第19話淫魔とか考えた人って、偉人だと思うの


 俺はソーニャに握られている。

 ムラマサちゃんとの天国のような日々は終わりを告げたのだ。


「行くわよ!」


 逝きたくない!

 俺を振り回すソーニャ。

 正面には魔物がいた。

 ……琥珀色のスライムだ。

 えー……強い魔物って言ったら、もっと強面を想像したのに。

 なんでスライムなの。

 この世界の魔物はスライムしかいないの?

 いいぞ、もっとやれ!

 二人を濡れ濡れのヌメヌメにして!

 特にムラマサちゃんの初濡れ場をおなしゃす!

 ギャアアアアンと俺が哭いた。


「ギャアアア!」


 俺も泣いた。

 痛い、痛いよぉ。

 ソーニャが俺を地面に叩きつけたのだ。

 もちろん、スライムに向けて俺を振るい、回避されてしまったからなのだが。

 どうも、さっきからわざと攻撃を当てていないような気がする。

 そう、ソーニャのお仕置きはずっと続いているのだ。

 俺をこんなに粗暴に扱うなんて……。

 いつもと変わらないな、うん。

 やれやれ、ひりつくぜ……!


「そりゃ!」

「ギャア!」

「うりゃ!」

「ウギャアア!」


 これである。

 さっきからこの繰り返しである。

 もういい加減に許して欲しい。

 痛いのも気持ちいいけれど、限界があるのを俺は知っている。

 もう、達しちゃってるのぉ。

 俺の意識が朦朧としかけているとビチャと不快な音が響いた。

 うわあああん、ヌメヌメすりゅうう!

 スライムが俺に叩き潰され、弾け飛んだ。


「やったわ!」


 ソーニャは歓喜のままに拳を握り、遠くのムラマサに視線を送った。

 彼女は遠くで刀を抜いたまま立っていたが、納刀すると拍手をした。

 ふふふ、思ったより仲が良い感じじゃないか。

 俺は仲間外れにされているけれどね。

 いいんだ。

 俺が悪いんだから。

 あ、でも刀身に付着した粘着質な物体を壁で拭うのはやめて……。

 以前よりも物扱い度が増している気がする。

 切ない。


「さ、行きましょう。ムラマサちゃんにも声をかけてよね」

『ふぁい』


 遠くからムラマサちゃんに声をかけ、俺達は先に進んだ。

 

   ●▽●▽●▽


 琥珀の樹海は入り組んだ建物が連なっている施設だ。

 これが自然が織りなした景色なのかと思いたくなるほどに、人工的な美しい造形をしている。

 なんてちょっと詩的なことを考えながらも、俺はスライムとくんずほぐれずを繰り返す。


「とおお!」


 ソーニャの気勢と共に、俺の視界は著しく流れる。

 そのまま金属音、液体音。

 壁で表面の汚れを拭われ、適当に鞘に入れられる。

 そしてまたスライムが現れるのだ。

 なんだ、これ。

 スライムしか出ないじゃん。

 確かに素早いし、初速がそれなりに出ているので当たると痛い、俺が。

 そも、俺を扱う意味がわからないのだ。

 だって、剣技なんてソーニャは持ち合わせていないのだから。

 適当にぶんぶんと振っているだけで、拳で戦った方がいいに決まっている。

 なのに、俺を振る。

 怒りの限り振る。

 嬉々として振る。

 完全に俺に対するお仕置きである。

 も、もうやめれぇ!

 通算五匹目のスライムを退治した後、俺は懇願するように言った。


『も、もう勘弁してください、俺が悪かったです、許してください、ソーニャ様』

「だめよ」


 即答!?

 な、なんて綺麗な笑顔で答えるんだ。

 へへ、これじゃ、何も言えねぇ……。


「しかし、おかしいわね。スライムばかりだわ。

 前はミノタウロスとかいたのに」


 なんかとてつもなく不穏な名前が聞こえたけど、聞かなかったことにしよう。

 牛の人型の魔物とかほんと無理なんで。


「あ……あ、の」


 む、何か聞こえたような。


「あんた何か言った?」

『い、いえ、言っておりません。へへ』

「その卑屈な笑い声やめてくれる?」

『す、すいやせん』


 もう媚びに媚びるしかないのだ。

 俺は望まれれば足を舐めることもいとわない、そういう男、わかる?

