第163話「〈フレンチ・リップス〉」



「なあ、頼むよ、升麻あ。おまえしかいないんだよ~」


 クラスメートの桜井がさっきからずっと泣きついてくる。

 僕としては出来ることなら無下には扱いたくないが、内容が内容なのでそうそう気楽にイエスと言えるわけもなく、困り果てているところであった。


「だからね、さすがに高校生の身分で風俗にいくのはどうかと思うんだよ」

「フーゾクじゃねえって! ガールズバーだよ!」

「……どう違うのさ」

「風営法ってあんじゃん? 風俗関係のための法律だけど。みんなの言うソープとかキャバはそっちに当てはまるけど、ガールズバーはただの飲食業なんだよ。だから、その辺のラーメン屋とかと変わんねえって。普通に酒が出るけど、酒なんて牛丼屋でもでるだろ」

「でも、社会通念のイメージでは風俗なんじゃないの?」

「よし、ウィキペディアを見ろ。ググれ」


 そんな説得法があるかい。

 仕方なく、スマホで検索してみると、確かにガールズバーというのは飲食業ではあるらしい。

『バーテンダーがすべて女性のショットバーである。テーブルなどが少なく、カウンターに設けられた席に、来店した客が着席し、女性のバーテンダーが会話などをして接客する。風営法で規制されるキャバクラと異なり飲食店に分類されるため、営業時間などの制約が少ない』

 ……なのだそうだ。

 要するに、キャバクラとの違いは、ホステス役の女の人が隣に座ってお酌などの接待をするのではなく、カウンター越しにお酒の相手を勤めるというものなのか。

 程度の問題はあるけれど、ボディタッチなんかは基本禁止で、直接的な風俗とは線引きされているようだね。

 

「だいたい、なんでガールズバーなんかに行きたがっているんだい。そこから説明しなよ」

「わかった。説明したら、一緒に行ってくれるな」

「それはそれ。これはこれ」

「ケチめ。まあいい。胸襟を開いて信頼を得るのも男の流儀だ。赤心を推して人の腹中に置くだ」

「ケチとか罵倒しといてそれかい。で、とりあえず話は聞くから……」


 すると、桜井は自分がどうしてガールズバーなんかに行きたがっているかを語りだした。

 なんでも、夏休みに親戚に何度も連れられて行ったガールズバーで一目ぼれをしたらしい。

 要約するとそれだけなのだが、そこに行くまでにやたらと冗長なだけの説明があり、いかに自分が惚れたバーテンダーが綺麗で可愛いのかを力説された。

 つまりは大したことを言っていない。


「で、もう一度、そのバーテンダーに会いたいから付き合ってくれ、と?」

「ああ、親戚の兄ちゃんはうちの親にバレてこっぴどく叱られていたから頼めねえし、年上のダチはいねえし、おまえしかいないんだよ!」

「どうして、僕なのさ?」

「おまえ、大人っぽいじゃん。見た目は」


 見た目の問題なのか!


