第二章 姪とメイドはMATE

 華生がカナと出会ってから、十日が経っていた。今日も、いつも通りに日本からくり研究所へとやってきていた。

「カナちゃん、いるー……って、あれ?」

 いつも哲とカナがいる研究室は空っぽだった。前は来たらおじさんがトイレだったということもあったが、今はカナか哲のどちらかが必ずいる。大体いなくなってるのは、哲という確率が高い。

「っかしいなぁ……」

 珍しいこともあるもんだと思いつつ、華生は机の向こう側に回り込んでモニターを覗き込んだ。そこにカナや哲の姿は映っていなかった。カメラに映らない所にいるようである。

「んー……」

 二人で出かけた可能性も考えたが、そういう時は門も玄関扉も閉めている。今日は開いていたので、所内にいるのは間違いない。

「と、なると……」

 華生は給湯室奥の扉からガレージを覗き込んだ。だが、そこにも二人の姿は無かった。

「あれぇ?」

 もはやいそうな場所を思いつかないので、別の場所を探そうと廊下に出てくると、奥の方から歩いてくる哲の姿が見えた。

「あ、おじさん」

「おっと、ハナちゃん。来てたんだ。気付かなかったよ」

 玄関ホールに入ると研究室にも来客を表わす電子音が流れるので、哲はずっと研究室にはいなかったようである。

「いやぁ、ゴメンゴメン。ちょっと準備が忙しくてね」

 哲はいつもの軽い調子で、華生の方へと近付いてきた。

「準備って、何?」

「そのことで話があるんだ。新しいお願いなんだけどね」

「えぇー……」

 華生は露骨にイヤな顔をした。なんとなく、悪い予感しかしない。

 そんな華生を見た哲は、白衣の内ポケットに手を突っ込んだ。

「お小遣い、増やすよ」

 哲の手に握られていたのは、シワの無い綺麗な一万円札。それを見た華生は、

「オッケー。何でも言って。やるから」

 一瞬で態度を変えた。福澤諭吉の力は偉大である。

「じゃあ、ちょっと研究所の方に来てよ」

「ここじゃ、言えないの?」

「いや、その……あんまりね。まぁ……人前じゃ言えないようなお願いだからね」

 哲は突然口籠もりつつ、小声になる。その言葉を聞いた華生は「何でも」と言ったことをちょっとだけ後悔した。何を頼まれるのか分からない。変なことじゃなければいいのだが。

 華生はお小遣いの為にと諦め、哲と研究室へと入った。

「ああ、ドア閉めて」

 珍しいお願いだった。このドアはいつも開放されている所しか、見たことがない。華生は言われるまま、展示室と研究室を繋ぐドアを閉める。

「で、お願いって、なんなの?」

 少し不安げに華生が聞く。何を頼まれるのか、まだ見えてこない。

「まず、これを見て欲しい」

 哲は引き出しから何かがプリントされた紙を出してきた。小さな箱の上にクロスのかかったテーブルがあり、その向こう側に白いコックコートとコック帽、そして赤いスカーフをした少年コックが立っている。テーブルの上には何も無く、コックは手にクロッシュを持っている。

「……これ、からくり人形?」

 てつおじさんが出す物だ。それ以外に考えられない。

「うん。で、次がこれ」

 次の紙には、コックがテーブルの上にクロッシュを置いたものが映っていた。他に変化は無い。

「で、最後がこれ」

 次はコックが最初の紙のように、クロッシュを上げている所だった。さっきと違うのは、テーブルの上に綺麗に盛りつけられた料理が乗っているという所だ。見た目から、前菜のようにも見える。

