあんな傷をつけられた苦痛を思えば。
「さっき、八咫烏が提案したものを採用します。〈鎌鼬〉を誘い出して、傷薬を手に入れるにゃ」
八咫烏が提案したのは、摩耶を囮として使うものだった。
彼女を囮として〈鎌鼬〉を〈護摩台〉まで誘き出して、退魔巫女である藍色が直接退治するのである。
問題は摩耶という囮に食いついてくるかということであるが……
『可能性ハ高イ。〈鎌鼬〉ハ取リ逃ガシタ娘ヲ探シテイルハズダ。―――〈鎌鼬〉ニトッテ、転ガシテ、切リツケ、傷ヲ治スマデノ行程コソガ要諦ナノダ。ソレヲ儂ニ邪魔サレタトシテモ完遂デキナカッタトイウコトナラバナントシテデモ成シ遂ゲヨウトスルダロウ』
妖怪にとってもルールというものはある。
むしろ掟といってもいいそれは、彼らにとっての存在の根拠であり、なんとしてでも守らなければならないものであるのだ。
だからこその八咫烏の提案であった。
「……あたし、その妖怪にまだ狙われているんですか?」
「このお喋りカラスの言うことが当たっていたらね。でも、ここにいる限りは大丈夫です」
「なんで言い切れるんですか?」
「ここはね、うちの〈社務所〉っていう退魔組織が経営している場所らしくて、〈人払い〉と〈魔封じ〉の結界が張られているから、妖怪には見つけられにゃいのですよ」
「だから、あたしはここに入院させられたんですか?」
「普通にゃら、襲った妖怪を退治するまで保護をするのが原則にゃんです。でも、今回はそうもいかにゃくなりそうですけど」
自分を囮にするため。
ただ、それはこの頬についた醜い傷痕を消すため。
そんなことができるかどうかはわからない。
摩耶の生きてきた世界の常識からすると、ここまでくっきりと残った傷がなくなるなんてありえない話だ。
だが、巫女の格好をした藍色に言われると、不思議と信じてみたくなる。
何よりも、巫女服の神秘性と相まって、これまで猫耳藍色という少女に抱いていた疑問が氷解し、言葉を受け止めやすくなったのが原因だろう。
あのいじめられる寸前の地味なクラスメートを簡単に救い出した時のように、摩耶を助けてくれると信じられた。
「……猫耳さんなら、あたしを助けられるんですか?」
「もちろん、私にゃらできますよ。久しぶりの妖怪退治ですから、ちょっと手こずるかもしれませんが」
内心にわだかまる不安の陰を、藍色は「ちょっとてこずる」程度で払しょくした。
心が徐々に思い出していく。
訳も分からず妖魅に翻弄されて、傷つき、壊れていく衆集を救うために退魔の巫女はいるのだという事実を。
「今日の夜に戦います。あにゃたをそんにゃ目に合わせた〈鎌鼬〉を退治します」
そして、断言する。
「あにゃたの傷も元通りにしてあげます」
―――摩耶の眼から一筋の涙が零れ落ちた。
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