第6話「巫女の戦い方」
僕たちは、家に戻ると両親には有無を言わせない素早さですぐに涼花を連れ出した。
少なくとも御子内さんの言い分によると、僕の家よりは神社の境内に作ったあのリング(?)の方が、涼花を守るには適しているらしい。
その効果については眉唾物だが、それでも専門家である彼女の意見を優先するべきだと判断した。
「よし、涼花ちゃん、そこに上がってくれ」
「お兄ちゃん、これって……」
「気にするな。僕はもう考えないようにしている」
「プロレスの……」
「……気にするなって」
そう言って、僕はリングの隅に上がり、ロープに隙間を作ると、涼花に向けて手を伸ばした。
まるでリングサイドにいるセコンドみたいだなあ、とらしくない感想を抱いた。
手を掴んだ涼花を引っ張り上げて、リングの中央に連れて行く。
キャンバスは意外と弾力があるが、それでも倒れたりしたらかなり痛そうだ。
踏みつけると結構固い。
不安げに僕の手を握る涼花を抱き寄せる。
華奢な肩をしていた。
わずかに震えている。
「大丈夫だ。僕を信じろ」
「……う、うん。お兄ちゃんが言うなら……」
「あと、御子内さんもだ」
「あの人のことはよくわからないけれど……。お兄ちゃんが信じているなら、あたしも信じる」
「いい子だ」
御子内さんがリングに上がってきた。
この上では僕たちよりもしっくりくる立ち姿だった。
「日が暮れてからが勝負だ。普通なら深夜になってからなんだけど、〈
「ここに来るんですか?」
「来るよ。涼花ちゃんがここにいるからね。あれは未成年に魅入ってとり殺す妖怪だから」
「そう……ですか」
話の内が不気味な上、少しだけ御子内さんの表情が固くなっているのが心配になった。
この人がこういう顔をしているとどうしても不安になる。
「御子内さん、一つ、聞いていいですか?」
「なんだい?」
「……さっきから御子内さんの顔色がよくないんですが、何か心配事があるんですか?」
「あることはある。だが、君に言っても仕方のないことだからな」
「聞くだけ聞いていいですか?」
赤いマットの巻かれたポストに寄りかかり、自分の恥を晒すような真剣な顔つきで、御子内さんは口を開いた。
「……〈高女〉は、君らの言う八尺様の異名の通りに、身長二メートル四十センチぐらいはある大型の妖怪だ」
「そう……みたいですね」
「ところが、ボクは百六十センチそこそこの小兵だ。大きさが、一メートルぐらいは違う」
「ハア……」
「となると、ボクの必殺の延髄切りが届かないんだよね。―――ボクは延髄切りで数多くの妖怪をKOしてきたものだから、得意技が使えないとなると、さすがに不安なんだよ。それに、これだけ身長差があると、うまくキャッチできないから投げ技系も制限されるし。うーん、どういう風に崩せばいいのか、悩みどころだよ……」
僕はこめかみがピクピクするのを感じた。
なんだろう、この違和感。
まったく関係ない悩みを聞かされたような気がしてならない。
思わず尋ねてしまった。
「さっきから思っていたんですけど、御子内さんって、巫女さんなんですよね。妖怪退治をするための」
「妖怪専門じゃないけど、巫女であることは確かだね。それがどうした?」
「なんか、御子内さんの発言って、巫女というよりも、あの。なんというか……」
「ん? はっきり言いなよ」
「プロレスラーみたいなんですけど」
そう言うと、御子内さんは腹を抱えて笑い出した。
とても面白いギャグを聞かされた子供のように。
「ハハハハハ、何を言っているんだい、京一っ! 冗談もほどほどにしなよ。ボクがプロレスラーだって? そんなナンセンスなっ!」
御子内さんにとっては、かつてない指摘だったらしい。
僕は今まで彼女の周囲が一言たりとも指摘しなかったのかと驚いた。
普通、誰かがいうだろ、こんなこと。
「君は面白いねぇ。ボクもこれまでの十七年の人生で、プロレスラーみたいだなんて言われたのは初めてだよ。まあ、チャンピオンとか使っちゃうから、そんな印象をもたれてしまうんだろうけどね。ま、厨二病だね、とか言われるよりはマシかな」
一通り爆笑したおかげか、すっきりした顔になった御子内さんはフンフンと腕を降ってストレッチを開始した。
腕を上下に振り、ふくらはぎのアキレス腱を伸ばし、腰を回す。
腰までのジャンプを三回、それから立ち受け身の練習を何度も繰り返す。
とりあえず軽い汗をかいたらしいところで、彼女は神社の鳥居の方角に向けて、こいこいと指を動かした。
「さあ、君が選んだ生贄はここに居るぞ、〈高女〉っ!」
すると、鳥居の先、漆黒の闇の中からぬそりと背の高すぎる女が現れる。
八尺の身長、白いボロボロの屍衣、脂ぎった長髪、そして白目のない空洞そのものの双眸……。
