第57話 橋を渡る

「うわぁ」


 意識の探査でその在り様は大体分かっていたものの、実際目で見る感慨はまた違う物がある。

 ライカは感嘆の声を上げるとその絶景を見渡した。


 それを目にした者達から自然に断裂の谷と呼ばれ始めたように、地面に深く穿たれたような亀裂は恐ろしく深く、また幅広かった。

 強い風が音を立てて下から吹き上げていて、その谷の端に立つと風に巻き上げられるような感覚がある。

 良く見えないが、遠く、底の方には水があるようだ。

 しかし、川と呼ぶにはその流れは小さすぎるようにも窺えた。


「よし、日のある内に渡り終えるからな!てめぇらうだうだやってたら容赦しねぇぞ!とっとと準備に入りやがれ!」


 とてもじゃないが、正式な商組合の隊商を率いているとは思えないような乱暴な長の号令だが、流石というべきか、その怒号は人を速やかに動かす力を持っていた。

 轟いた声と同時に、一癖も二癖もあるような男達が不平も言わずに行動を始めたのである。


 しかし例外はいるものだ。

 ライカはその谷に掛かる橋に目を奪われて、すっかり動きが止まってしまっていた。


「これは、凄いや」


 橋は崖の両端に二本ずつの太い杭を打ち、それを支えに渡された綱に板を渡して出来ていた。

 杭といってもほとんど大木を丸々使ったような物だし、その杭を支える為にさらにその横に二本ずつの大きな杭があり、その全てに何か太いツタらしきもので編まれた縄が何重にも絡まっている。

 橋の幅は大体三広、つまり大人の男が三人手を広げて横に並んだぐらいあり、その床は板が、縄に編みこまれて等間隔で並んでいた。

 これがどうやって作られたのかを考えると気が遠くなるような、とんでもなく手の込んだ代物だ。


(これを領主様達が作ったのか!)


