7番目

 時は2086年。子供というのは昔から秘密基地を作りたがる習性あるかどうかは知らない。僕らは大人に知られていけない場所をただそう呼んでいる。密会場所はその都度異なる。今回は新宿三丁目駅に近い来週取り壊しが決まっている雑居ビル。僕らだけの密会。大人にばれれば刑罰の対象となる。だから刑罰を受けることを恐れて密会に参加しない子供も居る。この間密会に行く途中買い物に行くと嘘をついて家を出てきた子供が行方不明になっていることも一つの原因となっている。「GPS強制生まれの奴は組織に入れなきゃいいんだ」「行方不明になった奴、どこの班の奴だよ、全くヘマしやがって」「ま、密会場所を知られなかっただけでも良しということで」僕はつくづく思っている。なんでこんなことになっているのだろうと。大人達はみな狂っている。なぜこんな時代になったのか。自分が生まれる前に何があったのか。しかしそんなこと追及したところで何も解決しないのはわかっていた。ひそひそ声の中隊長が口を開いた。「最近の大人共の行動について報告してくれ、まずは都庁班から」「えータイチョうちは東新宿校も範囲になってっから報告内容が30件以上もあるんでー、被害が少ない班からにしてくださいよー」隊長がイラッとした表情を見せた。「では一番深刻なものを」「1年生女子一名、口に電子マネーを数十枚加えたまま登校、教員はその行為がふざけているとして彼女を井戸に」「なぜ口に電子マネーをくわえてたんだ」「それも含めて調査中ですけどー、2か月前ぐらいも同じようなことがあったみたいっすねー。なんせ当の本人が今井戸刑中なもんで聞くにも聞けないですから」「言い訳はいい、大人共の行動に変わったことは」「相変わらずですよタイチョ、相変わらず大人達は子供に涙ぐましい程の教育を施しておりますよーハハハ。教員はなにやらムカデとか虫みたいなのを井戸に放り込んでたり、水をぶっかけたりしていましたね、以上」「お前言葉に気をつけろ、大人たちじゃない、大人共だ、それにタイチョではない、ちゃんと隊長と言え」「あーはいはいそうでしたね、気をつけまーす」毎回この報告に僕らは3時間かかっている。いやかけている。エリア班の班長がその報告をするのだがとにかく毎回信じられない報告が上がってくる。とても目に当てられない内容。書記は3人。一番字がきれいで速くかける子供が選ばれる。亜鉛の減る音が鳴り続ける。証拠を残さなければと躍起になる一番苦しい時間。どこかの子供が行方不明になったり特に最近は体の一部切断の報告が増えている。その中で学校での井戸刑の報告内容は珍しかった。「都庁班の報告は以上です」全ての報告が終わると新宿区班87名の僕ら組織の子供は最後に誓いの言葉を立てて解散する。「取り戻そう、新しい時代を、子供の手で!」

「今日も散々な報告だったな」「うん、そうだね」この暗い時代に明るく活発でバカができる親友はこいつだけだ。「なんかさーもっと報告時間を短くしてほしいぜ、被害はぴんからきりまであんだからさ」「まぁ仕方ないよ」「要領わるいぜうちのハンチョは、これじゃ大人とあんまかわんねーじゃねーか」「駄目だよそんなこと言っちゃ、聞こえてたら大変だよ」「大丈夫さ、聞こえてても、大人共みたいに酷い事はしてこないから」「光太、今日はこの後帰るのかい」「帰るぜ、あーあ、今日の夕飯もまた犬飯だよ」「うちは今日インコ飯かもしれない」「お前たまにはうまいこと言うな」「いや本当に」「そっか、じゃッまたな」

そういえばちゃんとした料理を出してもらったのは6歳の時以来だったかな。外に出ると17時過ぎの伊勢丹付近は買い物客でごったがえしていた。「今からじゃ帰りが18時過ぎるな…」僕は優也から借りてきた腕時計を見た。「次の基地はこの前みたいに中野がいいな、近いから…」僕は1時間少しかかって家に着いた。今日も明日も平和でありますように。いつか大人も僕らもわかりあえる日がきますように。そう心の中で祈りながら家のドアを開けた。

 いつものように靴を揃えいつものように今回7番目の母に僕は言った。ただいまと。「あら今日も私の子はいいこね、ではこれからは只今帰りましたと言いましょう」「わかりました」部屋がやけに静かだ。僕は不振に思った。それにいつも帰ったらただいまを3時間言い続けるナラワシがない。「お母様、1443は」「1443は寝ているみたいよ」「そうですか」僕は奥の部屋に目を向けた。何か赤いモノがみえる。それにあれは「指…」僕は思わず口に出してしまった。「そうだ1002、大事なお遣いを頼んでもいいかしら」僕は息を飲んだ。「お母様が夕食の準備をしている間に1443を病院まで連れていってくれない?」僕は非常に嫌な予感がした。それは今迄1443と暮らしてきたルール。ヘマをしない。ただ二人でそれだけを守ってきた。「わかりました、すぐ行ってきます」僕は冷静な対応をした。奥の部屋で血まみれの1443が倒れているのを見ても切断された親指を見ても僕は動揺しなかった。僕とあまり身長の変わらない1443を抱えて親指のない左手に気を使いながらぼくは玄関まで歩いた。「タクシー呼んであるの、とても用意がいいでしょう」と母は陽気に言った。いや陽気とゆうよりやってやったぞという声色をしていた。「ありがとうございます、感謝します」僕は母の顔をみてそう言った。1443を抱えながらは少し大変だったがいつものように「では行ってまいります、お母様」と深々と一礼した。母は誇らしげに手を振っていた。タクシーは既に家の前にとまっていた。僕はやっと慌てる事ができる。体裁を崩す瞬間涙がわっと出てきた。「おい、優也何があったんだよ、目を覚ませよ」僕は取り乱しながら上着を脱いでその上着で優也の左親指の出血を止めようとした。あってはいけないこと。本当に一番あってはいけないことが起きてしまった。「なんだよなんでこんなことになってんだよ、優也おい起きろよ優也」そうこうしているうちにタクシーは中央新宿病院に到着していた。タクシーの運転手ロボットは面白いものを見るかのように僕が優也を背負って病院の入口迄行くのをずっと見ていた。くそロボットのくせに。僕は心の中で悪態をついた。僕は体罰治療3の受付で番号を記入した。受付が「体罰度は」「左親指がな、なくて、あ、切断されていて、たぶん出血が酷いので体罰度は4ぐらいかと」僕はとにかくなんとかしてほしかった。この状況をはやくなんとかしてほしかった。受付は受話器を取り書類を見ながら「1443体罰度3、第6治療室へ」その瞬間黒装束を着た大人がわらわらと優也を抱え込んで連れていった。ぐったりと僕の背中にもたれていた優也はもういない。許せない。自分の頭の悪さを。もっと頭を使えばこんなことにはならなかったのに。よりにもよって僕が密会に行っている間に。僕はふざけたこの頭をくしゃくしゃにしてそこにしゃがんで声のない泣き声をあげていた。

