第9話 夜に浮かぶ影

 男は眠れないでいた。

 足の切断と腕の骨折、本来なら死んでいてもおかしくない重症だが、それぞれの患部には清潔な布を使った止血が成されており、麻痺を起こす植物毒を使った痛み止めも施されいてる。

 本来、罪人に対する治療には過ぎた物ではあるが、それは彼にとっては幸いであるはずだった。


 しかし、痛みはやはりある。

 ジクジクと傷口から全身を蝕む痛みが男をさいなみ眠らせないのだ。

 だが、それだけでは無かった。


「はっ、はっ、はぁっ」


 男の心臓が早鐘を打つ。

 長年生死の境で違法な商売を続けた男は、それなりに危険に対して鼻が利いた。

 その本能のような何かが、男に逃走を迫っている。

 しかし、痛み止めとして塗布されたしびれ薬のせいで意思があろうと体は思うように動かないのだ。


「あ、ああっ!」


 石造りの床を、引き摺るような足音が聞こえて来る。

 ズルリズルリと、それはまるで疲れた老人のような足取りだ。

 月明かりもほとんど入らない男のいる仮牢は真の暗闇で、影一つとして識別は出来ない。

 しかし、ソレは、闇より尚昏く、男の上に被さった。

 払いのけるように動かされた男の腕は虚しく宙を切り、まだ暑い季節だというのにひやりとした冷気が男を包む。


「う、うああああああ!!」


 夜の静けさが男の悲鳴を吸い、すぐにまた、微かな虫の声だけが響くいつもの夜が訪れた。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


「おはよう、今日はもう子供たち来てる?」


 セヌの家に顔を出したライカは、軽く家の中を見回してセヌに尋ねた。

 最近はレンガ地区の住人もライカに慣れたのか、以前のように歩いていても誰にも出くわさないということがなくなり、老人や女性達には軽く挨拶されるようになって来ていた。

 つまり以前は彼らはあえて姿を隠していたのである。

 しかし、サッズにはまだ慣れていないのだろう。

 サッズを伴っているとまた、無人の廃墟のような静まり返った道を歩くことになるのだった。


「ん、またそいつ連れて来たの?まぁライカの兄ちゃんじゃしょうがないけど」

「ふん、本当は嬉しいくせに。よくぞ来てくださいました、と大歓迎してみたらどうだ?」


 サッズの軽口に、セヌはニヤニヤと笑ってみせると、ライカに顔を向けた。


「ねえ、こいつちょっと顔がいいからって調子に乗ってるよね、ちょいと現実を思い知らせてやったほうがいいんじゃない?」

「う~ん、お手柔らかに、ね?」


 ライカはクスクス笑いながら手にした籠を見せる。

 中にはベリーがいっぱい入っていた。


「うわ、大収穫だね!凄いや」

「俺の手柄だ、褒めろ!」


 ニヤリと勝ち誇ったように笑ったサッズがふんぞり返って要求する。

 セヌはやれやれというように肩をすくめると、サッズに屈むように促し、少し背伸びをして、小さい子にするように頭を撫でた。


「よしよし、偉い偉い」

「くっ、なぜか腹が立つんだが。このチビを空高く放り上げてやってもいいかな?」

「まあまあ、いつまでもじゃれてないでお茶の準備をしようよ。今日は甘草の葉を摘んで来たからお茶に少しいれてみようと思うんだ。甘い香りがするからね」


 裏庭に出ると、いつも通り、働いている親が預けて行った子供たちが思い思いに遊んでいる。


「お!ライカ兄だ!顔だけのバカもいるぞ!」

「きゃあ、サックさまいらっしゃい」

「あ!」


 一声上げて女の子達がサッズに駆け寄った。

 セヌ以外の少女にはモテモテのサッズである。

 その一方で男の子には目の敵にされているのだが。


 サッズが女の子まみれになっている傍らで、ライカは竈の火を起こしながら茶の用意をする。


「それにしても子供の成長って早いよな、セヌなんかちょっと見ない内にすっかり女の子らしくなっちゃってて驚いたよ」

「え?そうかな?そうだと嬉しいんだけどね。あたい母さんみたいになりたいんだ!」


 セヌの言葉にライカはセヌの母を思い浮かべる。

 朱金の髪を背に流し、スミレ色の瞳の彼女は、未だ母親というよりは少女めいた可憐さを持つ女性だった。

 一方のセヌは、短く揃えた淡い金の髪に空のような青い瞳、闊達さがそのまま顔に現れた、少女というよりは少年じみた顔立ちで、その顔もあちこちをススや泥や草の汁で汚している。


