四章 心の庭に咲く花は ④

   * * *


 乾いて荒れた小高い丘に、全身を喪の黒で覆った女神が立っている。


 乱れた髪を風になぶらせるままにし、やつれた面を空に向けているのは豊穣の女神デメテルである。


「――輝き渡るヘリオスよ」


 デメテルは声を上げて空に向かって呼びかける。

 腹の底から絞り出される声は、哀しみをはらんで震えながら空に響いた。


「私の声が聞こえるか。

この女神の声を哀れと思うなら、どうか応えて、天より地上に降りてきて、ヘリオス――」


 デメテルの叫びに応えるかのように、空から馬のいななきが響き渡る。


 そのいななきと共に馬蹄が響き、デメテルの見つめる先で、輝く太陽の中から四頭の馬にひかれた戦車が姿を現した。

 空を駆ける戦車は風のような速さで地上に迫り、たちまちのうちに地上へ、デメテルの目の前に降り立った。


 燃えるたてがみの悍馬がひく戦車に駕しているのは、黄金の兜と輝く鎧で身を固めた、壮年の美丈夫である。


「ヘリオス」

「何用か、おごそかな女神デメテル。

我の行軍を妨げてまでの用件とは、ただならぬこととお見受けするが」


 太陽の運行を司る神ヘリオスは、堅苦しい口調で用件を尋ねる。

 デメテルは緑の双眸を険しく光らせて、ヘリオスの面を見据えた。


「私の愛しいペルセポネのこと。

あなたにその行方を教えてもらいたいのよ」


 デメテルのその気迫に押されて、剛毅であるはずのヘリオスは思わず固唾をのんだ。


「あの子の姿がなくなってから、私はこの地上のあらゆる場所を探し回った。

けれど、あの子の姿はどこにも見つからず、誰に聞いても知らないという。

ヘリオス、あなたは空から、この地上の全てを遥か彼方まで見渡している。

この地上の出来事で、あなたの知らないことはないはず。

教えて、私のペルセポネはどこにいるの――」

「デメテル……」


 つかみかからんばかりのデメテルをなだめるように、ヘリオスはつとめて沈着な口調で答える。


「デメテル、我の知ることを教えよう。

あなたの愛娘は地上にはいない」

「なんですって――」

「彼の乙女は今、地下にいる。

多くの者迎える王ハデスの元にいるのだ」


 この答えに、デメテルは意表を突かれたらしく絶句した。


「ハデスが、なぜ……」

「冥府の王は地上の乙女を見初められた。

乙女は地下世界へと招かれたのだ」

「あのハデスが……そんな――」

「デメテル、落ち着いて、そしてハデスを責めてはいけない。

そもそもこれは、我らが主神ゼウスが謀られたことだ」


 ゼウスの名を聞いて、デメテルの形のよい眉がつり上がる。


「ゼウスですって」

「左様。

ゼウスはハデスがペルセポネに想いを寄せていることを知り、彼女を地下に招き入れる算段をした。

ハデスはその計画に乗せられたに過ぎない」


 ヘリオスの言葉を聞くデメテルの肩が、次第に小さく震えはじめていた――怒りのために。


 馬がじれた様子で高くいななく。

 ヘリオスは手綱を取ると、一度だけデメテルを振り返った。


「行軍をこれ以上止めてはおけぬ故、我は行かせてもらう。

デメテル、どうか常の平静さを忘れぬよう――」


 ヘリオスの合図で、四頭の馬は一斉に地面を蹴り、あっという間に空へと戦車は舞い上がる。


 去っていく戦車の偉容を見上げるデメテルの瞳には、今ははっきりとした怒りの炎が見て取れた。

 デメテルはその視線を、憎き相手のいる方角へと向ける――オリュンポス山へと。


 怒りにまかせて、デメテルはその名を叫んだ。


「ゼウス……あの不届者――!」

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