 あれから何時間たっただろう。僕は途方に暮れていた。いやこれからどうするか考えてもいた。優也は今の原家の家畜になって3年になる。僕は半年前に移動してきた。優也は素直で大人に気に入られる子だ。それがなぜこんなことに。今までいろいろな家畜屋を転々としてきて原家は逆らわなければ何とかうまくやっていけそうな気がしていた。二人でうまくやろうと誓ったのに。「1443、2番窓口」無情なアナウンスで僕は我にかえった。「1443の付き添いです」「明日15時退院。教育費は明日21時に振込完了以上です」受付ロボは変に人間ぽい正しい発音で対応してくる。「あ、あの面会は」「親権主からの許可は」「いえ、許可はないですが」「ではお引き取りください、親権主の許可なく行動する場合ここで拘束します」「わかりました」僕はそそくさと病院をでた。とにかく明日真っ先に優也に会わなければ。それにしばらく密会の予定はないと思うから僕はほとんど家に居られる。そうすれば優也が退院した後これからどうするかゆっくり計画が立てられる。青梅街道沿いに立ち並ぶ古いビルの工事はまだ続いている。築35年以上のビルや家屋は強制的に建て直しが始まった。朝から晩まで日本中が工事音に包まれている。

 「只今帰りました」珍しく母は玄関の前に立っていなかった。居間から父の声がする。どうやら母と父は話していて僕の声が聞こえないらしい。僕は襖をノックした。「只今帰りました」「あらお帰りなさい、遅かったわね、もう遅いから寝ていいわよ」「はい、おやすみなさいませ、お母様お父様」「俺に挨拶がないぞガキ」「あ、お帰りなさいませお父様、お仕事お疲れ様でした」「ふざけるな、言われてからじゃ遅いんだよ、罰として今から朝の3時まで床磨きだ」「いーのいーの今日はもう掃除してあるから」僕に何か聞かれたくないことを二人は話しているのか。だから嫌に母が優しい。いや違う。部屋がきれいになっている。あの親指と血の処理が済ませてある。あの母がやったのだろうか。そんなこと僕にやらせれば済むことなのに。もしかして父は優也がどうなったのか知らない。だから僕がここに居るのが都合が悪い。僕は咄嗟に「お、お母様、本日の事でご報告が…」「今日はもう疲れたでしょう、布団はなおしてあるからもう寝なさい」僕は父の顔に目をやった。「今度俺を無視したら絞め殺してやるからな」「はい、気を付けます、おやすみなさいませ」僕は一礼して襖を閉めた。その瞬間母がこちらを睨みつけているのが分かった。僕はゾクリとした。僕は今日眠ってはいけないと。命の危険を感じた。僕は布団に入らずずっと膝を抱えて考え事をしていた。この足りない頭で考えて考えぬいていた。そもそも僕が密会に行っている間にしかも僕が帰ってきた瞬間優也があんなことに。タイミングよくタクシーを呼んで自分で後始末を。しかしばれたくなかったらなぜ僕が帰ってくる前にタクシーでもなんでも呼んで優也を病院へ行かせなかったのか。タクシーの運転ロボに頼んでおけば気絶していても病院の中まで運んでくれるだろうし。わざわざ僕に付き添わせた。まさか。原家は珍しく門限がない。帰りが遅くなればご飯抜きか3時間家中の掃除。考えれば考えるほど分からない。その時僕の部屋の襖がカタンと閉まる音がした。ついびっくりして立ち上がってしまった。本当はその襖は開けてはいけなかった。母が襖の前に立っていたからだ。「お、お母様」僕はうろたえを隠そうとした。「あら、お母様が気を使ってはやく寝かせてあげたのに、おやすみなさいませってさっき言っていたわよね、でも、あなたはまだ起きている」「もうしわけございませんお母様、今日はなぜか寝つけなくて」「お母様はね、嘘をつかれるのが嫌いなの、今日はどうしたの、お父様にご挨拶を忘れたり嘘をついたり、うまく立ち回れなった理由でもあるの」僕は嵌められたと感じた。どうしたらいい。考えろ。考えろ。「いえ、今日は本当に寝つきが悪いだけです。ご心配おかけして大変申しわけございません、ただ本日のご報告をきちんとしていませんでしたので、今させて頂いてもよろしいでしょうか」「どうぞ」「1443は明日15時退院です。教育費は21時に振込が完了します。明日1443のおむかえはいかが致しますか」「どういう意味」「1443は中央新宿病院に入院するのは初めてなので、誰かがおむかえに行かないと帰ってこれないと思いましたので」「あら気が利くはねあなたは。でもいいの、1443は明日から移動だから」「そ、そうなんですね存じ上げませんでした。大変もうしわけございません」なんということだ。これでは優也の容態も分からない。どこに移動するかもわからない。「あなたは頭を休ませたらどう、もう夜中の3時ですよ」「そうですね、お時間頂きありがとうございます、お休みなさいませ」「おやすみ1002」僕は足がすくんでいた。暫くそこに突っ立っていたがもうどうしようもなく床に就くしかなかった。

 今日母は友人と旅行に行くと言って朝から家を空けていた。僕はそれを嘘だと気付いていた。今まで母が旅行などに行った姿を見たことがなかったしそもそもそうゆうものに興味を示さない人間であることを僕は知っていた。それなのに僕はまんまと身動きが取れなかった。母が帰ってくるまで家中の掃除をする契約書を書かされてしまったからだ。優也はどうなっただろうか。もうどうしようもなかった。何も出来なかった自分が馬鹿みたいに苦しかった。家に監視カメラさえなければ何とかごまかせるのに。最近市街地だけでなく普通の住宅地にも監視カメラが増えている。もちろん子供を監視するためのカメラだ。大人は子供を監視していると心が満たされるらしい。秘密基地に移動する時は監視カメラになるべく映らないように移動するのが大変だ。

 僕は昨日から全く寝つけなかった。母が襖の前になど立って居なければ昨日のやり取りがなければもしかしたら4時間ぐらいは眠れたかもしれない。しかし母は僕の何かを気づいている。それだけはわかる。ただ母はその何かに確信をもてないのだ。密会のことかもしれないし違うことかもしれない。僕はもういてもたってもいられなくなった。もう掃除などしている場合ではない。優也に会いたい。これからどうしていくか2人で話したい。僕は優也に借りっぱなしの腕時計を見た。すぐに僕はリュックに荷物をまとめた。その姿は監視カメラにどうどうと映っているであろう。でも構わない。僕は少し怖さというもの客観視した。もしかしたら恐怖とは幻なのではないか。生まれたときから巣くっている恐怖はもしかしたら変えられるかもしれないと。母と病院で出くわした時どうするか。また病院の監視員に目をつけられたらどうするか。最悪捕まって施設行きになったらどうするか。一番は密会の班の子や優也に迷惑がかからい方法をとることではあるがこの行動自体が最悪を招いているのではないか。

