第182話 帰郷

 切り立った山の峰が連続で姿を現す。

 複雑で剣呑な気流が渦を巻く中を突き抜けるように飛び抜けた。

 ダイダボ一家から別れて二日、ライカとサッズはようやっと大陸のやや南寄りの中部の国家エルデの最西端の街、ニデシスに近づいていた。

 このままのスピードで進めばおそらく陽のある内に辿り着くだろう。

 だが、


「この山脈を抜けたら森に降りよう。いくらなんでもその姿のまま帰る訳にはいかないし」

「わかった。それにしても、思い出すな」


 ライカの指示にサッズは了承を返す。

 そしてどこか含み笑うような気配を纏って付け足した。


「何?」

「お前を最初にこの世界へ連れてきた時のことだよ」


 サッズの言葉にライカも笑みを浮かべた。


「そういえば、ほとんど同じ風景だね」

「巡り合わせってのは面白いもんだな」


 森の、少し開けた辺りに舞い降りる。

 そこは剥き出しの岩盤が金属光を露出していて植物の繁殖を拒んでいる場所だった。

 姿を整えたサッズは、適当に括り付けていた荷物を放り出すと、人間の姿でごろりと転がる。


「サッズ、ここで休むと今日の内に街に入るのが難しくなるよ」

「ん~、なんかじれったいような、むず痒いような変な気分だ」


 サッズから流れ込む意識をライカは笑うことなく、その代わりに溜め息を零した。


「そうだね、旅は色々大変だったけど、終わってしまうと思うと寂しいよね」

「寂しいとかねえよ」

「うんうん、わかった、サッズは違うよね」

「お前最近俺の扱いがおざなりじゃね?」

「意地っぱりに正面から応じたって無駄に疲れるだけだからね」

「なんだそりゃ」


 言葉はいかにもいつもの雑言の応酬だが、二人の言葉には力が込められていない。

 それらが山々を吹き降ろす風に吹き散らかされるに任せて、ライカは自分達の旅路を振り返った。

 商組合の商隊に加えてもらい、王都に行き、海岸部を巡って遠回りをして帰って来た。

 言葉で語ればそれだけの道程だ。


「よし!到着もしてないのに終わった気になってる訳にはいかないや、帰ろう、サッズ」

「んだな、よし、走るか!」


 サッズは荷物を手際良く集めると、ライカの物はライカに手渡し、自分の分の背負袋を担ぐ。


「ちょ、サッズ」


 ライカの静止の言葉が紡がれる前にサッズはスタートを切っていた。


 ゴウと唸る風を感じながら走るサッズは、もはやすっかり自分の姿の一つとして馴染んだ人としての体を巧みに操り、木々の間を下り、登る。

 崖と崖の間を飛び越し、立ち尽くす鹿の家族をちらりと視界に入れて更に走った。

 その内、疾走するサッズの鋭い感覚に、パシッと木々が弾かれる音が聞こえ出す。

 サッズは思わずニヤリと笑った。


「負けず嫌いなんだから」


 追う自分の気配を感じたらしいサッズが更にスピードを上げたのを見て、ライカは呆れた。

 しかし、それは仕方の無い話だ。

 負けず嫌いではない竜のほうが珍しいのだから。

 ライカは木々を足場にいつものように飛び渡っていた。

 自らの重さの切り替えは、幼い頃からの日常の中で考えるまでもなく出来るようになっている。

 反動さえあればかなりの速さで飛び渡って進めるのだ。

 竜などという桁外れの機動能力を持つ生物の中で共に暮らすにはありがたい能力だったが、それが人離れした物であることを知っているライカは、人目がある場所ではその能力を晒したりはしない。

 ある意味、本来竜であるサッズより、人であるライカの異能のほうが他者に晒すのは危険なものであることを、白竜王のセルヌイから強く言われていたのだ。

 ライカはあの地を発つ前日にセルヌイから聞いた話を思い出していた。


『私が人の言葉に応えたことは二度あります。どちらも命を懸けた真実の叫びで、どうしても無視することが叶わなかった。一度目は一族を率いて安住の地を探し求める部族の長、そして二度目はあなたの母上です』


 ライカの髪に力を漉き込みながら、更にそれを器用に編み上げて、セルヌイは更に語った。


『人は個の力の弱い生き物だと皆が思っています。ですが、私はそうは思いません。人が本当に弱い生き物だったなら、彼らはこれほど世界に広がらなかったでしょうから』


 自ら意識しなくても、セルヌイはその身に銀白の光を纏う。

 その光を目で追いながら、ライカは語られるその言葉の全てを覚えておこうと思ったのだった。


 セルヌイは何を言いたかったのだろう?とライカは考える。

 だからライカに強くなれと言いたかったのか、それとも人を見くびって危険を招くなと言いたかったのか?


