第96話「亡霊〈七人ミサキ〉」



「七人ミサキというのは、非業の死を遂げたものたちが彷徨う亡霊となったものと言われているんだ。目撃したものを熱病などの祟りで憑り殺し、仲間に加えるが、常に七という数を維持しているため、一番古参のものから成仏していくというシステムらしい。ミサキの意味は良くわかっていないね。『岬』か『御先』、もしくは元は犬神を意味した小神を指す『御前』かもしれないって諸説あるけどさ」


 地下鉄の電車の中で御子内さんの講義が始まった。

 隣の席のOLがぎょっとした顔をしている。

 突然、隣でオカルト談義が始まればこういう顔にもなるか。


「主な伝承は四国・中国地方で、だいたい水辺に現われる。有名なところでは、吉良親実とその家臣かな。長宗我部元親の怒りをかって切腹させられた親実と斬り殺された家臣たちの七人の霊が七人ミサキとなって、祟っているのだと恐れられているという怨霊譚さ。確か、広島には山伏の姿をした七人ミサキの伝承もあって、凶暴な七人の山伏たちに苦しめられていた人々が手を結んで山伏たちを殺害すると、その怨霊が七人ミサキになったとか、そういうやつだ。こっちは水辺じゃなくて、『山ミサキ』とか呼ばれてるね。ただ、水や食料を求めて見殺しにされた者が七人ミサキになるとも言われているが、解き明かせた知恵者はいないみたいだよ。と、まあこんな感じで、社務所ボクらは〈七人ミサキ〉という妖怪の一種として扱っているのさ。……ただ、なんで東京の渋谷で七人ミサキの名前が出るか、真面目な話、ボクには今一つよくわからない」

「前のときに社務所は動かなかったの?」

「90年代のことはよくわからないな。下手をしたら、ボクらは産まれていないからね。こぶしだって現役どころか見習いでしかない頃だよ。ただ、都市伝説になっているのにその後の発展がなかったから、デマだったのかもしれない」

「それにしては詳しいね」

「この話は音子がよく研究していたからね。あいつ、実家がたまプラーザだから、東急田園都市線ですぐに渋谷にこられるので、あのあたりのオカルト話を熱心に採集していたんだ」

「へー」


 そういえば、音子さんはたまプラーザに住んでいるとは言っていたっけ。

 この間の〈殭尸〉のときはあざみ野から地下鉄で来たとかって話だし。


「よし、着いたぞ」


 地下鉄で二駅ほど。

 それで遠藤拓海のマンションの最寄りの駅に着く。

 タクシーで地上からいっても良かったが、今日は社務所を通しての妖怪退治ではなく御子内さんの趣味みたいなものなので、経費として降りそうもないということから節約するのだそうだ。

 意外とこういうところは現実的なのである。

 いい奥さんになるだろうね。

 遠藤拓海の部屋は駅から歩いて五分。

 また、いいところに住んでいる。

『コーポ・グランシャリオ』という五階建てのけっこう家賃の高そうなマンションだった。


「確か、四階って話だったよね」

「鳩麦遥人のいうことに間違いなければ」


 僕たちはエレベーターを使って、四階まであがった。

 チンと電子音が鳴って、ドアが開いた時、入口のところにいた御子内さんが一歩下がった。

 弾かれたように。


「……ちっ、マズったかも。これは本当に〈七人ミサキ〉かもしれない」


 珍しく御子内さんに焦燥の色が濃く浮かんでいた。

 少し冷や汗みたいなものもかいているかも。

 ただ、僕は逆になにも感じなかった。

 冷気のようなものさえも。

 普段、妖怪と接している時に感じる嫌な雰囲気なども欠片も感じない。

 御子内さんの極端な反応さえなければ、普通にエレベーターから降りていたところだ。


「何か、あるの?」

「京一はなにも感じないのかい?」

「いや、全然」

「―――おかしいな。まったく、何も、鳥肌がたつということも?」

「さっぱり」


 首をひねる御子内さんだが、いつまでもエレベーターの中にはいられないからか、少し警戒しながらエントランスに出た。

 マンションの間取りは知らなかったが、彼女の視線はもう一か所に釘付けになっている。


「黄金の72時間という言葉を知っているかい?」

「えっと災害時の人命救助の限界のことだっけ」

「ああ。人間は水を飲まなければ平均で三日間(72時間)でおおよその生存限界となり、脱水症状によって死に至ることになるから、そこまでに救助しないと危険だということなんだけど。……オカルトについても似たような言葉があるんだ」