 そんなことを考えながら優也が入院している中央新宿病院へ向かった。青梅街道沿いを15分ぐらい歩いただろうかふと信号で止まっている車をみた。「光太…」向こうは僕に気づいていない。僕は懇願してしまった。どうか気付いてくれと。今この瞬間に助けがほしいと。気づいたら僕は光太に手を振ってしまっていた。一番最初に気づいたのは運転しているあれは父親だろうか。父親が光太に何か話しかけている。その時光太がこっちに気づいた。隣に座っている妹のゆりちゃんもこっちを見ている。光太はどうやって大人をいいくるめてきたのか分からないが車から降りてきた。「よお奇遇だな相棒、どうした顔があおいぞ」「光太僕を殺してくれ」「いちいち死んでもらってたまるかよ、話しは車の中できいてやる、とにかく車に乗れ」僕はぼろぼろと涙が出てきた。「だ、だけど父親がいるじゃないか、大丈夫なの?」「今日はゆりのために遊園地に行く予定なんだよ、その代わり俺は2日間飯抜きと井戸刑だけどな、だからあのくそ野郎機嫌がいいのってなんのって」「そんな事明るく言わないでよッ」「めんどくせーなはやくいくぞ」「う、うん」僕は心から彼を信頼している。何度彼に助けてきてもらってきたか感謝しきれない。光太はふざけた口調で「よいしょっと」「なんだその糞まみれのガキは」「あーこのまみれ君はですね教育ナンバー1002、お友達でーす」「だからなんだ、そんな知らない奴を連れていく約束はしていない」「お、お父様、私も1002は昔からの友人なんです、お願いできないでしょうか」「…」「わがまま言って申しわけございません、でもお友達が沢山いた方がわたくしも楽しいですので」「そうそうこのまみれ君は物静かだから何にも迷惑しな…」「誰がそいつの入場料を払うと思っている」「じゃあ俺が飯抜きを3日間に延長するってことで」「いやそれは…」光太は僕の口を遮った。父親は「いいだろう」と満足げに言った。僕は不安そうに光太の顔をみた。しかし光太の表情には曇りひとつなかった。どちらかと言えば僕の方か曇っていた。ゆりちゃんはそんな兄を心配そうに見つめていた。車の中ではずっとみな無言だった。僕と光太は言指ことゆびで会話をしていた。この言指は組織に属している子供にしか分からない。どうやら70年ぐらい前に一つのコミュニケーションツールとして使用していたものをアレンジしたものらしい。僕は昨日優也が親指を切断されていたことや病院から退院した後どこの家畜屋に移動になるか分からない事を伝えた。車は遊園地という夢の国に向かっている。でも僕の心は虚ろでいったいどこへ向かっているのか見当がつかなかった。僕ら子供は本当にこのまま大人になってしまっていいのだろうか分からなくなってしまっていた。

 遊園地なんて僕は来たことがなかった。そんなところに行く機会もなかったし行きたいとも思わなかった。今までいかに大人の相手をして今日という一日をやり過ごすか。そんなことしか考えた事がなかった。遊園地の存在がどこかありがたくそして滑稽に感じた。向こう側に大きな車輪のような物がみえる。駐車場にはかなり車が止まっていた。まさか大人が子供を楽しませる施設をつくるなんて。なぜあんな空間があるのか不思議だった。「このチケットをもって入場しろ、車には17時までに戻ってこい、戻れない場合は徒歩で21時までに帰宅、いいな」「はーい」光太が馬鹿みたいにでかい声で返事をした。大人はさっさと車をだして行ってしまった。「光太っ僕は優也を捜さなくちゃいけない、こんなところでこうしているわけにはいかないんだ」「捜すって何を手掛かりにさがすんだよ」「とにかく優也の無事を確認して、それから、それから、何があったかちゃんと聞きたいッ」「それで?」「さっき車の中で話し合った通りだよ、これを隊長に報告すれば優也がどうなったか調べてくれるかもしれない」「優也が心配なのはわかるが、今すぐは無理だ、焦るなよそんなに」「あ、焦るよ、だって優也親指を…」「だからだよ」「…だからだよって」「だからさ、お前も家飛び出してきちまったわけだし、どっちっかてーとそっちの方が焦るぜ俺は」「どうゆう意味」「なんで密会の日にそんなことになったのかもひっかかる」僕は言葉がなかった。優也のことよりある意味もっと厄介なことを光太は言い当てようとしている。僕が怖くて口に出そうとしなかったことを僕に言わせようとしている。「まさか」「頭の片隅にはいれておいた方がいい」そんな光太と僕をゆりちゃんは心配そうにしてみている。「ま、しかしだな、電子マネー登校の件でそっちに気を取られていたから、隊長には俺の方から報告しとくわ」「ごめん。僕のせいでみんなに迷惑かけて、もしかしたら僕は班から抜けた方がいいのかもしれない」「そんなこと班長おれの前で言うなよ」「ごめんなさい、もうどうしていいか…」僕はまた目の周りが熱くなった。もう泣きじゃくりだくて仕方がなかった。遠くからかすかに遊園地特有の音楽がきこえる。「ま、俺がなんとかしてやるさ」光太はまたへらへらした表情をみせた。そうだ。光太は今迄だって何事もなんとかしてきた人間だ。それに比べて僕は何をしているんだろう。優也に会いたいと思って出てきてしまったが本当は逃げてきてしまった。べそをかきながら親友に助けてもらい挙句の果て年下の女の子の前で泣くなんてなんて情けないんだろう。「まあ、最近教育制度が複雑化してきてっからな、もしかしたら教育費が上がってきているのかもしれない、それは法研にきいてみる」「法研究班って、高等部の人達だよね、隊長クラスしかなかなか会えないんじゃ」「ハハハ俺の人脈をなめるなよ、とにかく今日は一日一緒に居てやるから、いいな」「う、うん」「もしやばそうになったら逃げろ、この前訓練したから場所はわかるな」「うん、わかった」僕らはチケットを受付に渡した。見たことのない乗り物があちらこちらで動いていた。

 「いやー久々に遊んだなー」光太はサイダーと書かれた飲み物を酒のように飲みほした。「どうだゆり、楽しいか」「うん、ありがとうお兄ちゃん」光太とゆりちゃんは本当の兄妹。光太はゆりちゃんを守る為にどれだけ苦労してきたことか。大体の子供は本当の兄弟と生き別れになるケースが殆ど。家畜屋に気に入らなければとっかえひっかえ移動がある為なかなか純な兄弟で生活できるのは難しい。僕は3人兄弟の真ん中だが幼少時代に姉と妹が移動になりそれからずっと会っていない。「もう昼過ぎだし、なんか買ってくるわ」「うん」光太が席を外すとゆりちゃんが僕に話しかけてきた。「ごめんなさいね、そそっかしくて」「あーいや、いいんですよ。僕がのろまなだけだから」彼女は容姿端麗でとても9歳にはみえない。いつも彼女を目の前にするとどぎまぎしてしまう。「優也さんのこと、心配ですね」「うん、まさか親指を切られてるなんて思わなかったから、結構血も出てたし…」「私は優也さんとは密会で一度しか会ってないので勝手なこと言えないんですけど、とても大人しそうに見えました、なにか問題を起こすような人には」「そうなんだよ、それがわからないから怖いんだ、しかも僕のせいで大人に組織化していることがばれてしまったかもしれない」「私は、もうそんな事とっくに気づかれてるんだと思います」ゆりちゃんがあまりにもさらっと言ったので僕は少し詰まってしまった。「というと…」「だって、私達子供ですよ、子供の考えることなんてたかが知れてるじゃなないですか、どんなに組織化したって、必ずどこからかほころびます、そう思いませんか」「まあ、そうだけど、でもそしたらなぜおよがせているんだろう」「そうですね、考えられるとしたら、単に証拠を掴めていないか、或いは…」「あるいは…」「組織化している子供をリストして、一辺に殺ろうとしてるのかも」彼女はにこっとした。「そ、それは恐ろしいね」僕は顔が引きつってしまった。「恐ろしいです」「僕ら子供はなんでこんなことになってしまったんだろうね、70年前の日本は違ってたのに」「誰から聞いたんですか」「あ、いや優也から聞いたんだよ、優也は学校に行っていたから」「あぁ、そうですよね、優也さん東新宿校でしたっけ」「うん、毎日優也はすごい勉強してたよ。僕は学校なんて行ったって大人に洗脳されるだけだよって言ったら、今の内に敵が何を考えているか勉強しておかないと、僕達は一生家畜のままだって」「こんなに勉強しても70年歴史が変わらないままってか」光太がお昼を買って戻ってきた。「どうだゆり、こいつつまんねー奴だろ」「いいえ、いろいろお話しできて良かったです」「光太はいつも一言余計なんだよ」「デートの邪魔されたからってカリカリするなよ相棒」「で、デートなんかじゃないよ、話しをしてただけだよ全く」「乗り物の名前は覚えたか相棒、あれは車輪じゃない、観覧車っていうんだぞ」「だからさっきもきいたよその話し」ゆりちゃんと話しが出来たのは本当に嬉しかった。しかし僕はまた引っかかっていた。殺る準備。その言葉に。でも今はこの時間を楽しみたい。「遊園地にはよく来るの?」「そうだな、年に1.2回ぐらいは」「そうなんだ、知らなかった」「家のクソ親父が機嫌のいいときはな、遊園地に連れてってやるって言うとゆりが女優になるからな」僕はゆりちゃんの顔を見た。「女優になるってどうゆうこと?」ゆりちゃんがにこっとしたのでちょっと恥ずかしくなって光太の方に目を戻した。「お願いお父様ッ私遊園地に行きたいの。名演技だよ、未来のハリウッドスターだね、俺の妹は」僕が目を丸くしているのでゆりちゃんがクスクス笑っている。こんなに可愛い子に懇願されたらどんな男子でも首を縦に振るだろう。「ま、あのクソ親父はゆりには絶対手をあげないんだ、苦労したぜそういう大人さがすの」「でもお兄ちゃんが一番大変なんだからね、あんまり無理しないでほしいです、この間なんて私の新しい服を買わせようとして骨折させられそうになって…」「どういう状況なのそれは」「まあ俺がゆりによそ行きの服を買ってやってほしいって言ったらさ、癇癪おこして俺の腕折ろうとしやがったんだ、たまたまその時ゆりが学校から帰ってきて、あのクソ親父を止めに入ってくれたから良かったんだけどさ」「もう、お兄ちゃんは私が居ない時にいつもそうなんだから、余計なこと言わないように気を付けてるのに」「ゆりももう来年10歳になんだから服必要だろう」「お兄ちゃんだっておんなじ洋服何年も着てるでしょう」「いいんだよ男はパンツ一丁で」「ばかね」僕は二人を微笑ましく思った。僕達子供って本当はもっと自由でいいんじゃないかな。優也が言っていたように70年前の子供達がそうであったように。

