第115話 問いを学ぶ者
「では改めて、自己紹介と行こうか?私はミアル、お前の名を言うが良い」
気さくなのか、強引なのか、話の流れが掴み辛い相手だった。
しかし、ライカはそんな彼女とのやりとりがなんとなく楽しくなって来ていた。
「ライカです」
「ふん、覚えやすい名前だな」
「ええ、ありがとう。あなたも覚えやすいですね、ミアル、さん」
ライカの言葉に彼女、ミアルはまたも笑い転げた。
なぜこうも笑われるのか、ライカはもはや不思議に思ってしまう段階に来ている。
ライカは話題を変えるために「市場でも思ったけど、ここも値段が高いですね」と話を振った。
ミアルはやたらと嬉しそうなままそれに乗る。
「なんだ?王のお膝元なのに物価が高いのは治世に問題があるという話か?いいぞ、もっと城の近くで言ってやれ、ちっとは目が覚めるやもしれん」
彼女の言葉にライカは興味を抱いて質問した。
「物価ってなんですか?」
ミアルは盛大に鼻を鳴らす。
「面白みの無い男だな。どんな意味も何も、物の値段のことだ。まあ財務官が使う言葉だがな」
「ああ、なるほど。貴女はやっぱり貴族の人なんですね」
ライカは納得したようにそう言った。
そう言えば先程女将もそう言っていたと、ライカは改めて思い出す。
「それはどうかな?まあ王国兵の装備を着ている以上は平民では有り得ないがな」
ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべるミアルをライカは不思議そうに見て、尋ねる。
「うちの街では街の人で兵士になっている人が一杯いましたよ」
「それは領主の私兵だろうが。まあ、確かに私兵であろうと普通は貴族が多くなるものだが、周りに隣接する貴族領の一つもないような田舎では平民を雇わざるを得ないのだろうな。だが、王国には王国の立場がある。国の兵士というのは、他に行く宛のない貴族にとってはうってつけの職場なのだよ。だから平民などにその場所を譲るはずもない訳だ」
傲慢なのか皮肉っているのか窺いにくい相手だが、ライカは彼女の言葉をそのまま事実として受け取った。
「確かに仕事がなくなると困りますよね。貴族の人には普通の仕事は出来ないのでしょう?」
ミアルは今度はキョトンとした顔をする。
そうしていると、彼女はごく若い少女のように見えた。
実は実際かなり若いのかもしれない。
「くっ、ははっ、そういう考え方は思いつかなかったな、そうか、なるほど、貴族は平民の仕事をやる能力が無いから数少ない自分達のやれる仕事を守る訳だ。いいな、虚飾の無いリアルな考え方だ。本当にお前は面白い」
ライカは彼女の言葉に首をかしげた。
自分では面白いことを言ったつもりはないのだから当然だろう。
「えっと、本来はどういう風に考えるものなのですか?」
「そうだな。国と民を守るのは貴族の尊き義務であり、その覚悟無き平民には荷が重い。という所かな?」
ミアルの言葉にライカはまたも首をかしげる。
「国はともかく、自分の街や家族を守るのは誰でも当然やることなのではないですか」
「しかりしかり」
ミアルは機嫌良さげに運ばれて来た酒を口にすると、クルリと後ろを振り返り、そこにたむろする者達に向かって呼び掛けた。
「お前たち、この年若き勇者に杯を掲げよ!彼は貴族も平民もその志は全く変わらぬと言ってのけたぞ!」
ギョッとしたライカを余所に、それまで各々勝手に過ごしていた客達が一斉にライカを見た。
先程入店した時に客層を流し見ただけだったライカだが、そうやって注目されることで逆に改めてこの店の客達に目を向けた。
そうすると、客は必ずしも酔客ばかりではないことにライカは気づく。
ライカ達と巨大テーブルを挟んで反対側の奥の席には意外と若い顔が見えた。
それに店のあちこちに下げられたベールのような布の影に、半身を隠した妙齢の女性もちらりと見える。
「へえ、そりゃ剛毅だな」
「おお、勇気あるガキに乾杯!」
「よしよし、一曲いっとくか?」
それまで各々好き勝手に過ごしていた者達がざわざわ大声で語り、動き始める。
中央の長テーブルを何人かが叩いて調子を取ると、一人の男が唸り声のような歌を歌い始めた。
俺らの暮らしはくそったれ
貴族のやつらもくそったれ
王様だってくそったれ
みんな同じだくそったれ!
