第四話 ガウガメラの戦い3(神戸北部VS姫路)
辺り一面山に囲まれている。つまり簡単に言えば山しかないということだ。山以外に見えるものと言えば、去年完成したばかりの高速道路ぐらいだろう。
そのグラウンドに二つの騎馬が100メートルほど離れて向き合っていた。
「すみません。久城さん、七尾さん。私のわがままに突き合わせて」
「……別に」
七尾は小さくそう言う。久城に至っては頬をふくらませて不機嫌だ。彼女はこういった他人の為の練習というのをあまりしたいとは思っていないからだ。
それでも隊長命令ということもあり渋々従っている。
「いいですか。今回は何も考えずに真っ直ぐに走ってください。これはあくまでも練習ですから」
そういい、彼女は両足の指を丸める。これは天神達の騎馬では前進を現している。
彼女達の騎馬のずっと先には、川之江の騎馬が待機している。彼女の体はがたがたと震えており、そのせいで下の土台も始まる前から疲労が溜まっているような表情を見せている。
「アホ」
それを見た久城は舌打ち交じりに言う。
元々騎手を希望していた彼女にしてみれば、羨ましい存在でもあり邪魔な存在でもある。
「久城さん。川之江さんの騎馬の到達速度は7.6秒とこの中ではトップクラスの速さです。そしてマスコミはそんな彼女を見てチャーフィーとあだ名をつけるほどです。だからあまり油断はしない方がいいと思いますよ」
到達速度とは、全力で走ったとき最初にハーフラインを超えるタイムのことを差す。この大会ではコートの端から端までの距離を100メートルとしているから、この場合50メートル走るまでかかった時間と言う意味だ。
「速くても火力がなければなんの意味がない」
それは天神も感じていたことだった。
川之江の騎馬は機動性はかなり高い。しかしそれを試合で上手く生かすことが出来ない。
ハーフラインには三人の赤旗を持っている人が立っている。彼らはスターターである。横の二人はサイドスターター。そして中央にいるのがセンタースターター。彼がこの試合の主審の役割をする。
まずサイドスターターが旗をあげる。そしてしばらくセンタースターターが天高く同じように赤い旗をあげた。
これはもうすぐで試合が始まるという合図だ。陸上で言う、いちについてよーいに当たる部分。
天神はじっと前を向く。
サイドスターターがバサッと50メートル離れた場所からでも聞こえるぐらい激しく旗を振り下ろす。
そして一呼吸を置いてセンタースターターも旗を降ろした。その瞬間二つの騎馬は前へ走りだす。これはスタートの合図だ。
(ストレートイン)
ストレートインというのは両者、直進行動をすること。騎馬戦の用語として実況などによく使われる。
天神の髪は後ろに靡く。彼女は耳に手を添え耳を澄ます。
(……アップウィンドウ。嫌な風)
騎馬戦は基本外で行われる。その為、風や気候などに左右されるスポーツだ。
雨などで地面が湿っていれば、下の騎馬が足を滑らしてそのまま崩れてしまう可能性もあるし、今のような向かい風なら到達速度が遅くなったりする。それはほんの少しの違いかもしれない。
しかしこの騎馬戦は戦争である。そのほんの少しの違いが命取りになることなんて多々ある。頭に銃を打たれたらどんな超人でも一瞬で死ぬだろう。それは騎馬戦でも同じだ。どんな優秀な騎手でも崩れるときは一瞬なのだ。だから少しのことでも気になってしまう。
センターラインの白い線が近づいてくる。ようやく50メートル時点。
そして目の前には川之江の騎馬。
(ヒットエンドラン……ヒットエンドラン……)
一方川之江は呪文のように頭でそれを何度も何度も反芻させる。
今日のノートでも何度も書いた文字。図だって書いた。脳内イメージだって出来ている。川之江には天神を崩す……まではいかなくとも半壊まではいけるという自信があった。
そして天神の騎馬と触れ合う距離まで近づく。
川之江は全力で手を伸ばす。天神の体に触れた。そして天神の騎馬がぐらりと大きく傾く。
(よし、ここまでは作戦通り)
天神も崩されまいと川之江の手をつかみ抵抗する。そして取りあえず態勢を整え直した。
(ヒットエンドラン……ヒットエンドラン)
さすが神戸北部の大将。すぐに川之江は天神の下側に押しつぶられて騎馬が崩されそうになる。
「後退お願いします」
だから川之江は下の騎馬に後退を要求。すぐさま、騎馬を後ろへ下げる。
思わず川之江はガッツポーズをしたくなる。これも作戦通り。
しかし、その喜びもすぐに消える。
天神の騎馬は真っ直ぐに川之江の騎馬の方へ突っ込んだ。そしてそのまま川之江の体に体当たり。
騎馬は大きく揺れる。
(そ、そんななんで……)
