第88話 倉の街

「蜂の巣に手を突っ込んだ時を思い出すな」


 サッズの言葉を隣に聞きながらライカは街のあまりの混雑に唖然とするしかなかった。

 歩いて渡れる程度だった川幅が、やがて対岸を遠くに眺める程の大河になる頃に、どっと、行き交う人や馬、時には早駆け竜が増えたのである。

 何時の間にか道も丈夫な敷石を敷いた街道になっていた。

 どうやら今はこの街道を伸ばす工事はこちらでは行われていないらしく、唐突にこの石畳みの道となったので、足元の感触に気付かなければ見過ごしてしまったに違いない。


 そこを進んだ先に街壁と恐ろしく広い門があり、そこへ入る前のまだ門前であるはずの場所に、なにやら馬車溜まりや出店、人々の行き交う小さな街のようなものが活気に満ちて存在していた。


 ライカ達の隊商は、川から遠い方の門に向かって左側の集団へと合流し、やっと空いている場所を見付けてそこに一時留まる。


「手続きの間ここで待機だ!うろうろするんじゃねぇぞ!はぐれても探さねぇからそのつもりでいろよ!」


 隊商長はそう言い捨てると門の方へと走って行った。

 右も左も前も後ろも似たような馬車の集団で、確かに迷い込んだら元の場所を探し出せるとは思えない混雑ぶりだ。

 突然、カランカランという大きなベルの音を響かせて、肩掛けベルトで支える売り台を持った少年が近寄って来た。


「薬草入りの冷やし茶はいかが~、埃でガラガラの喉をすっとさせるよ~」


 独特の節回しとゆっくりとした不思議な足取りで、人や荷物や荷馬の間を器用に抜けて来る。

 見れば似たような少年や、時には少女が、色々な物を手に声を張って節を回していた。


「あま~い糖果はいかが?疲れを癒す甘さだよ~、たったの三カラァァアン」


 それらの物売りの声が、周りにひしめく人々の、それぞれに会話する声とまざって、ワーンという虫の羽音のようにも聞こえる。

 蜂の巣とは確かに的確な例えだった。


「田舎から出てきたばっかりだとこういうのに当てられるだろうけど、ふらふら珍しい物に付いて行ってはぐれるなよ。はぐれたら最後行き倒れになるしかないからな」


 青年組の片割れのエスコがぼうっとしているライカに注意する。


「街に入る通行証は隊商の物だから置いていかれると街の中に入れなくなっちまうんだ。実際ここらあたりじゃ、主とはぐれて、身包み剥がされた死体で見つかる従者とか多いんだぜ?」

「身包み剥がされるってどういう事ですか?」


 ライカが聞き返すと、エスコは信じられないといった顔でライカを見て、首を振った。


「いいか、人が多い場所には他人から何か金目の物を掠め取ろうとする連中がたかってるもんだ。それに気づかないうっかり者はあれよあれよっていう間に何もかも奪われて御終いになるってことさ」


 語る内容に怯えるよりも感心するライカに、エスコは肩を竦める。


「お前らはどうも真剣に考えてないようだけど、ガキってだけで楽に仕事が出来るって侮られるんだからな?わかってんのか?」

「はい、注意します!教えてくれてありがとうございました」

「なんか、お前等ってこう、地に足が付いてないっていうか、お気楽っていうか、まぁ気を付けるんだぞ?手続きが終わったらすぐに中に入るんだからうっかり迷子になるなよ?」