「そう望んでいるんならきっとなれるよ」


 それでもライカはそう答えた。

 何かを望まなければそもそもそこへと辿り着かない。

 自らが強く望むのなら、それはきっと遠い望みではないのだ。

 ライカは今までの経験からそう思っている。


「うん、あたいもそう思うんだ!」


 真っ直ぐで曇りのない瞳。

 セヌの強さに逆に教わることが多いと、ライカは密かにいつもそう思うのだった。


「今日はちょっと変わったやり方で本を読んでみようと思います」


 お~とかへーとか思い思いに子供達が声を上げて続きを待つ。

 ライカはゴホンと咳払いをした。

 別に偉ぶったのではなく喉の調子を整えようと緊張した途端に咳が出たのだ。


「その日、神は世界に火を放った。

    神は人々の堕落に耐えられなかったのだ。

        だが、人々はそれに抗する。

                 大地を掘ってそこへ身を隠す者。

                 海に潜って深く身を沈めた者。

                 雪に願って火を遮ろうとした者。

    人の抗いに神は苛立つ。

          『彼らはなぜ我が身の悪しきを顧みて滅びを受け入れないのだ!』

    精霊は答えた。

          『彼らは生きているのです。生きることは即ち抗うことなのです』

  精霊の言葉に神は驚き、そこで神は初めて 人が既に我が手を離れて生きていることを知ったのだ。

          『ならば抗い続けるがよい。死は常にお前たちの傍らにあり、穢れもまたそこにある』


      神は去り、残った精霊は、自らの力で生き延びた人々と、己が守りし赤子をそっと大地に戻した。

          『それでも、生きることは祝福なのです』

               人は未だ大地に有り、生に喜び死に怯える」


 ライカは神話の一節を、以前聞いた旅芸人のハトリの歌を真似て歌うように語ってみたのだ。

 語り終えて子供たちの反応を待つ間、ライカは自分が酷くドキドキしていて、あまつさえ自らの頬が紅潮しているのを感じていた。


「お~面白かった!へんな歌みたいだ!」

「調子が外れてたけどいつものお話より面白かったよ」


 評価はどうやら微妙なようだ。

 ライカはがくりと肩を落とす。


「あ~、ハトリが来てくれたらな」

「いいじゃないか、面白いってのは」


 サッズはそう言うが、セヌは耐え切れなかったように終わった途端にゲラゲラ笑い出していた。


「セヌ、そんなに可笑しかった?」


 ライカはげっそりとして尋ねる。


「だ、だって、しかめっつらして、『ならばあらがいつづけるがいい』って!ライカが言うと酷い神様もかわいいもんだね」

「はいはいどうせね。でもかなり覚えてくれたみたいだから効果はあったみたいだね」

「いつもみたいに居眠りするやつもいなかったしな。こういう語り方はやっぱり面白いよな。本職の連中には到底かなわないのは仕方ないだろ」


 サッズにまで慰められてライカは膨れた。

 そのままお茶の時間になるので、既にベリーまみれになっている子供たちの手や顔をライカが拭い、セヌはライカが沸かして用意していたお茶を出していく。


「面白かった!またやってね!」


 とりあえず評判は悪くは無いようであった。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


「死因は、やっぱり壊疽ですか?」


 警備隊の仮牢の中で朝に冷たくなって発見された男を見ても、隊の兵達は誰も意外にも思わなかった。

 切断の傷という物は多くの場合人を死に至らせる。

 骨折ですら悪くすると人は死ぬのだ。

 しかし、形としては領主からの預かりとなっていたため、報告は領主へと上がり、領主は治療所へ検分を依頼した。


 だが、その死体を見た療法師のユーゼイックは難しい顔をしてみせる。


「いえ、傷口に独特の腐敗臭はありません。それにこの男の顔を見てください」


 示された男の顔は酷い恐怖に歪んでいた。

 見ていた者はその死よりもその表情に恐れを感じて目を逸らす。


「恐怖に殺されたと?」

「いえ、結論はまだ。ですが、どうもおかしな感じです。私はあの戦いの中戦場を歩いたことがありますが、ときたまこういった死体を見ることがありました」

「ええ、わかります。俺もあります」


 領主と療法師、二人はそれぞれに何事かを思い描き、難しい顔を互いに見交わしたのだった。

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