第33話 混乱の先

「あれ?」


 警戒しながら森を出て、街道に辿り着いてやっと安心して雑談をしながら街へと戻っていた三人だったが、街の門の所で見覚えがある姿が見え、同時に自分のものではない苛立ちの感情が沸き起こるのを感じて、ライカは慌てて自他の意識の切り分けをした。

 どうやらサッズが街門で揉めているらしい。


「どした?」


 薬草摘みの護衛に着いて来ていた警備隊のロンが、ライカの声に反応した。


「なんか俺の身内が揉めてるみたいです」

「あー?確かに何か揉めてるな?」

「ライカの身内っておじいちゃん?…じゃないみたいね、あ!あの評判の王子様?」


 王子様といえば王様の子供である。

 ライカの知識ではそうであり、この地で王様と言えば王都のお城に住んでいて、以前この街にも来ていたあの人だ。

 一方で確かにライカの家族は竜王であり、サッズはその子ではあるが、人間が竜王を竜王と認識する事はない。

 なので彼女の発言はライカに混乱を与えた。


「え?俺の兄弟みたいな相手なんだけど」

「そうそう!神秘的な美形なんでしょう?凄いわよね、なんかうたの登場人物みたいよね。滅びた王国の王子様!」

「えええ?違いますよ!」

「分かってるわよ。他人には話したりしないわ」


 既にここには他人がいるのだが、そこは眼中に無いらしい。

 というか、ライカは正直言って、彼女が何を言っているのかさっぱり分からなかった。

 彼女は療法師見習いということもあって、明るくて元気は良いが、普段は聡明な女性なのだ。それなのに、今の彼女にはまるで酔っぱらった人間のような気配すらある。


「えっと、ロンさん。スアンの言ってることわかりますか?」

「俺も噂はちょっとは聞いてるが、噂はあくまで噂なんで、気にしなくて良いぞ。それとおそらく彼女は女性特有の夢を見る病気に掛かってるだけだろう」

「病気なんですか?」


 ライカはぎょっとした。


「治す方法のない類の病気だ。別に身体に危険は無いから放っておいて大丈夫だ」

「本当に?」


 ライカは疑わしく思いはしたが、それよりもサッズの方が気になったので、その件はとりあえずロンを信じておくことにする。


「ちょっと先に行ってきますね」


 そう言い残すと、そのまま門へと急いで駆け寄った。


 近付くと、サッズの声だけではなく、相手の声も聞こえて来る。


「いいか、俺達は八の刻からずっとここに居た訳だ。その前の組からの申し送りもある。お前みたいな目立つ奴が出て行ったのを見逃す訳がないだろう?」

「だから何で出た時の話とかが関係あるんだ?俺は街に入りたいだけなんだぞ?」

「うむ、全く言葉が通じていないようだ」

「いやいや、アクセントに癖はあるけど、ちゃんと言葉は通じてるはずですよ。それになんであんたそんなに落ち着いてるんですか?出てないはずの人間がなんで外にいるのか不思議じゃないんですか?」