世の中に存在するすべてのものを憎悪するかのごとき、吐き気すら催す醜悪な笑顔を浮かべて、その大きな女は鳥居をくぐり、石畳を這うように歩む。
両手はこちらに向けて水平に突き出され、ぐしゃぐしゃと握ったり開いたりという動作を繰り返し、肩は瘧にかかった患者のように震えている。
恐ろしかった。
夜の闇の中で、神社のちっぽけな外灯の下で見るにはあまりにも不気味で怖気を振るう怪物だった。
僕の腰をぎゅっと涼花が掴んだ。
恐ろしさのあまりに、目を瞑っている。
すでに涼花の体にはあの化け物に対して逃げるとか、抗うという気持ちは残っていないようだった。
それほどまでに涼花は怯えきっていた。
「台の上に上がれ、妖怪。そうしなければ、君の生贄には決して手が届かないよ」
御子内さんは……変わらない。
まったく変わらない。
あの妖怪を見ても、怖さの一つも感じていないらしかった。
化け物―――〈高女〉の手がトップロープにかかった。
そして、ロープを跨ぎ越して、〈高女〉はリングの中に入ってきた。
まるで、アンドレのように。
「でかい……」
同じリングの中にいるとその巨体がさらに際立つ。
どこに移動しても、妖怪の手がすぐにかかりそうなぐらいに。
「京一、涼花ちゃん、台から降りろ。もう、こいつはここから逃げられない。ボクを倒さない限りは」
「はい!」
僕は涼花をつれて打ち合わせ通りにリングから降りた。
妖怪は僕たちを捕まえようと手を伸ばしたが、その腕は横合いから出てきた白くて細い腕に止められる。
御子内さんの手に。
「おっと、まだ早いよ。君の相手はこのボクさ。どんな妖怪だろうと、この護摩壇の上からはボクを倒さなければ降りることができない。ちなみに知っているだろうけど、一度、この上に上がった以上、20カウント以外に戻らないと、妖怪は自動的に封印される仕組みだからね。オッケー?」
「……御子内さん、素敵」
確かに、あんなでかい妖怪相手に啖呵を切る御子内さんはかっこいいから、妹の褒め言葉もわかるけど、僕としてそれよりも「誰が20カウント数えるのさ」という疑問の方が先に立ってしまったのだが。
「じゃあ、やろうか、妖怪〈高女〉。時間無制限の一本勝負だ。どんな妖怪を相手にしてもボクは負けないという揺るぎない事実を、正義のパンチとともにぶちましてやろう。―――京一っ!」
合図とともに、僕はテーブルに準備しておいた銅のゴングを鳴らした。
カーーーンという見事な音とともに、巫女と妖怪はがっぷり四つに組み合い、僕が今まで見た事もない異次元の死闘が始まった……。
◇◆◇
まず先制攻撃を行なったのは、やはり御子内さんだった。
右ストレートからの左フック、そしてその反動を利用して一回転してからの右胴回し回転蹴りが放たれる。
〈高女〉は長い手でもってパンチの方は受けきったが、死角から放たれる蹴りには反応しきれずに、右肩を強打される。
少しだけ上半身がブレるが、それだけで怯むことなく上から叩きつけるような腕の一撃をもって反撃する。
枯れ木のような腕ではあるが、人のものよりも遥かに長いそれは遠心力をもって勢いを増し、御子内さんに襲いかかる。
間一髪のところで躱した御子内さんは、マットを叩いてすぐには腕を引き戻せないおかげでがら空きになった顔めがけて渾身のフックをぶち込んだ。
「グァァァ!」
妖怪の叫びはこの世のものとは思えないほどに金切り声だった。
思わず耳を塞ぎたくなるような声だったが、御子内さんはそれを堪え、さらにジャンプ一閃、飛び前蹴りを〈高女〉の顔面にぶち込んだ。
さすがの妖怪もリングシューズのつま先を顔に突きこまれては堪らない。
たたらを踏んで、何歩も退く。
背中がロープにぶつかり、それ以上の後退を防がれたところで、一瞬の踏み込みで懐に飛び込んだ御子内さんが胴体に向けて左右のパンチの連打をダダダダと放つ。
肉が肉を叩く打撃音というのは、意外と気持ちの悪いものだった。
「おりゃおりゃおりゃおりゃ!」
力の限りの連打をした巫女は、最後に右手をくるっと回して、
「どっせい!」
と、ボディを破壊せんばかりの大打撃を与えたところで、一旦、自分のコーナーである赤コーナーに戻る。
渾身の攻撃をくらっても、〈高女〉は倒れることもなく、ロープに寄りかかり、御子内さんを睨み続けていた。
この世に生まれて感じてきたすべての憎しみを叩きつけるかのように。
効いていない……。
あの様子では、先程の御子内さんの連打はほとんどダメージとなっていない。
打撃は効かないのではないか。
僕は怒鳴った。
「御子内さん、殴る蹴るは効かないみたいだ、気をつけて!」
「OK、わかっているよ、ミスターK!」
元気にサムズアップする御子内さんを見る限り、無駄な助言だったかもしれない。
でも、ミスターKって誰のことだ?