(これは酷い)
ライカはあまりの歌に口を開けたまま呆気にとられて彼らを見た。
しかし、そんな感想を抱いたのはどうやらライカだけだったらしく、客達は立ち上がり、声を合わせて肩を組み、果ては踊り出した。
その内一人の女性が真ん中の巨大なテーブルの上に飛び乗ると、周辺の物を蹴散らして場所を作り、足を踏み鳴らしてリズムを刻み始める。
「こりゃ!リズ!壊したもんは弁償してもらうからね!」
女将が彼女に怒鳴ったが、リズと呼ばれた女はケロリとして笑って見せた。
「わかったわよ。それじゃそうねえ、一番私のために尽くしてくれた人にサービスしてあげるってのはどう?」
彼女がそう言い放つやいなや、男達が沸き立った。
「女将!俺が弁償するぜ!」
「てめえ、酒代いつもツケてるくせに金なんかねえだろうが!その点俺は丁度賃金が入ったところよ」
「ああん、てめえこそ乳飲み子を抱えて大変だって言ってたろうが!」
男達の争いを引き起こした当の女性は、あどけなさと妖艶さの同居する顔付きでライカ達の席にジッと視線を注ぐと、ミアルに手招きをしてみせる。
「そこの兵士さん、こんな酒場に居座る度胸があるんだから、あたしの誘いを断ったりしないわよね」
テーブルの上にいる彼女は、ちょっと視線を上げるだけで白い太股が見えてしまう危ういポーズで下界を睥睨していた。
「なるほど、挑まれたとなれば受けねばなるまい。騎士の位は無くなれどその魂が失せたと思われる訳にはいかないからな」
ミアルはそう言うと、ひらりと一挙動で椅子から離れ、テーブルへと飛び乗った。
「なかなか身軽だね、鎧が重くて遅れを取ったとか言い訳は聞かないよ」
女性の挑発に、ミアルは柔らかな笑みを口許に掃いて答えた。
「まさか、我らはこれで敵と戦うのですよ、お嬢さん」
その物言いに相手の女性は顔を赤く染め、周囲の男達からは罵声が飛んだ。
何事かと見守るライカの目の前で、二人はテーブルの上で踊り始める。
テーブルを木槌で打ってリズムを取っている人がいて、二人はそのリズムに合わせて足を踏み鳴らしているようだった。
「リズに十!」
「おりゃあ姉さんに二十だ!」
「おいおい、誰もあの兵隊さんに賭けねえのかよ、賭け金が出ねえぞ」
男達が口ぐちに怒鳴り合うのへ、ミアルがまだ乱れてもいない息で告げる。
「よかろう。私が負けたら全員に酒をふるまうということでどうだ?」
「おお、あんちゃん意外と話がわかるね」
「よっしゃ、おごり酒を飲ましてくれるんなら、そんときは酒の神様に兄ちゃんの幸運を祈ってやるぜ」
恐ろしい程の熱気と盛り上がりだった。
その光景をライカは呆気にとられて見ていたが、そこに声が掛けられる。
「相席いいかな?」
気づいてライカが目を向けると、そこには壮年の男性が椅子を手にして自分達のテーブルへと移動して来ていた。
ライカは少し慌てて説明した。
「あの、同席している人がもう一人いるんですけど」
困ったようなライカに、相手は軽く手を振って見せる。
「なに、あの方が戻るまでには済む程度の話だよ」
彼はそう言うと女将に酒を注文した。
「私はレオニダスという者だ。隠者と呼ぶ者もいれば学者と呼ぶ者もいる。いわゆる学問を探求する者と思って貰えばいい」
「がくもん、ですか」
ライカはその聞き慣れない言葉を反芻して、ハッと気づいて自己紹介をする。
「あ、ライカです。まだ何か決まった仕事はしていません」
ライカの答えに、その男性は頷くと、更に言葉を続けた。
「先程あの方がおっしゃっていたことは事実かな?」
「えーと」
「貴族も平民も同じという話だよ」
「あ、ああ」
ライカは焦った。
ミアムの言い様では嫌な思いする人がいてもおかしくないと思ったのだ。
「すみません。嫌な気分になったのなら謝ります」
「いや、そうじゃない。もし本当にそう思っているのならとても貴重だと思ってね」
男の、レオニダスの言葉をライカは不思議そうに聞き返した。
「貴重……ですか?」
「そうだ。先程言った学問という物はだな、要するにこの世の
レオニダスは熱心に語った。
「人は生まれに囚われ、育ちに囚われる。本来人の魂は自由でなくてはならないのに、生まれ育ちで歪められてしまうのだ。歪められた魂は世界を歪んた形でしか見ることが出来なくなってしまう。悪循環だがこの私ですら、その災いから逃れることは叶わない。しかし、もし君が本当に先ほどのように思っているのなら、それは世界を見る上でとても貴重なことなのだ。わかるかね?」
ライカは相手の勢いにいささか押される形でおずおずと頷き、ようやく「そうなんですか」とだけ返事をする。
「そうなんだよ!」
にこにこと上機嫌なこの男性は決して悪い人間には見えなかったが、今までライカが出会って来た人間とはまた違うタイプの人間だった。
ライカは戸惑いながらも気になっていたことを聞いてみることにした。
「あの、学問というのをもう少し詳しく教えてください」
「お?興味があるのかい。いいぞ、それでは入門編から行ってみよう」
レオニダスという男のワクワクした顔を見ながら、ライカは王都という場所のユニークさをしみじみと感じたのだった。
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