 まあ? 時と場合を考えて媚びるけどね。

 だ、誰にでも従うと思わないでよね!


「あの!」


 今度は確かに聞こえた。


「ムラマサちゃん?」


 少し声量を大きくしたソーニャが、ムラマサちゃんに振り返る。

 見ると、ムラマサちゃんは顔を赤くして叫んでいた。

 声は小さいけど。


「どうしたの!」

「そ、その! オ、オレさんをそろそろ、許してあげても!」


 おお……おお!

 天使や、天使がここにおる。

 後光が射してる。

 誰かさんとは違って慈悲深く、可愛い。

 最高の女の子がそこにいた。

 ふああ、あまりの女神っぷりに脳みそ蕩けるよぉ。

 そうだそうだ!

 そろそろ俺を許せ!

 もういいだろ!


「だめよ!」


 だめじゃないよ!

 なんで、そんなに頑ななのこの人。

 何度も謝ったのにぃ!


「で、でも」

「こいつはね! ムラマサちゃんのこともエッチな目で見ていたに違いないのよ!

 ここでお仕置きしないといけないの!」


 ええぇ……なんでそこまでわかっちゃってるの。

 ムラマサちゃんも何か思い当たる節があるのか、言葉に詰まっているじゃない。

 ああ、こんなことならもっと謙虚にするんだった。


「そ、それでも、か、可哀想っていうか」


 マジ天使だわ。

 ソーニャとは大違いだわ。

 俺は優しさに心を打たれた。

 一瞬だけ煩悩が吹き飛んでしまう。

 一瞬だけね。


「……はあ、わかったわよ。あんたムラマサちゃんに感謝しなさいよ」

『へ、へい! ありがとうございます!』


 俺は救われた。

 ムラマサちゃんのおかげで、救われたのだ。

 ソーニャは俺を地面に置いた。

 そう、互いにコミュニケーションをとるには、俺がムラマサちゃんといる方がいいのだ。

 ソーニャとは、遠くにいても話せるようになったわけだしな。

 結局元通りの配置に落ち着く。

 俺を拾い上げたムラマサちゃんが、戸惑いながら腰に差した。

 そう、胸に抱くようなことはもうしなくなってしまった。

 これも、俺の迂闊さが原因だ。

 甘んじて受けよう。 

 でも、もったいないよおおお!


「い、行くね」

『ふぁい』


 俺は意気消沈しつつも、ムラマサちゃんの慈悲をありがたく思った。

 ……これからはもう少し自重しよう。

 そう思いながらしばらく進むと、景色が広がった。


「ここは」


 それはいくつかの道を抜けた後のことだった。

 屋内の扉をくぐり、通った先は雰囲気の違う場所。

 建物であり、自然物であるこの場所は、人智の定めた整合性がない。

 そのため、扉を開けると崖、のようなある意味、定番の状況が起こる。

 時折、スライムと遭遇、そして進むということの繰り返しだったのだ。

 しかし、現在、俺達の目の前にある光景は今までとは違っている。


「た、高いわね」


 ソーニャが呟いたのを俺は聞き逃さなかった。

 渡り廊下が真っ直ぐ伸びている。

 地面まではかなり高く、手すりや外壁はおざなり。

 そのため、気を抜けば落ちそうだ。

 下を見ると、百メートルはありそうだった。

 結構昇って来ていたらしい。

 かなりの段数を昇ったからな。

 琥珀の樹海に入ってから、数時間は経過しているはずだ。


「み、みなさん、こ、ここを通ったのかな」


 俺はムラマサちゃんの言葉をソーニャに伝える。

 二人の声は互いに届かないので、俺が仲介している形だ。

 え? 遠くの声は聞こえないんじゃなかったか、だって?

 説明しよう。

 俺はいつの間にか、新俺になった時に遠くの心の声まで聞こうと思ったら聞こえるようになっていたのだ。

 そう、これこそオレイヤーの神髄!