「どういうの?」

「―――〈逢魔の一週間〉さ。何か尋常でないものに巻き込まれた場合、一週間以内に対策を講じなければ高い確率で憑り殺されることになる。だから、一週間がだいたいの目安と言われている。もっとも、キミの妹の涼花の場合は即日危険に見舞われたから、この言葉には当てはまらないけれど」


 涼花の事例は例外としても、〈ぬりかべ〉なんかは事件が起きてすぐ八咫烏が連絡をとってきたから取り込まれた学生たちを救出できたんだよな。

 確かに、一週間もぐずぐずしてたら、最悪の結果になりかねないかも。


「じゃあ、遠藤拓海は……」

「きららの従兄弟は、彼は一週間前から連絡がつかないといっていたね。下手をしたら、もう手遅れかもしれない。急がないと」


 なるほど。

 御子内さんが社務所に連絡を取るのも惜しむような勢いで、ここに向かった理由がわかった。

 合コン会場で話を耳にした段階で、すでに一週間が経過している。

 遠藤拓海に実際に危機が近づいているとすれば、もうギリギリの段階だったのだ。


「行こうよ」

「ああ」


 僕たちはそのまま遠藤拓海の部屋―――405号室の前に辿り着いた。

 その間、他の住人の姿は見えない。

 まだ、午後六時前だからか、帰宅していないのだろう。

 このコーポ・グランシャリオは独身の単身者向けのマンションのようだから、子供たちの声もしないし。


「御子内さんにはどんな様子なの?」

「この玄関の裏から黒い靄のようなものが滲みだしている感じかな。嫌な雰囲気だよ。京一が平気なのが不思議なくらいだ」

「いや、ホント。何も感じない」

「……どういうことなんだろう。まあ、いいや。今は気にしている余裕はないか。中に入ろう」


 御子内さんがノブに手を掛ける。

 その際に、カバンからだしたお札のようなものを手に張り付けていた。

 これは〈解錠〉の術のためのもので、よほど複雑な仕組み(例えば電子ロック)以外は勝手に鍵が開くことができる。

 犯罪に使われたらとても困るものだが、効力を発揮できるのは退魔巫女に限られているので悪用はされないそうだ。

 

 ガチャリ


 ノブが捻られると、玄関扉が開く。

 ブルっと身体が震えた。

 妖気……ではない。

 ただ単に冷気が漂ってきたのだ。

 つけっぱなしのエアコンから送られてくる冷風だろう。

 物凄く低い温度設定をしているみたいだ。

 夏とはいえ、これでは身体を壊す気がする。

 僕の家ではエアコンは食事中と帰宅時だけにしか許されていないので、こういう冷蔵庫みたいな部屋はひたすら苦手だ。


「何か、感じるかい?」

「エアコンが強すぎってことぐらいしか……」

「呑気だね、キミは」


 苦笑しながら、御子内さんは室内に入り込む。

 1DKの部屋だ。

 キッチン部分を抜ければ、すぐに遠藤拓海の私室になる。

 とはいえ、キッチンはほとんど使われている様子もなく、コンビニ袋に入ったゴミが溜められている。

 ビールの空き缶とかあって生活の乱れ具合がわかる。

 コバエも舞っているし。

 一人暮らしを謳歌していたのだろう。

 高校生の時分からこの有様では将来が思いやられるな。


「行くよ」


 ダイニングキッチンと部屋を分けるカーテンをめくって、内部を覗き込んだ時、僕たちは思わず息を呑んだ。


 なんだ、これは!? 


 そこにあったのは、僕らの予想もしていないだったのである……。

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