第8話 焼きそばとホンキ

 いつものお昼、中庭の、お決まりのベンチに私たちは座っていた。さっき買った焼きそばパンのラップを半分まで剥がして口に頬張る。今日、私が焼きそばパンにしたのには1つの理由があった。


「未央?どうかしたの?」


 パンに挟まれたその焼きそばを何度も凝視する私の顔を千草は一瞬不思議そうに見つめたが、何か閃いたらしく、両方の手のひらをパチンと合わせてから『未央のクラス、焼きそばやさんやるんだよね?!』と言った。


 今年、私たちのクラスが引き当てたのは校門前の屋台ブース。

 先月の学級会で実行委員を引き受けたときから、そこが当たればいいなと思っていた。


「右京、焼きそば作るのうまいんだって」


 彼の為に唐揚げバーガーを買ったあの日、私が買った焼きそばパンを見て何気なく彼が言った一言。


『俺、焼きそば作るのうまいんだぞ?』

『焼きそばくらい誰でも作れるでしょー!』

『違うんだって。まじでウマイの!』

『はいはい』

『あー信じてねぇな?』


 そんな風にノリで話したこと、彼は忘れてしまってるだろう。


『いつか食わせてやる!水沼を唸らせてやるから忘れんなよ!』


 そう言いながら満面の笑みを浮かべた彼は男のくせにとても可愛くて、一瞬で胸を鷲掴みにされた。

 そんな些細な約束でも私は絶対忘れない。

 彼と交わした『初めての約束』だから。


 ……だけど理由はそれだけじゃない。得意なものなら自然と彼がクラスの中心になるだろうと思った。

 ここでの初めての学祭を心から楽しんで欲しかった。

 転入してきて良かったと思って欲しかった。


 学祭まであと10日。私は俄然やる気だ。

 私だって……美味しく、そして手際よく作れなきゃダメだ。私だって彼を唸らせたい。

 そして、褒めてもらいたい。


「千草、私、右京に告白しようと思う」


 心の中で膨らんだ決心を言葉に変えると千草は驚いて口を大きく開けたが、すぐににっこり笑って、頑張って!と興奮気味に私の両手を握る。

 あまりに盛り上がるから、膝の上に乗せてあるお弁当をひっくり返してしまうほどだった。普段、落ち着いている千草の特別な行動に、私の胸はじんわり熱くなった。


「絶対大丈夫だよ!」


 落としたウインナーを拾いながら千草はまだ興奮している。


「絶対なんてないよ」


 つとめて冷静にそう言ったけれど、生物のプリントを運ぶ私を助けてくれた右京をふと思い出す。田代にさえ、そう思われていない私を『女の子』として扱ってくれた。


 右京ももしかしたら私のこと……。


 まだ出会って一ヶ月半しかたってないけれど、もしかすると私は特別かもしれないと期待してしまう。

 隣に並んで当たり前に話せるのも、女子じゃ私くらいしかいない。


 さっきだって!

 家庭科で作ったカップケーキ。

 右京に渡そうと待っていた子は何人もいたのに……。


『水沼くれっ!』


 そう言って、私のだけ食べた。


 それに、それに!!

 ……やたら目が合う気がする。

 視線を感じてパッと振り向くと、ニコニコして手を振る右京がそこにいる。

 そういうことが何度もあった。


 きっと大丈夫。

 きっと大丈夫。

 神様、期待してもいいですか?

 これからも、毎日を頑張って過ごすから……


 そう、願掛けしたその時だった。

 また視線を感じて、後ろを振り向く。


「みっずぬまー!!」


 右手をブンブン振りながら駆け寄ってくる右京。『やばい!以心伝心した!!』そう思った私は慌てて頭の中の彼を隠し、彼が知っているいつもの私を奥から引き出して、あくまでも冷静に 、右手を振り返した。


 その直後だった。


「いってぇー!」


 大きく振っていたせいで桜の枝にぶつかり、手の甲を擦ってしまった彼。


『だ、大丈夫!?』


 そう言おうとした私の後ろから……

「血が出てる!」

 千草がそう言ってハンカチを出した。


 ――私の目の前に立った右京と、千草。


 彼は少し照れくさそうにハンカチを受け取ると、それで申し訳なさそうに止血する。

 水で流したら貼ったほうがいいよ。と千草が出したのはピンクの絆創膏。

 一瞬、ほんの一瞬だが右京は固まり、その絆創膏を見て、すごく嬉しそうに微笑んだ。


 前にも見たことがある。

 ピンクの絆創膏に贈られる優しい眼差しは、あの試合の日に見たものと全く同じだった。


 チャイムが聞こえて千草が教室に戻る。

 楽しそうな声でなにか耳打ちされたけれど、何ひとつ聞き取れなかった。

 私はただただ、その場に生えた木みたいに、茫然と立つことしか出来なかった。


「絆創膏……」


 かすれた声でも右京は気がついたようだ。

 頭の後ろを掻きながら、千草の背中を目で追う嬉しそうな横顔がそこにあった。


「前にも貰ったことあんだ。高木さんは覚えてないけど」


 彼は照れながら話し出す。あの、試合の日のことを……本当に照れくさそうに。


 あぁ、そうなんだ。

 今、一気に知ってしまった。

 そして、わかってしまった。

 私と仲良くしてくれたのは、私が千草の友達だったからで……よく目が合う気がしてたのも違ったんだ。


 右京が見ていたのは、千草だった。


 今まで私が見てきた右京の姿が頭を駆け巡る。わかってしまえばすごく簡単なこと。

 私と仲良くなったのは千草と繋がりたかったからで、告白終わりに真っ先に私に話しかけてきたのは、千草に誤解されたくなかったから。


 指先がどんどん冷たくなっていく。

 そんな私の変化に彼は気付かない。

 まだまだ照れくさそうな彼は「まだ言うなよ?」と私の腕を小突きながら念を押した。


「……ばかみたい」

「ん?」


 私の言葉は彼に届かない。


 彼は私の顔を覗きこむと、戻るぞ!と左腕を掴んだ。


 掴まれた部分だけ体温が戻っていくような感覚。彼の手の温かさは私の奥底から涙を引っ張ってきてしまいそうで我慢できなくなった。


「やだ!!!」


 振り払った彼の手。

 自分から彼を拒絶することがあるなんて今まで想像すらしなかった。

 少し離れた二人の間を冷たい風が通り抜ける。


「……水沼?」


 名前を呼ばれると、こんな時でも嬉しくて仕方ない。嬉しくて、嬉しくて仕方ないのに。


「……水沼?」


 彼はもう一度私の腕に手を伸ばす。


「……ごめん」


 私はもう一度、彼の手から距離をとり、そして――そのまま逃げ出した。

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