第55話「秘儀と秘技」



〈オサカベ〉の当て身投げを何度かくらってみて、或子はその特性を完全に把握した。

 単純な技術の問題ではない。

 敵の当て身がヒットしたと同時に、ほぼノータイムでその威力を殺さず回転させて投げるというものである。

 これは妖姫の持つ黄金の扇子を利用した妖術に等しい技であった。

 或子の猛虎硬爬山が届いたのは、彼女の持つ直勘と歴史によって練られた技の特性のおかげであり、通常の技ではほぼ覆せないということも。


(……て、ことは扇子の届く範囲に入らなければいいということだね)


 しかし、ただのヒット&アウェイのアウトスタイルでは飛ぶ妖気によって狙われるだけだ。

 だから、或子は中距離を取って、しつこく下段を狙う作戦にでた。

 扇子の攻撃は〈オサカベ〉の肩の回る範囲に限定されるから、足元への蹴りへは対処できない。

 しかも、なにより〈オサカベ〉自身はそれほど戦いに優れている訳ではなかった。

 所詮は、姫君の妖怪。

 ただの乱暴者の妖怪たちと比べたとしても、鉄火場には向いていなさすぎる。

 視線と肩の動きで行うフェイントに容易く引っかかり、或子のローキックと下段回し蹴りに散々足を痛めつけられる。

 飛ぶ妖気も直線的すぎるため、タイミングさえ見切られると眼を閉じていても躱されるという始末だった。

 十二単の裾が閃くたびに、〈オサカベ〉は追い詰められていく。

 だが、或子は決して焦ってとどめを刺しに行こうとはしなかった。


(こいつ……絶対に何かを隠し持っている)


 優位に戦いを進めながら、最後の勝負に出られないのは、そのせいだった。

 長い歴史においては、退魔巫女が妖怪に敗れることもある。

 その場合、完全な力負けということはほとんどない。

〈護摩台〉の不思議な力―――結界が巫女たちの力を高め、奇々怪々な妖怪たちと互角に戦えるように地均ししてくれるからだ。

 だから、ほとんどの場合、退魔巫女と妖怪の彼我戦力差はない。

 互角よりはやや劣勢になるのは、人と妖魅には越え難い壁があるから当然のことなのだが。

 それでも退魔巫女は勝利を収めてきた。

 彼女たちが敗れるときは、たいていの場合は似通ったシチュエーションに限られている。

 それは劣勢に陥った妖怪が放つ隠された秘儀を受けた時であった。

 かつて、神宮女音子に〈天狗〉が放った怪声、インドからきた鬼の水鉄砲、その形は様々ではあるが、人間にとっては必殺の秘儀である。

 まともに食らえば即死は免れない。

 退魔巫女の死因もしくは引退の原因はほぼそれに限定されているといっても過言ではなかった。

 だからこそ、或子はその最後っ屁とも呼べる秘儀を警戒していた。


(……伝説によると、宮本武蔵も退けたという妖怪種〈オサカベ〉。簾の中に逃げ込んだ小坂部を追った八人の侍とともにエビのように吹き飛ばされたというね。例え、ボクでも油断をしたら終わりだ)