 返事を聞いた後も、どうも信用出来ないのか、エスコは念を押したが、すぐに他の仲間に呼ばれてそっちへ行ってしまった。

 最近はちょっと長い休憩だと大人達は集まって何か気晴らしの賭け事や酒をやっているようで、そういう嗜みの無い分、ライカやサッズは彼等だけで過ごすことが多い。

 元々、普通の肉体労働者である彼らから見れば明らかに浮いていたせいで避けられていた感じの二人だったが、途中からは青年組とは仲良く過ごしたり出来るようになっていた。

 それがまた元に戻ったような形だが、だからと言って前のような隔意は薄い。

 なんだかんだ言っても、二人は旅路の間にそれなりに仲間意識を持ってもらえているようだった。


「ここってまだ街の中じゃないんだよな。うちの街でも馬車用に外に滞在場所を作ってたりするけど、ここのってそれとも違う感じだし」

「もうここまでになると頭ん中が飽和してかえって気にならなくなるな」

「よかった。サッズがこの騒ぎにまたイライラし出したらどうしようかと思ってたんだ」

「お前はいつもさらっと嫌味っぽいことを言うよな」

「いや、これは別に当て付けたつもりはないよ」

「本当か?このわんわん言ってるせいでどうも意識が読みにくくて勝手が悪い」

「声がこんな風だとやっぱり意識のほうも色々絡んで混ざってるんだ?」

「こういうごちゃごちゃしてる時に個々を識別すると疲れるんで、いっそ放置してるからな」

「想像するだけで疲れそうだもんね、あ、サッズ誰かに袖を引かれてるよ」

「ん?」


 ライカに言われてサッズが振り向くと、肌と目の色があまり見ないタイプの子供が二人、背伸びをしてサッズの袖を引いている。

 サッズは人間が少々押したり引いたりしたぐらいでは、風が通り過ぎた程にも感じないので、気配を探るのをやめていたせいで全く彼らに気づかなかったのだ。


「オミヤゲ、イカガ?」


 木の皮かなにかで編んだ薄い籠のような物を両手に掲げて、それぞれに中の物を示している。

 中には、鳥の羽や木の実で作ったらしい飾りのような物が並んでいた。


「タッタ、ノ、ゴカランヨ」


 たどたどしいが、なんとか理解出来る発音で、一生懸命言っている内容はやはり売り込みだ。

 どうやらサッズが目立つのか、その手の売り子達が少しずつ彼の周りに集まって来ている。

 見掛けから、貴族で金を持っていると思われてしまっているのだろう。


「やめろ、そんなものいらん。こら、懐に手を突っ込もうとするな!帯止めに触ろうとするな!お前等の手が届くようなもんじゃない」


 中に何人かの懐狙いも混ざっているようだったが、竜族特有の、他者の精神に働き掛ける強い障壁のような物が周囲にあるため、サッズの体はもちろん、その身に付けている物にすら、彼等は触ることも出来なかった。

 もちろんそんな状態で何かを盗ることなど出来るはずもない。

 最初は不思議そうにしている子供が何人かいる程度だったが、段々何かをそれぞれに感じたのか、青くなって全員が散って行った。


「何かしたの?」


 凄まじい売り込みの速度と人数に、ただ眺めているしかなかったライカだったが、一斉に逃げ散った子供達を見送ると、サッズに問い掛ける。


「別に何もしてない。俺の持っている物を盗ろうとしてる奴がいたみたいだったが、触れないんで痺れを切らしたんじゃないか?」

「え?って事は、あの子達はエスコさんの言ってたような人の物を掠め取る仕事をしていたのか。凄い勢いだったね」

「片方が抑えている間に片方が抜き取る算段だったらしいな。なかなか見事な連携だ。やっぱりこれこそが狩りだよな」

「獲物はサッズだったらしいけどね」


 ライカの言葉に、物を盗られそうだったという話をしたくせに、それが自分に向けられた害意だったとは全く思い至ってなかったのか、サッズは初めて何かを発見したような顔を見せた。


「なるほどそうか、俺か!そうなると連中は獲物の選択が悪いな。まだ子供だしその辺りは仕方ないか」


 変な所で評価をされたものだが、当の懐狙いの子供達にとってみれば余計なお世話だったに違いない。


 一刻も掛からずに戻ってきた長を先頭に問題なく門を抜けて中へ入ると、また風景が一変した。

 左右はもちろんのこと、目の届く範囲全てに、巨大な石作りらしい建物が並んでいる。

 そしてはそれ等が異様なのは、どれもがほぼ全く同じ形をしていることだった。

 白っぽいそれらの建造物は、まるで人間を足元に見下し、威圧するようにそびえている。


「エスコさん、この建物は何ですか?」


 それが普通の家ではないことはわかっても、何をする建物なのかは全く想像も付かなかったライカは、エスコに近づいて尋ねてみた。


「ここいらの建物はみんな倉だ。この街は各地から集められた王様への上納が一時的に納められる場所なんだ。逆に王様から各地の貴族へ送られる分もここから出すんだぜ。いうなれば王様の財産の一部を預かってる街って訳さ」

