第82話「ハードワークが勝利の鍵」



 昼飯を終えて一休みしたあとで、御子内さんが楽しみに待っていた海水浴が始まった。

 一方の僕は、〈社務所〉の搬送班のオジサンたちが届けてくれた資材を検品してから、リングの設置予定の場所を下見して、十分な強度があるかを確認する。

 棒杭を立てたりするのに不向きな砂浜であるとわかったので、無理に固定せず、ある意味では流動的なスタイルのリングを作ることにした。

 要するにマットを敷かないのだ。

 砂浜をそのまま使用する。

 投げ技などで叩き付けられたときのダメージが大きくなるが、不安定な足場で戦うよりはマシということである。

 それに、今回は御子内・明王殿VS〈手長〉〈足長〉のタッグマッチの様相となりそうなだから、地上戦が増えるだろうし特に問題はないだろう。

 僕はこの10か月ほどで相当数のリングを設置してきたこともあり、このあたりの計算はお手の物だった。

 最初から最後まで一人で作ることも簡単になったし。

 ここ最近では社務所から手伝いの人が派遣されることも滅多にないぐらいである。

 それはそれでどうなんだろうと思わなくもないけれどね。

 もっとも、一人で黙々と作業していると、そういう意味不明の恨みつらみが湧き上がってくるのが難点だ。

 ただ、日差しの暑い海岸の、しかも砂浜の上で汗水たらしながら仕事をしている脇で、水着に着替えた可愛い巫女さんたちが楽しそうにしているのを横目でみているだけだけれど、僕はまったく羨ましいとは思えなかった。

