第10話 アルファルスの忠告

 午前中ライカが治療所に手伝いに行っている頃、サッズは珍しく街中をぶらついていた。

 サッズは、かつては苦手だった、使用者の存在を他人が意識しなくなるまじないの術を最近やっと習得して、意識と視線の集中を受けなくなったおかげで、人混みも以前程苦手ではなくなっている。

 小器用なライカが、セルヌイ開発のまじないを楽々と使いこなすのを見る内にムラムラと負けず嫌いな気持ちに至って、サッズには珍しく練習をしたのだ。

 使ってみると、姿を完全に消してしまう竜ならではの力技より、こちらのほうが人間に話しかけたりも出来るので便利だとうっかり思ってしまい、そのことに我ながら苛立ちを感じてもいて、色々と複雑な心持ちのサッズではあった。

 どうやら、セルヌイに反発している身としては、セルヌイを認めていると感じてしまうのは、なんとなく屈辱であるらしい。


「しかし、人間達はいつでも細々と何やら意味のわからないことをやっているよな。狩りをして食って戦って遊んで休む。やるべきことと言えばそれだけなはずだろ?なんでわざわざ物事を複雑にするんだろうな、人間ってやつは。不思議だ」


 とはいえ、収穫の時期であるこの頃はそれでも人々は街中から減ってはいるのだ。

 山に分け入って狩りや山の恵みを得るために多くの者が活動している。

 それは守備隊や警備隊も同じで、主要の部隊を残して、多くは狩りのために森の奥へと分け入っていた。


『兄君、少しよろしいでしょうか?』


 座り込んでにこやかに互いに茶を飲みながら、丁々発止の交渉をやっている客と店主の様子を眺めるとはなしに眺めていたサッズを、知った『声』が呼ぶ。


『アルファルスか、前から思っていたが、俺はお前に兄君とか呼ばれるようないわれはないぞ』


 声は領主の半身である、翼竜のアルファルスだった。

 アルファルスがサッズを兄君と呼ぶのは、先に知り合ったライカの兄であることと、古代種である天上種族の竜が家族以外に名を呼ばれるのを嫌うことを知っているからだ。

 竜の考え方からすれば、この街を中心とする一帯は、アルファルスの治める地ということになる。

 縄張り意識の強い天上種族の竜族は、本来なら共存という考え方が無いため、家族でもない竜と同じ地で共に暮らすことは有り得ないのだが、互いに人間の身内を持った竜同士として、サッズはこの地では人間の掟に従うことにして争いを起こす気はなかった。

 そのせいでこんな前例の無い状況が発生し、彼らは互いの距離の取り方に迷っている部分がある。

 だが、そもそもサッズはまだ自分の場所を持つ気もない幼体なので、縄張り意識もそれ程大きくはない。


『それは困りましたな、どうお呼びすればよろしいでしょうか?』

『名を呼んでもいい。なにせライカはこの後も長くこの地にいるのだろうし、俺も段々人間というものがわかってきた。人間は家族と同等の絆を他人と結ぶことが出来る種だ。ならばライカが絆を結んでいる親しい者であるあのお前の半身の人間も家族同然と思っていいだろう。ということはひいてはお前と俺も家族同然の付き合いをしてもおかしくはあるまい。それに俺は礼儀とかちまちま考えるのが苦手だ。怒りはしないから好きに呼べばいい、兄君とか呼ばれるよりは名前のほうがマシだしな』


 サッズは、囲みを作っただけの骨組みだけのような家の中に石組みの竈を置いて、そこで食べ物を作って売っている物売りに目を向けた。

 サッズの小遣いは小ぶりの細工物を換金した分と、森で狩った鳥獣をミリアムの店で買い取ってもらった分があるのだが、潰した芋を鳥の卵と混ぜて花油で焼いた物が、香ばしい匂いでその金を使えと誘っていたのである。

 もちろん本当にそれらが誘っているはずもなく、単にサッズの自分への言い訳じみた感覚の話であった。


『それはまた思いも掛けぬ思し召し、それではお言葉に従いまして、呼ばせていただきますが、サッズ殿、近頃怪しげな気配を感じませんか?』


「お、綺麗な兄ちゃん、行ってみるかい?こいつは焼きたてが美味いんだ、それでこっちの蜂蜜をちょいと塗って、こっちの特性の茶を飲むと最高なんだぜ?蜂蜜と茶を付けると追加で三銅貨カラン、合わせて五銅貨カランになるけどさ、十分これだけで夜までしのげるだろ?」


 ここいらの人間は朝と夜に主食を食べ、その間に細かく間食を挟むのが一般的だ。

 間食にはあまり豊かではない者は甘草と呼ばれるほんのり甘い草の外皮を剥いでその芯を齧ったり、芋ガラと呼ばれる芋の茎部分を干した物を懐に入れて時々齧ったりすることが多い。