「それにバイトやっているから、多少は金の負担もなさそうだし」

「―――全額、自分がだしますからというのじゃないのね」

「並みの居酒屋よりも高いんだよ、ガールズバーって!」

「安くない金まで払って付き添いって……僕には得がないじゃん」

「だから、頼む! 一生のお願いだ! もう一度会って、ラインIDの交換まで持っていけたらなんとかなるから!! 一度だけでいい!!」


 まず、君の作戦には幾つか致命的な欠陥がある。

 一つは、ガールズバーで働いているような大人が金もない高校生を相手にしないだろうということ。

 次に、ラインIDを貰ったからといって仲良くなれる保証はないということ。

 最後に、警察に通報されて補導される可能性がなくもないということだ。

 こんなハードルを幾つも越えてなんとかできるほどに桜井の顔面スペックもその他エクストラ・スペックも高くないのに。


「幾ら、なのさ」

「兄ちゃんの支払ったのは、平均二時間で一万二千円だったかな」

「……」


 時間制とチャージ制だとすると、一人六千円はそんなに高額ではないか。

 バイト三昧の上、〈社務所〉から振り込まれる額もかなり貰っているので多少の贅沢をしても問題はない。

 酒を飲まなければそんなに金額も跳ね上がらないだろうし、興味がないといったらない訳でもない。

 ガールズバーそのものではなく、桜井の転落しそうな人生についてだ。

 以前の奥多摩の事件の時でも感じたが、このクラスメートは放っておくと結構ヤバい人生を送ることになるだろう。

 好奇心とか欲望に負けて、雪崩式にどんどん変な方向に進んでいくのは確実だ。

 流されやすくて、変な人たちの言うことを鵜呑みにして、雑用なんかを押し付けられるタイプでもある。

 あまりそっけなくするのも可哀想だしね。


「じゃあ、付き合ってもいいよ。でも、いざとなったら逃げるからね。庇ったりしないし」

「情けないことを平然と言いやがって……。だが、今はおまえに頼るしかねえ。頼んだぜ、相棒!」

「うん、成宮寛貴みたいに頑張るよ」

「せめて寺脇康文ぐらいにはなってくれ」


 次の金曜の夜ということを決めて、僕たちは男子高校生とは思えない冒険の旅にでることになったのである。

 あ、御子内さんたちには内緒でね。



        ◇◆◇



 僕はたまに着るスーツと前髪を上げた格好を選んだ。

 こうすると、意外に大人っぽく見えるとは桜井の談だが、実は前にもこぶしさんに「京一さんは高卒で働いているような落ち着きがありますね」と褒められたこともある。

 なるほど、桜井が僕をチョイスしたのは間違いではないということだろうか。

 店内に入ると、僕のイメージとは違い、アルファベットのEの型にカウンターがある。

 四人掛けのテーブルが外れに二つ。

 どちらかというとやはりカウンターとスツールがメインで、テーブルはおまけ程度だろう。

 あえて例えるのならば、牛丼屋の店舗っぽい感じといえるか。

 ただし、照明を絞った暗い店内とタバコの紫煙がくゆらされる環境は予想以上に退廃的だ。

 居酒屋というよりは、飲み屋、特にキャバレーに近いだろう。

 桜井がわずかに緊張しているのはやはり子供だからか。

 腰の高さまでのカウンターに七人ほどのブラウスとタイツスカートの女性バーテンダーが仕事していた。

 ただし、胸元が開いて動くたびに谷間を見せつけているし、スカートにも腰のあたりまでスリットがあって、おそらくショーツはTバックか何かだと想像がつく。

 バーテンダーとは名ばかりの色っぽさだ。

 お冷をだすときだって、あえて前かがみになっているところがまるで風俗みたいだった。

 お客さんたちもわかっていて、その仕草を観察している。

 桜井は何度か来ているし(高校生とはバレていないらしい)、僕も見た目だけは大人っぽいのでスムーズに席に案内された。

 一応、年齢を詐称しているという弱みがあるので端の方にわざわざ向かった。

 店内には五人ほどの客がいて、それぞれを一人のバーテンダーが相手している。

 独りの客ばかりなのは、まあ、バーテンダー目当てなのだからライバルは少ない方がいいという考えかもしれない。

 七人の女性たちはすべてかなりの美人で、若いうえに化粧も派手ではないという、桜井に言わせると「当たり」の店だという。

 僕らのところにバーテンダーがやってきて、桜井を覚えていたらしく会話が始まった。

 聞いている限り、その女性は桜井の目当ての人ではないらしく、彼女はまだ出勤していないということだ。

 時間制なので、そこまでに来てもらわないと余計な出費がかかるなあと感じる。


「こっち、俺の高校時代のダチなんですが、ガールズバー初めてってんで連れてきたんスよ」

「あら、そうなんですか。楽しんでいってくださいね。―――いい背広ですけど、どんな職業をなさっているの?」

