第90話「悪霊病棟」
手術は思ったよりもすぐに終わった。
自分のベッドに戻り、部分麻酔の残った身体でのんびりしていると、下半身が妙にむず痒い。
ちらりとパジャマをめくると、大事なところの毛がないのですーすーするということがわかった。
施術前に看護師さんが薬で脱毛したあとだ。
昔はカミソリで剃っていたのだが、衛生面での問題があるということで、今は脱毛クリームを使っているらしい。
それでも女性に下を処置されると恥ずかしいのは変わらず、ずっと眼を閉じていた気がする。
おかげで僕のあそこはツルツルな訳だが、あまり人には見せたくない。
なんてことを考えていたら、担当の看護師さんが手を振りながら入ってきた。
「チャオ、京一くん。手術の感想はいかが?」
「すぐに終わっちゃった感じです。手術室に流れていた古い歌謡曲の方が気になって仕方なかったです」
「ああ、あれね。執刀の先生の趣味なのよ。古い人でねー」
「最近はああいうBGMみたいなの認められているんですか」
「病院によるかな? で、とりあえず様子を聞きたいんで質問に答えてね」
術後の様子などを色々と話して、彼女との問答は五分ぐらいで終わった。
「……あ、あとね。夜になったら病室からでないようにしてね。もよおしたら、ナースコールして。できたら、朝まで我慢してくれると嬉しいんだけど」
「んー、どういうことですか?」
「京一くん、聞き訳が良さそうだから教えておくけど、お年寄りの患者さんが深夜に倒れたのよ。当直の看護師が気がついたんだけど、患者さんの話によると変な若い男に襲われたらしいの」
「不審者が入り込んでいたってことですか?」
「でも、うちってセキュリティだけは凄くしっかりしているのよね。だから、警察を呼ぶのも躊躇われて……。もう院長とかが事なかれ主義でね……。患者さんの安全が第一なのはわかっているはずなんだけど」
病院の辛いところもわかるかな。
ただ、そういうのは警察にすぐに通報した方がいいんだけどね。
「わかりました。でも、それ、何が目的なんでしょうかね」
「んー、若い女性の患者さん目当ての変質者かもしれないから。うちとしては結構深刻なんだけど」
「でしょうね。他に目撃者とかはいないんですか?」
看護師さんは記憶を思い起こすそぶりを見せて、
「
「ああ、ちょっと精神的に病んじゃった人なのか……」
「他にも……えっと俺は炸裂ファイターじゃないとか……」
「それはそうでしょう。正義の味方の炸裂ファイターはテレビの中のキャラクターですし」
「くすっ。京一くんの言う通りなんだけどね。でね、精神科に入院している患者さんかもって疑いがあったから調べてもそんな若い男はいないってことらしいわ。なんなんだろうね」
「わかりました、気を付けます」
看護師さんが出ていった後、僕は少し考えた。
炸裂ファイターという名前を二日連続で聞いたことについてだ。
別の人物に、別の機会に。
偶然だと思うけど。
でも、昨日の勇太くんは子供だし、特撮ヒーローどストライクの世代だから当たり前だけど、変な事件にまつわって聞く単語じゃない。
御子内さんと付き合うようになって、色々な経験をしてきたからか、最近の僕はどうも物事を疑ってかかる傾向があると思っている。
けれど、引っかかることはどうしようもない。
よって、僕としてはちょっと暇つぶしも兼ねてその変質者について調べてみようと決めた。
◇◆◇
「うーん、事務の方でも大変よ」
しばらくして、保険とかの手続きを確認に来た事務系の職員さんにも聞いてみた。
ふわふわした髪の話しやすそうな人で良かった。
「やっぱり……」
「不審な変質者が出たって言っても、出入りは確認できてないのよ。そうなると院内の人の可能性が高くてね」
隠蔽という言葉が浮かんだけど、完全に内部の人間の仕業というのなら及び腰になっても仕方ないところかな。
それに、僕みたいに子供に言ってもいい範囲での情報だから、きっとまだ裏はあるだろうけど。
ただ、その範囲でもわかることはある。
「ナースたちの間では幽霊の仕業ってことになっているみたいよ」
「幽霊……ですか?」
「ええ。だって、病院ですもの、ここ」
「病院に幽霊はつきものですもんね」
侵入者がいなければ、職員か患者、そうでなければ付属の幽霊。
