第183話 家族の情景

 油の多い薪がくすぶって薄い煙を上げ、パチパチという独特の音を響かせる。

 小さく保っている炉の火の上にはお湯の入った大鍋が掛けられていて、暖められた僅かな湯気をゆっくりと立ち昇らせていた。

 もはや初夏、節時的には花の季も終わろうとしている時期には、それらは少し鬱陶しい物とも言えるが、火種と煮沸した水を得るためには便利なので、よほど暑くならない限りはここの火は絶やされないのだ。

 その炉の前、アガリと呼ばれる板間に座ってライカとサッズはロウスの前でおとなしくかしこまっていた。


「ええか、二人共。若い身だ、好奇心も冒険心もあろう。むしろ無くてはつまらん。しかしだな、だからといって家族や待っている者の心情を推し量れないというのは情けないと思わないんか?」

「はい、ごめんなさい」

「あ?ああ、悪かった」


 ライカの祖父ロウスの低い声が延々と流れる中、ライカはタイミング良く謝罪の言葉を挟み、ほぼ上の空でその隣にいるサッズを小突いて同じように謝らせる。

 ほぼ作業化したこの流れが、既に一刻近く続いていた。

 もはやそれはお説教を聞いているというより一連の儀式のような物と成り果てていたが、無事に家に帰り着き、噂を聞きつけて家に急いで帰宅したロウスと再会した時には、それらはもっと情熱と大音量と、僅かな肉体的指導を伴って行われたものだ。

 今続いているそれは、お互いが離れていた時間を取り戻すための挨拶のような物だろうとライカは感じていたし、怒られている事実はしょんぼりするような事柄だが、こうやって真正面から怒ってもらえるのは少し嬉しくもあるという、複雑な自分の気持ちの収まりどころを探してもいた。

 一緒に怒られているサッズには、また別の言い分がありそうだが。

 やがて、ロウスはふうと溜め息を吐いた。


「全く、叱り甲斐がなくなりおって、なんで段々嬉しそうになっておるんじゃ?ライカよ」

「あ、あは、じっちゃん変わってないね」

「ジィジィ、じゃろうが!」

「あ、ごめんなさいジィジィ」

「いいか、孫にジィジィ、ジィジィと呼ばれながらじじい生活を満喫するのがワシの夢なんじゃから、そこの所、決して忘れるでないぞ」

「うん、やっぱりジィジィの声を聞いていると落ち着くよ。色々な人と会ったけど、やっぱりジィジィみたいな人は他にいなかったし」

「わしのような身も心も格好いい男が二人とおってたまるか、当然じゃ」

「血の繋がりって怖いもんだよな」


 なんだかそれぞれに変な方向に含みがありそうな会話を繰り広げる二人を見ながら、サッズは一人ポツリとぼやいてみせたのだった。


 その日の食卓には、お隣からもお祝いだと料理のおすそわけをいただき、同じくお祝いだからと奮発したロウスが買い込んできた腸詰めと根野菜、それと肉桂に似ているが、あれよりも辛味の強い樹皮を中心にハーヴをブレンドした調味料で、ぶつ切り野菜と腸詰めの煮込み料理を珍しくロウス自身が作ってくれて、どっさりと量も質もある食事が並ぶこととなった。

 お茶も、子供達が山から摘んできて庭で干して作る、壺にぎゅうぎゅう詰めにされた香りの薄い野良茶ではなく、計り買いの上質なお茶で、疲れを取るような柔らかな香りを漂わせている。


「王都は表に見える場所はどこもかしこも立派じゃが、裏に回れば危険な場所も多い。ましてや余所者には尚更じゃ。滞在するのに粉屋にツテを頼んでちゃんとした宿屋を紹介して貰ったのか?」

