第131話「中堅戦へ」



「今のは……中国拳法の発勁みたいな技ですか」


 藍色さんの見せた猫パンチが、浅草寺のタヌキの〈狸提灯〉を破ったらしいということは僕にでもわかる。

 だが、仕組みについてはさっぱりなので、解説のこぶしさんに聞いてみた。

 すると、彼女はくびを横に振って、


「違うと思います」


 と、否定した。


「インパクトの瞬間、藍色ちゃんの身体がブレたように私には視えました。あれは“波”ですね」

「波といいますと」

「彼女は全身を震わせて一種の波を作り上げて、毛皮や肉といった部分を越えて直接内臓を打ったんでしょう。生物の肉体は、ほとんど水分で出来ていますから、堅い拳をヒットさせるよりも波を当てた方がダメージを与えやすいのです」

「でも、相手は妖怪ですよね」

「妖狸族は普通に生き物なんです。寿命はあるし、病気にもなる。ただの生き物を相手にするのと変わりません」


 つまり、藍色さんの猫パンチは全身を震わせる衝撃波のようなものを叩きこむ技ということだろうか。

 実際にどうやればそんな真似ができるかはさておき、藍色さんはその技を使ってタヌキの内臓を痛めつけた。

 おそらくは未知の痛みを受けて、浅草寺のタヌキは幻法を解き、ほとんど掴みかけていた勝利を逃したというわけだね。


「……おそろしいものだな、〈社務所〉の巫女は。だが、単純に凄い」


 グリフィンさんの感想もわかる。

 僕たちの背後にいるタヌキの観客も同じ思いらしく、目に見えるほど会場内が静まり返った後、爆発的な歓声が起きた。

 あの絶対の劣勢のあと、覆せないだろう逆境を跳ね返し、見事に勝利をおさめた藍色さんを讃える声だった。

 浅草寺の同族を応援してはいても、結果として見せつけられた奇跡の逆転劇は観客のハートを鷲掴みにしたのだ。

 あの賭けボクシングの聖地〈合戦場〉で泥酔した客たちを虜にしたように、またも藍色さんはその技術でタヌキたちまで味方につけた。


「さすがだ、藍色さん……」


 控室に去り際に、彼女がみせた控えめなガッツポーズが印象的だった。


「これで二勝か。ほぼ決まったかな」


 グリフィンさんが勝負の行方について語る。

 この戦いは五対五の団体戦だ。

 最初に三勝した方が全体でも勝つというレギュレーションのもと行われている。

 退魔巫女側は、レイさんと藍色さんが立て続けに勝ったため、あと一回の勝利で決まる。

 そして、あとに控えているのは御子内さんと音子さん、ついでに熊埜御堂さんだ。

 一勝もせずに終わる面子ではありえない。

 彼の言う通りにほぼ勝ったといえるだろう。


「そうね。音子ちゃんはたまにやらかすけど、或子ちゃんが負けることはないから決まったようなものか」


 こぶしさんまで同調した。

 しかし、僕としてはちょっとその楽観論には乗れない。

 確かに御子内さんは最強の巫女レスラーだし、負けることなんてありえないけど、そうそううまくいくものだろうか。

 江戸前狸の代表である〈五尾〉は、その名に恥じない化け物めいた技の持ち主だった。

 相性の問題もあっただろうが、先鋒・次鋒の二人もかなり苦戦していたように感じる。

 決して楽な相手ではない。


 ただ、その時、異変が起こった。 


 後楽園ホールの扉から、誰かが入って来て階段を降りてきたのだ。

 視線を向けると、たまに見掛ける白衣と袴の若い人だった。

〈社務所〉の禰宜という役職を務めているはずだ。

 通常の神社の禰宜と違って、退魔巫女たちの〈社務所〉における業務は神事には限らず、調査員や雑用もこなすなかなかのスペシャリストなのである。

 絶対数が少ないらしいので、リングという名の〈結界〉を敷いたりする力仕事は僕たちバイトに任せられているようだ。


「……不知火さま」


 前・退魔巫女というだけでなく、〈社務所〉の中でもこぶしさんは偉い人らしく、禰宜の人は恭しく話しかけてきた。


「どうしたのですか?」

「お耳を拝借」


 禰宜がこぶしさんの耳元で何やら伝えたら、彼女の顔が少しだけ険しくなった。

 何かあったのだろう。

 退魔巫女の統括もしているという彼女に伝えるべき緊急の用事ができたのか。


