第59話「敵意の証明」
八咫烏が助けを求める声を聞き届けた、和田というのは嫌な感じのする男だった。
年齢は二十三。
大学を中途退学し、それ以来、実家でひきこもっていたらしい。
今どき、引きこもりで数年なんてことはよくあることなので気にもされないレベルだけれど、身にまとう雰囲気そのもので警戒されるのはそうはないだろう。
普段から太陽のような温かい気を発している御子内さんの傍にいるからかもしれないが、僕は和田に一切の親しみを覚えなかった。
もっとも、僕と和田との関係は、彼を狙う妖怪変化を御子内さんが退治してしまえば終わる程度のものに過ぎないので、どんなに拗れていても構うことはないのだけれどね。
僕がいつものように、〈社務所〉が借りた空き地で〈護摩台(結界台でもいい)〉というリングを設営している脇で、御子内さんがウォーミングアップを続けている。
さらにその近くで、和田がぼうっと彼女を見つめていた。
唯一の持ち物だというアタッシュケースを資材の隅に置いていた。
どことなく隠しているようにも見えたが、そんなことよりも彼の視線が妙に気に障る。
御子内さんぐらいの美少女に眼を奪われる気持ちはわかる。
僕だって無意識のうちに追ってしまうことはよくあるので、ストーカーの気質があると言われれば認めざるを得ない。
ただ、和田のように無機質な目で舐めまわすようなことはしない。
欲情もダダ漏れだし。
少なくともあいつが御子内さんになんらかの
(……妖怪に襲われて助けを求めてきているというのに、随分と余裕じゃないかよ)
和田への憤りみたいなものに我を忘れていたせいか、僕は思わず材木の一つから手を滑らせてしまい、指を挟んだ。
「イタっ!」
気がついた時には、親指が赤くなって腫れている。
厚手の軍手をしていたおかげで助かったが、下手をしたら皮がむけて血がでていたところだ。
それでも大分赤くなっているし。
御子内さんが慌てて近寄ってきた。
「京一、大丈夫かい?」
「う……うん。なんとか平気」
「ちょっと見せてみなよ。―――ありゃあ、これは酷いな」
「いや、資材は持てるから大丈夫だよ」
「そうはいかないだろ……」
御子内さんが僕の手を握り少しあたふたしていた。
珍しいこともある。
彼女が動揺しているなんて。
「……確かに酷いな」
すると、いつのまにか僕らの後ろから覗き込んできたものがいる。
和田だった。
「すぐに冷やしたほうがいいな。巫女さん、タオルを水で濡らしてきなよ」
「うん、そうだね」
「別にいいって……」
「そうはいかない。京一まで怪我をすることはないよ」
御子内さんは手近なところにあったタオルをもって、水場のあるところまで駆けだした。
その後ろ姿を見ながら和田が、
「いい子だねえ。もしかして、カノジョ?」
「―――そういう関係じゃないことは確かです」
「それにしちゃあ、あの子を見ていた俺のことを殺しそうな目つきで睨んでいたじゃないのさ」
「……殺しそうな、なんてことはありませんよ」
殺意があったかと言われると、それはない。
僕はこれまで他人どころか動物だって殺そうと思ったことはないからだ。
例え御子内さんを視線で穢そうとするこいつ相手でも。
「確かにね。あんなんで殺しができたら誰も苦労はしないわな」
奇妙なことを言うな。
殺してやるとか、殺すぞなんて日常的に使われている中で、実際に殺意なんか持つものはいやしない。
そも、何かの命を奪うということ自体が普通の社会生活を送っていたら遭遇しないイベントだ。
特に現代の日本においては、死体にさえ滅多に接する機会はないのだから。
「……お母さんがご無事だといいですね」
和田の母親は行方不明らしい。
御子内さんの話だと、化け猫事案においては肉親が攫われてとってかわられることが頻発するということだ。
今回、この男を執拗に狙っている妖怪は、どうやら化け猫であることに間違いはなく、そのためか母親の消息がわかっていないそうである。
