第171話「コンビニ酒宴」
コンビニエンスストアの深夜バイトというものは、特にスキルが必要なものではない。
ハンディで発注をしたり、売り上げを伸ばすためのポップやらを作る人というのも決まっていて、積極的に仕事をしようというもの以外は言われたことをやっておけばいいだけだ。
中には、古株すぎて自分が店には必要だと勘違いをして、「私がルールよ」みたいに振る舞うパートがいたりもするが、たいていの場合、バイトはルーティンワークをきちんとしておけば問題がない。
駅前に近いところにあるとはいえ、終電がなくなる時間帯になれば客はまずこなくなるし、始発まではほとんど暇をつぶすのが仕事という有様だった。
とはいえ、深夜の間にやるべき雑事というのはそれなりにあるし、金澤が働いている店は、常勤の深夜勤務は彼一人しかおらず、今日は誰もサポートにいないのでサボっていられる時間というのはそんなにはなかった。
タバコの補充や、床掃除、ゴミ捨て、棚の前だし、旧雑誌を棚から抜いて新しいのと差し替える、トイレの掃除、段ボールの廃棄、あまりの新聞を縛り上げる、冷蔵庫の温度調節、ルーティンだがスケジュールさえ立てておけば問題ない程度の仕事量だが、とにかく面倒だった。
あとは、深夜の弁当類の配達を待てばいい、という時間帯になってようやく人心地つけたという感じであった。
「飽きたなあ」
身も蓋もないことを言ってから、金澤はバックルームに戻った。
休憩のためではない。
さっき納品されたばかりの酒類を箱から出して、陳列するという作業を思い出したためだ。
深夜に客の少ないこのコンビニが意外と好調な売り上げがあるのは、タバコと酒を扱っているからである。
タバコに関しては他の店舗の倍、酒についてもオーナーが特別に仕入れて本部に許可を出させた変わった銘柄をずらりと揃えているため、十分な客がついているのだ。
フランチャイズにしては自由にさせてもらっているのは、オーナーがもともと酒屋を営んでいて独立のルートを持っているから、それで交渉をしたおかげらしい。
最近では、コンビニエンスストアと歯医者ではどっちが日本に多いか競っているなどと揶揄されるほど大量の店舗があるが、かなり好調な売り上げが見込めるところは少ない。
某コンビニチェーンなどは、ライバルのチェーンが出店するのを確認して、そこに対抗できる店舗を作る戦略をとっていたりするなど、少ないパイを奪い合っているのが現状だからだ。
タバコと酒があるコンビニは強いと言われているうえ、他には見当たらない地酒などもあるというのはかなりの売りだといえた。
ただし、その分、陳列には時間と手間が必要なのではあるが。
「このビール美味そうだな。あとで、勝って帰るか……」
東北の方の知らない地ビールだったが、なかなかそそる外観をしていた。
金澤は自分の分として三本を手元のカゴにとり置いて、それから他の陳列を始めた。
手慣れているので、五分と要しなかった。
「さて、次だ」
カゴを掴むと、妙に軽かった。
350ミリリットルのビール缶を三本入れておいたのだから、それなりに手ごたえはあるはずなのに……。
だが、カゴの中に視線をやっても、そこには何もなく、空のままだった。
入れたはずのビール缶が見当たらなかった。
確かにいれたはずなのに……
金澤は首をひねった。
疲れか眠気でおかしくなったのかと思ったのだ。
しかし、伝票にある数値と陳列した数は間違いなく合致せずに三本足りない。
金澤がとり置いた分だけはなくなっているのだ。
立ち上がって店内を見渡した。
誰もいない。
さっき作業を開始してからも、客が入ってきた気配はなかった。
それにバックヤードはすぐ目の前なので、もし誰かがいるとしたらトイレしかない。
金澤は慌ててトイレまで行き、内部を確認したが、誰もいなかった。
電気すらもついてなかったのだから、誰かが潜んでいたとしても何もできないだろう。
「おかしいな……」
酒類の陳列スペースに戻った金澤は、そこに一人の子供のような人物が座り込んでいるのを見た。
子供だと思ったのは、背が低く、とても成人しているようには見えなかったことと、着ている白と黒のまだらのちゃんちゃんこのせいであった。
だが、その人物は禿頭のくせに、口の周りには黒々とした髭を生やし、赤いフンドシと濃い脛毛をもったおっさんだった。
おっさんは「ぐおおおお」と売り物の一升瓶を軽々とラッパ飲みしながら、片膝をたてて座っていた。
そのフンドシの脇からはみ出る黒いものから、金澤は思わず目を逸らしてしまった。
どうやって入ってきたのかもわからない、不気味な小男であった。
「―――うちの商品に何をしているんだ!?」
ここまで堂々とした無銭飲食は見たことがなかった。
店内で、防犯カメラだってあるというのに。
せっかく綺麗にした床に座り込んで、あまつさえ汚い尻で……
「警察を呼ぶ!!」
だが、そのちっさいおっさんは怯みもせず、
『そうはいかねえな。おいらの姿はカメラなんぞには映らねえから、ここで酒を飲み散らかしたのはおめえってことになるぜ』
「ん!?」
どう見ても酔いが回ってへろへろに見えるというのに、おっさんは意外と平然とした口調で言った。
何かひっかかるものを感じ、カウンターに入る前に金澤は振り向く。
「どういうことだ?」
『なーに、簡単だ。おいらはここで好きなだけ酒を飲んで帰るが、カメラに姿が残ることはねえ。それ、そういう特別なもんじゃねえだろ? だったら、おいらの仕業だという証拠は残らねえ。でも、酒がなくなったことに変わりはねえ。んで、ここにはおめえしかいねえ。つまりだ、疑われるのはおめえってことだよ』
どう見ても不審人物を通り越して、気味が悪い相手なのに言っていることは理路整然としていた。
金澤はカウンターの隅にある防犯カメラの端末を見た。
確かにあのおっさんはどこにも、どの角度にも映っていなかった。
まるで透明人間のように。
あのおっさんの言っていることは事実なのだ。
『―――ただよ、おいらだって、おめえを困らせるためだけに飲んでいる訳じゃねえ。酒が好きだから、酒を飲んでいるんだ。んでよ、ここでおいらからの提案がある』
「提案……?」
『おうよ。おいらとてめえで酒の飲み比べをしようぜ。―――〈
「なんで、俺が……」
すると、おっさんはげへへへと笑い、
『古今、酒呑童子の時代から飲み比べは正義と決まっているのよ。酒で勝てないやつはなにをやっても駄目さあねえ。どうだ、やろうぜ? 男なら勝負だぜぇい』
その顔が一瞬、タヌキのそれに見えた。
不思議の国のチェシャ猫よりもニタニタと赤ら顔のタヌキが笑っていた。
金澤はまだ一口も飲んでいないのに、悪酔いをしてしまったような自分を感じていた……。
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