第27話「私の愛車は凶暴です」
〈付喪神〉に憑かれた車の最大のメリットは、ガソリンというものを必要としないことだろう。
あと、定期的な車検を必要とする経年劣化とは無縁になることだ。
そうすると、維持費が大分安くなってユーザーは大助かりになるね。
いや、そんなことを言っている場合じゃないな。
「ボディはやっぱり硬いから、窓ガラスを割るんだ! あと、ヘッドライトも狙ってみて!」
「オーケーだ!」
御子内さんは一気にセルシオまで駆け寄ると、横蹴りでヘッドライトのガラスを破壊し、そのまま一回転して、助手席のガラスを踵で割り砕いた。
さすがに振り向きざまのターンが早い。
体幹が強く、体重の乗せ方がとんでもなく上手いのだ。
薄目の被膜を二枚で挟み込んで作る合わせガラスのフロントと違い、サイドは比較的割りやすい強化ガラス製なので、御子内さんの踵によって一面が完全になくなった。
強化といっても、表面または内部にひずみ層というのを作り、広範囲に力が均等に加わった場合はかなりの強度に耐えられるようになっていても、一点に力を加えられるとその部分から一気に崩壊して砕け散ってしまうからだ。
そこで、いけると思った矢先、なんと助手席のドアが開き、ガードごと巫女を弾き飛ばした。
ガードが早かったことと、ドアアタックは方向が限定されるということもあり、御子内さんにはたいしたダメージはなさそうだったが、それでもセルシオにああいう攻撃もあると知れたのは良かった。
窓を破られたセルシオが加速して逃げるのを追うかのように、脇から現われた音子さんが開いたドア目掛けて蹴った。
ガツンと留め金の部分が壊れたのか、開いたままのドアがきちんとしまらなくなる。
よし、あのままドアをもぎ取ってしまえば……。
と思いきや、セルシオの全体からギュオンギュオンと耳障りな音が鳴りだして、さっき割られた窓やヘッドライトのガラスがまるで生き物の爪のごとく薄く広がっていき、最終的には元の形に復元した。
それ以外に、最初に御子内さんがつけた足型も綺麗になくなっていた。
「あれが……」
音子さんの言っていた四十秒後の再生能力か。
まずいな。
あれほどの再生だと、もし車をスクラップにするためのプレス機で完全に潰したとしても、すぐに原型を取り戻してしまうかもしれない。
これは物理的な力だけの破壊ではどうにもならないかも。
巫女の神通力を使った
つまり、音子さんの当初のプランが一番ということだ。
バババババババババ ジャジャジャーン ♪
とカーステレオが何か新しい旋律を奏で始めた。
短いキャッチーなイントロのあとに、ややガラガラした声と高いハスキーボイスのヴォーカルがノリがよくわかりやすい歌詞を歌い始める。
コノオレサ バードメデスーン オウオウセイ ソラーミオオオー ♪
「
また古いところを持ってきたね。
おかしな車に、セックスとロックンロールはハリウッド映画の定番だ。
だけど、少しだけ哀しさが湧く。
あのセルシオは自分が車として最高だった時代の曲を流して、〈付喪神〉として何かをなしとげようとしているのだ。
そして、僕はその何かについてもう想像がついている。
御子内さんたちは大音量のハードロックに惑わされないように、さっきと同じように二手に分かれて囲む。
車という機械は正直に言うと、前後にしか動かないものである。
横に回られたら、旋回しない限り敵を攻撃できない。
だが、そこでセルシオはなんと後輪だけをつけたまま、ぐっとノーズを持ち上げた。
金属のフレームをギギギキと耳障りに叫ばせながら、後脚でふんばる怪物のように。
「なっ!」
さすがの巫女たちも驚いたようだった。
今まではただのセダンタイプの自動車と戦っていたと思ったら、いきなり妖怪っぽい歪んだグロテスクな立ち姿を披露してくれたのだから。
後肢で立ちあがり、リアのトランク部分を引きずりながら、御子内さんたちに向き直る。
前進しながらよりも小回りが利くのか、がくんとフロントノーズが落ちてきて、そのまま巫女に襲い掛かった。
間一髪躱したものの、これまでの直進を避けて狙うという作戦は通じなくなってしまつたかもしれない。
それに立ち上がってくるとなると、フロントガラスを悠長に割っている余裕はないはず。
しかし、割りやすい強化ガラス製のサイドは幅が狭く、小柄な彼女たちでもするりとは侵入できないだろう。
セルシオは自分のドアを自在に操れるということも判明している現状では、ドアからの侵入は厳しすぎる。
やはりフロントガラスを一撃で完全に割って、ほぼタイムラグなしに中に躍り込むしかあるまい。
だが、あんなにも暴れ回る車に接近するだけでも危険だというのに飛び移るとなると……。
僕は買い物袋の中に突っ込んでおいてアイテムを取り出す。
万が一のためにさっきのホームセンターで購入しておいたものだ。
だが、これを使うというのはかなり断腸の思いがある。
できたら使いたくなかった。
なぜなら、御子内さんのプライドを傷つけてしまうかもしれないからだ。
でも仕方ない。
泥は僕が被ろう。
「八咫烏!」
僕が叫ぶと、門の上から戦いを見守っていた使い魔が飛んできた。
『ナンノ用ダ、色魔メ』
腹が立つが今はそんな場合じゃない。
「おまえ、どの程度重いものなら運べる?」
『ドウイウコトダ?』
「いいから、僕の言うことに答えろ。これは大丈夫か?」
僕が差し出したアイテムを見て、八咫烏は首を縦に振った。
『コノ程度ノモノナラバ問題ナイ』
「よし、おまえ、こいつを御子内さんに届けろ。―――いや、待て。おまえ、これを振り下ろせるか?」
僕は八咫烏に使い方を説明した。
すると、八咫烏は嘴でアイテムをつまみ、指示通りに振るって見せた。
速度的にも問題ない。
鳥類のくせに人間の道具を使いこなせるらしい。
『コレハ金槌ナノカ?』
「広義ではね。でも、これを使えば―――御子内さんたちの勝機を演出できる。やってくれ、頼む」
『貴様ナドニ頼マレル謂レハナイ。我々ハ巫女ノ助手デモアルノダ』
「よし」
交渉と悪だくみは成立した。
そこで、僕は御子内さんに向けて叫んだ。
「御子内さん! これから僕と八咫烏がフロントガラスを割る! その瞬間にセルシオの中に飛び込んで!」
「―――何をするつもりだい!」
「いいから、僕の言う通りにして!