僕としてはこの男の妙な言動は、化け猫に追われているといえだけでなく、行方不明の母親の安否を気遣ってのものだと考えていた。
「別に。あのババアがどうなろうと俺の知ったことじゃないね」
だが、和田の口から洩れたのは想定外の発言だった。
彼は母親のことをババアと言い放ち、ほとんど感情のこもらない言葉で切り捨てた。
「……お母さんが心配じゃないんですか?」
「ババアが? あ、年金がもらえなくなるからってこと? そんなのは別にいいよ。うち、クソ親父の財産がまだたんまり残っているし、生活にゃあ全然困らないから」
「お父さんが亡くなっているなら、二人っきりの親子じゃないんですか? そんな冷たい言い方……」
すると、和田は蔑んだ顔をした。
もちろん、蔑まれたのは僕だ。
「おまえさあ、うざいよ」
「え?」
「なんだ、話が分かりそうだなと思ったら、ただのいい子ちゃんヅラかよ。おまえ、よくええかっこしいとか言われねえ? 俺がおまえとクラスメートだったら、ハブるわ」
向けられたのは悪意だった。
この間のバイト先の運転手からのものなんて比較にもならないほど、濃密な悪意。
ほとんど初対面の相手から与えられたものとしては、かつて感じたことのないぐらいに冷たいものだった。
「なに、その顔。さっきからずっと偉そうなやつだと思っていたんだよね。ニヤニヤしやがってさ。おまえ、何様よ」
「……」
「ああ、もしかして巫女さんと一緒に俺を助けてあげようとか思ってんの? 別に俺はおまえに頭下げた訳じゃないんで」
意味不明な絡まれ方だった。
ただ、二十代の大人からされるにしては随分と幼稚だ。
ここ数ヶ月の妖怪退治で鍛えられた僕からすると、たかだか絡まれる程度は普通のスルー案件だ。
気になるのは、和田の意図だ。
なんでいきなり僕を挑発するようにこんなことをいうのか。
「黙ってねえでなんか言えよ」
さて、どうしようか。
鉄拳制裁とかが処方箋にはピッタリなんだけど
一応、この人は依頼者なんだよね。
僕が揉めて御子内さんの邪魔になったら助手として格好つかないし。
「―――いい加減にしてくれないかな。キミの発言はさっきから随分と鼻につく。あと、京一が怪我をした原因はキミのためだということを忘れているんじゃないかい?」
どう対処すべきか戸惑っていると、ようやく水場から御子内さんが戻ってきた。
「ちっ」
巫女である彼女が苦手なのか、それとも他の事情があるのか、舌うちをしただけで和田は僕から離れていった
「ほら、これ。冷やしておきなよ」
「ありがとう」
渡された濡れタオルを怪我にあてる。
ひんやりとしてちょっと沁みる。
「……彼はなんのためにあんなことを言ってきたんだい?」
「わからない。でも、あいつが嫌な奴だということはわかったよ。妖怪に狙われているのが常に善良な一般市民ではないということが身に染みたね」
「―――京一」
御子内さんがあまりしない表情を浮かべた。
珍しく気弱になっているような、不安そうな、そんな顔だ。
「心配しなくていいよ。そんなことで僕は退魔巫女の仕事に幻滅したりしない。御子内さんたちの戦いの正義を疑ったりはしないから」
すると、安堵したのか顔つきが柔らかくなる。
御子内さんに暗い顔は全然似合わないね。
「……でも、少し気になることはあるけどね」
「なんだい、それは?」
「うん。普段の退魔巫女の妖怪退治の手伝いをしている時にはあまり感じないことなんだけど……」
「はっきりと言いなよ」
「彼は、どうして妖怪に狙われているんだい? これは僕のただの勘なんだけど、それがわからないとこの事件は解決しないかもしれない……」
僕は不平そうにスマホを弄っている和田を見ながら、そんな益体もないことを考えるのであった……。
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