「ううん、紹介はしてもらわなかったけど、親切な人がいて……」

「親切な人というのは最も危険な連中であることが多いんじゃぞ、そういうのは一番危ないんじゃ」


 ライカの祖父は流石に鋭かった。


「そうだね、うん、でも本当に優しい人もいたよ。凄く綺麗な人だった」


 とは言え、本当のことを話す訳にはいかず、ライカはその辺りはとぼけて流す。


「ほう、お前もそういう年頃になったか、わしも年を取るはずじゃ」

「最初から年取ってたけどな」


 横からサッズが憎まれ口を挟んだ。


「お前の悪ガキ度も磨きが掛かって帰ってきたのう」

「ガキじゃねぇし」

「サッズは確かに口が悪くなったよね。びっくりするような言葉とか覚えてたりするし」

「見た目との差が酷いからのう、じゃが、そういう差があるのがイイというにょしょうも多いんじゃぞ?」

「そこを詳しく」


 女性という所にサッズが食い付いた。


「ジィジィ、お酒呑んでるよね、いつの間にか。って、サッズもそれお茶じゃないだろ!」


 説教が続く間にいつの間にかロウスは酒を口にしていたらしい。

 おまけにどうやってかサッズがそれを自分の椀に注いで呑んでいた。


「お前、旅をしてきた癖に固いのう」

「育ての親が堅くてキラキラした奴だったのが悪いんだと思うぞ。もろに影響受けてるっぽい」


 サッズが酔った勢いか普段の通りか判断が付かない口調でさりげなくセルヌイの悪口を口にする。


「おお、そうか、いつかは礼をしに伺わなければならんの」


 それがライカの育ての親のことだと理解して、ロウスはどこか感慨深そうにそう言った。


「年寄りが無理をするな。どうしてもというならあっちから来させる」

「育ての親はサッズも俺と一緒だろ!俺に影響あるならサッズにも影響あるよね?てかこっちに呼ぶの?アルファルスが可哀想だから止めようよ」


 ライカが色々な意味でサッズに抗議をした。


「アルファとはどなたかの?」

「そいつの許可なくして詳しくは語れないが領主の身近に在る者だ」

「ねえ?サッズさ、酔っ払ってるほうがちゃんとしゃべってない?」


 賑やかな食事と会話が旅の疲れを芯から癒す一番の薬だったのだろう。

 二人が屋根裏の自分たちの部屋に久々に転がり込む頃には、どこか心地良いゆったりとした気分になっていた。


「サッズ、お酒なんか呑むし」

「お前、毛嫌いしてないでちょっとぐらい呑まないと大人の男として認めてもらえないぞ」


 ライカは、祖父の醜態や今までに見てきた男達の酒を呑んでの狼藉等を思い浮かべる。


「そんなのが大人なら別に大人にならなくてもいいよ」

「へっ、お子様だよな」

「俺に言わせてもらえば、他人の迷惑を考えないのが大人という意見には反対です」

「はいはい」


 ライカは下から持って来たカンテラからジジッという音を立てて小さな灯明皿の灯芯に火を移すと、カンテラの火を吹き消した。

 造り付けの棚の下の引き出しを引っ張って中を確かめると、そこから何かを摘み出して口に放り込む。


「うん、まだ悪くなってない。やっぱりサルトーさんの言う通り蜂蜜も塩みたいに食べ物を長持ちさせるんだな」

「なんだ、食い物か?」

「酔っぱらいには勿体無いけどちゃんとあげるから、押さない!」

「おう、あーん」


 サッズはベッドに腰を掛けた姿勢でぱかりと口を大きく開けた。


「鳥の雛じゃないんだから、口を開けて待つなよ。全く」


 ぶつぶつ言いながらも、ライカは手に持った飴をサッズの口に入れてやる。


「お、竜桂樹の皮か懐かしいな」

「違うから。まともそうでもやっぱり酔ってるから判断力が鈍ってるんだな。肉桂の飴だよ、いつもの。また作っておかないとね」


 ライカはベッドに立つと、天窓を押し上げる。

 室内より少しだけひんやりとした空気が、零れ落ちるように手元をすり抜けていった。


「星が綺麗だ」

「ん~、あの星はな、今はもうあんな色じゃないんだぞ?そんで歌がへったくそでうるさいのが隣の赤いやつ。星ってのは歌が下手だと求心力が低くて周りに他の星が集まらないんだぜ」

「言ってる事が意味不明。もう寝るよ?」

「おう。まあ人間のほうが色々で見てて面白いんだけどな」

「寝るから詰めて」

「なんで蹴るんだ」

「人間の時ぐらいしか蹴れないじゃないか」

「なるほど、確かにそれはそうだな」

「灯り消すね」

「おう、あ、輪が繋がってるな。寝るか」

「もうお酒呑むなよ」


 灯を消して頭上の天窓から見える切り取られた夜空を眺め、ライカは祖父が留守の間もきちんと整えてくれていたベッドに転がった。

 それなりに育った少年二人には狭くなってきたベッドだが、他のどこよりも心地のいいねぐらだとライカには思える。

 やがて小さな声で応酬していた少年たちの言葉は途切れ、小さな寝息だけが静けさの中に漂い続けたのだった。

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