第79話 黒の荒野
「履物がダメになるならどうするんですか?」
ライカは街を出る時に履いてきた、足履きと呼ばれる木の皮で作られた編み上げ靴を少ししか持っていない。
と言っても別にこれはライカが特別なのではなく、彼らのような下働きの者は皆、靴は自前で作るか安いものを購入するかで、わずかな数しか持って居ないのが普通だ。
むしろ靴を履けるというのはマシなほうなのである。
昨夜泊めて貰った街道造りの作業詰所にいた人夫達の中には裸足の者などいくらでもいた。
「脱ぐんだよ。裸足だ。何しろ足場も悪いから裸足の方が楽なぐらいだからな。まぁ坊ちゃん育ちだと足がズタズタになって歩けねぇかもしれないがな」
ハハハと豪快に笑って、男はその場を立ち去る。
(なんか他人をバカにする時に限ってああも嬉しそうな人がいるのはどうしてなのかな?)
ライカは何か釈然としない物を感じて小さく息を吐いたが、それが彼等なりの流儀らしいということはわかっていたので別に落胆したり傷付いたりはしなかった。
彼等は力の必要な仕事を集団で行う立場であり、そのことが雄としての張り合いを生んでいるのではないかとも感じる。
(テリトリー争いみたいな)
「というか、順位確認なんじゃないか?群れなんだし」
サッズがライカの思考に割り込んで自分の意見を述べた。
「あ、サッズ。靴がダメになるから履かないほうがいいってさ」
丁度良いとばかりにライカはサッズに告げる。
サッズの靴は布製の飾り靴だ。
その強度から考えれば真っ先にダメにならないとおかしいはずの物なのである。
「あ~なるほど、全然ダメにならないとおかしいから脱いどけってことだな」
「そそ」
サッズの体の周囲にはわずかに空気の層があり、それが彼の気配のような物を絶っている。
馬を怯えさせないための工夫だが、これのせいでサッズの体は元より、身に付けている物にも外部からの直接接触が無いのだ。
つまり汚れも、必要以上の磨耗も、着衣はもちろん靴にも生じないのである。
道中、彼等はその辺を考慮してわざとサッズの服などを汚すように心がけていたが、靴の損耗についてまでは考えていなかった。
先ほどの男には小馬鹿にされた形だが、それでも貰った情報を考えればむしろ感謝するべきかもしれない。
ちゃんと工夫するなら、ある程度のダメージを与えておくべきなのかもしれなかった。が、
「これ、セルヌイの収集品だからなぁ、壊したら怒るかもしれないぞ」
サッズは脱いだ靴を掲げながら言う。
布地に丁寧で鮮やかな刺繍が施されたその靴は、セルヌイがサッズに持たせた人間用の衣装一式の中の一つであり、当然ながらその秘蔵の品ということになるのだ。
「サッズに持たせた時点で無事に戻ってくるとは思ってないとは思うけどね」
「う~ん、それは否定出来ない。だが、だからといって危険を冒す必要はないと思うんだ」
「じゃ、それはもう仕舞っておいて後はずっと裸足で行く?」
「そうするかな」
「ひまがあったらサンダルぐらいなら俺でも編めると思うよ。ええっと、材料があればね。嵐の時期に家に篭ってた時に教わったんだ」
「なんだ、お前ちょっとの間に色々出来るようになったんだな。そうか、材料が手に入ったら頼むわ」
「うんうん」
話しながら待機場所に戻った二人は、他の仲間達が袋のような物をナイフで裂いているのを見付けた。
「あ、お前等!何処に行ってたんだ?さっさと手伝え!」
「ゾイバックさん、何をしてるんですか?」
見れば裂かれた布は一律の幅で細長く揃っている。
「見りゃあわかるだろ?布を裂いてるんだよ」
本当に見ればわかることだけを伝えるゾイバックに苦笑して、若手のリーダーになりつつあるエスコが説明する。
「もう使えなくなった古着や荷袋を貰ってきて当て布を作ってるんだ」
「当て布?」
「この先の黒の荒野は難所で足場が酷いんだ。やたらギザギザしてるし、ムチャクチャ堅いくせに礫石が多くて足場が悪い。足が丈夫な者でも鋭利な部分で切ってしまうことも多い。だから足に布を巻いてある程度そういうケガなんかを緩和するんだ。そのための布を作るんだよ。あ、黒の荒野じゃ靴は履かないほうがいいんだ。靴とか履物を履いていると滑りやすくなって危険だしね」
「そうなんですか」
先ほど聞いたのとは違う理由に、しかしライカは頷いた。
どちらの理由も正しいのだろうと思ったからだ。
その後はひたすら布を裂いた。
ライカにはなにやら見慣れない材質の布が多かったのでちょくちょく何で出来ているのかを聞いてしまって面倒くさがられたが、全部に答えてくれたのは意外にもカッリオだった。
どうやら彼は故郷では羊毛を刈ったことがあるらしい。
「羊毛や綿花っていうのがあるんですね。柔らかいな」
「けっこう値が張るからな。俺等なんかには新品は滅多に手に入らないもんだが、連中は肌着として何着も持ってやがるし穴が開いたら捨てやがるのよ。そいで、それを頂いて来て使わせて貰おうってことさ。てか、その兄ちゃんの着てる服は殆どが羊毛で織られてるみてえだが、知らなかったのかよ」
「えっ!そうだったんだ!」
「貰い物だ、知る訳がない」
間の抜けた盲点だったが、彼等はセルヌイの収集物について深く詮索したことがなかったのだ。
何製とか何で出来てるとかという意識は無く、セルヌイの宝物というひとくくりで意識の中で分類されていたのである。
カッリオは何か言いたそうな顔をしたが、すぐに諦めたように首を振ると無言で作業を続けた。