 あの後光太の車で帰ってきた僕は家に入れなかった。家には知らない子供が居た。女の子で僕より2.3歳年上に見えた。その子は温かなシチューをすすりながら外に居る僕を網戸ごしに眺めていた。僕をどうも思っていない自分が生き残るためだけの目をしていた。全ての救いは季節だった。今年の10月はギリギリまで台風がきて気温が高かった。今日が真冬ではなくて本当によかったと心底思った。ここの母はあまり料理が得意ではないので普段はスーパーの惣菜がメインだが機嫌のいい時はなぜかシチューをつくる。今日は新しい子供をむかえるための儀式だ。僕が初めてここに来た時もそうだった。優也が外にだされ僕がシチューをすすっていた。この光景が原家にとって気分がいいらしい。優也は新しい子供が来るたびにこんな屈辱を受けていたのかと思うともう本当に嫌だった。僕は女の子と目を合わせなかった。合わせたらざまあみろという表情をしているのがわかっているからだ。「6170、あの子は本当に悪い子なのよ、今日私が家の掃除を頼んで行ったのにね、どこかに遊びに行っちゃってたの、あの子をどう思う」「お母様の言いつけをやぶるなんて悪党ですね。掃除をほったっからしにして、遊びに行ってしまうなんて。そもそも大人の言う事がきけない時点で、ご飯を食べる資格ないです」「そうでしょうそう思うでしょう、貴方は?」「一週間飯ぬきだな、しかしどこをほっつき歩いてたんだクソガキ、行くとこなんぞどこにもないだろ、学校に行ってるわけでもないのに」僕はひやっとした。「そうねーどこに遊びにいってたのかしらねーとても気になるわねー」僕は母の目を見てしまった。あれは見てはいけなかった。僕の動揺をとらえているあの目を僕は見てはいけなかった。僕はつい口走った。「て、天気がいいから、つい散歩したくなって」「今までそんなことなかったのに、天気がいいくらいで勝手に外へ遊びに行ってしまうなんて、今まで一度もなかったのに」母は迫るような口調で僕に言った。「よっぽど気がかりなことがあったのかしらね」僕は完全にむこうの手の内で躍らせれている。それはわかっていた。しかし僕は無性に腹が立ってきた。優也の血切断された親指いなくなった優也そしてこちらの何かを知っているかのような母の口ぶり僕をクソガキと呼ぶ父親自分が生きるために大人に媚び売る女の子。「1…」「なんだクソガキどこに散歩しに行ってたか白状する気にでもなったか」「14…」「あ?小さくて何言ってんのか全然きこえねーな」「1443はどうして血だらけで倒れてたの」その時母はスーッと立ち上がりやかんで湯を沸かし席に戻っておもむろにシチューをすすった。その間誰もが無言だった。僕はどうやら母の地雷を踏んだようだという事はなんとなく雰囲気で分かった。僕はうつむいたまま黙っていた。テレビの音声だけが空気を渡っていた。お湯の沸いた音が居間に響いた。母は立ち上がりやかんを持ってスッと網戸の前に立った。僕は母を見上げなかった。さっきみたいに見てはけないと思ったからだ。「坊や、今日の夜は少し冷えるでしょう」母は網戸を開けた瞬間僕の背中に熱湯を注いだ。「ギャアアー」僕は悲鳴をあげた。死ぬかもしれない。僕は今日死ぬかもしれない。僕は咄嗟に風呂場に駆け込んだ。そのまま必死で蛇口をひねり水をかっぶた。落ち着け兎に角落ち着こう。「1002は本当に悪い子」いつの間にか母が後ろに立って居た。背中が痛い。背中が剥がされるように痛い。「土足で家に入りこんでくるなんて、まるで溝ネズミね」まさに今の僕の姿は溝ネズミそのモノだ。「お父様の言う通り1週間ご飯はないわ、あと家の掃除がまだ途中でしょう、仕事はやり終えてから寝ましょうね」珍しく僕に返事をさせないまま母はその場を立ち去った。僕はそのまま風呂に入って家の掃除をし始めた。風呂場、玄関、廊下、居間、台所、全て終わったときは夜中の1時を回っていた。僕が外で雑巾を絞っていると誰かの足音が聞こえた。母か。いや違う。これは。「今日のあんた、ほんとに傑作だったわね」女の子だ。今日から家に来た女の子。「ここの大人は女子には優しいのか分からないけど、あんたって馬鹿なの?大人に言い訳するなんて信じられないわ」ああこの子はカワウリだ。僕はそう思った。僕ら子供は大きく分けると2種類いる。大人に媚びをうり自分を大人に身を捧げてしまうかわいそうな子供とそうでない子供と。可哀想を売る。だから僕ら組織にいる子供はそういう子供をカワウリと呼んでいる。「そうだね、6170」無様な僕を馬鹿にしにでもきたのだろう。僕が番号を口にした瞬間女の子はイラッとした。「なぜ私の教育ナンバーを知ってるのッ」「さっきお母様が言ってたから」「じゃああんたのも教えなさいよ」「僕は1002、覚えやすいでしょ」「あんたって本当に生意気ね、お父様のおっしゃっていた通り、生意気なクソガキだわ」「6170は寝ないの?もう夜中の1時過ぎてるよ」「私はね、お母様にクソガキの見張りをするよう仰せつかったのよ、私の初仕事なのよ」「そうなんだ、でも僕は逃げたりしないよ、この雑巾を片付けたらすぐ僕も寝るから」「お母様に許可を得てるのかしら」「得てるよ、仕事はやり終えてから寝ましょうねってさっき風呂場で言われたから」女の子はまたイラッとした。「私はあんたより年上なのよ。それがどういう意味か分かってるんでしょうね」「わかってるよ」「ならこの私にも敬語を使いなさいよ」「ごめんよ、僕学校に行ってないからケイ何とかって言われてもよくわからないんだ」「あんた正真正銘の馬鹿なのね、関心したわ」僕は心底面倒くさい子が来たなと思った。寄りにもよって見張りまでつけられては緊急密会がある時一番困る。「6170は学校に行ってるの」「行かないわよ、だって学校に居たらお母様のそばに居られなくなるし、クソガキの見張りもできなくなるもの」「…お母様がすきなんだね」「何ですって」「いや、大人が好きなんだなーと思って、ある意味良かったよ」「何が良かったのよ」「だって、女の子が酷い事されるの、僕見てらんないから、あのお母様の様子だと君には酷い事しなさそうだし、良かったよ新しい家族が女の子で」女の子は僕を珍しい生き物を見るような目をした。「なによその古い言葉、ジジくさいわね家族なんて、どこで知ったの」「ついこの間までこの家に住んでた子が言っていたんだ、70年前ぐらい前は僕らみたいな組織を家族って呼んでたんだって」「気持ち悪い言葉ね家族なんて、ほんとヘドが出るわ」「そうかな、僕はいいと思うけど」「生意気な上に時代遅れの馬鹿が相手じゃ大人も大変ね」「本当に大変な時代に生まれっちゃったな僕らは」僕は独り言のように言った。「じゃあ僕は片付けが終わったから寝るよ、おやすみなさい」女の子はそれ以上何も言ってこなかった。僕が家の中に入るのをただ見ていた。背中の痛みが相変わらず疼いている。厄介なことになりそうだなという予感がしていた。僕の嫌な予感はいつも当たる。その予感は今回僕が優也を守れなかった予感と少し似ていた。