「タレントっていうか、そういうちょっと特殊な職業の人のマネージメントをしたり、イベントの舞台を造ったりしています」


 うん、嘘は言っていない。


「へえ、芸能関係なんだ」

「テレビにでたりすることはないですけどね。―――桜井、僕は明日も仕事があるから、酒は勘弁してくれ」

「あ、ああ」


 そつなく受け答えする僕を桜井がびっくりした顔で見ていた。

 このぐらいできないと逆に駄目だろう。

 あまり飲まないと宣言したからか、バーテンダーは僕よりも桜井をターゲットにすることにしたようだ。

 桜井にしきりにアルコールを薦めだした。

 こういう店ではかなり個別の商品がお高いので、売り上げを伸ばすためには注文させた方がいいのだ。


「えっと、明日翔あすかさんは……」

「明日翔はもう少ししたら出勤してくるから、それまであたしで良ければ相手をするけど?」

「あーん、お願いします、ミチルさーん」


 明日翔というのが桜井の想い人で、このお姉さんはミチルさんか。

 僕は二人がカクテルを飲みながら話しているのを聞きながら、店内の様子を探った。

 顔には出さないようにしているけど、ここに入った途端、実のところ僕の背筋は凍りついた。

 このガールズバー〈フレンチ・リップス〉に漂う、粘つくような気配のせいであった。

 一年近く御子内さんたちと付き合ってきたせいか、僕は妖怪や幽霊の放つ妖気に対して敏感になっている。

 道端に成仏できずにいる弱い幽霊でさえ感じ取れるぐらいである。

 その僕だからこそというものでもないけど、この店内はかなり異常な部類に入っていると思う。

 よく、従業員やお客さんが平気な顔していられるもんだ。

 一気にげそりと痩せてしまいそうなぐらいに気持ち悪い。

 しまったなあ。

 ここ、絶対におかしいよ。

 さすがに顔色が悪くなっているのを自覚していたら、


「おや、升麻くんじゃないか。いったいなんて顔をしているんだ? ほら、スツールにいるよりもソファーの方が楽だよ」


 後ろから声をかけられた。

 振り向くと、知った顔がいた。

〈社務所〉の禰宜の一人だ。

 何度か現場で顔を合わせたことがある。

 あの組織では、禰宜というのは宮司を補佐する者の職称だけでなく、妖怪の案件を調査したりする捜査員としての顔を持っている。

 いつも人手不足だといっていることから、数はそんなに多くないはずだ。

 それがこんなところで偶然出会うなんて……。

 ミチルさんの勧めもあり、僕はゆったりしたソファーの方に移った。

 ガールズバーはカウンターで女の人と会話を楽しむ店なので、普通はテーブルの方にはいかない。

 同じ料金を取られるのにもったいないからね。

 だから、テーブルには禰宜さん以外誰もいなかったので、かなり楽に横たわることができた。

 ネクタイを緩め、呼吸を楽にする。

 妖気のせいであると考えると無駄な気もするけど、病は気からだし、少しは楽になった気がしないでもない。

 薄情なクラスメートは、お目当ての明日翔さんがやってきたら僕のことなんて気にも掛けなくなった。

 あとで〆てやる。

 お店が混み始めたこともあり、ミチルさんが接客に戻ってしまったので、ここには僕と禰宜さんだけになった。

 逆にちょうどいいか。


「―――升麻くん、確か媛巫女ひめみこと同じで高校生だったよね。こんな店に来てもいいのかい?」

「ちょっと事情がありまして。禰宜さんこそ、気晴らしですか?」

「ははは、そんなことがないのは、升麻君ならよくわかっているよね。……この雰囲気についてさ」


 禰宜さんは声を潜めながら、店内を一瞥した。

 スツールは完全にお客さんで埋まっていて、バーテンダーが全員に応対している。

 桜井のもとには例の明日翔さんがついていた。

 どう見ても営業スマイルなので彼に脈はないだろう。

 少なくとも、僕らに注目している人はいないようだ。


「もしかして、ここを調べに?」

「まあ、そんなところだ。私の本職についてはバラさないでいてくれると助かる」

「じゃあ、僕の年齢についてとバーターで」

「よかろう」


 それから、時間までの間、僕はこの禰宜さんととりとめのない話をしながら、店の様子を探り続け、桜井と一緒に帰った。

 こんな不健康そうなところにはいつまでもいられない。

 もっとも、その僕の苦労とは裏腹に明日翔さんとラインのIDを交換できた桜井はものすごく上機嫌だった。


「また来よう! な、升麻!!」


 などと浮かれている。

 僕の気も知らないでね。

 用がないのなら、僕は二度と行きたくない。


 おそらく、ガールズバー〈フレンチ・リップス〉あそこは妖怪の巣なのだから。



   

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