姪泥棒とメイドロボ

城戸一色

序章 いきなり引退宣言 

 闇夜の住宅街を一つの影が走る。広大な夜空は厚い雲で覆われており、暦の上では春だというのに、頬を撫でる風は冷たい。

 男は足を止め、空を見上げた。

「今日もいい感じの闇だな。絶好の窃盗オシゴト日和だ」

 今日の潜入先げんばはもう近い。黒い服に身を包んだ男は、闇に溶け込むように歩き出した。

 そばには、闇とは相反する白い屋根塀が続く。

「さて……」

 男は周囲を見回した。人気は無い。自分の息づかいが大きく聞こえるかのように、周囲は静かだ。

「外はよしっ。中は……?」

 そう呟くと、男は塀の向こうへと神経を集中させた。塀の向こうからも人の気配は感じない。

「んー……いないな。それではそれでは」

 そう呟くと、自分の背丈より高い塀をヒョイと飛び越え、固い土の上に着地した。庭は綺麗に剪定された樹木で溢れかえっている。正面には家屋があり、板張りの縁側とすりガラスの入った障子が見える。ガラスの奥は真っ暗だ。

「確か、事前に見た図面だと、この部屋に獲物オタカラがあったはずだが……」

 今いる場所は広い屋敷。この広い屋敷を闇雲に探しても、時間がかかるだけである。得策ではない。獲物オタカラがある部屋を事前に調査しておき、サッサと頂いてここを離れる方が、捕まるリスクが大きく減る。それが、この男の盗みオシゴトに対する考え方だった。

 今日の盗みシゴトを早く終わらせるべく、男は音も無く障子に忍び寄った。

 すりガラスから、部屋の中を窺う。誰かいるような気配は無い。

 音を立てないようにゆっくりと障子を開けていく。中は八畳ほどの畳敷きの部屋になっており、奥の床の間には外からの微かな光を返す、金属の物体が見えた。

「おっと、ありましたね」

 目当ての物を見つけた男は、スッと物体に近付く。

 台座の上にあるのは、長い年月を経て暗褐色に鈍く光る銅で出来た物だった。これが今回の獲物オタカラであるからくり人形の「鯨」だ。尾の近くに水の注入口があり、ここから水を注ぐと空気圧により噴水現象が起こり、頭頂部の噴気孔から潮のように水が吹き出るからくりになっている。

 男はこのからくり人形の存在を知ってから、どのような構造になっているのか調べるために、手に入れたくて仕方無かった。

「これが夢にまでに見た『鯨』かぁ。ようやく我が手中に……ふっ……ふふふっ」

 こみ上げてくる笑みが抑えきれない所まで来た。だが、ここでまったりとするような時間など無い。

「それでは早速」

 男の右手が「鯨」を掴もうとする。だが、触れる直前で「鯨」は消え去ってしまい、手は空を切ってしまった。

「あれぇ?」

 男は素っ頓狂な声を上げる。男が掴んだのは、「鯨」では無く空気。「く」の字と三文字という所しか合ってない。先ほどまで目の前にあった「鯨」が無くなっている事を、不思議に思った。

「欲しさあまりに、幻覚見ちゃったかな?」

 と、台座を持ち上げて確かめていると、

「まだ気付かないのか」

 後ろから女の声が聞こえ、男は驚いて振り向いた。そこには紫紺色の装束に身を包み、同じ色のフェイスマスクで口元を隠し、胸の辺りまで伸びる黒髪を紫のリボンでツインテールにしている女が立っていた。右手には刀を持っており、その切っ先の上には先ほどまで目の前にあった「鯨」が乗っていた。

「怪刀ブレード……いつの間に来たのだ」

 彼女は怪刀ブレードと言う。最近現れた新進気鋭の怪盗で、刀を自由に操り盗みシゴトを行う。刀は手の延長線のような扱いであり、人を殺めるための物では無い。彼女が盗んだ物は返されることもあり、何のためにこのような事を行っているか、怪盗の世界でも謎である。

「ずっと後ろをつけていたが……気付かなかったのか? 怪盗からくりマン」

 男の名前は怪盗からくりマン。自作のからくりを使い、からくり人形を中心として盗む怪盗である。そこそこの年月を活動しており、怪盗界では中堅の域に達する。ただ、ここ最近は新人の怪盗に奪われることも多く、いい結果を残していない。

「ずっとつけていたとな……? やだ、ストーカー?」

「バカなことを言うな! まぁいい。この『鯨』は頂いていく」

「待てよ。俺が先に取ろうとしてたんだぞ」

「先に取ったのは私だ。早い者勝ちという言葉があるだろう。では、さらばだ」

 と、ブレードが立ち去ろうとした所に、

「ハーッハッハッハ。待ちたまえ」

「ここからは、私達のショータイムよん」

 庭に男の高笑いが響いた後、女の声が聞こえてきた。

 からくりマンが先ほど飛び越えた屋根塀の上に、二つの人影が見えた。声は、その二人から発せられていた。

 右の男はタキシード姿に白い手袋、左側に白抜きで龍が描かれた黒いドミノマスク。右手にはワンドを持っている。

 左の女はピンクのフリルブラウスと黒のティアードミニスカートに、網タイツと黒のロングブーツとロンググローブ、そして右側に黒抜きで虎が描かれた白いドミノマスクをしていた。

「チームドラゴン!」

 からくりマンは叫んだ。チームドラゴンは二人組の怪盗で、男はドラゴン、女はタイガーを名乗っている。二人は奇術を使って盗みシゴトをする。その派手なやり方から、一般人にも名前が知られている怪盗だ。

「ドラゴン……」

 そう呟いたブレードの目つきが変わっていた。先ほどまでの余裕な表情から一変している。過去、彼女はドラゴンとの勝負に何度も負けていた。横取りされた時の記憶が頭をよぎる。

「では、始めますか。観客が一人しかいないのが寂しいのだが、まあいい」

 そう言うと、ドラゴンが持っていたワンドが、一瞬にして畳まれた筒状カーテンへと変化した。ドラゴンは、その筒状カーテンをタイガーに渡した。

「それじゃあ、ショーの開始よぉん」

 タイガーが甘い声でそう言うと、ドラゴンの頭上から筒状カーテンを垂らした。すぐに手を離してカーテンが屋根の上に落ちると、ドラゴンの姿は消えていた。

「瞬間移動か」

 ブレードはすぐに周囲を見回した。だが、ドラゴンの姿は見当たらない。

「そう、瞬間移動は私の得意とする奇術」

 ブレードのすぐ後ろからドラゴンの声がした。その声に反応して、すぐに振り返る。

 ドラゴンの手の中には、先ほどまで刀の上にあった「鯨」が収まっていた。

「くっ、返せ!」

 冷静さを失っていたブレードの腕は、無意識に刀を斬り上げていた。だが、手応えはまるで無かった。すでにドラゴンの姿は無い。

 ドラゴンは獲物クジラを持っている。となれば、あとは逃げるだけ。ブレードはすぐに庭の方を見た。縁側には、ドラゴンとタイガーの姿が見える。

「そろそろ終幕フィナーレだ」

 ドラゴンがそう言うと、タイガーから筒状カーテンを受け取って、タイガーの頭上から垂らす。手を離してカーテンが縁側に落ちると、タイガーのコスチュームがバニーガールに変わっていた。