「で、なに? これ」

「うん。人形のタイトルは『かわいいコック』と言うそうだ。このクロッシュをテーブルに置くと、次々に違う料理が出てくるというからくり人形……なんだって」

「……なんだってって、知らないの? おじさん、からくり人形詳しいのに」

 古今東西、幅広くからくり人形の知識を持つてつおじさんにしては、珍しい。

「残念ながらね。今まで、あまり表に出てこなかったからね。多分、日本の『品玉人形』のようなもんだと思うんだ」

「品玉?」

 聞いたことの無い言葉だ。品川なら知っている。

「ああ、品玉って手品の事ね。後は外国産らしいというのが分かってる。国産コックさんだけど外国産」

「?」

 哲のギャグが高度過ぎて、華生には分からなかったようだ。

「さっきから『らしい』ばっかりだね。本当に知らないの?」

「まぁ、ちょっと謎が多い西洋からくり人形──オートマタとも言うんだけど、そんな人形だからね。すごく欲しい。調べてみたいんだ」

「それはいいんだけど、どうするの?」

「決まってるじゃないか。頂くんだ」

「…………は?」

 まさかの答に、華生は一瞬自分の耳を疑った。なんか今、すごく聞いてはいけないようなワードがあったような気がする。てつおじさんは、それをさも当然のように言った。もしかしたら、気のせいかもしれない。

「うん。で、どうするの?」

 もう一度確かめるように聞いたが、答はやっぱり、

「頂くんだ」

 同じである。何も変わらない。

「いやいやいやいや、おかしいでしょ、頂くって。盗んじゃうの?」

「もちろん。だって、欲しいんだもん」

 言ってる事は子どもっぽいが、それを言っているのは、四十を超えた立派なおっさんである。

「ダメでしょ。そんな事やっちゃ。メッ」

 華生も、子どもに言い聞かせる母親のような気分だ。

「大丈夫大丈夫。この為にしっかり準備もしてきたし」

「なんの?」

 と華生が聞いたところで、展示室への扉からノック音が聞こえてきた。

「所長、終わりました」

 扉の向こうから、カナの声が聞こえてくる。

「あ、カナちゃんもなんとか言ってよ。おじさんが変なことを言い……ぃ?」

 研究室に来たカナに助けを求めようとしたが、扉を開けて入ってきたカナは、いつものメイド服では無かった。首の上までピッタリと肌に密着するような黒いタイツのような物で、袖ぐりや首回りには青いラインが入ってる。

「なにこの羞恥プレイ。おじさん、こういう趣味があったの?」

「違う違う。これは俺のからくり技術を応用して作り上げ窃盗シゴト服だ。着ている人の身体能力を上げることが出来る、特殊な服だよ。盗みをやるのに、最適な服だ」

「いや、待って。カナちゃんにやらせるの?」

「うん。だって俺、怪盗引退しちゃったし。で、二代目として作ったのが、このカナなんだ」

「意味が分からないんだけど」

 華生の頭がこんがらがってきた。一旦整理したい所だが、華生にそんなことを思わせる余力は無い。

「で、ハナちゃんにお願いってのは、カナと一緒に盗ってきて欲しい訳」

「はぁ? 何言ってんの? する訳ないでしょ」

「おやおや、ハナちゃん。さっきはなんて言ったかなぁ?」

 哲は白衣のポケットから、ICレコーダーを出した。再生ボタンを押す。

『オッケー。何でも言って。やるから』

 ICレコーダーからは、華生の声が聞こえた。さっき言った言葉だった。

「くっ……いつの間に」

「からくり人形の研究の為なら、手段を選ばない。それが俺のやり方だ!」

 したり顔で言う哲の顔を見ていると、冗談ではなく本気としか思えない。華生の中で諦めの心が生まれ、折れることとなる。

「分かった……分かったよ……。で、何をすればいいの」

「そりゃあ、決まってるだろう。まずは、これを着る」

 哲は机の下から家電量販店の紙袋を取り出して、華生に向かって差し出した。この中に、カナが着ている物と同じ服が入っているらしい。もうちょっと、マシな袋は無かったのだろうか。