 もしかしたら一週間飯抜きより一週間分殴られた方がましなのかもしれない。僕は空腹と戦っていた。毎日犬の待て状態が続いた。犬より家畜の方がましなのかもしれない。そんな錯覚を僕は起こしていた。家畜のままならまだ餌を出してもらえる。しかし今のように毎日食事している姿を見せつけられながら正座をさせられるのはきつかった。そして今日がその4日目に突入している。6170はまんまとうまく立ち回っていた。家事の手伝いをまんまとこなしていた。彼女は今までそうしてきたのかもしれない。そう感じさせるほど全ての事をこなしていた。料理の得意でない母は自分が楽になったからかこの4日間殆ど家事をしなくなった。父も彼女を相当気に入っているようであった。大人はみんな優秀な子が好きなんだな。と単純に思った。遊園地での思い出が頭をよぎる。思い出というには近すぎる思い出だが僕にとっては至福の記憶だ。光太やゆりちゃんは今どうしているだろう。ご飯ちゃんと食べてるかな。「おいクソガキ、こっち見んな気持ち悪ィ」僕は特に父の事を見ていたつもりはなく父が口に運んでいるロールキャベツといわれる物を見ていただけだった。「すみません」僕は壁に目をやった。「ねえお母様、1002がいちいち私がお風呂入る前と入る後に何故かいつも脱衣所に居るんですが、どう思いますか、変態ですよね」「あらそうなの、どうしてそんなことしているの1002」「それはお母様とお父様の時と同じで誰かが入る前と後に、脱衣所と風呂の簡単な掃除をしているからです」このやり取りを4日間続けているので僕はうんざりしている。僕を変態扱いするのが母と彼女の間で流行っているらしい。新しい子供が男子だったら良かったのにと何度思ったか。今回7番目の家畜屋だが今まで実姉以外年上の女子と暮らすことはなかった。ほとんどは同じくらいの年で男子だった。それがさらに僕を窮屈にさせた。この家はそんなに広い家ではないので子供3名は多い。だから今まで2名しかいなかったのだろう。机や洋服タンスも全て6170の物になった。僕の生活圏は今正座している一角と風呂と脱衣所とトイレと布団の中ぐらいだった。寝ている時が僕にとって一番の自由時間だった。考え事をしていると母がロールキャベツを皿に盛って僕の前に置いていた。僕は一瞬なんのつもりか理解できなかったがすぐ理解した。だから僕は母のその行動に反応しなかった。それが母の勘に触った。「あなたはご飯を食べなくても死なないのね。まあなんて親孝行なんでしょう。これで一人分の食事代が減るわ」「そいつはいい、浮いた食事代で何か欲しい物を買ってあげようか」「えー本当お父様、嬉しいです」僕は自分の胸の中で潮が引いていくような感じがした。4日間だけでも苦しいというのにこれからまた延長されたらたまったもんじゃないと思った。「申し訳ございません…」「クソガキがなんか話しがあんだってよ」「僕にご飯をください」「何だと」「僕にご飯をください、そのかわり殴りつけてもかまいません、この間掃除をさぼった罰として僕を殴ってください」僕は頭を下げた。「お母様あいつが生意気なこと言い出したわよ、あと1週間ご飯抜きよね」僕は頭を下げたままだった。兎に角これ以上食事を与えられなくなることだけは避けなければならい。「いいわよ、ご飯を食べたかったのなら素直にそう言ってくれれば良かったのに」「えーお母様、私が作った料理をこの変態に食べさせるのはいやよ」「毎日1円お小遣いをあげるから、それで自分の食事は何とかしなさい」母はにんまりとした表情をして僕の目を見た。1円。100円貯めるのにだって3か月ぐらいかかってしまう。「自由に買い物する許可を与えます、貴方は天気のいい日に散歩するの好きみたいだからね。散歩の時は6170一緒ですよ、いいですね」「わかりましたお母様、どうも有難うございます、こころから感謝します」僕を外に出しておよがせるつもりらしい。4日間家から外出できなかった反動を利用して誰かに助けを求めるのを見計らっている。僕は母に完全にさぐられていた。こっちがしっぽを出すのを待っている。僕は光太に助けを求めない。避難ゲートにも行かない。これは相手を負かすための戦いではなく僕が生きていくための戦いなのだから。

 ロールキャベツを食べてからその後一日の食費1円という変な約束をしてしっまったせいで僕はもう体がおかしくなっていた。まさかここで飢え死にするのか。僕は6170が寝静まった後ゴミ出し場へ何か食べれそうな物をさがしに行くのが日課になっていた。何とかましなものをさがして一日に一度は口に入れることにしていた。そんなこんなで20日間経った。飢えとの戦いは正直辛いなんてものではなかった。生きているのが不思議なくらいだった。そんな僕の飢えをよそに両親は離婚していた。家には母とカワウリと僕だけが残った。どうやら僕が優也の件を父の前で言った事が発端になったようだ。今年の9月から教育費が母親と父親別々に支給されることになったらしい。今までは一屋根に対して支給されていた。つまり土地や家を沢山持っている親権主は得をしていたということ。しかしこれからは親権主一人ひとりに支払われるという法律に変わったのだ。母親は優也を教育したことで多額の教育費を手に入れた。体の一部を切断したりやけどを負わせるなどの体罰だと貰える額も変わってくる。父は僕をクソガキ呼わばりしてはいたが仕事を休むことはなく仕事の愚痴も聞いたことはなかった。どちらかというとあまりお金には興味がなく仕事を真面目にするような性格で帰宅後は風呂やトイレに行っている時または食事をしている時以外は自室で仕事をしているような人間だ。その真面目さが祟って母と衝突したのだろう。働きに行かない事自体が彼にとって理解しがたいことだったのだろう。母は6170が来てから家事を本当に殆どしなくなっていた。それも父のイライラの原因となって離婚という決断をはやめたのだ。家の名義は父になっていたはずだが子供の所有権は教育費が多い方に委ねられる。だから父は家から出るしかなくなっていた。父は出ていくとき僕にこう言った。「働かない大人にだけはなるなよクソガキ」と。