「―――妖狸族には?」

「すでに電話で伝えています」

「反応は?」

「あちらのおさである文福どのが別室に移りました。こちらの会場については、ことが起きた場合に〈五尾〉のタヌキたちが当たるそうです」

「……もう三匹しか残ってないじゃない」

「おそらく、我らが巫女も勘定に入れているのだと思われます」

「まったく勝手よね、タヌキって。これが本当の捕らぬ狸の皮算用かしら」


 こぶしさんは立ち上がった。


「中堅戦が始まりますよ」

「あとは二人でお願い。次は、てんちゃんだし、ミスター・グリフィンお願いします」

「わかった」


 そのまま禰宜の人と出入り口の方に向かう。


「……何があったんでしょうか?」

「事件だろうね」

「そうか」


 リングの方に眼を向けると、花道を撥ねるように走ってくる熊埜御堂さんの姿が見えた。

 観客のタヌキたちのブーイング混じりの声援に笑顔で応えている。

 こぶしさんの言う通りに、彼女が中堅の選手なのか。

 つまり、熊埜御堂さんが勝てば退魔巫女側の勝ち。

 負ければようやく〈五尾〉側が一矢を報いることになる。

 かなり重要な役目だけど、どんなタヌキがでてくるのか、僕はちょっとだけ楽しみになっていた。

 そこで、タヌキたちの会話に耳を傾けてみると、


『……まさか金長きんちょう狸がでてくれるとはな』

『ううむ、あれほどの音に聞こえたタヌキまで呼び出すとは、文福め、どうやら本気のようだぞ』

『それや。江戸前だけでなく、四国の英雄を呼んどるということはそれだけ〈雷獣〉との戦いを見定めているというこったろ。わいらもマジでやらんとあかんやろな』

『てめえも大阪から来ているしな』


 どうやら観客は東京のタヌキだけではないようだけど、金長狸ってなんだろう。

 どこかで聞いたことがあるような。


「金長というと、阿波狸合戦の主役のタヌキのことですね」

「グリフィンさんは知っているんですか?」

「日本の講談はわりと勉強しました。江戸時代の末期に、四国で行われたタヌキ同士の大喧嘩についての話ですよ」

「はあ……」

「四国はタヌキの本場みたいなものですから、そこから来たとなるとかなり侮れない相手だと思いますよ」


 イギリス人の彼よりも日本の知識が足りないというのは普通に悔しい。

 とはいえ、阿波狸合戦だったら映画で聞いたことあるし、アニメの題材になったこともあるはずだから、僕も聞き覚えがあったのだろう。

 金長狸というのは相当名のあるタヌキなんだな。

 まだ経験の浅い熊埜御堂さんに勝ち目はあるか。


「……まあ、てんはああ見えても恐ろしいガールですから、心配はいらないと思いますが」


 さすが彼女の助手をしているだけあって、余裕がある。

 僕自身、熊埜御堂さんのガチの戦いには接していない分、あまり信用していない面があるのかもしれないけど。

 後楽園ホール内がまたざわめきだす。

 反対側から、ついに噂の金長狸が姿を見せた……のかと思った。

 だが、花道へと控室の入り口から押し寄せてきたのはタヌキたちではなかった。

 黒い毛皮と長くて太い尾を持ったケダモノたちであった。

 全身からバチバチと輝く火花を発しながら、手にした筒のようなものの先端を観客席に向けている。

 手にしている筒のようなものは、背負った四角い箱から伸びたホースと繋がっているのが見えた。

 鉄砲というよりも消防士のパイプのようだと思ったら、確かにその先端から得体のしれない雷状の怪光線を放出して、後楽園ホールの座席とタヌキたちを薙ぎ払った。

 とんでもない威力の攻撃にタヌキたちは慌てて逃げ惑う。

 ケダモノたちは何十匹といる。

 すべてが例の筒と四角い箱を装備していた。

 そして、額から鼻にかけて白い線が入っている。

 一匹のタヌキが叫んだ。


喧嘩でいりだ!  喧嘩でいりだ! ハクビシンどもの殴り込みだ!!』


 後楽園ホールはタヌキたちの助けを求める悲鳴と、突然襲撃してきたハクビシンの一党による雷のような怪光線による破壊によって、阿鼻叫喚の地獄絵図へと変じていった……


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