 もはやスケールが大きすぎて到底人が作った物とは思えないような物体だった。

 まだ自然にそんな風に蔦が這って出来上がったと言われた方が納得するだろう。


「世界の形を変えていく力か」


 サッズが呟く。


「ん?」

「タルカスがな、人間は世界の形を変える力を持っていると言ってたんだよな。馬鹿馬鹿しいと思ってたが、案外本当なのかもしれないな」

「タルカスが間違ったこと言うわけないだろ」

「いや、それはそれでお前、信頼しすぎ」


「こぉら!ガキどもっ!なにやっとるか!」


 橋を見て感心していた二人に、当然ながら気づいた長から怒鳴り声が放たれた。


「あ、すみません」

「何すりゃ良いんだ?」


 流石に我に返った二人は今行われている作業に気持ちを向ける。

 そして、目を丸くした。

 馬車が解体されている。

 整備の技師達が馬車をバラして部分ごとに並べているのだ。


「馬車は橋を渡れないんだ。危険過ぎてね。そんで解体して人力で運ぶって訳さ。覚悟しときなよ。かなりキツイから」


 エスコと言った、マウノと同じ年代の青年が縄の束を運びながらそう教えてくれた。

 そこかしこで怒鳴りあうように指示が飛び、馬車から下ろされた荷物があちこちに山になっている。


「そこの若造二人!荷分けを手伝え!」

「はい!」

「おう」


 呼ばれて飛んでいく。

 どうやら各店舗の荷を壊れやすい物、重い物、運びにくい物という風に種類分けするらしい。

 ライカとサッズはひたすら言われた通りに荷物を運んだ。


 橋を最初に渡るのは馬だ。

 馬には首に掛けてある縄と、食ませているハミがあり、世話係の男達はそのハミを固定している縄を引いて慎重に橋を渡った。

 橋の渡り板には隙間があり、そこに足を突っ込ませたり、何かに驚いて暴れたりされたらとんでもない事になるのは一目瞭然である。

 彼等は慎重に渡り、そのせいでかなりの時間を消費した。


「馬車を渡すぞ!」


 バラされた馬車の各パーツを荷負人仲間で運ぶ。

 ライカ、サッズの若手組は横板や幌等の比較的軽量な物を運ぶが、年長組は二人ずつで敷き板、車輪を運ばなければならなかった。

 がっしりした作りのそれらは恐ろしく大きく重い。

 敷き板は大人の男の手でやっと掴めるぐらいの厚みのある一枚板で、掛け声と共に男達が背負い、まるで水を浴びているような勢いで汗を流しながら橋を渡った。

 重さが重さであるせいか橋の渡り板が軋みを上げる。

 しかし、だからといってライカ達もそれを眺めている余裕はない。

 大事な荷を負い、間違っても傷を付けないように運ばなければならないのだ。

 決して転んではいけないという厳命が、かなりの精神的圧力となって体力そのものを削る。

 橋の中ほどでは吹き上げる風で橋は大きく揺れ、渡る人間の足を掬おうとした。

 両手が塞がっている状態なので両脇にある編み上げられた縄の壁のどこかに縋って身を支えることも出来ない。

 ライカはその気になれば重さを調整出来るのだが、さすがに衆目の前で違和感を覚えるさせるような真似は出来なかった。

 一方でサッズにそんな配慮などあろうはずもなく、荷物を軽々と運んでは意外と力があると周りに認識されたようである。

 『意外と』と、思われている内はまだ良いが、ライカはそれを内心ハラハラしながら見守った。

 そして、別の方面にも気になる相手がいる。

 そうやって荷が分割されるこの状態を警戒してか、普段は姿をはっきりとは見せないように潜んでいる用心棒の二人が谷の向こうとこっちで荷の間近に立ち、目を光らせていたのだ。


「『異端』だな、こいつら」


 小休憩の間にサッズがぽつりと言った。


「異端って?」

「種族としての意義を踏み外したやつの事だ。全ての種族は種族としての本来の生態意義を持っている。食べること、番うこと、養うこと。大体の基本はこれに帰結するが、それを見失って別の生態意義を獲得した者が『異端』だ」

「それって本来大事なはずのことが大事じゃなくなっているってこと?」

「ああ、『異端』は行動規範を読みにくい。酷い時には己の生死すら意味を失ってることがある」

「ゾイバックさんがそんなこと言ってたね」


 ライカ達が現在休憩している橋を越えた側には、一度彼等に絡んだ相手とは違う用心棒がいた。

 背が低いが岩のような筋肉の持ち主で、いかにも力がありそうだ。

 だが、他人に脅威を感じさせるのは、その体格よりも、まったく表情が窺えない、気の抜けたようなその顔だろう。

 目の焦点はどこにも合っておらず、口は薄く開いている。

 体のどこにも力が入っていないようにすら見えるが、それでいてどこかぞっとする雰囲気を持っていた。


「近付かないのが一番だろうが、しかし、こんな連中に言うことを聞かせることが出来るというのが信じ難い話だな」

「国が抱えてるって話だから王様が凄い人なのかもしれないね」


 ライカは一度だけちらりと見たこの国の王の姿を思い浮かべた。

 はっきりと見えた訳ではないが、あまり強さは感じなかったように思える。

 自分で言った言葉だが、ライカにはあの王がそこまで凄い人だとはなんとなく思えなかった。


「破綻しなけりゃいいんだがな」


 サッズは鼻で笑うように軽く言ってのけた。が、同道している身としては他人事ではない。

 ふと、目前の用心棒の男が何かを手元で弄っているのに気付いて、ライカはそれを注視してみた。

 鮮やかなピンクの固まりが見えるが、正体はよく分からない。


「ああ、ネズミかなんかじゃないか?何度も何度も押し潰し続けていて、もはやなんだか良く分からないが、肉の固まりには違いない」

「食べるつもりかな?」

「さあ?意識の流れは感じないし、無意識に手慰みでやってるんじゃないか?」

「ううーん」


 理解出来ない相手との交流は危険だ。

 しかし、ライカには人間をより深く知りたいという欲求がある。

 単に異端という言葉で彼等を切り捨ててしまうのは何となく躊躇われた。


『人は自らが作り上げた未来という恐怖から、望みや祈りという物で身を守っているのだ』


 領主が以前言っていたことを思い出す。


(それなら、彼等の望みって何なのだろう?)


 ここに領主がいればその答えをくれたのだろうか?ライカはそう思って、軽く頭を振った。

 自分で考えるのを放棄してはいけない。

 だが、それが危険な相手であることは、接触する前から理解出来るからこそ慎重になるべきなのだ。

 知ることは大事だが、そのためにむざむざヘビのいる藪に手を突っ込むのは馬鹿げている。


(危険を承知で踏み込むということは、あえて強者に戦いを挑むようなものだよね)


 人と人は互いに影響し合っているが、それは分かち合うだけではないことをライカは既に学んでいる。

 奪い合うという関係も、また一つの形としてあるのだ。


「よし!残りを片付けちまうぞ!とっとと尻を地面からひっぺがせ!」


 隊商長のダミ声が強く背中を押す。


「サッズ、重そうな荷物を持つ時はもうちょっと苦労してる顔してほしいんだけど」

「あいつらみたいな見苦しい顔なんか出来るか」

「見苦しくない程度でお願いします」


 思いっきり下手に出たライカに、サッズは折れざるを得ない。兄というものはそういうものだ。


「まぁ、仕方ないか。わかったわかった」


 後半は彼等二人にも重い荷物が回ってくる。

 ライカは色々と考えながらも、とりあえず今そこにある問題としてサッズに釘を刺すのは忘れなかったのだった。

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