 「めっけた」今日のゴミの中からはカビの生えた食パンとしけったクッキーという何とも今迄にない豪華な食べ物にありつけた。カビが生えていてもそこだけちぎって食べれば腹を壊すことはない。僕は食パンをちぎりながら電子マネーのジャージ金額画面をみつめた。今日で20円か。気が遠くなるな。僕もはやく大人になって自分で稼げるようになりたいな。でも大人になったら僕らはどうなるんだろう。70年もの月日が経った今も子供の家畜制度はかわらない。僕は世界が変わった後に生まれてしまった。世界が変わる前に本当は生まれたかったな。そうしたら世の中が悪い方へ変わる前に僕ら子供が何とかできたんじゃないかって思えるから。優也が言っていたことを思い出した。大昔日本には色々な身分の人が居たけれどそれが少しずつなくなってきて自由に働いたり遊んだりできるようになってきたって。だけど人間はお金や命の扱いを間違えると貧困になったり戦争になったりするって。「そしたら、僕が今飢えているのは、僕が間違ってるっていうことかい、そういうことだよね優也…」「そうだね」僕の背中に聞き覚えのある声が触れた。僕はすぐに後ろを振り返れなかった。胸のなかに緊張と喜びが交錯した。「君はいつだって間違ってるよ」僕はゆっくり振り返った。そこには施設着姿の優也が立っていた。

 「優也…」「何をしてるんだいこんなところで」「それはこっちのセリフだよ、優也こそどうしたんだよ」僕は優也にかけよった。「良かった、良かったよ本当に、会えてよかった」僕は優也の両肩を掴んで感激していた。もう会えないと思っていたからだ。「僕もだよ」「優也いったい何があったの、どうしてあんなことになったの、あの母親と何かあったの」「ほんとに迷惑かけてごめんよ、僕のせいであの後大変だったろう」「そんなことどうだっていいよ、優也が無事で本当によかったよ、もう会えないかと思ったよ、し、施設ではちゃんと食べてる?」「うん、食べてるよ、決まった物が決まった時間に出るから、家畜屋で生活しているよりある意味健康かもね」僕は親指のことがきけなくなっていた。巻いてある包帯がそうさせなかった。だから違うことをきいた。「こんなところにいて大丈夫なの、監視カメラに映ってるんじゃ…」「映ってるよ、監視カメラどころか一度施設行きになるとGPSが強制的に埋め込まれるからね」優也はそう言いながら左肩をみせた。「だったら尚更だよ、僕に会ってることがばれたら大変だよ」「大変でも殺されはしないよ、施設で一番酷いのでも井戸刑ぐらいだから」「ぐらいじゃないよ本当にやばいよ」優也は僕の話しをそらす。「学校に行ってると小規模な施設に回されるらしい、驚いたことに外出許可もでるんだよ、これだったら家畜屋に居るよりマシだね、はは」「笑ってる場合じゃないよ、一度施設行きになればGPSが理由で、優也が組織に戻れなくなるじゃないか」「1002、組織を解散させるんだ」僕は自分の耳を疑った。「な、何だって?」組織を解散するなど20年間一度だってなかったはずだ。「優也、君は冗談を言っているのかい、僕ら子供の組織はこのいかれた世の中をなおす為に、何年も前からやってるんだよ、それを今ここで解散させるなんて」「分ってる、でも僕らは子供だ、もう無理なんだ、大人には勝てない、それが分ったんだ、殺されることはないにしても、子供が組織化している事自体がばれたら、体罰どころか刑罰だよ。僕らの最後の仕事は、組織を解散させることだ、それを光太班長に伝えてほしいんだ」優也は洗脳されている。僕は最初そう思ったが撤回した。優也はそう確信せざるを得ない何かを知ってしまった。或いは見てしまった。そうとしか考えられられない。「大人に勝とうなんて僕は思ってないけど、でも組織をいきなり解散させるのは無理だよ、いくら光太が班長でも光太の一存で決められることじゃないし、そんなことを聞いても光太が困るだけだよ」「困るどこの話しじゃないんだ、君にしか頼めない、だから頼む、もう時間がないんだ、お願いだからうんと言ってくれ」優也は必死だった。そんな重要な事こんな僕になんか頼まないでほしい。だったら今まで僕らは何をしてきたというのだろう。家畜になるか施設行きしかない子供時代をなんとかしたかったからここまでやってきたのに。僕らが生きるこの瞬間を子供として生きていける瞬間を取り戻すためにどれだけの子供が試行錯誤してきたか。組織を解散させるという事はそれらを全て裏切ることになるというのに。僕は優也に全く違う話しをした。「今優也の後に2つ年上の女子が移動してきたんだ、もう大変だよ、下手に家事ができるもんだからもう母のお気に入りだよ、、母は教育費稼ぎ過ぎっちゃったかなんだか知らないけど働きに行かないしそのせいで父は呆れて結局離婚しちゃったしね、父なんか働かない大人にだけはなるなよクソガキって僕に捨て台詞なんか言っちゃってさ。本当に大人は都合がいいよね、僕なんかは一日食費が1円でやっと今日で20円貯まったんだよ、気が遠くなっちゃうよほんとに食べていくって大変だよ、でも今日は食パンとクッキーにありつけたからラッキーデーだったな、しかも優也に会えたし元気だって事分かったし…」「ごめん」優也はそう言って僕に背を向けた。僕はそれ以上何も言えなかった。優也のごめんの一言が誰も救えないことを証明しているように感じた。

 僕はひどく後悔していた。優也とせっかく会えたというのに何もしてやれなかった。追うことだってできたはずなのに。もっと沢山必要なことを話せたかもしれないのに。僕はそう考えながらまたゴミをあさっていた。今日は6170と家で留守番を頼まれている。近頃は母と6170は一緒に買い物に出かけることが多かった。母は自分が楽ができるせいで6170をかなり可愛がっていた。僕は家畜のままだ。こんな事になるんだったらカワウリの方が生きやすいではないか。しかし本当はそんなことを考える事自体が負けだった。僕らは今の大人のやり方に屈しないために今迄やってきたのだから。「こらクソガキお前きたねーんだよ、風呂入れ」いつしかいなくなった父ではなく母が僕をクソガキ呼ばわりするようになった。そう言って母は今日もどこかへ出かけていった。6170が全ての家事をするようになってから口調本当にきたなくなった。殿様気取りだった。まだ父が居たときの方がましだった。しかし仕事もしてないのに一人でどこに出かけているのだろう。僕はそれが自分の中でひそかに気がかりだった。