 ……俺の能力って地味すぎるわ、ほんと。


「みたい、ね。ほら、そこに休息した後があるわ」


 遠くに焚火の残骸があった。

 現在、外は赤みが差している。夕刻だ。

 俺達の出発はかなり遅れていたので、すでに夜に差し掛かろうとしている。

 対して、他の勇者達は俺達より数時間前に出立したはずだ。

 となると、昼休憩をここでした、という感じだろうか。

 ……開けた場所だから魔物の姿は見つけやすいけど、場所が場所だ。

 こんな高所でよく休憩できたな。

 中央付近には一応、広い空間があるけど。

 そこに焚火の跡もある。


『とにかく進もう、俺達は出遅れているみたいだ』

「そうね。急ぎましょう」


 特に焦っていない感じだ。

 とりあえず、精一杯やれることをやればいいや、みたいな?

 本人、別に勇者になりたいわけじゃないんだものな。

 やる気がまったくないよりはいいけど。

 まあ、勇者は力を得てこそ勇者なのに、こんな試練を乗り越えたものが勇者ってのは、かなり本末転倒だわな。

 力を持つ者を見極めるという点をはき違えている感じがするし。

 ……ま、いいか。

 ソーニャ達は恐る恐る、下を何度か覗き、進んで行った。

 そして。

 中央の小さな広場に到着した時、それは起こった。


『何か、聞こえないか?』

「な、な、何かって……」


 ムラマサちゃんが戸惑う中、ソーニャは足を止めていた。

 あいつにも聞こえているらしい。


「……人の声、いえ、叫び声?」


 ソーニャは緊張した声音だった。

 嬌声……じゃないよね。

 まさかこんなところで男女の営みなんてしないものね、はは。


「来るわ!」


 ソーニャは身構えつつ正面を見据えた。

 ムラマサちゃんと俺もなにが来てもいいように意を決す。

 音が徐々に大きくなる。

 廊下の先は、巨大な塔に繋がっている。

 喧噪がここまで届き、やがて姿が見えた。


「逃げろおおお!」


 そう叫んだ男達、十人近くの勇者候補だった。

 奴らは剣を片手に、或いは空手で、明らかに何かから逃げていた。

 俺達の方に駆けてくると、そのまま通り過ぎようとした。


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ、何があったの!?」


 男達は応えずに、そのまま逃げて行ってしまう。

 呆気にとられた、ソーニャとムラマサが立ち尽くしている。

 今のは一体……?

 俺はあまりの出来事に言葉を失っていた。

 ただ事ではない雰囲気だった、という理由もある。

 だが、俺の危惧はそこじゃなかった。

 先程逃げた勇者候補たちの手にあった剣はすべて折れていたのだ。

 あるいは持ってもいなかった。

 鞘を見ても、剣の柄は見えなかったのだ。

 つまり、それは剣をすべて破壊されたか、捨てるしかなかったということだ。

 イヤな予感しかしないんですけど。

 おいおい、結構シリアスな感じじゃないの。

 まさか、強大な魔物が現れたとか?

 スライム以上となると……。

 そうか。

 ローパーだな!

 触手の魔物だな!

 エロ展開の定番だもんね!

 いや、オークか?

 性欲のお化けの、あの魔物。

 終わらない酒池肉林。

 あ、でも、女版オークとかちょっと……。

 それともサキュバスのような、淫欲の魔物か?

 あああああああ、しゅごいいいい、とか言いつつ精気を奪われたいよおおおお。

 あ、インキュバスはちょっと……実はサキュバスは両性具有とか性転換が可能とか諸説あるけど。

 え? ここはそういう場所じゃない?

 ファンタジーだからって俺の知っている魔物が出るとは限らない?

 そうだよね、でもね、ここまで俺が知っている単語だらけなの。

 つまり、ここは俺が知っているファンタジー世界に近い世界なのよ、きっと。

 だったら、いるはずじゃない。

 エロい魔物が!

 とにかくここにいても始まらないわけで。

 固まったままの二人に俺は声をかけた。


『進もう。二人なら大丈夫だろ』


 曖昧な励ましだった。本心でもあった。

 逃亡した男衆よりは二人の方が強いと思う。

 俺の言葉を受け、二人は我に返り、意思を表情に浮かべた。


「そ、そうね」

「……う、うん、い、行こう」


 気が進まない感じだったが、二人は重い足を動かす。

 そして、勇者候補達が逃げてきた方向へと進んだ。

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