わかりやすい容疑者リストだ。
「でも、幽霊ってここに出るんですか? 聞いたことがないんですけど」
「出るわよ。私が知っているだけで昔は年に五、六件は目撃談があったもん。でも、今回みたいな凶暴なのはないわね。ただ、ここ一週間ぐらいで四件はちょっと多いかな。患者さんたちが動揺するから困るのよ」
「ここ一週間ぐらい?」
「ええ、そうよ。
事務員さんは肩をすくめた。
確かにその通りだ。
御子内さんたちでもなければ幽霊をどうとかしようとはできないはずだ。
文字通り対処(物理)できる退魔巫女と一般人では差があるというものだし。
「怖いですね。僕も気を付けます」
「そうした方がいいわね。夜は私たちも臨時の見張りを出すことになったし」
病院に幽霊か……。
僕は涼花がもってきてくれたスマホの画面を見ながら考えた。
(御子内さんたちに頼もうかな)
だが、今、彼女たちは再訓練の最中だから、すぐに連絡できそうなのは熊埜御堂さんだけだ。
言霊操作とサンボの使い手の彼女だから、頼りにはなるだろうけど、まだたいした被害も出ていない状況で退魔巫女にお願いしていいものだろうか。
彼女たちはもっと凶悪な妖怪相手に忙しいだろうし。
それに、下手に動くのも考えものかな。
僕は所詮ただの一般人だ。
退魔巫女と一緒にやってきたといっても、僕自身には何の力もないし、御子内さんたちみたいな勇気もない。
勝手に動き回っても場をかき乱すことだけしかできないだろう。
だから、前のように紙垂を作って八咫烏を呼ぶようなこともせずに、僕は手術を終えた体を安静にすることにした。
でも、その日和見な態度は僕自身を強く打ちのめすことになる。
次の日、談話スペースで顔を合わせた勇太くんに恐ろしいものを見せつけられたからであった。
それは、彼の細い首に赤くこびりついた手の跡だった。
間違いなく誰かが勇太くんの首を絞めようとつけたものだった。
「お兄ちゃん、怖いよお……」
縋り付くように僕の腕に抱き付く勇太くん。
一昨日のような明るさはどこにもなかった。
「お母さんや看護師さんたちには言ったの?」
「ううん。お母さんたちにはまだ。……だって、怖かったの。ぼくはみんなに迷惑をかけているからこれ以上は我が儘言えないし……」
小さな子供が言うには重すぎる言葉だ。
それだけ普段から気にしているのだろう。
もしかしたら炸裂ファイターに夢中という一面は、逆に子供っぽさをアピールするための必死さの現れなのかもしれない。
「それに……恥ずかしいし……」
いじめられっ子が親に訴えない原因の一つに、いじめられる自分が恥ずかしいからというものがある。
弱い自分を曝け出すのが、誰かに知られるのが恥ずかしいというものらしい。
優しくてプライドもある子には耐えられないのかもしれない。
そして、この勇太くんの場合にはもう一つ恥ずかしさを感じてしまうだけの理由があった。
「蘭条友彦に嫌われるなんて、きっとぼくは悪い子だったんだあ……」
「そんなことはないよ。蘭条友彦は正義の味方だ。炸裂ファイターなんだよ。君を悪い子だなんて思うはずがない。だから、悪い夢をみただけだよ」
「夢じゃないよ。ほら、手の跡があるもの!」
「それは……」
手の跡だけは誤魔化しようがない。
確かに勇太くんは誰かに首を絞められた。
だけど、彼が犯人として名指ししたのは、なんと炸裂ファイターGAに変身する蘭条友彦なのだという。
僕は途方にくれたが、唯一ともいっていい回答も思いついていた。
それが正しいかどうかはさておきとして、今の僕には彼を慰めるぐらいしかできなかった。
「落ち着くんだよ。蘭条友彦が―――GAが子供を傷つけることなんてない。君は悪い夢を見たんだ」
でも、僕にはわかっていた。
もしかしたら、本当に蘭条友彦が彼を傷つけようとしたのかもしれない。
なぜなら、蘭条友彦役の
だとすると、彼の幽霊が、残留思念のように存在していたとしても不思議はない。
ただ、おかしいのは確かだ。
蘭条友彦ほどの子供の味方はいない。
その彼が化けて出て子供を襲うなんてありえない。
では、いったい、どうして……。
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