 ゴミ置き場から帰ってくると6170が昼食の支度をしていた。勿論自分が食べる分だけだ。「あんたさ、ご飯食べないのによく生きてるよねー人間じゃないみたい」6170はピラフを口にほうばりながら僕に話しかけてくる。食べないのにというのが彼女特有の皮肉り方だ。「私は自分でなんでもできちゃうからあんたみたいな馬鹿な家畜の気持ちなんてわからないけど」「僕らはどちらも所詮は家畜だよ」「口答えするのね、お母様に言いつけてやるわ」「君は自分でなんでもできると言いながら、結局お母様が居ないと僕の口を黙らすことはできないんだね」最近は彼女と顔を合わせるたびこんな不毛なやり取りをするようになった。信頼関係など無縁のお互いがイライラするだけのやり取りしか成立しない。「自分で食べ物を放棄したくせに私に八つ当たりしないでほしいわね」「悪かったよ、でも君はお母様ととりあえず上手くやっているんだから、僕の事は無視してほしいな」「無視できないわ、だって目の前にでかいゴキブリが居るんだもの、誰だって無視できないでしょ」「僕はこの時間居間に居るように言われてるんだ、丁度あの監視カメラの視界に入ってなきゃならない」「それはあんたがお母様に信用されてないからでしょ、結局墓穴を掘ってるのは自分自身じゃない」「そうだよ、だからほっといてくれ」「あーピラフ美味しかったー、今日は何して遊ぼうかしら、でもゴキブリが邪魔で遊べないわ」6170はぶつくさ言いながら食器を片付ける。確かに彼女は家事全般が完璧にできる。それが彼女なりの生き方なんだなと最近思うようになってきた。大人に媚びを売ってはいるがそれ相応の生き方を彼女は確立してきたのだろう。これからも自分自身が生きていくために。僕を皮肉る分だけの根拠が彼女にはある。だけど僕だって生まれてから10年ぼうっとしてきたわけではない。だから今こうしてなんとか生きている。チャージ金額が今日で32円になった。明日はこれが33円になる。兎に角使わずにとっておかなければこの先どうなるか分からない。6170は今月1か月分の献立を考えるのにインターネットでレシピを調べていた。最近母に家のパソコン使用許可をもらったらしい。もしかしたらあれがあれば光太と連絡が取りあえるかもしれない。僕はそんなこと考えてみた。「今日はイタリアンにしようかな、パスタあったっけ」僕は庭を眺めていた。本当は腹が減って死にそうだ。生ごみが出せるのは火曜と金曜。その中にいつも食べれそうなモノがあるとは限らない。僕は優也がいなくなってから本当にヘマばかりしている。ここ最近あまりいいモノにありつけていない。11月上旬の夜と朝方はもう気温が低くなっている。そろそろ対策を考えないと。冬どうなるか分からない。僕が人間ではなくてネズミやカラスだったら何でも食べれたのに。「あんたって本当に意地っ張りだね、お母様に頭下げればいいだけなのに、そうしたら米ぐらいは恵んでもらえるかもしれないわよ」6170が何やら珍しい事を言っている。「意地でもなんでもないよ。僕はお母様の言いつけを守っているだけだよ」「あんた、今貯金いくら」「そんな事君には関係ない、お母様だって聞いてこないよ」「そりゃ聞かないわよ、だってどうでもいいもの、どんなに1円ずつ毎日チャージしたってたかが知れてるんだから」「知れてるんだったら教える必要はない」「生意気ね、どこにあるの電子マネー」「だから関係ないよ君には」僕はいやな予感がした。食事が与えられていない今たかが一日1円でも電子マネーまで取られたらどうしようもない。「君は食事できるんだから僕の貯金なんか必要ないよ、いったいそんな事聞いてどうするんだ」「分ったわ、非常にわかった」「何が」「生意気だから私が後から探し出して使ってあげるわよ、あーなんて楽しいんでしょう馬鹿をいじめるのは」僕は相手にするだけ時間の無駄だと思って窓側の椅子に腰かけなおした。6170は冷凍庫の中から余った何かの食材を電子レンジにかけていた。僕はもう夕食の準備をするのかと思った。僕がぼーっと窓の外を眺めいると後ろからいい匂いがした。後ろを振り返えると6170が何かの料理の残り皿と箸を持って僕に差し出していた。僕はふざけているのかと思った。「何」「この角度からだったら、監視カメラから視えないわ」僕は咄嗟に警戒した。「い、いやいいよ、お母様の言いつけを破ることになる」「あんたはどこまでも馬鹿なのね、食事にありつきたかったら自分で何とかするのが当たり前なんだけど、あんたの馬鹿丸出し毎日みてたらこっちがイライラすんのよゴキブリ」「だからばれたら君もただじゃすまないって」「ただでなんて済まさないわよ、昨日の夕食の残りの肉じゃが食べた事は今日お母様に報告するんだから」6170は昨日の夕食の残りの部分を厭味ったらしく言った。「だから食べないって」「食べなきゃ死んじゃうじゃない!!」彼女が大声を出したので僕はびくっとした。僕はおそるおそる皿と箸を受け取った。「窓側向いてなさいよゴキブリ、食べ終わったら足元に置いといて、後で片付けるから」彼女はそう言ってパソコンの前にドスンと座った。僕はその肉じゃがをゆっくり食べた。味わって食べた。口に入れるごとに涙がぽつぽつと流れてきた。食べ終わった後もどうしても涙が止まらなかった。

 流れた涙はいつの間にか床の上で乾いていたが僕の頬には少し濡れて残っていた。そんな間に6170はさっさと皿を片付けていた。僕はたまには負けを認めてもいいと感じた。負けを認めなかったら一生食事にありつけないかもしれなかったからだ。ただ6170の行動がどうも気がかりだった。お母様が帰って来たらどうなるのか一体何を考えているのか分からなかった。「私はゴキブリを助けたんじゃないからね、今日昼肉じゃが食べたことを告げ口されたくなかったら、自分で土下座でもなんでもして食事を与えてもらうことよ」僕を脅してるのかそうでないのか正直分からなかったが確かにこのまま食事なしの生活が続けば身体の方がどうなるか。「うん、そうする」変な意地を張っている場合ではないのかもしれない。食料摂取教育法は食事を与えない或いは残飯を摂取させる事で食のありがたみを教育する法律で体罰教育法よりリスクが少なく教育費が受け取れる。教育法は殺してしまったらゲームオーバーなんだ。教育する相手が居なくなったら意味ないからね。そんなことを光太が言っていたような気がしたのを思い出した。「お母様は最近よく日中出かけているけど、どこで何をしてるのか知ってる?」「知らないわよ、興味ないわ、お父様がいなくなったから、どうせ新しい男でもさがしに行ってるんじゃないの」「…そうかもね」12歳そこそこの女子が男でもさがしに行ってるなんて言うので僕は少しほくそ笑んだ。「何がおかしいのよ」「いや別に」僕は今迄生きてきてカワウリを信用したことがない。カワウリは自分がいかに大人に気に入られるかしか能がない動物だからだ。だが僕は彼女が純粋なカワウリかどうか判断しかねていた。僕らは家畜屋の移動があるたびに相手がカワウリかどうか報告をする。カワウリの場合は組織の存在がばれると大変なことになるからだ。厄介なことに頭のきれるカワウリも中には居たりする。学校などというところにはたまにそういうのが居るらしい。どの時代の子供も大人に認めてもらいたいという欲求があるのかどんなに酷い事をされても大人に好かれようとする子供はまだまだ多い。6170はパソコンに向かってずっとインターネットを観ている。「6170はパソコン使った事あるの?」「初めてよ、当たり前じゃない」「そうなんだ、使いこなすのが速いから、使ったことがあるのかなと思った」「ネットを観るだけなら、ゴキブリにだってできるわよ」「僕は無理だよ、機械得意じゃないからさ」「最近ゴミ漁りが得意になったんじゃないの」ゴミ置き場に行っていることがばれている。「何のこと」「あんたばれてないと思ってたの、馬鹿ね、お母様にもとっくにばれてるわよ」「な、なんでお母様は僕を怒らないのかな」6170がにやりとした。「そりゃもっと酷い事しようと考えてるからよ」「酷い事って」「さあね、私はお母様が何を考えてるかまでは知らないわ」「何を考えてるか知ならいのに、僕にまた何か酷い事しようと考えてると感じるのはなぜ」「めんどくさいわね、どうもこうもあんたが自分で勝手に墓穴掘ってるだけじゃないの、変な意地はってるから探られんのよ」「さぐるって何を」僕はつい大きな声を出してしまった。「なによいきなり」「いやごめん何でもない」しまったと思った。変に反応してしまった。「変にゆうこときいてるから気持ち悪いのよ、特にあんたお母様の前だと動揺の一つ見せないじゃない、それが逆に大人にとっては勘に触るのよ」「そうかもね、今度からは動揺の一つや二つ見せた方がいいよね」「そうそう家畜は家畜らしくびくびくしてればいいのよ」僕は何かの狭間で揺れていた。6170が僕に食事を差し出したあの時の言葉が頭から離れなかった。高等部との密会が何年か前あったとき70年ぐらい前の女性は母性本能というものが宿っていたという事を聞いたことがある。もしかしたら12歳の女子でも母性本能があるのだろうか。僕は母親という存在を少し想像してみた。それは願っても叶えられない存在なのだということをかみしめて。