「え、私もこれ着るの?」

「やっぱり、怪盗はそれなりの格好をするべきだろう。俺たちのユニフォームはこれだ」

「いやぁ……でも……」

 華生はカナをチラ見する。見た感じ、ボディラインをさらけ出す恥ずかしい服にしか見えない。

「これがイヤなら、淑女スタイルで行ってもらうことになるよ」

「淑女スタイルって?」

「全裸にパンストだけ」

「分かった。それ着る」

 華生は哲の言葉に少しの疑問を持たず、窃盗シゴト服を着る決断をした。

 華生は紙袋を受け取ると、別の部屋で窃盗シゴト服を着ることにした。さすがに、この場で着替えは出来ない。

 華生が出て行って、しばらくの時間が経った。

 突如、研究室の扉が勢いよく開け放たれる。

「……って、おかしいでしょ、これ!」

 研究所に入ってきた華生が叫ぶ。

 華生が着ている窃盗シゴト服は、カナと同じように上は首まである物で、袖ぐりや首回りに緑のライン。だが下は同じような素材で出来た黒いショーパン。丈のない物で、むっちりとしたふとももが露わになっていた。脚にはあまり自信の無い華生には、他人にふとももを見られるのがもの凄く恥ずかしかった。

「似合ってますよ、ハナさん」

「そうじゃない」

「似合ってるよ」

「そうじゃない。なんで脚丸出しなのよ! 頭隠して尻隠さず……じゃないか。上半身隠して下半身隠さずじゃない! 変だと思わなかったの? これ。なんでこうなったのよ」

 華生は一気に捲し立てて、哲を問い詰める。

「いやぁ、最初にカナの服を作ってね。それで次にハナちゃんの服を作ったら、生地が足りなくなっちゃったのよ。生地作るのに時間がかかるから、暫くはそれで我慢して、ね?」

 哲は冷静に華生をなだめる。華生も、哲に言われて少し気持ちが落ち着いてきた。

「分かったよ……。じゃあ、ニーソかなんか穿くから。それで我慢する」

「あ、いいのあるよ」

 哲は引き出しから、黒い布状の物を出してきた。パッと見、何か分からない。

「なにこれ」

「同じ生地で作ったニーソ。その服を作る前に試験的に作った物だから、これ穿くといいよ。効果は同じだから」

「これ作ったから、生地足りなくなったんじゃないの?」

 試験的という言葉が気になって、おじさんから貰ったニーソの臭いを嗅いでみた。布地の匂いだけで、変な臭いはしなかった。おじさんが穿いて試験してみた使用後の物ではないと思われる。

「ハナちゃん、匂いフェチ?」

「いや、違うし。もう、これで我慢する」

 窃盗シゴトニーソも穿いて、服装は完成した。

 少し身体を動かしてみる。窃盗シゴト服は肌に吸いつくように密着する物だったが、動きを邪魔するということはない。むしろ、身体が軽くなったような感覚さえ覚える。プラシーボ効果かもしれないが。

「……うん。確かに、何かが違うような気がする」

 とりあえずの、率直な感想だった。

「俺のからくりは完璧だからな、当然だろう」

 おじさんを調子に乗せた気もしたが、いつもこんな事を言っているので、気にしないことにした。

「では、二人には怪盗になって貰う為の勉強を始めるかな」

 哲は愛用のイスに座った。

「怪盗は、知ってるかな?」

「有名なのは、チームドラゴンだよね。すっごい派手な手口で盗む」

「そう。まぁ、奴らだけじゃないけど、最近は新しい怪盗が目立つからね。二人には二代目怪盗からくりマンとして、この獲物オタカラを盗ってきてほしい」

「え、おじさんがやってた怪盗の名前って、からくりマンなの? ダっサ! 名前ダサっ!」

 華生は、その名前を受け入れられそうもない気がした。

「しようがないだろう。咄嗟に名乗っちゃった名前がそれなんだから……。で、今回の潜入先ぶたいはここだ!」

 哲は引き出しから一枚の写真を出してきた。そこには、白い屋根塀で囲まれた大きな和風建築の家屋が映っていた。白い屋根塀と数寄屋門で家は見えないが、相当大きな家だというのは、小さな写真からも分かる。

「俺、見るのもイヤなんだけどね、これ」

「なんかあったんですか? 所長」

 カナが心配そうに尋ねる。

「うん。この前、もうちょっとーって所で、ストーカーのお邪魔虫に横取りを……いや、それはいいや。これは、からくりマニアの槻田つきだ工之助こうのすけの自宅だ」

「からくりマニア……おじさんと気が合うんじゃない?」

「バカ言え。こいつは、からくり人形の収集では、その道では有名だ。手に入れる為には、手段を選ばない奴だが」

「やっぱりおじさんと気が合うじゃない」

「なんてことを言うんだ。俺は確かに手段は選ばないけど、どちらかと言えば合法的に手に入れてる物が多いからな。そこの展示室の物は合法的に手に入れた物しかないぞ。ってか、非合法で手に入れた物を堂々と展示してるバカはいない。で、この前入る時の事前調査で、コレクションが多い割に、どうも置き場所が少ない気がしたんだ。それで、もうちょっと調べてみたんだけど、どうもからくりが好きすぎて、あの屋敷をからくり屋敷に改造しているらしい」

