第73話「中華街二人旅」
音子さんに連れていかれたのは、横浜の中心部に近い、とある雑居ビルであった。
僕たちの住んでいる多摩からは電車で移動するのも一苦労という地域で、ほとんど初めて行くような場所だった。
とはいえ、短時間のバイトというだけあって交通費も社務所から支給されるらしいので、さほどの文句はなかったのだけど。
「……ここでいいの?」
「シィ」
いつものようにスペイン語の短文が混じる変わった話し方をする音子さん。
だが、今日は様子が違っていた。
なんとトレードマークの
おかげで音子さんの白い陶磁器のような素肌と整った左右対称の美貌を拝むことができた。
僕の人生でもほとんど見たことがないぐらいの美少女だ。
正直なところ、粒ぞろいの美人ばかりの退魔巫女の中でもおそらくトップに綺麗なのは彼女だろう。
普段、ぶっちゃけ奇妙な覆面で隠しているのがもったいないぐらいである。
ただ、それだって何か理由があってのことなんだろうと思う。
なぜなら、音子さんの覆面について御子内さんに訊ねても要領の得ない回答しかもらえなかったからだ。
きっと黙っておくだけの深い事情があるに違いない。
もっとも、素顔を見せてくれるというのはとにかく珍しい事なので、一応聞くだけは聞いてみることにした。
「今日は
「シィ。―――あれだと目立つから」
「それは否定できないね」
ごく普通の返答だった。
もう少し奇をてらった答えが来るものと思っていたので拍子抜け。
強く拒絶でもされていたら、逆に諦められたかもしれない。
彼女が覆面をつける理由がさらに気になって仕方なくなってしまう。
「でも、音子さんくらいの美人だと素顔でも目立つよね」
すると、彼女はちょっと顔を赤らめて、
「……シィ。あたし、ほらさ、とんでもなく可愛いから、ある意味で美人税みたいなもん」
と、なかなか吐けない台詞をいう。
さすがは退魔巫女。
自己を肯定することにかけては他にひけをとらない。
御子内さんもレイさんもそうだけど、彼女たちは常に自信満々で謙遜しても口だけである。
絶対に自己を卑下して考えたりはしない。
それだけ強い自我を持っているともいえる。
まあ、女の人はというものはたいていの場合、自分の可愛さについてだけは客観的に把握しているものなので別に退魔巫女に限らないか。
うちの妹だって随分俗なことを言うし。
よく言う「合コンには自分よりも可愛い子は誘わない」とかその類の。
「でも、素顔だと目立たない? 音子さん、SNSで色々と人気者なんだから」
「そこまでじゃない。所詮はネットの世界だし」
「フォロワーが何万人もいるのに?」
「芸能人でもないし」
芸能人でも君ぐらいの美人さんはいないけどね。
「それに、
「ううん、駄目なんかじゃないよ。むしろ、気を遣ってくれてありがと。ただ、音子さんは美人だからさ、一緒に歩くとすごく注目されちゃって恥ずかしいだけ」
「大丈夫、そういう人はあたしを見ているだけだから。京いっちゃんには目もくれない」
「はっきり言わないでよ……」
事実だけどね。
まあ、巫女装束の御子内さんと連れ立って色々と出歩いている僕としては、今更なんだけど。
あれだけ素っ頓狂な格好が隣にいれば僕なんて地味すぎて影よりも目立つことはない。
ちなみに今日の音子さんは覆面もなければ、巫女装束でもないという完全なお出掛けモードだ。
薄手の白のブラウスと藍のサブリナパンツ、お洒落なスニーカーに豊かな髪を納めるための大きなキャップ、小物としてバッグを持っている。誰がどうみても退魔巫女には見えない。
仕事用の巫女装束の入ったカバンは僕が引き受けていた。
これで観光地の中華街のそばを歩いているのだから、なんとなくデートをしているような気がしてならない。
しかも、途中で音子さんが僕と自撮りしたがったりしたのもあって、さらにそんな感じがする。
女の子とツーショットというのはプリクラでも恥ずかしいのに。
そういえば、御子内さん以外の女の子と二人でいるのは久しぶりだな。
彼女もいない僕としてはちょっと緊張する。
「でも、わりと繁華街に近い、こんなところになにがあるの?」
「……さっきの中華街の華僑からの仕事なの。目立たないようにしてくれというオプションつき。うざっ」
わりと毒舌だ。
無口な人ほど内心ではとんでもない罵倒語を連ねているというらしいが、音子さんにもその傾向はあるのだろうか。
「だから、私服なんだ。でも、華僑ってことは中国の人? 珍しいね」
「そうでもない。もともとうちの国の妖怪にも大陸産は多いし、最近は観光客についてやってくる連中も増えてきたから」
「へえ」
「でも、今回のは珍しい。……噂では聞いていたけど、接触は初めて」
音子さんも御子内さんと同じぐらいの戦歴の持ち主だから、その彼女が珍しいというくらいでは相当レアなのだろう。
「それで、僕は何をすればいいの?」
「話がまとまりそうなら、〈護摩台〉の設置を頼みたいの。あとは、傍にいてくれればいい」
「……? どうゆうこと?」
僕の特技は退魔巫女が〈護摩台〉と呼ぶ、リング造りだ。
彼女たちが所属する社務所にも専門の肉体労働者が複数所属しているらしいが、どうやら最近の僕は外部の専門家として頭数に含まれているらしい。
おかげで御子内さんの
社務所というところがいったいどういう組織なのかは今だに不明だけれど、それってどうなんだろうといつも思ってはいた。
「中華街に来るなら、ちょっと……気分になれるかなって」
よく聞き取れなかった。
音子さんは寡黙な方なので言葉がたまに聞き取りにくいことがある。
「じゃあ、とりあえず音子さんが今回退治する予定の妖怪はどういうやつなのさ? 察するところ、大陸の妖怪なんでしょ?」
「……」
少し考えてから、
「何日か前、新宿の歌舞伎町で一人の中国人が死んだの。で、その死体は病院に運ばれたんだけど、三日後に突然、出ていってしまった」
「出ていった? それだとまるで自分の足でどこかに行ったみたいに聞こえるね」
「シィ。―――目撃した看護師の証言では、間違いなくその死体は自分の足で出ていったらしいの。自分の足で、ピョンピョンと跳ねながら」
「ピョンピョン?」
僕の頭の中にはウサギとカエルが競争を始めていた。
ただ、それが人間だとすると……
「もしかして、それって映画とかでよく見る……」
「シィ。―――〈
……なんで、そんなものが日本にいるのさと言いかけたけど、ある意味では納得した。
すぐ先には中華街がある。
日本に来た華僑がすみついて作られた日本でも珍しい完全なチャイナタウン。
であるからして、そこに日本のものとはまったく別の系統に属する妖怪が潜んでいたっておかしいことは何もない。
むしろいないと思う方が変か。
そして、すべての妖怪と戦うのが音子さんたち退魔巫女の仕事である以上、対象について例外はないのだろう。
〈殭尸〉という奇妙な妖怪と戦うことさえも。
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