なんとか踏ん張ろうと足に力を入れるがそれが逆効果となる。急激にその重みが加わった土台はその足を支えることが出来ず地面に落としてしまう。
そしてそのまま土台は地面の方へ倒れ、川之江は落馬。
ほんの一瞬だった。川之江は何が起きたのか理解が出来なかった。
(なんで……)
彼女はゆっくりと立ちあがり崩れた騎馬を見る。
本来ならこうなるはずではなかった。こうなるとしてももっと後の話だと思っていた。ちゃんとノートの道理にやったはずだ。それなのにどうしてこう崩されてしまったのか。分からない。
(なぜ、どうして、分からない。こんなはずじゃないのに)
川之江の体はブルブルと震える。喉の奥には鋭い痛みのようなものが広がった。
「後退というのは、前進よりも速度が遅いのですよ」
勝利した天神はその騎馬から飛び降り川之江の方へ。
「また後退する方が大幹が大きく揺れます。だからそこで突進されたら簡単に崩れてしまうのです」
このことは会議の中で天神がしっかり話していた。そして川之江はしっかりノートを取っていた。そのはずなのに本番ですっかり忘れてしまった。
「川之江さんがやったことは、戦車が相手に突撃した後に無防御にバックした。それと同じです。想像してください。そういう戦車があったらただの的でしょ? さらにもっと言えば相手に履帯を外したのにそのまま後退行為を行ったということにもなりますね。それと川之江さん? 私がさっき川之江さんに潰されそうになったとき私はどちらに傾いていましたか?」
えっと……と唇をガタガタ震わした後、黙り込んで俯いてしまう。
「正解は右寄りに傾いていました。そうなると、騎馬は防御態勢を作るのなら川之江さんは右方向に移動する。攻撃態勢なら左。これをするのが一般的です。しかし川之江さんはそのまま後ろへ。これだと次の行動を移す前に敵にやられてしまいます。今回は一人でしたから判断はしやすい方でしたがこれが試合になると今よりも速くどの方向に移動するのかと言う判断能力が必要となります。川之江さんが試合でヒットエンドラン作戦を上手く実行できない理由はそれをただの退避行動だと誤解をしているからで……」
「ちょっと。和泉。流石に言い過ぎだと思うぞ」
そう北上に言われて彼女の方を見る。川之江の頬からはキラリと光る涙が零れ落ちていた。
またやってしまった。思わず天神は頭を抑える。彼女は他人にアドバイスしようとすると次から次へと言葉が出てしまうくせがある。これは自分の悪いことだと理解している。
「まぁ、こんな細かいことを出来る騎馬なんてそんなにいないですし」
その川之江を慰めようと早口で言う。
「嘘つきなさい。こんな簡単なことを出来ない騎馬なんて少なくとも地区代表にはいないわよ」
「ちょっと! 久城さん!!」
しかし久城が塩っぽい顔をしながら乱暴に吐き捨てた。
「あなたの倒した騎馬は一体何体? 数えてみなさいよ。0でしょ? そんな人が他にいると思う?」
久城の口は止まらない。今まで我慢していたことを吐きだしているようだ。
川之江は目がしらを抑える。しかし禁じ得ない涙が次から次へと零れ落ちていった。
天神は川之江の肩を持つ。慰めようと一生懸命だ。
「どうして泣くのかしら? 泣けば試合に勝てるのかしら? ねぇ? 泣く理由を教えて?」
それは老いの繰り言だ。何度も何度もしつこく久城は川之江にそのようなことを言う。
「久城さん! 取りあえず黙っていてください。これは隊長命令です」
天神がそういうと小鼻を膨らましてこの場を去っていった。
そして川之江の下にいた騎馬達も逃げるかのようにソロリとその場を去る。
その場ですすり泣いている川之江の背中を優しくゆする。
「あの……私……その、すみません」
「謝る必要なんてありません」
「だけど……私は久城先輩の言う通り何もすることが出来なくて」
天神は川之江の頬から零れた大粒の涙を拭う。
「もしこの涙が恥ずかしいものだと感じているならその感情も必要はないのです。そこにはちゃんと悔しいとかそう言った感情があるのですから」
天神はハーフズボンのポケットから金色の飴を取りだしそれを川之江に渡す。
「とにかく悔しい時、悲しい時は甘い物を食べるといいですよ。私はそうやってここまで辿りついたのですからこれは確かです」
「だけど……そうしたら先輩の飴が」
「その心配はないですよ」
ニッと笑みを浮かべる。そして天神はポケットに手を入れてそこから拳からあふれるほどの飴を取りだした。
「この飴、後5袋分ありますし今日練習が終わったら追加で購入しますし」
「……それじゃ遠慮なく」
といいつつも川之江は遠慮した表情を浮かべながらその飴を口に含ませる。
「そうだ。出奈もこの飴を」
「私はいらない」
と北上に渡そうとしたがそれをあっさり戻されてしまった。それも無理はない。今日既に天神からこの飴を5個以上貰っているからだ。
天神はこの金色の飴を授業中でも、休み時間でもずっと舐め続けている。そのうち、弁当箱の中にまで入れるのではないかと北上は密かに思っているほど彼女はこの飴を愛している。
「私がこの実戦形式の練習をさせたのは自分のどこがいけなかったのかを分かって欲しかったからです。そして次に正しいヒットエンドランという感覚を味わってほしい。だから今度は私達が騎馬を作るのであなたが騎手をしてください」
「騎手って……私が先輩たちの上に乗るっていうこと? そんな」
「遠慮は禁止。いいですか。これは隊長命令です」
この騎馬戦の世界では本番で大将をやる人が一番偉い。全ての決定権を持っている。だから練習指示をすることが出来るし、こうやって隊長命令と言われたら従うしかない。
だから川之江は素直に首を縦に振った。
「しかしそうなると、騎馬をする人が足りないな」
と北上は呟く。久城は頬を膨らませながらどこかへ行ってしまったし、騎馬を川之江のために組んでくれと言ったら火に油を注ぐような感じだろう。
「七尾さんに頼みましょう。彼女はあそこで寝ていますし」
彼女はグラウンドの端の方を指さす。そこには気持ちよさそうに日向ぼっこをしている七尾がいた。
彼女はさぼり癖があるらしくこうやって騎馬を組んでいない間や、何も指示がないときはいつもああやって日向ぼっこをしている。
「そうだな。暇そうにしているし」
「だから後は対戦相手を探すだけですけど……」
他に誰かいるのだろうかと辺りをきょろきょろと見渡す。
「おっ、天神さんが川之江を泣かしたのた? ダメやな。パワハラやで」
「パワハラだめ」「絶対に」「暴力反対」
そこに四人の少女たちがやってくる。
「第三騎馬のみなさん……」
一人はクルリと巻いたセミロングの女性。冴長百々。彼女は第三騎馬の隊長であり、川之江と同級生。次期大将と呼ばれるほどの実力者である。
そして他の三人はそれぞれ同じように髪をツインテールにまとめていた。野上亜子、加子、奈子。三つ子だ。
「そうだ。この三番騎馬に頼んで一緒に」
「いけますかね? 彼女達はヘルキャットと呼ばれているほどですよ」
「ま、負けたら土台が悪かった。それだけの話だ
「ん? 何の話や?」
神戸北部第三騎馬は通称ヘルキャットという愛称がついている。地獄猫。
機動力と攻撃力の高さから彼女達に狙われたら最後。倒されてしまうまで追われてしまうと言われている。その姿から性悪女の異名の意味を持つヘルキャットと言う愛称で呼ばれるようになったのだ。
しかしそんな彼女達だが、弱点もあった。まず冴長は身長が小さい。そのため腕の長さは短く高身長の敵相手だと、まったく攻撃することが出来ない。また彼女達は非常に小柄であるため、ちょっとの衝撃で簡単に崩れてしまうということもある。そのため第三騎馬は主戦よりも補助戦に向いていると言われている。
「なんや? SNAFUか?」
「違います」
SNAFUとはいつも通り滅茶苦茶という意味である。彼女達は面倒くさい出来事に遭遇した時に使っている。この言葉を使うのはチームで彼女達だけだ。
「そうですね……少しお願いしていいですか?」
「断る」
「えー……」
まさかこんな回答が返って来るとは天神も予想していなかった。
「なんて冗談や。関西ジョークや」
「どんなジョークですか。というか関西とか関係ない気がしますけど」
とにかくほっと一安心。
「それでなんや? 用件というのは?」
「ちょっと私達と模擬戦をしてくれませんか?」
「一対一でか? うちはあっさり負けるで」
冴長は自分の長所も短所もはっきりと理解している。
「いえ……実は」
とこれまでの経緯を簡単に説明する。川之江のこと。そして今からこういった練習をしたいということ。
「なるほどな。よく分かったわ。でもええんか?」
「うん? 何が?」
「いや? うちの騎馬が本気を出したら川之江を一瞬で崩すで」
「そうだ!」「私達が負けるわけない」「負けたら切腹もの!」
冴長がそういうと、川之江はヒィッと小さく悲鳴をあげる。
「大丈夫。私達は勝つから」
「えらい自信やな。まっ、その方がうちらも楽しめていいけどな」
そういい彼女達は騎馬のスタートラインへ向かった。
「それじゃ10分後に試合開始で」
「ん、了解や」
天神達も冴長の正面にあるスタートラインに向かった。そして次の試合に備えることに。
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