8.他人の気持ちが直接あたしの頭に浮かぶのよ
「
戸惑い気味に聞く楠見に、キティはにっこりと顔全体で笑った。真顔だとやや挑発的で尖った感じに見える顔立ちは、目じりが下がると途端に柔らかく温かい雰囲気になる。
隣のマシューに説明を求める視線を送ると、彼も唇の端を吊り上げた。
「キティ、クスミにきみの能力を見せてやれよ」
「いま? 少し待って。あんまりテーブルに着いていると、マスターがうるさいのよ」
言いながらキティは席を立ち、楠見にまたウィンクを送った。
「ね、私がテレパスだって分かったら、超心理学研究室に、あなたからも私を紹介して?」
「俺は――」
超心理学研究室の人間でもないし、彼らに能力者を紹介する立場でもないのだが……。そう言おうとした楠見の答えも聞かずに、キティは立ちがってくるりと身を翻すと、小走りにカウンターに向かう。
「いろいろ誤解されている」
残された楠見は、仕方なくマシューに向かって肩を竦めた。
「よせよせ。心理学と占いの違いも分からない女だよ。小難しい説明なんかしたって無駄さ」
「そういうことを言って……」馬鹿にしたような調子で両手を広げるマシューに、楠見は険しい眼差しを送る。
が、マシューは楠見の抗議を受け流して片眉を上げた。
「そこが良いって言ってるんだ」そこで、小さくため息。「ベッドの中で良い雰囲気になってるときにな。
楠見は友人の言わんとするところを察し、言葉を失った。まじまじと友人の顔を見る。マシューは心底面倒そうに、顔をしかめた。
「挙句にな。『あなたと一夜をともにするのは、心理学者を父親に持つ娘として、自分の性的嗜好を知るための、一種の確認行為のようなものなの。よくも悪くも私には父の影響が大きくて、将来、父と異質なもの、父よりも劣るものを受け入れられるかどうか不安なのよ。これまでの男たちに満足できなかったのは、そこに原因があるんだと思ったんだけれど、比較的、父と同質であるあなたでそれを確認することがしたかったんだわ』と来たもんだ」
「きみは……シャーロットと……」
口を開け放ったまま呆然と言葉を捜す楠見に、マシューはまた両手を広げて見せた。
「あの、可愛らしくて、賢くて、魅力的なお嬢さんはな、とんだお転婆娘だぜ」
「み、……見損なった! きみはちょっと露悪的なところがあるけれど、本当はもっと真面目な男だと思っていたのに!」
「おいおい、落ち着けよ」
「信じられない! きみは不誠実だ! 不道徳だ! なんて男だ。そんなヤツだとは思わなかったよ」
「まあまあ。俺はお前さんに忠告してるんだぜ。見たところ彼女、お前さんのことを次のお相手としてわりと本気で狙っているな。気をつけないと、彼女のエディプス・コンプレックスの研究用サンプルにされちまうぜ? まあそれで上手くまとまりゃ結構な話だが、その後で彼女が『やっぱりほかのサンプルも欲しいから』とか言い出したら目も当てられん。もっとも、お前さんがそれでも良いって言うんなら、もう俺から言うことはないがね」
「そういうことを言っているんじゃない!」
奮然と声を上げる楠見に、マシューは苦笑してみせる。
「済まん済まん。冗談だよ。彼女の話は実話だがな。ドクターも、薄々それを分かってて、早いとこどこかに落ち着けたがっているわけさ。まあ俺には彼女がいるから、さっさと諦めてもらわんと困る」
まだ憤懣を抑えきれずに、楠見は酒をあおり、新しい酒を注文してグラスを握り締めたままマシューを睨む。だが、ウェイターが新たな酒を運んでくるころには、少々気分も落ち着いていた。少なくともマシューの、キティという彼女に対する気持ち、条件のいいシャーロット嬢を袖にして彼女と結ばれたいという気持ちは本物なのだろうか。
「……それで。彼女が『テレパス』だっていう話は……」
言いかけたところへ、ちょうど良くキティが戻ってくる。
マシューはにやりと笑い、カバンから小さなカードの束を取り出した。
超心理学研究室では見慣れた、ESPカード。ゼナーカードとも呼ばれるそれは、パッと見るとトランプのエースの札のようなシンプルなカードである。
丸、十字、三本の波線、四角、そして星。その五種類が、一枚につきひとつずつ描かれている。
主に「
慣れた手つきでカードをひと混ぜすると、マシューはその束を楠見の目の前に置いた。
「テレパスのテストだよ。知っての通り、全部で二十五枚。図柄は五種類だ。お前がめくって、そのカードを思い浮かべてくれ」
「本当に、いまここでやるのかい?」