「からくり人形好きすぎて作っちゃうおじさんと、相性ピッタリだよ」

「でも、所長が私を作ってくれたおかげで、私はハナさんと出会えたのですから、感謝すべきです」

「ま、まぁ……そうなのかな」

 なんか照れる。

「で、そのコレクションがあるのは地下らしいんだが、屋敷の図面は手に入っても、さすがに地下の図面が手に入らなかったんだよなぁ」

「ていうか、どっから手に入れてるのよ。図面とか」

「ひ・み・つ。で、二人には、この地下の保管庫を探し出して、この人形を盗ってきて欲しいんだ」

「簡単に言うね、無茶なことを。断ってもいい?」

「さっき、なんて言ったかな?」

「そりゃあ、なんでもするとは言ったけど、出来ることと出来ないことがあるから」

「そんなことも言い出すんじゃないかと思って、事前に手は打っておいた」

 哲は白衣のポケットから黒く細長い物を取り出した。よく見ると、それはテレビのリモコンだった。哲が電源ボタンを押すと、部屋の隅にあるテレビのスイッチが入った。夕方の報道番組の時間のようで、女性アナウンサーがテレビには映し出されていた。アナウンサーは、淡々と原稿を読み上げている。

『──今回、予告状を受け取った槻田邸では怪盗を迎え撃つ準備を進めており、県警は『この度立ち上げた特殊怪盗対策班の華々しいデビューだ。今夜、必ず捕まえてみせます』と語っています。狙われているのは、槻田邸にあるからくり人形で――』

「ちょっとぉー!! 何してくれてんのぉ?」

 華生は大声を上げた。まさか哲が予告状を出しているとは、予測が出来なかった。

「あんな中で入れって言うの? 屋敷に? どうやって入るの? 無理でしょ」

「他の怪盗避けだよ。俺が忍び込もうとすると、なぜか他の怪盗が来るからな。警察がいりゃあ、そうそう来んだろう。自信がある奴は、逆に目立つから囮になってくれる。一番来そうなのは、チームドラゴンだけどな。『今日は観客が多いな。最高のショー日和だ!』とか言って」

「カナちゃんも何とか言ってよ!」

 とカナを見ると、カナは目を輝かせていた。

「ハナさん、あの包囲網を突破して盗みシゴトが出来たら、最高にカッコイイと思いませんか?」

 華生は頭を抱えた。

「ダメだ。てつ菌が感染うつってる……」

 カナを作ったのは哲だ。思考が哲に似るのは、当然の事である。

「大体、『特殊怪盗対策班』ってなによ。県警がなんか作っちゃってるじゃない」

「いや、俺も知らん」

「うん。そうだよね。この度立ち上げたって言ってたもんね」

 アツくなりつつあった華生も、そこは冷静だ。

「ま、なんとかなるさ」

「おじさん、楽観的すぎる……」

「大丈夫ですよ。私達が力を合わせれば、なんとかなりますよ」

「カナちゃんも楽観的すぎる……」

「と、なると、盗みシゴトの準備だな。カナはとりあえず図面を頭に叩き込んでくれ。覚えてりゃ、現地でなんとかなるだろう」

「はい、所長」

 カナは槻田邸の図面を見て、覚え始めた。

「ああ、なんか俺が怪盗始めた頃のようなワクワク感が出てきたぞぉ!」

 そう言うと、哲は研究室を飛び出していった。

「え、ちょっ……」

 戸惑う華生を無視して、物事は動き始めた。

「……私は何をすればいいの? 待ってるだけ?」

 時間は待ってくれない。

 二代目怪盗からくりマン、ここに始動である。

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