もしかして僕か?
なぜ、そんな悪のマネージャーみたいなあだ名を。
「かかって来いや」
もう一度、リングの中央に立ってファイティングポーズを構える巫女。
対峙する妖怪も、寄りかかっていたロープから身体を離し、一歩二歩の距離で睨みあう。
目と目の距離は二メートルほど、ただし、高さの補正は遥かに妖怪の方が上だ。
ある意味ではフェアではない勝負だった。
それなのに、御子内さんの眼には怯みも弱さもない。
戦うことに賭けている強さのみが満ち満ちていた。
「グァァァァ!」
再び伸ばされた腕を掴み、御子内さんは全身の力を使って〈高女〉を反対側のロープへと投げ飛ばす。
投げられた〈高女〉がそのまま元の位置に帰ってくると、タイミングよく飛び上がった御子内さんの両足飛び蹴りが炸裂する。
いわゆるドロップキックだ。
さすがに反動と全身のバネを駆使して放たれたドロップキックの威力は、巨大な妖怪の顔面をひしゃげるほどに吹き飛ばす。
完全にはダウンせずに踏ん張る〈高女〉のふらつく脚を、先に着地した御子内さんの下段回し蹴りが払った。
今度こそ背中をマットにぶつけた妖怪の眼には、宙を舞って襲いかかる巫女が入ってきたことだろう。
全体重を載せたエルボードロップがみぞおちに突き刺さる。
流れるような連続攻撃だった。
凄まじい攻撃だった。
闘争本能がフルスロットルした人間というのはここまで俊敏に的確に動けるものなのか。
「どっせいっ!」
すぐには起き上がれない〈高女〉の首に、今度はギロチンドロップが落ちる。
喉をやられたおかげでまともに声が出せなくなった妖怪を持ち上げて、今度は立ちエルボーが放たれた。
一瞬怯んだ〈高女〉の首に両足を乗っけて、高高度から回転して頭部を叩きつける。
「フランケンシュタイナー!」
僕が叫ぶと、涼花が、
「違うよ、リングに背を向ける感じだから、リバース・フランケンシュタイナーだと思う」
わかりやすく訂正してくれた。
……あれ、おまえってプロレス見たっけ?
頭部からマットに叩きつけられた妖怪がなんとか立ち上がろうとしたところで、すかさず御子内さんが背後に回り込んだ。
彼女のものより遥かに高い腰をがっちりと極める。
まさか、まさか、あのまま……
「「持ち上げるのかっ!」」
兄妹二人が叫ぶ中、御子内さんは気合いととともに二メートル四十センチの長身の〈高女〉を持ち上げて、ブリッジとともに背後に放り投げる。
ただし、腕は外さずにそのままで、腰を極めたままに。
怒濤のように雪崩落ちる、美しいジャーマン・スープレックスホールド!
そのまま巫女と妖怪は固まったかのように動かない。
妖怪の両肩はマットに見事についたまま。
そして、三秒後―――いや、3カウント後に、闇が太陽の光のもとに掠れて消えていくように、妖怪は輪郭を失っていき、そして消滅していった。
リングに残っているのは首だけでブリッジを続ける御子内さんだけ。
その彼女がよっこいしょと立ち上がり、右手を天に向けて掲げたとき、僕はすべてが終わったことを知った。
―――こうして、退魔巫女と妖怪〈高女〉の無制限一本勝負は御子内さんの勝利で終わったのだった。
あれ、どうみても巫女さんじゃなくて、レスラーの戦いだと思うけどね……。
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