隣の席の二人組みがテーブル上の妙なカードを気にしている雰囲気を察し、楠見はためらう。
が、キティの表情はヤル気満々と言ったもの。マシューも促すように顎をしゃくる。
いまひとつマシューの真意が掴めないまま楠見はカードの束を手に取ると、裏面を軽く確認し、自分でもざっくりともうひと混ぜして目の前に置き直した。
「これね、あたしの特技なの」悪戯っぽい表情で、キティは挑みかけるように微笑む。「このカードは、その男に初めて見せてもらったんだけどね。むかしっから、ポーカーやなんかも大得意だったのよ」
楠見はキティにもマシューにも見えないように、カードを一枚めくった。太い線で描かれた
「他人の強い気持ちがね、口や表情なんかを通さずに、直接あたしの頭に浮かぶのよ。……待って、見えるわ……」
キティは楠見の頭の中を覗き見るように、わずかに目を細めた。
「
楠見はカードをキティに向けて掲げた。
「正解」
「次に行って」
楠見はまたカードを混ぜて、次の一枚を取り出す。
「今度は、
「正解」
「次は? ……そう、またスクエア」
三問続けて正解を出したところで、隣の席の学生風の連中がはっきりとこちらに興味を示しているのを感じた。
「分かったよ。きみはテレパスなんだな」
切り上げて、カードをマシューに戻そうとするが、キティは不満の声を上げる。
「だめよ。三つくらいじゃ、たまたまかもしれないんでしょ? もっとやってみなくちゃ。だってクスミ、あなた全然信じてないわ」
「そんなことないよ。三問続けて正解する確率は百二十五分の一。そりゃ偶然の可能性はなくもないけれど――」
「嘘。あたしはテレパスなのよ。あなたが全然その気じゃないの、分かるんだから。本当のテストは何百回もやるんでしょ?」
「そりゃあ、まあ……」
「だったらちゃんとテストして、あたしの能力を知ってちょうだい」
口を尖らせて「さあ」という表情でカードを手に取るよう促すキティ。
困ってマシューに目をやると、彼もニヤニヤと笑いながら「続けろ」という顔をしている。
仕方なくカードを手元に引き寄せて、次の一枚をめくった。
「
「正解」
「今度は……ちょっと待って?」キティは目を凝らすようにして楠見の顔をまじまじと見る。それが実際に読むための
「またスクエア」
「正解だよ」
「これは、……
「正解」
カードを示して、楠見は軽く肩を揺らして息をつく。隣の席の連中どころか、その向こうで立ち止まってこちらを見る人間も出てきた。
さらに次も、その次も当てていくキティ。
(まずいな)
次第に増えてくるギャラリーをさり気なくうかがい、楠見は思った。注目されすぎている。
そして同時に、楠見は確信していた。
彼女は本物のテレパスだ。
超心理学の実験で、偶然値よりも高い結果を出す者はいるが、それにしたって百発百中とはいかない。ESPカードの図柄は五種類。これを通常何十セットも繰り返すと、偶然の正解率は二十パーセント前後に収まる。それを超えればESPの可能性ありと判断されるが、三、四十パーセントも行けば、驚異的な数字だ。
キティの結果はここまで、全問正解。テスト回数は足りないものの、これが常人の実験結果をはるかに超えるものであることは間違いない。が、それだけでなく。楠見はある種の慣れた感覚で、彼女が本物であることを確信していた。
もう少し、彼女の能力を知りたい。そう楠見は思った。彼女のテレパスはどのような性質なのか。思い浮かべた図柄だけでなく、感情や記憶を読み取ることもできるのか。どういう条件でその能力を発現させることができるのか。その能力と、これまでの人生の中でどう向き合ってきたのか――。
様々な疑問が渦を巻く。解明したい。テストし、インタビューして。
サイとして紹介される者たちに、これまで楠見はたくさん会ってきた。が、彼女は彼らとは違う。彼女の能力は、まだ確定していない。マシューという人物を通してではあるが、彼女は楠見が初めて発見する、未知の能力を秘めたサイの原石だった。
だが、心が沸き立つ一方で、その片隅でははっきりと警鐘が鳴らされていた。
これ以上は危険だ。彼女の能力が、不用意に、衆目に
ギャラリーはいまや楠見たちのテーブルを取り巻いて、二重、三重の輪となっていた。店中の人間がここに集まっているのではないかとさえ思う。ずっと耳の端に聞こえていた男性シンガーの歌声も、いつのまにか消え、代わりに楠見たちのいるテーブルに向けて人々が、幾分声を潜めつつも好き勝手な囁きを交しているのが耳に入ってきた。
――テレパシーの実験らしぜ
――え、どっち? 男のほう? 女?
