第149話「古家での調査」
私は自分の眼を疑った。
玄関でこちらを見つめる二人組の少年少女があまりにも非現実的だからだ。
少年の方はよくあるブレザーの学生服姿で、顔も幼さがあり、どこにでもいそうな様子なのだが、それでもこの不気味な家の中に入ってきても動じたようには見えない。
所有者から鍵を預かって中に入った私と比べても落ち着きすぎている。
ただし、彼の場合はまだ色々と理屈をつけられる存在ではある。
もう一人の少女に比べれば。
こっちの方はもうなんといっていいものか……。
右前の和装の白衣をまとい、鮮やかな緋袴を履いた巫女姿なのだ。
しかも、緋袴の方は膝のあたりで切られたミニスカートのようで、さらに黒い革の足首までカバーしたシューズを履いているだけでなく、手には指のあたりが空いたグローブをつけている。
シューズとグローブは間違いなく総合格闘技のためのもので、私の知っているブランドの製品だろう。
腕を組んだ佇まいは、巫女というよりは武闘家にしか見えなかった。
そんな二人組が玄関口に立っていて、私を見つめていた。
敵意や恐怖のようなものが微塵もないのは助かる。
「キミは誰だ? 一年前にここで行方不明になったという御仁かい?」
巫女の少女が喋った。
なんというか、男の子みたいな口調だ。
そのくせ自然に聞こえてきて、反感のようなものは覚えなかった。
干支が一回りは離れているだろう年下からタメ口をきかされているということに対しても、だ。
この巫女のもつオーラのようなものが私を圧倒しているからだろうか。
「御子内さん、いなくなった人は四十代だから、この人じゃないよ。書類入れるカバンを持っているし、業者か役所の人だと思うよ。土足で上がっているし」
確かに私はまだ三十七歳だ。
ここの前の住人とも十歳以上は年齢が離れている。
土足のことも含めて、この少年はよく観察していると感心した。
私を一目で業者と看破したのもたいしたものだ。
「なるほど。一年も放置されていたがそろそろ売りに出されたとかそんなところかな。ならば、丁度よかった感じだ。付き添ってもらおうか」
「えっと、今日のところは引き揚げた方がいいんじゃない? あまり関係のない人を巻き込むのは良くないとこぶしさんも言っていたよ。あと、カラスも。……ほら」
頭上がカアアというカラスの鳴き声のようなものが聞こえたが、気のせいだろう。
「そうもいかない。この男がここで一夜を過ごさないとも限らないだろうし、何か余計な真似をしないとも限らない。ボクらの使命を考えると、ここは頑として譲るべき場合ではないんじゃないか」
「うーん、御子内さんが真面目なのは良く知っているけど、すぐにでも事件が起きるとは限らないだろ。今回は引き揚げようよ。で、また別の機会を見つければいいんじゃないかな」
すると、徹底抗戦を唱えていた戦争中の軍部のように拳を握っていた巫女は長い息を吐いて、それから自分の肩をもんだ。
顔つきがいきなり柔らかくなっている。
「……仕方ないな。ボクの京一がそういうのならば引き下がるとするよ。―――そこのキミ。ボクたちは帰るけど、なにかあったらこの番号にかけるといい」
彼女は口箱の上に四角い紙切れを乗せた。
そして、少年と連れ立って来た時と同様に唐突に家を出ていった。
いなくなっただけで、なんとなく空気が変質してしまうような存在感の持ち主だったな。
私は彼女が置いて行った紙切れを手にする。
予想通りの名刺だった。
内容は予想していなかったが。
[退魔巫女
とあった。
「た、たいまみこお!?」
思わず平仮名で呟いてしまった。
おいおい、漫画じゃないんだから、退魔巫女ってなんだよ。
確かにあの女の子は巫女装束だったし、ちょっと普通じゃない存在感を持っていたけど、そんなおかしなものがいるわけないだろ。
担がれたか?