「おい、着いたぞ!」


 先行していたサッズが森の出口で枝に腰掛けてライカを待っていた。

 その余裕しゃくしゃくぶりが小憎らしいが、ライカはすぐにそのむっとした気持ちを忘れた。

 森の出口は崖になっていて、その下にまだ浅い雑木林が続いている。

 その先には緑の一切無い防火地帯があり、丸太で築かれた街壁がぐるりと囲んだごく小さな街と、街を山々の威容から守るように聳えるくすんだ白に緑が纏わる美しい尖塔を持つ城があった。


「ただいま」


 まだわずかな時しか過ごしていないのに、何故かとても懐かしい街。

 祖父が、ミリアムが、セヌが、ユーゼイック師が、そして竜のアルファルスとその半身であるラケルド領主が居る街がそこにあった。


 崖を滑り降りて表門に回り込む。

 ここからだと横手の秘密の抜け道が近いのだが、さすがに長旅から戻ってこっそり忍び込む訳にはいかないだろう。

 見覚えのある開かれた街門に懐かしい警備隊の少々派手な隊服があった。

 同僚と何やら話していて、時折笑い声が漏れている。

 ライカはその人達に、どこか見覚えがあるような気がした。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


「んでよ、班長がまた消えたんだよ」

「まあ、あの人のいどころが定まらないのはいつものことだからな。そのくせ大事な時には必ずいるんだから全く神出鬼没ってのはあの人のためにあるような言葉だな」

「あの人が本物のまものでも俺は何も不思議に思わないけどな」

「あんまり悪い噂をしてるといつの間にか背後にいたりするよ、気をつけないと」

「やめろ!こええだろ!俺はこないだ、彼女がいるからっていう謂れのない理由でさんざんしごかれたんだぞ!」

「いやいや、それは正統な理由だよね」

「お前もか!てか彼女ぐらい作れ!」


 話し込んでいた二人は、しかしふっと二人同時に鋭く視線を一方に向けた。

 通常の街道ではない方向から人の気配が向かって来たのだ。


「あの、こんにち、は?」


 にこやかに笑顔を向けてくる少年の顔に二人共に見覚えがあった。

 身に着けている服装は、この辺ではあまり見ない薄手の目の詰まった織物を要所でいくつか重ねて頑丈にしたシャツに、物入れを兼ねたベスト、全面に布を厚張りしたズボンの上からポーチを重ねたベルトをしている。

 最近人気の蜂蜜飴と同じ色の目と髪の色は鮮やかで、なんとなく優しげな印象を見る者に与える少年だ。

 その横にはその少年の何倍も印象的な少年が、そっけなく、しかし挨拶代わりとでも言うように片手を上げている。

 青銀の髪が陽の光を弾いて、磨かれた剣のような色合いを帯び、その目はあまりにも深い濃紺で、覗き込むという行為に畏れを感じさせた。


「お?お前ライカ坊か!王都に行ってたんだっけ?ちょっと会わない間に大人びたんじゃないか?」

「お帰り、帰ったのなら早くお爺さんの所へ行ったほうがいいぞ、狩猟明けの頃はそりゃあ大変だったんだからな」

「あ、ただいまです。はい。王都に行ってました。ええっと、じっちゃんが何かしたんですか?」


 不安そうに聞き返すライカに、警備隊の二人は思い出し笑いをした。

 実際は笑い事では無かったのだが。


「粉物屋に怒鳴りこんでだな、それを止めた警備隊と揉めて、最後には領主様にまで噛み付いてた」

「うわあ」


 ライカは顔を引き攣らせた。


「のんびりし過ぎたな」


 銀青の少年が他人事のようにぽつりと言う。


「ところで、商隊はどうした?後から来るのか?」


 門衛をしていた二人は、少年二人の背後を訝しむように見て聞いた。


「あ、いえ、商隊と帰ってきた訳じゃないんです。実は途中まで旅芸人の人達と一緒で、彼らはこっちに来ないというので途中で別れて俺達だけで帰って来ました」

「おいおい、無茶しすぎだろ、爺さん聞いたら倒れるぞ」

「若いっていいな」


 警備隊の二人が口々に言うのへ笑顔を向けて、ライカは改めて尋ねた。


「あはは、あの、通っていいですか?」

「おお、早く帰ってやれ」

「ありがとうございます!それじゃあ!」

「おつかれ」


 元気良く門を潜るライカの後に連れの少年が続き、一言だけ彼らに言葉を掛けた。


 遠ざかっていく少年たちを微笑ましく見送って、警備隊、風の班の二人は、どちらともなく嬉しげに顔を見合わせた。


「良かったな、あの子のことは班長も気に入ってたみたいだし、どっかでまた人狩りにでも掴まってないかと心配だったぜ」

「若い子が沢山いるほうが街に活気があっていいしな。木板どこだっけ?」

「いくら暇でも置いた所忘れるなよ、ほらそこ」

「お、あったあった」


 手にした出入り記帳の木板に、加工した炭で記録が書き入れられる。


―…大工、ロウス老の庇護下の少年二人、八刻半頃帰街。

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