 僕は夕日を眺めていた。今日は何とか飯というものにありつけたが明日はどうなるか分からない。いや今夜から早速どうなるかわからなくなってきた。もう日が暮れてしまう。6170は夕食の準備に取り掛かっていた。その時玄関から物が落ちるような凄い音がした。6170と僕は同時にびくっとした。6170はすぐ玄関に向かった。「お、お母様どうしたの」「61…70…おみず、お水ちょうだい…」「は、はい」6170がこちらへ駆け込んできた。コップに水を汲みながら「1002っなにぼーっとしてんのよ、タオルッタオルもってきて汚れてもいいやつッ」僕はバッと立ち上がって洗面所に向かった。玄関の方に目をやるとそこにはげろと酒の臭いをぶっちらかして母親が倒れていた。なんだくだらないと思った。昼間から飲みに行っていただけか。そう思いながら古そうなタオルを引き出しから取り玄関へ向かった。6170は母親の背中をさすっている最中だった。「大丈夫お母様、着替えて部屋で横になりましょう」「ごめんなさいね、汚くて」変に下手に出ている。よっぽど辛いらしい。「いいのよお母様、ホラッ1002早く床拭いて」「う、うん」どうやら僕はこの汚い方をやらされるらしい。6170は手際よく汚れた母の服を脱がせ僕に渡した。きれいなタオルを母親の肩にかけ「お母様立てる?横になる?それともお風呂入っちゃいます?」「このまま寝たいわ」「分りました」そう言って6170は母を肩に部屋まで連れていった。母は相変わらずせき込んでいた。僕は何とか今あるタオルでできる限りげろを拭き取っていた。それにしてもいくら6170が手際がいいとしても自分より体重のある大人をベットに上げるのは大変だろう。僕は床を拭きながらそう思った。スポーツでも何かやってたのかな。後で聞いてみよう。僕ははっとした。今まで口を利こうと思ったこともない相手に何か聞いてみようだなんて。僕は相手を信用し過ぎる節がある。そう光太に言われた事を思い出した。いくら優しくされても情けをかけられてもカワウリを信用してはいけない。「いつまで拭いてんのよのろまッ」「あ、うん、このお母様の服どうする、洗うの?」「当たり前でしょ、その床拭いたタオルはゴミ袋に入れて出してきて、後、その服は洗面台で一回すすいでから洗濯機に入れといて」やっぱり汚い方は僕に押し付けるつもりらしい。試しに言ってみた。「僕がやるの?」「じゃああんた夕食作れんの」やっぱり言い返された。「作れない」「だったらつべこべ言わずにさっさと片付けて」この家畜屋には母親が2人居るみたい。僕は言う通りにするしかないみたいだ。僕は片付けた後母の様子を視に言った。扉を開けるとびーびーと鼾をかいて眠っていた。棚に目をやると今迄の夫の顔写真を並べて飾ってあった。いつも奇妙だと思うのは旅行などどこかに出かけて撮った写真ではない。顔写真なのだ。ああいう風にしておくと今迄自分が愛されていたことを自分に証明できるからなのか。単に頭がおかしいだけなのか分からなかったが兎に角母の部屋は不気味な哀しさを漂わせていた。人はいつも自分が好かれていたい生き物なんだなと母の部屋をこっそり視れる機会があるときはそう思うことにした。そう思えばこれから何か酷い事をされても耐えられるからだ。耐えて我慢していればいつか何かのきっかけで状況が変わるかもしれない。そう思えるように僕自身を僕は誘導した。

 「お母様どうだった」僕は6170には母親の部屋を視た事は知られたくなかった。「あんたさっき見てたでしょ、全くげろだらけよほんとにッ」ゲロだらけなのは僕の方なんだけど。そう言いたいのを抑えた。「昼間から飲みに行ってたのかな?」「どうでもいいわよそんな事、とにかく汚いまま夕ご飯は食べたくないから、私お風呂入っちゃうわ」「え、お母様が途中で起きてきたらどうするの、食事僕は出せないよ」「起きないわよ明日の朝まで絶対爆睡してるわよ」確かにあの様子だと明日まで本当に眠っているだろう。「そうだね」僕はそう言ってソファに座ろうとした。「ちょっとあんたそのなりでそこに座らないでよ」「そうだね」僕のなりはいいものじゃなかった。ただでさえぼろ服なのにげろの臭いが染みついた状態でソファに座るのは賢明じゃない。僕はそっと床に座った。その動作を確認して6170は居間をでた。僕は5分ぐらいぼうっとしていただろうか。おもむろにパソコンの方に目をやった。あれがあれば光太と連絡できるだろうか。監視カメラにはぎりぎり映らない位置だ。どうやって連絡をとればいいだろう。いや連絡したいというより単に光太に会いたいだけだった。優也に会っても何もしてあげられなかったこと。姉弟がカワウリで料理が凄く上手いこと。本当にどうでもいい事ばかりだけど会って話したかった。そう思ってたら僕はいつの間にかパソコンの前に存在していた。画面は真っ暗だった。そういえば6170は右手でこのおもちゃみたいなのを動かしてるように見えたな。僕はそれに触れてみた。すると画面が明るくなったので僕は少しびっくりした。世の中よくできてるなと感心しながらこれが6170がいつも言ってたレシピというやつかと画面を眺めた。レシピには色々な料理が並んでいた。これさえあれば6170みたいに料理が上手になれるのかもしれない。そういえば隊長がたまに持っているあれは通話ができるらしいけどこれはできるのかな。兎に角通信ができれば。だめだ。通信はデータに残る。だから僕らは密会をしている。GPSをつけられてしまった子供は密会に参加できない事を今更思い出した。僕らの通信手段は紙だった。70年前はもっと紙を使用していたらしいが今紙を使われるのは殆どなくなった。成人した時児童所有権の権利書を国で発行してもらう時ぐらいしか使用されないのだがその貴重な紙は結構国外で売られているらしく僕も道端で拾ったり密会できれいなメモ帳がたまに配布される。大体は密会日程の連絡用に使われるか書記係の子が使うので僕が紙を使う機会はあまりない。6歳ぐらいのときどこかで拾ってきた紙切れをいつまでも大事にポケットしまってはよく眺めていたっけ。その頃密会の帰りに光太とゆりちゃんでつるつるした紙が出る計算機をつかった店があったので面白がって何回か遊びに行っていた事がある。そこのシルバーは80歳ぐらいで殆ど眼がみえていなかったが「みよこの華麗なレジ打ちを」と言って僕らを楽しませていた。暫くしてそのシルバーは死が近いのを悟ったのか老舎へ行ってしまった。年をとると死をそんなにもすんなり受け入れてしまえるのか僕は不思議だった。僕はまだ死にたくない。生きていたい。生きていきたい。毎日そう思う。

 

 

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