勇者inコンクリートジャングル

多高菜カナ

序章

プロローグ

 朝の渋谷、通勤ラッシュの喧騒はさながらサラリーマン達のBGMの様だった。

 いつもと変わらない音楽を聞き流しながら、音源のひとつである田辺征太郎たなべせいたろうはスクランブル交差点のど真ん中で歩みを止め、やや上に視線をやる。

 青い皮膚と薄汚い金髪、そして二メートルはあるかという巨躯と顔中に空けた安物のピアスを誇る、赤く鋭い瞳をした妙にチャラいゴブリン、「ナウゴブリン」が何の前触れもなく虚空から姿を現したのだ。エンカウントである。

 田辺は貧乏くじを引いたような顔をしながら通勤バッグを左手に持ち替え、背負っていたブロードソードを妙に慣れた手つきで引き抜き、大袈裟に構える。

 周りの人に驚いた様子はない。まるで背景の一部であるかのように、気にもとめない。

「彼の者を捉え 叛逆ほんぎゃくする力を与えよ――エンチャント 捕捉、強化!」

 田辺がそう呟くと剣はもやのような白みを帯び、痩せぎすな体からはほんのりと赤いオーラが漂いだした。

 エンチャントという対象に何かしらの効果を付与する魔術の一種である。魔法ではないので詠唱は無いのだが、嫌な顔をしながらも彼はノリノリであった。

 ナウゴブリンはピアスがジャラジャラ付いた妙な棍棒を両手で掴み、田辺の頭をめがけて思い切り降り下ろす。

「ガァアアアアアアッ!」

「はっ!」

 田辺はそれを刃の中心で受け止める、通勤バッグは手にもったまま余裕の笑みを浮かべた。

「チェェェェイッ!エェェィエィッ!」

 気の抜けるような掛け声を上げながら、振り回すように斬りつける。漫画を真似ただけの典型的シロウト剣法同然の太刀筋であるが、エンチャントのおかげで己の目にも止まらぬ疾さできっさきが風を切り、ナウゴブリンの体を撫でる。

 ナウゴブリンは大したダメージを負った訳ではないが、かなり焦りながら虚空の中に逃げ込もうとする。現代いまの若者と同様に忍耐力に欠けているのだろうか。

「他愛なし」

 余裕を持って通勤したい田辺は深追いせずに会社に向かおうとしたその瞬間、ナウゴブリンが突然発火したのだ!

「うっひゃあぁっ!?」 

 クールを気取ってた田辺もこれには思わず素っ頓狂な声を上げる。

 炭化し、崩れていくナウゴブリンの後ろからティーン半ば程の少年が姿を見せた。

 真っ白でゆったりとした忍者装束めいた独特な服は、この近くに在る魔法魔術学校の制服であったかな、と思いつつ「あ、どうも」と礼を言う。

「いやいや、魔物逃がしてもいいことなんてないし、ちゃんと倒しとかないと」

 今年で三十五になる田辺が少年の言葉使いに少し苛ついていると、苛つかれてる彼は思い出したように、「そういえば」と尋ねる。

「ところでなんでアンタたちは喋る前に、って言うの?薬のコマーシャル?」

 その物言いから田辺は、彼が異世界人であると気付いた……その割には俗世に染まっている感があるが。ちなみにコンクリとは田辺のような地球人のことや地球そのものを指す、語源はそのまま、コンクリートである。

「他人に対する気遣いみたいなものだよ、気にしなくていい」

「あ、そうなんだ、へぇ〜」

 道行く人はその様子を気にもとめない。魔物を倒して、異世界人と話すなんて余りにありふれた光景であったからだ。これが現代の世界の日常。

 不遜の態度に腹を立てても仕方がない。田辺が会社に行こうとしたその時、足元から大きな振動を感じ、足を止める。すると、巨大な口がアスファルトの歩道を突き破り、田辺の眼前を掠めて天に伸びていく。

 イービルワームという、鮫みたいな歯を持つ巨大な黒いミミズの化物を見た田辺は我を見失い、一目散に逃げ出した。その途中で誰かにぶつかった気がするが謝ってる余裕はない、一歩でも遠くに逃げなくては! 

 田辺だけではない。先程までは無関心だった周りの人たちも、この化物は背景の一部にしてはあまりに凶悪だったのだろう、朝の喧騒は悲鳴と車のクラクションで雑音を増し、パニックが起きていた。

 田辺がぶつかった男は、謝罪が無かったことを特に気にすることなく、イービルワームの眼前に立つ。

「鍛錬のオカリナネックレス……ランク二だな」

 持ち歩くと、屋外で小型から中型の魔物に遭遇しやすくなるマジックアイテムだ。

 通勤中の魔物狩りが密かな趣味である田辺が、先ほどぶつかった際に落としたもので、ゴブリン系統では物足りなくなったため最近通販で買ったのだった。

 ネックレスを手に取ることも、踏み砕くこともせず、男は剣と盾を構える。エンチャントはかけていない。

 しばらく様子を伺っていたイービルワームが大きな口を開け突進してくる、その速度はフォーミュラカーの最大速度を軽く上回る。

 その瞬間、男の足と目が真紅に燃える。かなり強力な脚力と動体視力の個別エンチャントだ。

 息を吐けばかかりそうな距離。

 最小限の体捌きでヒョイとかわすと足と目の炎は消え、今度は右腕に灯る。既に斬りかかっている剣は白墨液に似た透明感の無い光を発していた。

 一撃、であった。たったひと振りで高層ビルの様な胴体は綺麗に切断される。

 これほど強力なエンチャントは著しく魔力を溶かすのだが、男は必要最低限の使用に留めることで節約していた。

 騒ぎ声は聞こえるが交差点の周りに人はほとんどいなかった。野次馬根性のある者は建物の影や店内に隠れてその様子を見ていた。

「デカイくて速いだけなんだが、一般人にはちと強敵すぎるか」

 剣を収めたその時、切断されて短くなったイービルワームが大きく跳ね上がり、刃物の様に鋭い歯をむき出しにして頭上から襲いかかってくる。

 驚いた様子もなく再び剣を抜く。

 タッタッタッタッタ。と少し間が空く発砲音が渋谷のビル群に響く。

 その牙が男に届くことはなかった。フルオートショットガンAA-12による鋼鉄のシャワーを下から浴びせられたイービルワームは空中で生命活動を停止。力なく地に落ちる。

「迎撃、間に合ったんだが?」

 男は少し残念そうに言う。

「もしかしたら間に合わないかと思ってさー」

 男が言葉を投げた先から、抑揚のない声の女が男の隣までゆっくりと歩いてくる。

 騒動が収まると隠れていた野次馬たちがわらわらと二人の前に集まり、惜しむことなく称賛と喝采を贈る。

 男の強さに見とれていた魔術学校の少年は、その光景を人混みの外から羨ましそうに眺めていた。 

 田辺は舌打ちを鳴らし、「あれで中型かよ」と八つ当たり気味に吐き捨てると、会社に遅刻の連絡を入れるため、スマートフォンを耳にあてながらその場を後にした。

 明日からは、部屋の隅に投げてあるランク一のネックレスをシャツの下に隠して通勤することだろう。

 これが今の日常。

 

 

 

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