 文字で書くとなんて羨ましい環境と思う向きもあるだろうが、実際にこの場の光景を目にしてみるとそんな感想は欠片もなくなる。

 なぜなら、御子内さんたちがやっているのは、常識で考えると、海水浴の海遊びではなかったからだ。


「うりゃあああああ!!」

「くそおおお!!」


 砂浜ダッシュ10本が終わって、一番になった御子内さんが人差し指を掲げて絶叫していた。

 タッチの差で負けたレイさんが砂浜を悔しそうに叩いている。

 さらに隣で砂浜に勝敗票をつけている覆面を脱いだ音子さん(さすがに暑かったらしい。あと、覆面をつけての日焼けはさすがに避けたかったものとみえる)がいる。

 ……絵面えづらがどう見ても遊びではない。

 さっきから彼女たちがしていることは、砂浜ダッシュとかビーチフラッグ対決だとか相撲とか、どうみたって海水浴でする内容ではないのだ。

 もし一言で例えるのならば、これは「強化合宿」以外の何ものでもなかった。

 最初からおかしいとは思っていたのだ。

 浮輪とかボディボードの類は一切用意しておらず、シュノーケルやフィンすらもどこにもない。

 到着してすぐに念の入りすぎたストレッチを開始して、シャドーボクシングに丁寧な時間をかけたり、精神集中のために音楽をヘッドフォンで聞いたりしていたのだから。

 どう見ても海でキャッキャウフフという状況ではなかった。

 僕だけ仕事かあと思っていたのはほんの一瞬だけ、しばらくすると「のけ者にしてくれてよかった」と安堵するぐらいの苛酷なトレーニングが始まったのだ。

 しかも、遠巻きに様子を窺っていた他の海水浴客たちがさっと潮が引くように(海だけに)いなくなるという激しさで。

 最初は美少女三人組ということでナンパ目的の連中もいたことはいたのだが、最終的には蜘蛛の子を散らすようにどこかにいなくなっていた。

 まあ、僕みたいにいきなりリングを作り出した変なのもいるから仕方ないところだけど。

 もしかしたら、いつもの〈人払い〉の術のせいかもしれない。

 いや、そう思おう。


「どりゃああああ!」

「だっしゃあああ!」

「なんのこれしきぃぃ!!」

「アルっち、死ねええ!!」

「キミこそくたばれぇぇぇ!」


 という凄惨なまでに楽しそうな叫び声が轟き渡る砂浜で僕がリングを完成させたのは、陽がもう落ちるだろうという時間のことだった。

 そろそろ寒くなってきたかなと思うぐらいの。

 どれだけの間、全力で強化トレーニングをしていたのかわからないぐらいにバテバテの巫女さんたちが白い砂浜でゼエゼエと荒い息を吐いていた。

 普段はクールで少し距離を置いているように見える音子さんでさえ、たいして変わらない有様なのは結局のところ類友だからだろうか。

 テレビの番組とかでアイドルが色々な競技をしているところはなんとなく微笑ましいのに、彼女たちがやっていると鬼気迫る様相を呈するのが正直困る。

 仲間外れにしてもらってよかったと心の底から思った。

 あの鬼哭啾啾たる連中につきあって死にたくないしね。

 ……まさに命拾いした僕が、〈護摩台〉という名のリングのロープのテンション等を確認していたら、後ろから声をかけられた。


「京一」


 振り向くと御子内さんがいた。

 いつも以上に顔が疲れきっているのが、この砂浜トレーニングの苛酷さを物語っている。

 って、君は海水浴に来たのではなかったのか。

 多分、一緒にいたのがレイさんだけだったならともかく、音子さんまで参加したことではっちゃけちゃったんだろうなあ。

 この女の子は、可愛いのに頭の中はかなりの脳筋だから。


「海水浴はもう終わり?」

「ああ、最後の遠泳はほんとに大変だったよ」


 女子だらけの水遊びで遠泳ってあまりしないよね。


「お疲れ様。楽しかった?」

「ああ。有意義な時間を過ごせたよ」

「それは良かった」


 あまりツッコミすぎないのが彼女たちとつきあうコツだ。

 ボケを見逃すのはいけないが、ツッコミは最低限度にしておくのがいい。

 何故かというと、まあ、身がもたないからだけどね。


「試着の時から思ったけど似合っているね、その水着」


 御子内さんの水着は赤いビキニだ。

 とはいえ、布地はかなり余裕があり、激しいスポーツができそうなシンプルなタイプである。

 両腰のところにワンポイントでリボンがついているのが可愛らしさを引き立てている。

 赤は巫女の色でもあるし、燃える闘魂の彼女にはお似合いだ。

 もともと胸は大きくないけれど、全体的なスタイルもいいしね。


「ふふん、そうだろう」


 満更でもなさそうだった。

 基本的に彼女は褒められるとすぐに機嫌がよくなる性格だし。


「さっき京一が音子やレイに鼻の下を伸ばしていた時はどうしてくれようかと思案していたけれど、許してあげよう」

「それはそれは、恐悦至極に存じます」

「よかよか」


 ちなみにあと二人はぐでーと屍のように砂浜で動かない。

 彼女たちの体力がないはずはないので、おそらく御子内さんがバケモノレベルの持久力の持ち主なだけだろう。

 御子内さんがリングの端にちょこんと腰掛けた。

 僕もその隣に座る。

 彼女の頭の位置は僕の肩までしかない。

 一緒にいると想像以上に小さい女の子なのだ。

 そんな彼女が巨大で凶悪な妖怪たちをバタバタ倒していく姿は本当に痛快だ。

 だから御子内さんの手伝いができるのは愉しい。

 でも、女の子相手だからまったくドキドキしないということはないけれど。


「……いい風だね」

「もう陽が暮れるからかな」

「うーん、一日があっという間に過ぎてしまったよ」


 午前中は移動、午後は特訓だからね。

 息つく暇は昼飯のときだけだったかも。


「ボクとしてはもう少し京一と遊びたかったところだね」

「明日もあるでしょ。あと、夜も、少しなら……」


 深夜になったら妖怪退治に動かなければならないので、軽く仮眠をとる必要があるから、そんなに遅くまでは起きていられない。

 それでも少しは時間があるというものだ。


「だね。……夜もあるか」

「そうそう。ただ、御子内さんたちはご飯食べ過ぎで動けなくなる可能性が高いな。夜は金目鯛がでるらしいから」

「金目鯛? 刺身かい、煮つけかい? いや、塩焼きもいいねえ!」

「さて。時期が時期ならあんこう鍋もよかったけど、あれは冬だからね」

「うーん、アンキモを味噌に溶かして鍋にしたやつは最高だからね。熱燗と一緒に」


 聞き捨てならない単語を聞いたが、無視しておく。

 巫女レスラーと付き合う時の鉄則―――基本的に既読スルー。


「また、来ればいいじゃない」

「そうだね」


 僕らがダラダラと未来の話をしていたら、ゾンビのようにヨタヨタと立ちあがるレイさんたちの姿が目に入った。

 立ち上がると同時にしゃんと背筋が伸びるのはさすがというところだ。

 多少ふらついているのはご愛敬。

 ただ、音子さんはともかくレイさんまであんなに疲労困憊していていいものだろうか。


「おーい、そろそろ入浴と洒落こもうじゃないか! 早くしなよ!」


 比較的元気な御子内さんに誘われ、僕たちは民宿へと向かうのであった。

 歩いているうちに通常レベルにまで体力が自然回復していくというモンスターたちと一緒に。


 ……心配するだけ無意味な気がしてきたなあ。

 

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