さっきの二人組に揶揄われている可能性を考えたが、どういう訳かそんな風には思えなかった。
少年も真面目そうで誠実な雰囲気だったし、巫女だって思い返すと聖なる神々しさのようなものがない訳でもなかった。
私を揶揄ったり、騙したりするタイプにはどうしても見えない。
だが、だからといってこんな名刺を信じることはできない。
とりあえず登録して、それから一度かけなおしてみるか。
私は名刺にある通りに「御子内或子」と番号を登録してみた。
何か馬鹿な真似をしているような気もしたが、なんとなくしておいた方がいい気がしたのだ。
飲み屋での話のネタになるかもしれないしな。
「さて、仕事仕事」
私はそのまま一階をぐるりと見渡した。
特別におかしなこともなく、最後に残った風呂場を覗き込んでみた。
蓋もしておらず、中は腐った水が溜まっていた。
風呂の残り湯がそのままなのだろうか。
ガサ
何かが動いた。
思わず尻もちをしてしまう。
腰を強かに打ち付けても、私の視線は外れなかった。
動いている。
確かに、ひっくり返った桃色の洗面器が。
ガサガサガサと煩雑な音を立てている。
私は恐怖に駆られてつま先でその洗面器を蹴った。
カランと洗面器がめくれる。
洗面器がひっくり返ったおかげでその下に隠れていたものが剥き出しになる。
それは甲羅が六センチほどの大きさの蟹であった。
「蟹? なんで、蟹がこんなところに!?」
声が裏返るほどに驚いた。
この大きめの蟹が洗面器の下で動いていたせいで、あんな音がたったのだと理解した。
そして、私はこんな蟹に腰を抜かすほど驚かされたという訳だ。
内心とても腹が立ったが、蟹ごときに馬鹿にされたような気になるのも不快だったので、私はできる限り無造作にその甲殻類を掴み上げた。
つめが大きく、甲羅にもつめにも足にも毛が生えていて、わかりやすくいうと毛ガニのようだ。
ただ、毛ガニにしては小さい。
沢蟹や、海辺の蟹のようでもない。
「ん?」
よくよく甲羅を眺めてみると、二つの螺旋の模様があり、それがまるで人間の眼のようであった。
その間にあるのは鼻で、長い割れ目は―――口か。
益体もないことを考えてしまい、気味悪くなったので窓を開けて投げ捨てた。
人面蟹なんて気持ち悪くて仕方ないだろ。
私はそのまま風呂場の外に出た。
ガサ
音のした方向を見ると、廊下にもさっきのと同じ蟹がいた。
まるでこちらを舐めあげるように見上げている。
もう薄気味わるくて耐えられなかったので、革靴で踏みつぶした。
いやな手応えがあった。
死骸を眼にしたくないので、その場に転がっていた古新聞を丸めて上に乗せて隠した。
依頼人が引き渡す際に業者にハウスクリーニングにだすだろうし、その際に始末してもらえばいいだろう。
それから、私は二階へと上がっていった。
蟹とはいえ殺生をしてしまったからか、やるせない気分のまま、私は二階の部屋を見て回った。
ここもやはり誰かが暮らしていたのはわかる。
ただ、寝室に使っていたらしいのは一階の部屋であり、ここは単に物置代わりに使われていただけのようだ。
住人が集めていたらしい釣り竿やらルアーやらが整理されて並べられている。
魚拓のようなものが壁に飾られているので、釣りが趣味らしいというのは一目瞭然だった。
私も多少は釣りをするが、どちらかというと趣味とまで呼べる段階ではない。
それよりも格闘技を観戦する方が実は好きだ。
ひと月に一度はボクシングの試合を観に行くし、近所にプロレス系の団体が来てイベントをしていたら日参してでも通い詰めるぐらいだ。
なかなか結婚のチャンスがないのはそのせいかもしれない。
ただ、私ぐらいの年になると女性とつきあうとすぐに結婚の話になってしまい、そこに向けての駆け引きを仕掛けられるのがとても面倒だ。
肉体目当てという訳ではないにしても、普通に愛を育んで、時期を見たら結婚できたらいいなと考えているのに、すぐにグイグイ迫られるのは嫌でしょうがない。
挙句の果ては、「あたしも時間がないからダメならダメといって」とか脅してきやがる。
駆け引きをするだけならまだしも、あまり私を追い詰めないでもらいたいものだ。
だから、この年になっても独身でのんびりとした生活がしたくなる。
女とつきあうのは相当面倒なのであった。
廊下に出ると、窓の外は暗くなっていた。
もう夜なのだ。
調査期間中は電気を戻してもらっていたので、廊下の電灯もそのまま点いた。
そのまま居間に戻る。
いつもの勘は働かない。
死体があったりとか、幽霊がいたりとか、そういう感じはしない。
ただ、これまでとはまったく違う異質な予感がした。
埃を掃ってソファに座ると、なかなかの上もので身体が気楽に沈み込んだ。
随分と楽になるソファだ。
しばらくじっとしているとなんだか瞼が重くなってきた。
疲労からくる眩暈のようなものから産まれた睡魔が襲ってきたのだろう。
(ここで寝るのはちょっとまずい……)
そんな警鐘が頭に鳴り響いているにもかかわらず、私は泥のような眠りに落ちていった……。
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