――あの女。さっきから一回も間違えずに出てくるカードのマークを当て続けている
――一度も失敗していない
取り交わされる会話には、半信半疑の様子ながら、本人でも認識していないであろう感動や感心が混じっているのが楠見にはよく分かった。未知のものに対する、それは無条件の憧憬。羨望。
――まさか。トリックだろう?
――芸だよ。そういう芸があるんだ。マジックでね
――違うよ。彼女がカードの内容を知るチャンスはないじゃないか
――だけどそれじゃあ……
一方で、それを否定する声。常識を超えた能力に対する畏怖。自分の中にある「秩序」を守るために、目の前で起きている信じられない現象を受け入れまいとする、本能的な拒絶。
キティが本物のテレパスであるならば、彼女はそういった衆人の反応を、楠見が耳で聞く以上に心の中で直接受け取っているはずだった。おそらくもっと辛らつで、容赦なく、彼女の能力のみならず存在そのものさえも否定するような誹謗と中傷を。
思ったそばから、キティの反応が少しずつ変わってきた。
楠見のめくるカードを読み取るのにかかる時間が、長くなる。最初のうちは、考えこそすれ迷っているような素振りは見せなかったのが、いま彼女ははっきりと迷うような間を開けるようになっていた。
「サークル」
「正解だ」
何度目かの正解の後、ギャラリーから小さくはない歓声が上がった。
感嘆の声が半分。驚愕と疑いが半分。そんなところだろうか。キティは一瞬その声に顔を上げ、かすかに顔を火照らせて肩を上げ下げすると、楠見に次を促した。
「次で二十回目だよ」次の一枚をめくったところで、面白そうにマシューが唇の端を上げて、キティと楠見に囁く。「二十回連続正解、なるかな?」
キティは不機嫌そうに眉を寄せてマシューを一瞥すると、また楠見の額あたりに目を据え、考え出した。ここでプレッシャーを掛けてくるこの男の真意はどこにあるのだろう? 一瞬そんなことを考えた楠見だが、その思考はひとまず片隅に追いやって、カードのマークに集中する。
――次で二十回目だとよ
――二十回連続で正解? まさか!
――それじゃ、超能力者じゃないか!
――超能力者だって?