「わかった!」
作戦の全容まで説明する必要はない。
僕たちはチームだ。
チームの根幹は仲間を信じること。
「GO! 八咫烏!」
《マタトナケ!》
八咫烏は垂直に飛び、そして一気に上昇する。
夜に飛ぶカラス。
何かの伝説通りだ。
そして、百メートルほど上昇すると、今度は一気に急降下していく。
嘴に鉄の道具を咥えながら。
「いっけえええええ!!」
僕が怒鳴ると同時に、八咫烏はセルシオのフロントガラスに激突して、一瞬で内部に弾けるように分厚いガラスが散華する。
普通ならばカラスが一羽ぶつかった程度でも、御子内さんが本気で蹴りを入れても、あんな風には弾け飛ばない。
だが、強化ガラスを割るためだけに用意されたようなものがある。
緊急時ライフハンマー、がそれだ。
運転中にエンジンが火を噴いたり、水中に落ちてしまった時に、簡単にガラスを割って脱出するために、先端を尖らせる加工をしたハンマーである。
あれがあれば簡単な力―――カラスがぶつかる程度の衝撃でも、フロントガラスを粉々に砕ける。
ただ、もちろんフロントガラスは普通よりは堅い。
それを破るために八咫烏は百メートルの落下速度を必要としたのだ。
「音子、来い!」
御子内さんがセルシオに背中を向けて、両手をバレーボールのレシーブのように組んだ。
そこに目掛けて、意図を察知した音子さんが走りこみ、その手の上に脚を乗せる。
タイミングを見計らって、御子内さんが掬い上げた。
音子さんを。
もともと空中戦が得意でジャンプ力のある音子さんだ。
御子内さんの補助がありさえすれば、限界まで高く跳びあがれる。
一気にセルシオのボンネットの上に到達すると、滑り込むように内部に侵入する。
運転席に転がり込んだまま、音子さんは懐に仕舞い込んでおいた
同時にあれほどがなり立てていたエンジンと、流れ続けていたボン・ジョヴィの楽曲が止んだ。
恐ろしいまでの沈黙がその場を満たす。
そして、見る見る間にピカピカに輝いていたボディは、塗装が禿げてしまい錆ばかりとなった金属板となり、ライトのあった場所には電球すらもなく、地面を駆けていたタイヤもパンクした汚いゴミへと変貌していく。
いや、戻っていくのだ。
このセルシオの真の姿に。
八咫烏が割ったフロントガラスだって、元々粉々だったに違いない。サイドガラスでさえ、もう残っていなかったのだから。
シートはボロボロに破けスプリングが飛び出し、豪華だった内装はただの動物の巣のように荒れ果てていた。
怪異でなくなってさえしまえば、このセルシオはスクラップ以外の何物でもなかったのだ。
「……やった」
錆びついてしまい開くのもやっとのドアを開けて、音子さんが出てきた。
覆面でわからないが、相当疲れ切っているのがわかる。
僕は音子さんとハイタッチを交して、セルシオのところにいった。
セルシオユーザーでない僕にも一目でわかることがたくさんあった。
思わず、ボディを優しく撫でてしまう。
「……京一」
御子内さんが、そんな僕の様子を変に思ったのか浮かない顔をしている。
勝利の余韻のようなものはない。
きっと僕のせいなんだけど。
「御子内さん、ごめん。手を出しちゃった」
「八咫烏とのことかい?」
「うん。ああいう反則というか、おせっかいな手助けって御子内さんは嫌いだったよね」
もし御子内さんのプライドを傷つけてしまったらと僕は反省していた。
ただ、彼女は優しく微笑んで、
「いいさ。これは試合じゃない、ただのストリートファイトだ。色んな要素が混じり合ってしまうものなんだよ。そもそも、〈付喪神〉相手に一対一でない以上、ボクが京一の手を借りたって文句を言える道理はない」
「そう……なんだ。でも、ごめん」
「気にしないでくれ。―――で、話してくれるんだろ?」
僕は俯いていた顔を上げた。
「何を?」
「その〈付喪神〉の事情をさ。きっと京一は見抜いているんだろ。どうして、この―――セルシオがこんな風になったのかについて」
「うん」
御子内さんが車の名前を覚えてくれていた。
ちょっとだけ嬉しかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます