せーので始める探偵部っ

今夜の山田

第一話

ひとつめっ

 佐野松さのまつ高校には可愛い生徒がひとりいる。彼女は二年C組の学籍番号十一番で、河原かわはらあかねという名前を使って生活を送っている。ふだんは他の生徒と同じように学校に来て、勉強をして、たくさん勉強をして、家へと帰る。だけどたまに事件が起こったとき、あかねの探偵の血が騒ぐのだ……そう、あかねはかの有名な、ホームズの子孫なのだから!

「だから、探偵部っ!」

 河原あかねは、すべき全てをやり遂げた犬のように、満足と期待の織り交じった表情で言いきった。もう、完璧だった。これ以上ないほど説得力のある言葉で、相手は大納得して「認可」のハンコを押してくれるはずだ。あの四角い枠の付いた、自分なら一日十回は押したくなるようなハンコっ。

「…………」

 しばらく、沈黙が部屋を覆った。それはあかねの予定に近い予想とは、かなり違う状況だった。

「えーっと、だからね。私は普段は女子高生を演じてるんだけど、実は」

「あ、あかねちゃん?」

 要旨を伝えようとするあかねの言葉を遮ったのは、良い返事が期待される正面の相手ではなくて、あかねがここまで引っ張って連れてきた小宮こみやあいだった。

「藍ちゃん! 藍ちゃんは分かってくれたよね? 私がホームズの生まれ変わりで、探偵の能力を秘めてるってっ」

「あはは……。そこも気になるけど、それよりその最後の……探偵部?」

 小宮藍は困惑していた。目的も知らされずに生徒会室まで連れてこられたけれど、まさか、そんな突拍子もない思い付きのためだったとは。色んな疑問をまぜこぜにした鍋が、驚きの火でぐつぐつ煮立っていた。

「藍ちゃんは知らないかー、探偵部! 探偵部はね、学校の事件をかぎつけて、パパパッて解決しちゃうんだ」

「そ、そっかあ……あかねちゃんは、探偵部を作りたいの? どうして?」

 藍はとりあえず、情報を整理するよう試みる事にした。会長机に肘をついて呆れかえっている彼女には、もうしばらく辛抱してもらうしかない。

「どうしてって、そうだなー……事件が私を呼んでいるから! とか?」

「つまり、探偵さんになってみたいってこと?」

「そうそうっ」

 その笑顔の種類を見て、どうやらあかね生来のアッパーな性質が作用したらしい、と藍は思った。何かを始めようとするのはいつだってあかねだ。付いていけば必ずいい事がある、と藍は信じている。とは言え――藍はもう一度、呆れ顔へと視線を向けた。

「却下よ」

 ちょうど、返答があった。

「きゃっ、か? きゃっか、きゃっか……えーっ!?」

 驚きからかいっぱいに広げられた口を見て、藤原ふじわら佳ノ子かのこは内心で嘆息した。あかねの反応は、佳ノ子の予想とほとんど一緒だった。隣で苦笑いする藍も、きっと同じ予想を立てていただろうと佳ノ子は想像する。

「なんでっ! どうして!? ぜったい楽しいのに!」

「活動理念に説得力がない。ホームズが先祖なのか前世なのかもはっきりしないし」

「だーかーらっ。ホームズの子孫として、ホームズが生まれ変わったんだよ!」

「いずれにしても、部活動は五人以上いないと成立しない決まりよ」

 あかねの説明には少し感心したけれど、佳ノ子はそれを隠して冷静に言い放った。突き放すつもりではない。ただ、今この場でこれ以上ごねても仕方ないことを、あかねの期待が高まる前に早く伝えなければならないのだった。

 あかねのほっぺたがぷくう、と膨らむ。それも致し方ないことだった。

「私と佳ノ子ちゃんの仲でしょ? ね、ね?」

「駄目。せめて、人を集めてから来なさい」

「うー……佳ノ子ちゃんなんてきらいーっ!」

 あかねが背中を向けて走り去っていく。佳ノ子の手は一瞬浮いて、だけどそのまま机に下ろされた。

「あ、あの、佳ノ子ちゃん? あかねちゃんも悪気があったんじゃなくて」

「分かっているわ。私を気遣うのなら、早くあの子のところに行って」

「う、うん!」

 小さくお辞儀をし、藍があかねを追いかけていく。二人はいつもこういう風だった。あかねが先を走って、藍が後ろを付いていく。

「はあ……」

 うまく藍がやってくれるといいけれど。佳ノ子はそう思いつつ、手つかずの仕事に取りかかった。


 藍の悪い予感に反して、あかねは生徒会室を出てすぐのところでふるふると震えていた。

「あ、あかねちゃん……よかった。帰っちゃったのかと思ったよ。もしそうだったら、私じゃ追いつけないし……」

 はにかみながら、怒りとも悲しみのちょうど中間あたりにあるあかねの表情を見やる。藍は、あかねの心は顔にあると信じていた。何を思っているのか、何を感じているのか、すべて顔に出てしまう。自分なら耐えられないな、と常々思う。

「えっと……あかねちゃんが、探偵部を作りたいなって思った、ほんとの理由はなあに?」

 たずねてみると、あかねはすぐに笑顔になった。

「もちろん、楽しそうだからっ」

 うん、と藍はうなずいた。

「去年は、しなかったよね? どうして二年生になって、始めようと思ったの?」

「えっとね、あと一年しかないと思ったんだ。遊べる時間って……ほら、佳ノ子ちゃん、三年生になってから忙しそうだし……今のうちに何かしないと、きっと後悔する! って」

 うんうん、と藍はもう一度うなずいた。どうして探偵部なのかは分からないけれど、とにかく笑顔でうなずいた。

「私も、あかねちゃんに賛成!」

「ほんとっ!? あ、でも……佳ノ子ちゃんがダメだって」

 今度はしゅん、としぼむ。あかねちゃんはとっても世話がかかる、私がついていてあげないと、というのは藍の好きな言葉で、今もまた藍の脳内を駆けめぐった。

「あのね。佳ノ子ちゃんは、たぶん、いじわるで言ったんじゃなくて、えっと……ヒントをくれたんだよ」

「ヒント?」

「うん。人を集めてきたら、部を作れるよって。佳ノ子ちゃん生徒会長さんだから、規則は破れないけど、代わりにあかねちゃんにヒントをくれたんだよ」

 藍はにこりと笑った。笑えば、いつでもあかねは分かってくれる、という自信が藍にはあった。あかねはしばらく逡巡したあと、

「部員候補を五人集めれば、探偵部が作れる……作れるっ!」

 と、また大きな花を咲かせた。瞳がきらきら輝いて、とてもきれいだと藍は思った。

「あかねちゃんと私で、二人だよね。えっと、探偵同好会、かな?」

「なんか素人っぽくてやだなー、その呼び方。名前だけは今から探偵部にしようよ」

「うん。それでもいいと思うよ」

 さて、それなら、まずは部員を集めるための活動をする事になるだろう。ついさっきあかねが言いだした探偵部は校内の誰にも知られていないのだし、チラシを作って配ってみたり、ポスターを作ったり。何を提案してみようかな。

「じゃあ、さっそく事件を探しにいこっ!」

「……え?」

 また、思いもよらぬ言葉が聞こえて、藍は思わず訊きかえした。

「え? じゃないよ、藍ちゃん。探偵部は事件を解決してこそでしょ?」

「それはそうだけど、二人しかいないよ? 二人……二人しか」

 ホームズとワトソンみたい、と思ったけれど、藍はそれを言わずに胸に留めておいた。

「うーん、それもそうだね……あ、でも、いいんだよ! 事件を解決して名前が知れわたったら、きっと入部希望者がざっくざく!」

「う、うん、そう……かな? どうかな?」

 あかねが言う「事件」がどんなものなのか分からないので、藍はあいまいにうなずいてみたあと、やっぱり首をかしげた。

「ほらほら、行くよっ」

 藍の手があかねと繋がる。祖の瞬間、いくらかの疑問が、不安や悩みと一緒に消えてしまったのを藍は感じた。

 佐野松高校の校舎は四階建てで、教室があるのは主に二階から四階までのフロアである。あかねは藍の手を引いて、生徒会室からまずは四階の一年生の教室をめぐり、それから三階の二年生の教室をいくつか見てまわったところで、ある事に気が付いた。

「人がぜんぜんいない!?」

「あはは……。もう放課後になってから時間たつから、帰っちゃったんじゃないかな」

 藍は、人差し指を立てて笑った。

「あかねちゃん、明日にしよ? きっと今日は、困ってる人がいないんだよ」

「うー……残念だけど、しかたないよね」

 聞き分けよくあかねがうなずく。

「代わりに部員募集のチラシみたいなの、作るのはどうかな? 掲示板に貼っておいたら、興味がある人は来てくれそうだよ」

「ふっふっふ、実はそれはもう製作中なのっ。もうすぐ完成するから、明日持ってくるね!」

「あはは、準備万端だね。でも貼る前に、ちゃんと生徒会から許可をもらわないとダメだよ」

 う、うん、とあかねの言葉が少しよどむのに、藍は庇護欲にも似た愛おしさを覚えた。

「だいじょうぶ、佳ノ子ちゃんは怒ってないよ。もし怒ってたとしても、謝ったら許してくれるよ、きっと」

「……うん! ありがと、藍ちゃんっ」

 ぎゅう、とハグをされる。春を去ろうとしている季節には少し温かすぎて、藍は息をひとつ吐きだした。




 風が木々の葉を騒がせ、それに合わせて小鳥たちが旋律をつむぐ。空は青く、ところどころにある白い斑点は、形を変えておにぎりになったり、おさかなになったり。藍はそんな空を少しだけ気にしながら、あかねの隣を歩いていた。

「探偵部っ。たんていぶっ」

 あかねは終始ごきげんだ。藍は、どうして探偵なのかをまだ聞かないでおこうと決めた。たぶん、「探偵」を選んだことに大した理由なんてない。だけど駄目な理由もない。あかねは何だって楽しむ事ができる、すごい女の子なんだから。

 あかねのスキップに付きあっているうちに、大きなお屋敷の前に着いた。どちらかと言えば富裕層の多い佐野松町でも、一歩出るほどの豪華な門構えをしている。二人の家はその向かいに並んでいるのだった。どちらも一軒家で、お屋敷ほどではないけれど十分に大きい。

「じゃあ、また明日ねっ」

 あかねが藍に笑いかけ、ばいばい、と手を振る。

「うん。あっ、そうだ。明日はすっごく寒いらしいから、あったかくして寝た方がいいかも」

「そうなんだ。今日はこんなにぽかぽかなのにねー」

「風も強くなるらしいし……ちょっとだけ冬が戻ってくるみたい」

 冬服をしまいかけたところだけど、思いとどまってよかった。藍はあかねの表情に、そんな思いを見つけた。

「探偵部がんばろうね、あかねちゃん。また明日」

「うんっ。また明日ー!」

 あかねがあかねの家へと帰っていく。その姿を扉が閉まるまで追いかけたあと、藍の目は後ろ側の屋敷の方へと向いた。

 藤原家のただ一人の娘は、まだ帰宅していない。彼女は佐野松高校の生徒会長で、放課後もしばらくは仕事をこなさなければならないのだった。

「佳ノ子ちゃんも、体冷やさないといいけど……」

 瓦のしきつめられた大きな屋根を見ながら、藍はもう一人の幼なじみのことを思ってつぶやいた。

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