第174話「音子参戦!!」
或子が選んだのは日本酒の銘柄、八海山であった。
その中でも吟醸の甘口に近いものをセレクトしたのだ。
「ボクは日本酒しか呑まないからね」
〈のた坊主〉はにやりと口角を吊り上げ、
『ほほお、ワシら妖怪に日本の酒で挑むかよ。舶来品の方が味に馴れていないし、呑み方も知らんからちぃと勝ち目があるかもしれんぞ』
「ふん。ボクはこうみえても高校の日本酒研究会の会長でね。その誇りにかけても、日本酒での〈闘杯〉には負けられないのさ」
どっしりと胡座をかくと、或子は紙コップに八海山を注いだ。
「手酌でいいね」
『若い娘の酌を期待していたんだがな』
「今の時代、そういう発言はセクハラといって顔面にスペシャルローリングサンダーを全発食らってライジングタッコオを受けても許されないぞ」
『まったく最近の娘っこは物騒でいけねえ』
ニタニタと笑いながら〈のた坊主〉も紙コップに注ぎこみ、
『
「
〈闘杯〉を司る酒の大神に誓いを交わし、巫女と妖怪は杯を掲げた。
ぐいっと一杯目を容易く飲み干す〈のた坊主〉の小憎らしい笑みに或子は素面で応じる。
普段の戦いとは違うがこれも死闘だ。
決して負けられない。
日本酒研究会の会長の名に恥じる真似はできないのだ!
◇◆◇
「御子内さーーーーん!」
救急車が物凄い勢いで走り去って行った。
今日二人目の急性アルコール中毒のおそれありの患者の搬送である。
すぐに遠くなっていった救急車の白いリアを見送ると、京一は彼女が心配で仕方なかった。
本当はついていきたかったのだが、付き添いはやんわりと断られたからである。
どうも〈社務所〉の巫女に何かあったときの搬送先は機密事項になっているらしく、彼には教えられないのだ。
仕方なく見送る側になったが、京一としてはできたら付き添いをしたかったのが本音である。
「或子ちゃんまでが撃沈させられるとは……」
「アルっち……」
さすがのこぶしも顔色が悪くなっていた。
これで〈のた坊主〉にやられた退魔巫女は三人。
洒落にならない人数であるからだ。
一騎当千を謳われている彼女たちが、たかが一匹の妖怪にいいようにやられている。
こぶしは保身というものには無縁の女であったが、それ以上に抜き差しならない危機を覚えていた。
このままでは関東を鎮守する退魔巫女を束ねる〈社務所〉の骨子がガタガタになりかねない。
そして、彼女の傍に残された戦力はたった一人しかいなかった。
「残ったのは、あたしだけ……」
神宮女音子は無表情に呟いた。
元々人前ではレスラー用の覆面を被っている音子の表情は読めないが、今の彼女は静かすぎて怖いぐらいであった。
親友である二人が〈闘杯〉という決闘法で病院送りになったというのが、相当堪えているようである。
こぶしとしても見通しが甘かったことを認めざるを得ないところだ。
たかが〈のた坊主〉と侮ったのが失敗だった。
まさか、これほどまでの惨状をつくってしまうとは。
しかも、解決のメドはまったくといっていいほど立っていないのである。
退魔巫女の統括としては失態もいいところである。
ここで最後のカードを切るべきかどうかもわからない。
音子が破れでもしたら、もう後がないのだから。
「〈闘杯〉をやめて、無理にでも制圧すべきか……」
しかし、それでは妖狸族との誓約を破ることになる。
この帝都の巣食う妖魅の勢力の中で、人間にとって脅威となる幾つかの種族のうち、もっとも話の通じるタヌキたちとの関係がギクシャクすることはなんとしてでも避けたい。
こぶしはこの行き止まりの状況をどうすればいいのかわからなくなっていた。
彼女の後輩である音子を送り出すべきか否か……。
そこを決めかねていた。
「―――そこはどうですか?」
『うーん、俺らは結局タヌキだからなあ。イヌ科であることは間違いないんだぜ。どうなるかはわからねえや』
「仲間の方に聞いたことはないですか? そういう症状について」
「……どうだったかな。まあ、ネコほどとはいかないのは確かだぜ」
「なるほど……」
或子の助手の少年が〈三代目分福〉や〈八ッ山の狸〉と世間話をしている。
あの少年もなかなか泰然としている。
ある意味では巫女たちよりも肝が据わっているといえた。
「―――じゃあ、あたしが行ってくるの」
ついに音子の方から名乗り出てきた。
先輩として、上司として、ここは止めることはできない。
状況を理解しているのは音子も同様なのだ。
あの〈のた坊主〉を逃がさないように、そして傷つけないように捕まえるには〈闘杯〉によるものしかないことを理解している。
一対一の酒の飲み比べで勝つしかないことを。
「音子ちゃん、いけるの?」
「あたしも自信はないけど、ここでやらなきゃ女が廃るってもんでしょ。あたしが何もしないというのは、アルっちやミョイちゃんに顔向けできないしね」
「……でもね、音子ちゃん、あの〈のた坊主〉に飲み勝負で勝てるの?」
「やらなきゃ勝てない。そして、やらないで指をくわえて黙ってみているという選択肢はあたしたちにはないはず」
神宮女音子は戦技においてはテクニシャンである。
技の冴えという部分では他の退魔巫女たちよりも上であり、唯一、その華麗さで並ぶのはボクサーの猫耳藍色ぐらいしかいないという実力者だ。
たとえ〈闘杯〉でも負けることは考えない。
酒の飲み比べなんてガサツなものであったとしてもだ。
業務用スーパーの中に入った音子は、〈のた坊主〉の元へと行く前にドリンクの売り場によって、ジンジャーエールを手にした。
酒ではないが、今回に限れば絶対に必要なものだ。
それから飲み続ける妖怪の眼前にそれを置いた。
『なんじゃ、これは』
「ジンジャーエール」
『こんなジュースで何をするつもりじゃ。女子供相手をする気はないぞ』
「女子供だと思わない方がいい」
音子は手にしていた二つの小さめのグラスの半分にジンジャーエールを半分だけ注いで、次に酒売り場から拝借した茶色い瓶の中身を足した。
二つの液体は正確に1:1の割合になる。
『その酒は……』
「テキーラ」
そして、音子はグラスの口を握る形で持つと、底を勢いよく床に叩き付け、一気に飲み干した。
テキーラという酒はアルコール度数が35~55という高いものである。
そのテキーラとジンジャーエールを混ぜ合わせて、なおかつ堅いものに叩き付けることによって泡状になりクセが消えて飲みやすくなる。
これはテキーラというの、酔いが回りやすい危険な酒をあまりにも簡単に飲ましてしまう工夫であるが、だからこそ、急に酔いが回り、散弾銃に撃たれたかのように撃沈されてしまうことから名付けられた飲み方―――
「これがショットガンよ」
例えどれほど呑兵衛の妖怪であろうと、ただでは済まないであろう戦いを音子は提案した。
これに乗らなければ〈のた坊主〉の面目を潰さざる得ないほどの危険な提案を。
さすがの〈のた坊主〉も度肝を抜かれた。
しかし、酒飲みは売られた喧嘩を買ってこそ酔っ払い。
決して逃げることはしない。
『いいだろう。おまえもただの女ではないということか』
「〈社務所〉の媛巫女はね、敵に舐められるのだけは絶対に許さないの」
カン
ショットガンの銃声が次々に店内に響き渡る。
音子と〈のた坊主〉の、致死量に達する危険な争いの幕が切って落とされのである。
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