作業が終わる頃にはもう休憩は終わり、出立が始まっていた。
出来上がった布の束を人数分に等分して、慌しく出立する。
それぞれに脱いだ靴と布の束を腰に下げて、まだ柔らかい土を踏む。
転がる石や小枝や地を這う草等が絡まって歩きにくいが、全体の速度がゆっくり目なので、さして苦労することもなく商隊は進んだ。
やがて前方に、開けた、何も無い空間が現れる。
「よし!全員一度止まれ、黒の荒野だ!」
傾きかけた弱い日の光に、それでもその黒い地面はくっきりと見えた。
「あれが黒の荒野」
ライカは前方を透かすように見る。
しかし、大地が黒く木々が見えないという以外にわかることもなかった。
「風が巻いてるな」
サッズが呟く。
「荒れてる?」
「広範囲に風が渦巻いてるから俺でも制御はキツイかもしれないぞ。一部だけ弄ってどうこうなるような気象じゃなさそうだ」
「いや、別に気象を弄ってもらうつもりは無いから」
「いやいや気象じゃなくて風を弄ろうとするとだな全体を弄っちまうことになりそうだって話だ」
「だから別に弄らなくていいって」
二人は押し問答をしながら足に布を巻いていたが、治療院で包帯を巻くのに慣れているライカは手早く綺麗に巻けたものの、サッズの方は布を絡ませて遊んでいるようにしか見えなかった。
「貸して」
「よろしく」
早々に諦めたらしいサッズは、全く拘ることなく布をライカに任せる。
そんな二人の所へロープらしき物を持ったエスコがやって来た。
「最後尾はライカでいいのか?」
「一番後ろなら俺が取るぜ」
サッズが名乗りを上げる。
最後尾というのは実はしんどいし、危険なものだ。
それを踏まえて、サッズはいつもライカよりやや後ろを歩くようにしていたのである。
「あ~、お前、サック、だっけ?大丈夫か?」
「なんだ?新入りの定位置なんだろ?それとも前に出ていいのか?」
向けられる視線に、エスコは無意識にか、少し後ずさりながら、手を上げてそれを遮った。
「や、それは問題無いんだ。わかった。じゃあこれを順に腰に結ぶんだ。くれぐれも解けないようにしておくんだぞ?」
手元のロープをライカに手渡して、自分の腰を指し示してみせる。
そこにはきっちりと結わえられたそのロープと繋がった結び目があり、その先、幾分か余裕を取った長さがライカに渡された方だった。
「夜駆けするからな。はぐれないように用心だ」
「わかりました」
受け取って、ライカ、サッズの順に結ぶ。
言うまでもなく、またも紐を単に絡ませただけに終わりそうだったサッズの腰にロープを結んだのはライカだった。
― ◇ ◇ ◇ ―
隊商が整然と順列を作って黒の荒野へと入る。
前方からは馬と人の声が風に乗って途切れ途切れに流れてきた。
まだ陽はある。
ライカは、足元に突如として現れ、ずっと続いている黒い地面をじっと眺めながら歩いた。
それは堅く、尖っているかと思えば丸く穴が穿っていて、普通の土塊とは違う不思議な陥没をしている。
植物の姿は殆ど無いが、皆無という訳ではなかった。
しかし、その姿に豊かさはない。
水が染み入る土がそこに無いからだ。
「これは溶岩だな」
「溶岩!溶岩って赤黄色くてドロドロしたのじゃなかったっけ?」
サッズの言葉にライカは首を傾げた。
「ほら、エイムが良く体にくっつけて帰ってきてセルヌイに小言を言われてただろ?かさぶたみたいにして」
「ああ、あの黒いの、え、あれ溶岩なの?」
「ドロドロのが固まるとあの黒いのになるんだ」
「でもあれって火山の中に在る物じゃなかったっけ?」
「噴火すると流れ出すことがある。丁度鍋を引っくり返した感じだな」
ライカはふと周りを見回す。
「でもさ、その流れ出した元の火山が無いよね?」
「吹っ飛んだんじゃないか?」
「吹っ飛ぶの?」
「昔は良くあったらしいぞ、火山が吹っ飛ぶってのは。案外さっき越えてきた丘辺りがその元の火山だったりして」
到底山とは言えないなだらかな丘を指して言うサッズに、ライカはにわかには信じ難いようにそこを見た。
「あれは違うだろ」
「知らん」
二人がそんな風にふと振り返った時も隊商は先へと進んでいたので、当然というか、結果としてロープに引っ張られてライカは少しつんのめる。
「お前等何してるんだ?ロープで繋がってるんだからちゃんと歩かないとみんなに迷惑だろ?」
「ごめんなさい」
ライカは慌てて謝ると今度はしっかり前を向いて歩き出す。
元々ほとんどを裸足で生活していたライカにとって、実は今の状態のほうが歩くのは楽だった。
靴はどうも窮屈な感じがして苦手だったのだ。
だが、一方で、あまり地面を踏んで移動することもなかったので足の裏の皮膚はそこまで堅くない。
時折踏む、尖った部分や砕かれて落ちたらしい破片による負担は少しずつ痛みとして響いて来ていた。
「日が沈むな」
「そうだね」
地平線が赤く変わり、周囲が急速に暗くなる。
この地面を暗闇で踏破しなければならないのだ。
いっそ目を瞑って視界を切り替えた方が楽かもしれないなとライカは思い、黙々と進む隊列の先を見透かした。
いびつながら一直線に並んだ隊商の列は、カラカラと下げ鐘を鳴らしながら進んでいる。
彼等はライカのような目は持たない。
ただ光に照らされる物を見る目のみを持って、この暗い荒野を越えるのだ。
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