第173話「或子出陣!!」
救急車に乗せられて運ばれていく、後輩を心配そうな顔で見送ってから、不知火こぶしは目の前の業務用スーパーを睨みつけた。
これで二人目。
大切な後輩を二人も病院送りにさせられたのだ。
ただし、それを恨みに思うことはできない。
退魔の仕事は彼女たちの使命である。
その最中に、病院送りになったとしてもそれは未熟なだけであり、相手となった妖怪が強かったというだけなのだ。
今回に関していえば、本来の得意としている退魔のやり方ではないとしても、なんとしてでも勝つべきであった。
ただそれだけのことなのだ。
退魔巫女の統括もしているこぶしにできることは、一刻も早くこの事態を収拾することしかない。
「―――あ、藍色ちゃん、話は聞いているでしょ」
スマホで呼び出した中野の猫耳藍色は、いつも以上に口が重そうだった。
『……お疲れ様です、こぶし先輩』
「で、こっちにこられるかな?」
『ごめんにゃさい。今回は勘弁してください!』
「どうしてなの?」
『私、私、―――下戸にゃんです! 一滴でも飲んだら顔が真っ赤ににゃって、モンブランでも倒れてしまうんです! 〈闘杯〉にゃんて絶対にできません!!』
と、一方的に切られてしまった。
冷静沈着な後輩ボクサーがあんなに取り乱すと思っていなかったので、こぶしはしばらく茫然としていた。
有力なアテの一つが消えてしまったのだ。
もともと、十代ばかりの退魔巫女の面々に飲み比べなんてものをさせようというのが無理なのはわかっている。
熊埜御堂てんが返り討ちにあった時点で風向きがヤバいということには気がついていたが、もしかしたらここしばらくでは最悪の案件になるかもしれないとの予感がわいていた。
〈闘杯〉。
何より、この決闘法がいけない。
より端的に説明するとしたら、ただの飲み比べなのだ。
しかも、この〈闘杯〉を積極的に使おうとするのは呑兵衛の妖怪や術者だけであり、普通は存在さえも知らないレベルなのだ。
ルールは簡単である。
挑戦者側が使う酒を指名する。
それを受けた側は結界を張って、その中で交互に指名された酒を飲み干す。
どちらかが潰れるまで続けられて、潰れた方が負けというものだ。
〈闘杯〉は、日本神話での酒の神である
さらに勝った方は負けた側の生殺与奪の権利が与えられるのであった。
ゆえに、〈闘杯〉をするということはある意味では命懸けの決闘方法である。
かつて、酒呑童子という〈鬼〉が源頼光によって〈闘杯〉を挑まれて飲み負けして、潰れている隙に首を刎ねられたという事例があった。
このとき、源頼光は酒樽に眠り薬を混ぜたという説もあるが、〈闘杯〉は神に誓われる神事であることからそれはありえないと断定されている。
酒に薬をまぜたりすれば、年季を経た酒飲みにはすぐに見抜かれるし、そんなことをすれば神の加護がなくなる。
それに酒呑みにとって、名前に反して人間に飲み負けた酒呑童子こそが悪なのであった。
酔っ払いにとっては呑めない奴こそが悪いのである。
だが、この事例一つをとってみても〈闘杯〉というのがとても危険なものであることがわかろうというものだ。
今回のような特殊なケースでもなければ、こぶしは何としてでも止めたであろう。
あの〈のた坊主〉を確実に無傷で制圧しなければならないという目的がなければ。
『―――すまないッス。戦巫女たちに迷惑をかけて』
〈三代目分福〉が心底情けなさそうに頭を下げる。
もともとは彼らタヌキの同胞が原因なのであるから、その情けなさもひとしおだ。
隣にいた〈八ッ山の狸〉もである。
「事情はわかっていますから、そんなに頭を下げないでください。あなた方の苦境もわかっているからこそ、レイちゃんだって慣れない〈闘杯〉に挑んだのですから。あなた方が気に病むと、あの娘の侠気が無駄になります」
『〈神腕〉の巫女にはすまないことをしたッス』
『シャッポー……』
〈八ッ山の狸〉にとって、明王殿レイは自分を正々堂々と正面から打ち破った尊敬すべき相手でもある。
その彼女が病院送りになったことを悔やまないはずがない。
「とはいえ、参りました。無理に制圧しようとすれば逃げられる。逃げられたら、次にいつ現われるかわからない。やはり〈闘杯〉で屈服させて、その間に捕まえるしかないということですか……」
こぶしは自分が〈闘杯〉に挑戦すべきという考えを捨てられなかった。
まだ未成年で飲酒できる年齢でないものたちに、酒の飲み比べなどさせられないというのが常識なのだが、今、退魔巫女の統括をしている彼女が万一にでも行動不能になったら組織そのものに差しさわりが出る。
彼女もそれなりに飲めるが、〈のた坊主〉相手では五分と五分だ。負ける可能性も否定できない。
かといって、現役の巫女たちにこれ以上の被害を出すのも同様だ。
自縄自縛の状態となっていた。
「こぶし、状況はどうなんだい!?」
迎えにやったハイヤーから三人の少年少女が降り立った。
こぶしはさらに複雑な気分になる。
戦力は揃ったが、ここで投入すべきかどうかという悩みが生じたのだ。
猫耳藍色は無理だったが、やってきた二人―――御子内或子と神宮女音子はかなり期待できる。
まともに戦えばどんな妖怪とだって互角にやりあえる精鋭なのだから。
今回に限ればそれが有用ではないとしても。
「状況はすごく悪いわ。たった今、レイちゃんまでが病院送りになったところだから」
「レイが! さっきの救急車ってもしかして……」
「そう。レイちゃんも急性アルコール中毒かもしれないのですぐに病院まで直行させたわ。意識がなかったしね」
「オー……あのミョイちゃんが……。信じられない」
レイの親友である二人はさすがに動揺していた。
〈神腕〉の巫女と怖れられ、単純な破壊力であるならば同期でも最強のレイが病院送りになったというのは衝撃的であったのだ。
「その……〈闘杯〉という戦いでですか?」
或子と音子についてきた少年がおずおずと聞いてきた。
自分が口を出していいのか不安なのだろう。
こぶしはこの後輩の助手のことを随分と気に入っていたので、すんなりと返事をした。
「ええ。レイちゃんも健闘したんだけど、ちょっと及ばなかったみたい」
「ちょっとですか?」
「350ml缶を二十本空けたところで力尽きたの。たかがビールだから、水みたいなものだけど、さすがに十代にはきつかったんでしょうね」
「―――二十本! 一応、アルコールですよね」
「大人になればなんとかなる量よ」
後輩がドン引きしていることにこぶしは気づかなかった。
「その〈のた坊主〉はまだあそこのスーパーマーケットにいるのかい?」
「ええ。そうよ」
「よし、じゃあボクが行こう。レイとてんの仇を討ってくる」
雄々しく宣言した上で、闘志を熱く燃やしたのは、或子であった。
友達や後輩がやられたというのに大人しくしていられる性質ではないのだ。
仲間たちの気遣いの視線を断ち切るようにして、退魔巫女最強を自負する少女は敵の待つスーパーへと向かう。
誰よりも頼もしい背中を見せつけながら。
友を倒した妖怪と、酒の飲みあいの勝負をするために。
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