第50話 試し

「失礼します」


 先触れの声と共にこの店の主、トーケルが仕切り布を潜って姿を現した。

 彼の後ろには他に人影があり、その人物は小さな箱を携えている。


「お待たせをしました。それでは試しとしての依頼をさせていただきましょう。よろしいですか?」

「はい」


 よろしいもよろしくないも、ライカは何が行われるか理解はしていなかったが、先を促さなければ始まらないのでそう答えた。

 トーケルは供の者に合図をすると、控えていた相手は手に持った箱をテーブルに下ろす。

 箱は重厚な作りで、品質落ちを防ぐ為のなんらかの塗りが行われているらしく、その表面に黒光りする艶を浮かべていた。

 トーケルは、慣れた手つきでその一辺を押したり引いたりしながらいくつかの手順を踏み、その箱の蓋を開いてみせる。

 その手順にライカは宿の扉を思い出し、それが開閉の仕掛けのある組木細工の箱だということに気づいた。

 祖父の得意とするものなのでライカもある程度は知っているが、作るのにかなりの手間が掛かり、売り物にする場合は高価な物になるらしい。

 そんな高価な物入れから取り出された品物は、片手に乗るような小さな革の袋だった。

 縫い目がない袋の口を嵌め込み止めの金具で締めてあり、更に蝋の封印がしてある。

 見るからに貴重な品物だ。

 トーケルはそれを気軽に手にすると、ライカの目前に置いて見せる。


「ここに文字が焼き付けてあるでしょう?これを読んでいただきたい」


 彼の示す先にはなるほど、なにやら黒々と焼かれた模様があった。

 それはこの国の人間には文字には見えないような形だが、ライカには覚えがある。

 小さな頃、その四角い絵のような文字を面白がって書いてみたことすらあった。


「これを読むだけでいいのですか?」

「そうですね、とりあえず読んでみてください」


 どこか引っ掛かる言い方だが、そこに書かれていることに興味もあったライカはその文字の並びを目で辿る。

 この文字は祭事用の衣装や物品に装飾のように用いられることが多い文字で、書物としての形よりも織物に織り込まれた形で見ることが多かった。

 独特の法則があり、一つの文章を一つの造形の固まりとして表示するのだ。

 だが、ライカはそれを読んでみて愕然とした。


(これは、文章の形式が変だ)


 一つの単語を丸く取り囲むように彩りを変えて作られた文は大まかに訳すと「美しい白、海の宝、高貴なる女性、清らかな光に満ちていく、輝くような白」というような単語がバラバラに配置してあって、文章として固めてないのである。


「真ん中に配置してある文字が女性と満月、普通は接続印が付いてそれがどうしたっていう風に繋がるはずなんだけど、全部がバラして配置してある。まてよ」


 ライカは古い記憶を手繰った。この文字で綴られたものは海の物語が多く、織布の中に絵柄と一緒に丸々物語の一節が織り込んであったりするものも多い。

 その中の一遍にこの組み合わせと同じ物があった。


「海の宝と月の組み合わせは確か真珠だ。月と女性は女神。美しい白と女性は、ううん、よくわからないけどなんか美しい女性ってことかな?そうか、これは中心の単語に向かって周囲の言葉がそれぞれに意味を繋げているんだ」


 なんとはなしに、祭りの日に聞いた語りの男の響き渡る声を思い出す。

 彼は同じような響きを持つ単語を何度も繰り返して、語りの印象を強めていた。

 同じように、これも繰り返し読ませて単語の意味を強める一つの工夫なのだろう。


「あ、これってもしかして隣同士も一つの文章なのか」


 その様子を興味深そうに眺めていた店主は、頃合を見たのか声を掛けた。


「どうですか?なんとかなりそうかな?」

「はい、面白いですね。所々特殊な意味を持たせているようなので難しいのですが、まるで語りの詩のようです」

「なるほど、詩とは上手いことを言いますね。この原産の土地では歌が盛んですから、そういう意識はあるかもしれません。わかる部分だけでもいいので掻い摘んで解説していただけますか?」

「はい」


 ライカは少し考えて文字を辿った。


「ええっと、これは真珠のカケラです。女性を女神の如く変えます。光輝く白、あー、んんっと、ここは主語が良く分かりません人の表面かな?」

「恐らくそれは肌の事でしょう。薄く張り付くという表現があるのではありませんか?」

「あ、そうです。じゃあ光り輝く肌ですね。そして、飲むのも良し、塗るのも良し、最大の高貴な女神を手に入れられます?いや、手に入れるのは女神じゃなくて女神の輝き?かな?」