「え?この倉全部王様の物なんですか?」

「商家の中にもここに倉を持ってる所もあるから全部が全部そうじゃないけど、表に王家の紋章が掲げられてるのは全部そうだよ」


 ライカにとって倉とは家の近くにある小さな建物であり、ちょっとした道具や祖父の仕事道具の材木やそういった物が入っている場所のことだ。

 つまりは物置をちょっと見栄を張って倉と呼ぶことがあるという程度の知識しかない。

 この巨大な建物が倉であり、そこにあるのが王の持ち物であるというのは、ほとんどライカの想像の範囲を超えた事実であった。

 感心するというよりも、理解が出来ないというほうが近い。

 ライカがそんな驚きでキョロキョロと周囲を見回し、辺りに意識が散っている間に、隊商は門前通りを先に進み、途中でいくつかの道を曲がったりしていく内に、段々と周りの風景も変わった。


「倉が減ってきた」


 だが、それは驚きが終わったことを示してはいなかった。

 今度はやたら広い広場にずらりと馬車が並ぶ光景が目に飛び込んで来る。


「こりゃ凄いな」


 なんだか呆れたような声を出したのはサッズだった。

 多少の形や大きさの差異はあるが、役割はほぼ同じなので、全体の形体自体は似ている。

 それがずらりと並んでいるのだ。呆れない方がおかしかった。

 空いている場所に彼らの馬車が並び、全員が一箇所に集められる。

 立場の異なる者は滅多に顔を合わさないので、こうやって全員が一同に集まるのは、実は初めてかもしれなかった。


 改めて集まってみると、この隊商がかなりの大人数であることがわかる。

 隊商の全員でざっと五十人近くはいるに違いなかった。

 全員を前に、隊商長がいつものように声を張り上げてみせる。


「本日はこのストマクの街で一泊をする!ついては宿は各自で取るように!代金は割符払いだ!宿代と朝食以外は符割では払えないぞ!自分の手出しで好きにやれ!ここへは明朝四の刻の鐘が鳴る前に集まること!何か質問はあるか!」

「ここには何を目印に戻ればいいでしょうか?」


 ライカはとりあえず一番重要そうな部分を聞いてみた。

 ギロリと強面の長の目が向けられる。


「ここは眠り猫の馬車止めだ!そこらにうじゃうじゃいる兵隊に聞けばわかる!他には無いな?以上!わかっているだろうが、遅れた者は置いていくぞ!」


 話は終わりとばかりに歩み去る長を見送って、皆がそれぞれに話を始め、いきなり周囲が賑やかになった。


「こっちで割符配布だ!受け取らないと宿に泊まれないぞ!」


 二番馬車の後ろの方で誰かが呼ばわっていて、ライカはサッズを誘ってそちらへと進む。


「お前、度胸あるなぁ」


 そこへ、マウノが呆れたように声を掛けて来た。

 ライカは首を傾げる。


「度胸って?」

「あの長に何か聞くなんて、俺は恐ろしくてとても出来ないよ」

「でも、聞けって言ったからさ」

「あはは、なんていうか大物だな、君達は。ところで宿屋通りはわかるかい?」

「いえ、全然」

「だよね。宿屋通りはこっからほぼ東側になるんだ。ここは他の街と違って客引きがほとんどいないからちょっとわかりにくいかもしれない。でもちゃんと見れば宿屋は看板にベッドの絵があるから分かるよ。酒場には椅子の絵が、食堂には鍋の絵が描かれてる。後、長の言ったようにこの街は兵隊がもの凄く多くてあちこちに立ってるから、わからない時は聞けば教えてくれるよ。この街の利用者は商人が多いから商人の力が強いこの国じゃ兵士の態度もそう悪くないんだ」

「凄くよくわかりました。ありがとうマウノさん」

「いやいやお礼を言われるようなことじゃないよ。ちょっと前まで俺が一番下で教わってばっかだったけど、君達のおかげで少しだけ威張れる立場になれて嬉しいんだ」


 人の良い青年の顔が照れたように笑った。


「でも本当に助かりました。俺でよかったらどんどん頼りますよ」

「おいおい、どんどんは勘弁してくれ」


 二人は顔を見合わせて笑い、馬車の後ろの集団へと向かったのだった。

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