難しそうに眉間にシワを寄せるキティ。
息をつめて見守るギャラリー。
(これ以上は、危険だ)
楠見ははっきりと、そう思った。
このテストは、この無邪気な衆目の好奇心を満たして明日の会話の話題を提供するだけでは済まない。
そう認識すると同時に、誰にも気づかれないように、楠見はひとつ深呼吸をして意識をコントロールする。サイに関わる家に生まれた者が、子供の間に身につけさせられる能力。これはサイの能力を持っていない楠見でも、幼いうちに訓練で身につけた。
意識の「ロック」と、楠見を指導した人物はそう呼んでいた。テレパスから自分の心理を隠す方法だ。盗聴妨害にノイズを流すのに似ている。
そうして楠見は、脳裏に大きな丸を思い浮かべる。
表情には何も出さずに、真剣な顔でこちらを見つめているキティを見つめ返す。
「……サークル?」
これまでで一番自信のない様子で、キティが小さく首を傾げながら言った。楠見は即座にカードを表に返す。
「残念。スターだ」
テーブルを取り巻いていた人々から、落胆のような安堵のような、複雑な声が上がる。ため息や、嘲笑が混じる。
――なんだ
――ほらね、やっぱり
――だけど、十九回も成功したんだ
次は成功するだろう。次だって失敗するさ。相反する気持ちを同時に抱きながら続きを望むギャラリーに見せるように、楠見はテーブルにカードを放り出した。
「もういいだろう? みんな、本気にしちまってるじゃないか」
テーブルの周りの人々をぐるりと見渡して言うと、マシューは同じようにあたりを見回して苦笑しながらカードの束を手に取った。
マシューの反応はよく分からなかったが、そこで「ちょっと!」と心外そうに声を上げたのはキティだった。
「『本気にした』ってどういうこと? あたしはホントに……」
「超能力者だっていうのかい?」
楠見は目を細めて笑顔を作る。
「そうよ」
「そんなこと、いい大人がみんなの前で言うもんじゃないよ」
「何言ってるの?」
キティは真剣に怒ったように、顔いっぱいに抗議を浮かべてテーブルに身を乗り出す。
「クスミ、あなただってさっき、テレパスだって――」
「話を合わせただけさ」
仕方ないという笑顔を
背後で、それまで興味深そうに実験とその後のやり取りを見守っていたギャラリーが、次第に散会していく気配がする。彼らが完全に興味を失い、この一幕が「余興」程度の認識になるまで、もう少しだった。
「ほら。マジックのタネ明かしなんかつまらないだろう。誰にも見破られないうちに、ここらへんで終わりにしよう」
マシューに向けて目配せすると、
「そうだな、まあ、今回はこのへんにしておこうか」
と、彼は思惑のうかがえないかすかな笑いを浮かべた表情で、カードを整えてバッグにしまった。
「ちょっと――待ってよ! マシューまで……」
もはやこの店の中で、真剣な眼差しで何ごとかを本気で訴えている人物は、キティひとりだった。キティは椅子を立ち上がり、テーブルに手をついて二人に向かって身を乗り出す。
「あたしを研究室に紹介してくれるって――」
楠見は必死の様子のキティが、少々気の毒になった。彼女が本物であることを、楠見は確信したのだ。現に、気を抜いたら興奮に身震いするのが外に伝わってしまいそうな心理状態だ。だが、いまこの場でそれを公表するわけにはいかない。ここにいる全員が興味を失って、誰からも相手にされなくなってからでなくては。
そして、彼女に対する実験も。能力の証明も。それらは一切好奇の眼差しを向けられることなく行われなければならない。
だが。彼女にそれを、理解させられるだろうか――。
彼女の能力と彼女自身を守ることと、その能力を証明すること。その二つを、楠見は、あるいは超心理学研究室のメンバーたちは、両立できるのか。
楠見は目を伏せ、緩く首を横に振った。
「止めておいたほうがいいよ」
そう口を開いた瞬間。冷たい感触に、正面から顔を引っぱたかれた。
思いがけない衝撃に瞬きすると、冷たい滴が頬を伝い、苦い酒の香が鼻腔を侵して思わず
咳込みながら目を上げると、怒りに肩を震わせたキティが、空になったグラスを右手に握り締めて立っていた。
「おい、キティ――」
さすがにこれには戸惑ったような声を上げたマシュー。その向こうから、マスターが飛んできて、「おい、お客さんに何てことを……」などと慌てた口調でつぶやきながら、キティの肩を押してカウンターのほうへと連れて行く。
取り残された楠見とマシューは、顔を見合わせた。
別の面白そうな余興が始まったと、あちらこちらの席からうかがう視線が痛い。
どうしていいのか分からずに、腕を組んでため息をつく楠見。少々申し訳ないような表情をにじませて、マシューはポケットからハンカチを取り出した。
「その……悪かったよ。だけど、お前さんもちょっとらしくなかったぜ……?」
「そうかな」
楠見はありがたくハンカチを借りることにして、ひとまず顔を拭きながら、酒を引っ掛けられる直前まで考えていたことを頭に呼び戻す。
そうして、自分はつまり、優柔不断で臆病なのだ、と思うのだった。
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