 或子は飛んだ。

 低く、足の裏を見せて。

 サッカーのスライディングタックルのごとくに臀部から行くのではなくて、腹部を下になるように滑る。

 或子の狙いは足そのものではなくて、両脚で挟み込んでのいわゆるカニバサミだった。

 今まで〈オサカベ〉が見せていた二種類の技はすべて立ち技。

 つまり倒してしまえばさらに優位に立てるという考えだ。

 そして、その考えは間違っていない。

 見事に決まったカニバサミは〈オサカベ〉を激しく倒した。


『なにをする!』


 ついに妖姫は叫び声をあげた。

 やんごとなき姫を祖とする妖怪にとって、下賤な巫女に足をとられて尻もちをつかされるということは屈辱以外の何ものでもなかった。


『放せ、下女め!』

「そうはいかないんだよね!」


 或子は〈オサカベ〉の扇子を持つ左手に飛びかかり、回り込んで極めた。

 キーロックだった。

 寝転んだ状態で敵の腕をくの字にして、二の腕と手首を片足ではさみこみながら、曲がった腕の間に自分の腕を通して固める。

 さらに、自分の側に体重を思いっきり引っ張ることで肘関節を極めるのだ。

 まるで鍵をかけるように見えることから、「和鍵堅め」とも呼ばれるクラシックな関節技だった。


『グオオオオ!!』


 姫の姿をしているとは思えぬ叫びだった。

 痛みではなく、屈辱の怨嗟だった。


「おっ!」


 或子の身体が浮いた。

 力任せに持ち上げられつつあるということだった。

 キーロックを破るためには実は最も簡単な力技だが、実際にそんなことができるものは数少ない。

 だが、〈オサカベ〉は姫形ではあったが、紛れもなく妖怪であった。

 立ち上がった〈オサカベ〉が高々と或子を持ち上げて、


『死ねぇ、下女め!!』


 とマットに叩き付ける。

 さすがの或子も無理な体勢で高角度に叩き付けられれば無事ではいられない。

 思わずキーロックを解いてしまう。

 肩を脱臼したかのごとき痛みを或子は呑み込んだ。

 右手が使えなくなった可能性がある。

 しかし、それよりもまず、或子がやるべきことは……


「間に合えっ!!」


 或子の右足がマットを蹴った。

 ほぼ同時に〈オサカベ〉が天に掲げた両腕が振り下ろされる。

 莫大な量の妖気がマットで爆発した。

 さっきまで単発で飛ばしていた妖気を数回分まとめて凝縮して地面に叩き付けたのだ。

 それはブレイクされたビリヤード球のごとくに四散し、地雷のように跳ね返った。

 簾のように光が〈オサカベ〉の周囲を埋め尽くす。

 宮本武蔵と八人の侍を吹き飛ばしたという〈オサカベ〉の秘儀がこれであった。

 まともに食らっていたら、いかに或子と言えど一巻の終わりであったろう。

 しかし、このリングの上での御子内或子はチャンピオンだ。

 たかだか、当たれば一発逆転程度の秘儀なんてものにやられはしない。


『やったか?』


 間一髪で逃げられたことに〈オサカベ〉が気づく寸前、或子は下から手の力だけで撥ね上がり、前転してから孤を描くドロップキックを放つ。


「空破弾!」


 全力の妖気の放出で硬直している〈オサカベ〉の胴体に見事にヒットした。

 そして、よろめいた妖姫の十二単の襟と袖を掴み、釣手で上半身は背負って前に投げながら、下半身は後ろに足を払う。

 背負い投げと払い腰をミックスしたかのように大きく複雑な投げをする。

 担ぐ、腰に乗せる、足を払う。

 それは、背が低い者がより高い相手を投げるために与えられるすべてを兼ね備えた究極の投げ技であった。

〈オサカベ〉は背中からマットに叩き付けられ、わずかに痙攣した後、動かなくなった。

 或子の勝ちだった。

 あとは両肩を押さえてフォールして三秒すればこの妖怪は消滅する。

 だが、フォールをしようと近づいた或子は妖姫の目元に滲む水滴を見た。

 そこから零れる跡を見た。

 妖姫の漏らす嗚咽を聞いた。


『……お顔が見たい、唯一目ただひとめ。……千歳百歳ちとせももとせに唯一度、たった一度の恋だのに』


 或子はまじまじと妖怪の顔を見つめた。

 妖怪の台詞に戸惑ってしまったのだ。

 たった今聞いたのは、間違いなく恋の告白ではなかったかと。

 いったい、なにがどういうことなのだ。

 

 或子がフォールをするのを躊躇っていると、待ち望んでいた声が聞こえて来た。


「御子内さん、ちょっと待って!!」


 京一だった。

 彼女がもっとも信頼する助手だった。

 ようやく戻ってきたのだ。


「遅いよ、京一! ―――で、何を待てばいいんだい?」

「その妖怪の……〈オサカベ〉についてだよ! とどめを刺すのは待ってくれ!」


 彼に言われなくても、もうそんな気はなくなりかけていた或子は肩をすくめて頷いた。


「ああ、ボクはいつだってキミのいうことなら聞くさ。もちろん、説明はお願いするけどね」

「うん。さあ、……入って健司くん」


 京一に伴われて暗い広間に入ってきたのは、小学生ぐらいの男子だった。

 可愛い顔をしているなと或子は思った。

 そして、その子はマットに仰向けに倒れた〈オサカベ〉を見て、


「姫様!!」


 と、悲しそうに叫ぶのであった。

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