 そしてもう一度頭を傾げると、ライカは呟く。


「女神、輝くという表現が全部の単語に重ねられています。面白いですね、こんな文の作りは初めて見ました」


 店主、トーケルはふ、と笑った。


「面白いとまた言いましたよ。本当に文章を読むのが好きなのですね」

「はい面白いです。俺を育ててくれた方はいつも言っていたものです。人間が真に偉大なのは、見も知らぬ相手に向かって言葉を残そうという考えに至ったということだ。と」


 ライカはセルヌイの教えを思い出す。彼は書物を読ませる時に、いつもそれが書かれた環境を語ったものだ。


『人の言葉には背景があります。背景とは記憶。彼等は言葉によって記憶を共有しようとしているのです』


「そう、言葉は偉大です」


 トーケルは簡潔に頷いた。


「それではわかりました、あなた方を雇いましょう」


 もののついでのように言われて、ライカとサッズは咄嗟にはその意味を掴めなかった。


「ん?俺もか?試しとやらを俺は受けてないが?」


 相手の意識を感じ取ったサッズが先に反応して、なぜか少し不満げに聞く。


「はい。約束ということもありますが、確かに天候を知るのは有用な能力です。それに貴方は尊大ですが、私の知る貴族の子弟程には傲慢ではない。どちらかといえばマイナスは少ないでしょう」

「さっきは違う判断だったようだがな」

「そうです。さっきはあえてその利点を取るほどの得がなかった。ですが、今は別の条件が付きました」

「別の条件ですか?」


 やっと、相手が自分達を雇ってくれる気になったらしいことを理解したライカも、その確認に加わった。


「ええ」


 トーケルは頷くと、先ほどライカが読んだ袋を示した。


「これは貴方の読んだ通り、真珠の粉です。真珠の粉といえば私達が思いつくのは薬師が使う薬の素材としてのそれです。ですが、私は以前これをとある目端の利く商人から薬として売るより儲ける算段があると言われて預かった。これを商品として扱っていた外国の商人は薬ではない用法で高貴なる方々に売り出していたと。しかし、困った事もありました。袋にはその用法が書いてあるはずなのですが、残念ながらその儲け話を持ち込んだ男は文字が読めず、高貴なご婦人に売れるという以外の詳しいことが説明出来ない。それで現地で詳しく聞いてくると言って出かけ、それっきりになりました」

「それっきり?」

「よくあることです。彼が乗った船が沈んだのです」

「それは……お気の毒です」


 人間は魚程は泳げない。船が沈む場合、それが余程岸に近いか、潮の流れなどの運が良くなければ命を落とすものなのだと、ライカはそれこそ書物で読み知っていた。


「起こったことは仕方がありません。そこで、私は高名な学者の方にこの袋の文字を読んでいただこうとした。しかし、彼は言いました。これは子供の落書きのようなものだ。文章の体を成していないとね」

「確かにちゃんとした文章ではないですね」

「しかし、私どもの求めるものは崇高な学説ではなく、実利を生む事実のみです。内容が分かれば良いと迫る私達に対して、彼は過ちを訳して体面が傷付くのを恐れ、単語のみの訳も拒絶しました」

「体面?」


 つかみ所の無い単語の出現に、ライカとサッズは意識上で意見を交換し、該当を見つけられずに困惑する。

 そんな少年達の困惑を他所に、トーケルは続けた。


「薬として売れば良いと思われるかもしれませんが、薬としての需要は小さく、あえて危険を冒して仕入れる程の旨みがない。しかし、商人の意地として儲け話をむざむざ捨てるのも業腹です。それで犠牲を覚悟で調査の船を出すべきかどうかの判断を迷っていた所なのです」


 どう考えても体面の意味を聞くべき場合ではないので、そこは保留として、ライカは今ひとつ理解が及ばない部分を指摘する。


「今の説明文で何かわかったのでしょうか?」

「ええ、とても。高貴なる女性は美しさの為なら国すら売るものですからね」


 ライカは眉を寄せた。

 今の言葉が彼の問いに対する答えとは思えないが、相手はそれ以上の説明をしてくれそうもない。

 そのことに引っ掛かりもするが、当面の問題は別の所にあった。

 枝葉に引っ掛かって一番大事なことを間違える訳にはいかない。


「それで俺達を雇ってくれる判断になったのですか?」

「そうですね。条件がありますが」

「条件ですか」


 この相手の話の運びは難しい。問いと答えの間になにやら不透過の場所があり、そこを決して覗かせない狡さを感じさせた。


「別に難しいことではありません。雇用条件の主題が変わるだけです。私共はあなたに、今後知識を提供することを求めます。その場合はもちろんそれ相応の報酬を出させていただくことになるでしょう。つまり今回の翻訳の代償として、私達はあなた方に隊商の一員として雇われる権利を与えたという運びになります」


 ライカは混乱した。流石にこれはややこしい。


「つまりライカがお前たちを助けたから特別に仕事をさせてやるってことなんだろう?」


 意外にもそれに突っ込んだのはサッズだった。

 彼は鼻の頭に皺を寄せながら、悪臭でも嗅いでいるかのような苦い表情をしている。


「話が遠まわし過ぎる」

「これは失礼いたしました。こういう虚実の物言いは仕事上の病のようなものなのですよ。申し訳ない」


 ライカもやっと納得した。

 要するにライカは、自分達の側に二股の枝を作ることでバランスを取るのに成功したのだ。


「じゃあ隊商の一員に加えていただけるんですね」

「率直な物言いをすればそうなりますね」

「ややっこしいんだよ」


 サッズが再び抗議をするが、店主は事も無げに微笑み、それに軽く頭を下げることで応えたのだった。

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