「行け、タイガー」

「それじゃあ、また逢いましょう」

 タイガーは鯨を受け取ると、ウサギのような跳躍力で屋敷の外に出て、屋根伝いに逃げ出した。文字通り、脱兎の如く。

 タイガーは、身に付けているコスチュームで能力が変わるという盗技を持つ。バニーガールのコスチュームに身を包んだ彼女は、ウサギのような能力を持つ状態になっていた。

「待て! タイガー」

 ブレードはタイガーを追おうとするが、ドラゴンが筒状カーテンから戻したワンドが、ブレードの行く手を遮った。

「お客様。退場はまだ早いですよ? ショーはまだ完全に終わっていません」

「ええい、邪魔だ!」

 声を荒げたブレードは、刀でワンドを払った。衝撃でワンドは吹き飛ばされ、部屋の隅まで転がっていった。

 ドラゴンは飛ばされたワンドを横目で見る。ワンドを失っていたが、慌てた様子は無い。

「酷いなぁ……実に酷い。私の大切な商売道具ですよ?」

 その声は、非常に落ち着いていた。

「でも、ショーはナマモノ。予想外のトラブルが百パーセント起きないと言うことはありません。なので、万が一のトラブルに備えて、二重三重の策は講じておりましてね」

 ドラゴンは胸ポケットから白いハンカチを取り出すと、そのハンカチを軽く振った。ハンカチは一瞬でワンドに姿を変え、ドラゴンの手中に収まっていた。そのワンドを見て、ブレードは先ほどワンドが転がっていった方を見たが、ワンドはその場から姿を消していた。どういうトリックなのか、まったく分からない。

「それでは、今回のショーは終幕です。次回の幕が開くのをお楽しみに」

 ドラゴンがワンドをブレードに向けると、先端から白い煙が勢いよく吹き出して、部屋に充満していった。突然吹き出した煙を思いっきり吸い込んだブレードは激しく咳込み始め、煙で視界も奪われて動けなくなった。咳が治まってくる頃には視界も晴れてきたが、ドラゴンの姿はすでに無い。煙に紛れて逃げてしまったようである。

「ケホ……まだ遠くには行ってないはず」

 まだ少し残っている煙を手で払うと、ブレードは刀を鞘に収めた。

 何も出来ない時間が生まれたことで、ブレードは冷静さを取り戻していた。

 ブレードはすぐにドラゴンの後を追うように屋敷を飛び出していった。

 そして部屋に残されたのはからくりマン一人。

 周囲を見て、数回瞬きをして、ふと我に返る。

「……観客って、俺のこと? 俺しかいないよな?」

 ドラゴンの言葉を思い出す。確かに二人が争っている間は、ずっと蚊帳の外のような気分を感じていた。三人を見ているしか出来なかった。

 完全に三人のスピードについて行けてない。三人だけではない。ここ最近は他の怪盗に盗られる事も多くなった。四十を過ぎたあたりから、昔のような動きが出来なくなっている。

 からくりマンはゆっくりと天を見上げた。

「時代の流れ……って奴かな?」

 意味も無く天井の染みをジッと見つめながら、色々と考える。

「体力の限界、気力も無くなったかな……」

 昭和の大横綱の言葉を、ふと思い出した。

 そして脳裏を掠めるのは、引退の二文字。

「あ、いや、でも俺よりずっと歳を重ねた怪盗もいるしな。まだまだ行けないことは無いはずだが」

 一旦は否定しようとしたが、どこかでこの日が来ることは、薄々感じていた。そうなれば、決断は早い。

「ここに、からくりマンの時代が終わったことを宣言しよう、そうしよう」

 引退を決断したからくりマンが屋敷を出ようと正面を見ると、縁側には寝間着姿の中年女性が震えながら立っており、目が合ってしまった。

「……だ、誰かいる……」

 どうやら家の者が来たようだ。あれだけ騒いでいたのに今頃来たのかという気がしないでも無いが、実際今来たのだから仕方無い。

「けけけ、警察……警察を」

 そう言うと、女性は慌ててどこかへ行ってしまった。警察へ通報するようだ。

「捕まって怪盗人生が終わりってもの、悲しいよな。脱出しよう」

 一般人から逃げるぐらいの体力はある。からくりマンはすぐに屋敷を飛び出して逃げ出した。

「まぁ、この日が来てもいいように、二代目は作っていたからな。後は若い者に任せよう」

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