 ある程度懐に余裕があれば、市場通りでこうやって作り売りをしている店で買って食べたりもした。

 今もこの店では、数人の身なりはそこそこの子供や、仕事の途中の一服といった商人のような者達が手軽に買ってその場で食べている。


「五カランはちょっと高いんじゃないか?その焼いたのを二枚にしてくれればその蜂蜜と茶も買ってやっていいぞ」

「全く、兄さんは敵わないな」


 店の造りが造りなので、外から中の様子は丸見えだ。

 店主としてはサッズの容姿で女性客を寄せるつもりもあったのだろう。

 サッズの値切りはあっさりと通った。


『この所ずっと怪しい気配は漂っているな。だからといってはっきりと正体が掴めない。酷く薄いが嫌な気配ではある』


 サッズは、そうやってアルファルスとのやりとりと、このような店主とのやり取りを同時に行うが、それで人間のように混乱をしたりはしない。

 竜の意識は何階層も存在し、同時にいくつかのことを処理することが可能なのだ。


『やはりお気づきになっていましたか。どうも人間達が噂していたのですが、最近おかしな死に方をした者がいるらしいので、出来ればサッズ殿にも用心をしておいて貰いたいと思いまして』

『用心だと?』


 僅かな怪しい気配になど、足元の砂粒程の脅威も感じないサッズは不思議そうに尋ね返す。


『お互いに儚き身の人の子を身内に持つゆえに、考えねばならぬこともあるでしょう』

『そうか!そうだな』


 サッズはその慣れない考え方を理解した。

 もちろん直接的な危険に対して弟の安全を気に掛けないことなどないサッズではあったが、危険を予期して用心をするという、実に人間らしい考え方の利点に納得したのである。

 事前に当たりを付けておけば、その方向から危険があっても、素早く対処出来る。

 備えるという意識は、竜であるサッズには飲み込みにくい感覚ではあったが、理屈では利点はわかるのだ。

 ただし、そのために具体的にどう行動すればいいか?までは、さすがに難易度が高い。


『お前の示唆は助かった。そっちもせいぜい大事な半身を注意しておくのだな』

『もちろん。なにしろ我が半身は危険の中心を見分けて、何を思ってかわざわざその中心に踏み入るような奴ですからな。注意してし足りないということなどありません』


 心声こえは想いを映す。

 アルファルスのしみじみと吐き出された想いは、これまでの彼の苦労を物語るようであった。


「うん、なかなか美味いな。今度ライカを連れて来るか」


 アルファルスから忠告を貰ったとはいえ、サッズは今すぐどうこうすることもない。

 竜には、先のことを考えるのは苦手というよりほぼ無理な話なのだから仕方の無い話ではあった。

 それでも、サッズは、そういった人間のような考え方に馴染んで取り込み始めてはいる。

 だが、今はとりあえず目前の食べ物が大事なのだ。

 その食べ物は少ししっとりとした生地に僅かに掛った蜂蜜が、贅沢な程の甘みを加え、体にその甘味が深く染み入る。

 それも当然で、他所の地方でこんな蜂蜜の使い方をしたら下手をすれば銀貨を支払う羽目になるような贅沢な食べ方なのだ。

 五カランというのはがっつりとした食事程の値段だが、逆にその程度で食べられる彼らは幸せと言うべきだろう。


「あの、相席よろしいでしょうか?」


 そんな軽い満足を味わっていたサッズに、仕事持ちらしい数人の連れ立った女性達が話し掛けた。

 食べるのと会話に夢中になっていたサッズは、まじないの効果が消えたことに気づいていなかったのである。


(まあいいか女の子だし)


「どうぞ」


 サッズが快く了承したので、女性たちは盛り上がると、手に手に焼き菓子を持ってサッズの傍に陣取った。

 サッズとしてはいくら女の子でも、群れで来られると正直鬱陶しかったが、美味しい物を発見出来たので機嫌はよく、この女性達も他の若い女性のように必要以上に馴れ馴れしくしたりといった態度にはならず、十分に節度を持ってサッズを会話に誘った。

 おかげで、サッズは彼女達のおしゃべりにまで付き合ってやる程の余裕を見せることとなる。

 そして、サッズとしては積極的に作った場ではなかったそれが、結果として収穫をもたらした。

 彼女等は城の下働きの女性達で、そして下働きの者達程、城周辺で起こった出来事に精通している立場の者はいないのだ。


 サッズはこの日、偶然にも、人間達に迫りつつある危険についての情報を誰よりも多く、いち早く掴むことになったのだった。

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