「お前は頭が悪いな」

「俺はどうせ教養とかありませんよ!商家のぼっちゃんのあんたとは違うさ!」

「なぁ、もう入るぞ」


 なにかこっちも良くわからない話になっている。

 サッズが怒られているはずなのだが、なぜか門番二人が揉め始めていた。


「ただいま戻りました。あの、サックが何か?」

「お、ライカ、こいつら入れてくれないんだぜ。訳の分からないこと言ってさ」

「いや、だからどうやって外に出たのか教えてくれれば良いんだが」

「飛んで出たって言ったじゃないか」

「無茶言うなよ~」


 なるほどこれは揉める。

 ライカは軽く頭を抱えたが、揉めている理由はわかったのでどうやって話を纏めるか考えることにした。

 その間にライカ自身の連れも追い付いて来る。

 街門の前が賑やかになったので門前市で買い物をしている身なりの良い女性達がチラチラ彼らを窺い始めた。


「あら、噂に違わぬ綺麗な子ねぇ」


 スアンがにこにことサッズを見て感想を言った。

 いくらなんでも人が多すぎるので、ライカはサッズに対して意識言語、心声のみで話し掛けることにした。


『サッズ、とにかく俺が話を纏めるから黙っててね?』

『なんかよく分からんから任せる』

『後で色々話があるから。あ、それと狼のことありがとう。追っ払ってくれたんだよね?』

『当たり前だろ?』


 変に思われない程度の短時間に打ち合わせを済ませ、ライカは警備隊の面々に向き合った。


「あの、彼、出る時に門を通ってないんでしょうか?」

「ん、ああ、そうなんだよ。ちょっと警備上困るからさ、どうやってごまかしたのかを確認したいんだけど、教えてくれなくて」

「すいません。あの、実は俺が教えた抜け道を使ったんじゃないかと思うんですけど。きっと俺が絶対ないしょだって言っておいたから言えなかったんじゃないかと思うんです」

「え?抜け道?そんなのがあったのか。子供は凄いな」

「ごほん」


 思いっきり感心する門の警備兵の一人、ライカの記憶によると確かジルという青年を咎めるようにもう一人、カイが軽く咳払いをしてみせる。


「そういうものは警備上確認する必要があります。一度案内してもらえませんか?」

「あ、はい」


 ライカは溜息を吐いた。

 せっかくの抜け道をこれで失うことになるのである。憂鬱な気分になるのは当然だ。

 しかし、サッズがそもそも竜であるという事実を明かせない以上は仕方ない話ではあった。


「私もちょっと興味があるけど、薬草を早く処理しなきゃならないから、先に戻らなきゃ。申し訳ないけど、いいかな?ライカ」

「あ、はい。こっちこそ変なことになってしまってすいません」

「ううん、目の保養しちゃったからむしろ得しちゃった気分」

「はあ」


 なんだかやはりスアンはおかしいままである。

 治らない病とやらはかなりやっかいなものらしい。

 ライカは優しくしっかり者のスアンの新たな一面に、戸惑うばかりだった。



「なるほど、ここの支柱がずれているのか。こっちので支えてる形になるから安定はしてるんだな」


 結局は薬草摘みの時の報告にロンが門前に残り、ライカ達には、同僚から頭が悪いと評されていたジルが着いて来ている。

 同僚の評はともかく、彼はライカの説明をてきぱきと確認していった。


「いっそここはこのままで間を埋めてしまった方が良いのかもしれないな」


 彼がそう言って、もう一度その街壁になっている巨大な丸太杭に手を掛けた時、


「なにしてやがる!」


 突然の怒鳴り声がして、ジルがぎょっと身構える。

 ライカの方はその声の主が誰かに気付いて、はっと相手を見詰めた。

 サッズはというと、その相手を顔を顰めて訝しげに見ている。


「兵隊め!兵隊め!おれんとこの家族はもう渡さんぞ!行ってしまえ!」


 日頃ぶつぶつとなにやら呟いているだけのその痩せ細った体のどこに、そんな声を出せる力があるのか、そこには老人が一人、どこからか現れて、細い腕を振り回してジルに飛び掛った。

 いや、飛び掛ろうとした所で止められている。


エデじいさんか、なんだよ、いきなりどうしたんだ?」


 それは自らの名も忘れ、この街の片隅に住み着いている老人だった。


「リンムに手を出すなあ!帰れ!」

「あの、ここの抜け道はそのおじいさんに教えてもらったんです。どうもお孫さんと俺を間違えてるみたいで」

「そうなのか」


 一瞬痛ましげな顔をして、ジルはその老人の動きを抑えたまま話し掛ける。


「俺は兵隊じゃないよ、あんたの孫の友達なんだ」

「うそだ!」

「嘘じゃないって、ほら」


 言って、彼はライカに手招きをした。


「友達だろ?」


 片手で近付いたライカの頭を撫でてみせる。

 老人は鼻を鳴らして尚も抵抗していたが、ライカが見かねて優しく背中をさすると、段々大人しくなった。

 こういう行為はライカが小さい頃、ほとんど自力で身動きが取れない母に度々していたことで、傷付いたり弱った相手に対してライカがつい手を出してしまうのは、そういう母の不自由な状態を子供時代に見ていたせいで、それが強く心に残っているからなのかもしれない。

 老人は先の激しい激昂を忘れたように急激に大人しくなると、ぺたりと座り込んだ。


「大丈夫?おじいちゃん」

「大丈夫か?苛められてるんじゃないか?」


 ライカの問い掛けに気付く様子もなく、老人はここにはいない孫娘にライカを通して語りかける。

 ジルはそっと手を離すと、一息吐き出した。


「おっどろいたな。この爺さんがこんなに元気な所は初めて見たよ」

「大丈夫だよ、だれも苛めないよ」


 ライカの言葉に老人は何度か頷いたが、その目はどこか違う場所に焦点を合わせ始めていた。


「意識がむちゃくちゃだ。そいつはどうなっているんだ?」


 サッズがどこか恐れてでもいるように老人を見ている。


「ああ、戦争の難民の一人で、特に酷い状態なんだ。体に問題は無いんだが、周りのことがあんまり分かってないようでな」


 やや放心したように問いを発したサッズに、律儀にジルが答えた。

 サッズが老人の意識に直接触れて、慌てて離れたことにライカは気付いていた。

 竜達はこういった精神の混乱を酷く恐れる。

 それを知っているので、ライカは心配した。

 なにしろ竜にとっては精神の混乱は自身の崩壊に他ならない。

 狂乱という、最悪の混乱こそが、彼等が最も恐れ、その為に自らの感情をも封じると決めた程の禁忌なのだ。


 世界を滅ぼす程の狂気。

 地上種族のような肉体の枷を持たない天上種族には、何にせよ限界がない。

 狂気に堕ちた竜がその全てでもって世界を破壊せんとすれば、それが最悪に繋がる場合もまたあるのである。


「ここからリンムを逃がさなきゃならん。他人に言っちゃならんのだ」


 老人はいつものようにぶつぶつ呟くと、街の人が好意でしつらえてくれたテントのような粗末な家にごそごそと入り込んだ。


「ふう、びっくりしたな。しかし、ここをいじるとじいさんがまた煩そうだな。どうすっかな」

「あの、ジルさん。もう行って良いですか?」


 ライカはその場を離れたがっているようなサッズを気遣い、ジルに伺いを立ててみる。


「ああ、もう良いよ。本当は長々と説教をしなきゃならんのだが、気が削がれたし、済ませたことにしといてやるよ」

「ありがとうございます」

「まぁ秘密の抜け道も良いが、そういう時は出た所から帰るもんだ坊主」


 なにか警備隊の人間としては色々問題があるような助言をして、彼はニヤリと笑って見せた。


「今度からはそうする」


 サッズは頷いたが、実の所彼の理解した所は、


(飛んで出た時は飛んで帰る)


 という、ちょっとずれたものである。


「お、なんだ、冗談も分かるんだな。ずっと仏頂面だから笑いを理解できない体質かと思ってたぜ」

「そういう冗談は本気にするからやめてください」


 ライカは肩を落として弱弱しく抗議した。

 サッズには教えることが多いが、ライカ自身がサッズに必要な常識を実感できる場面に遭遇してみないと気付かないことも多い。

 間違いを一つ一つ潰していくような地道な気の長い作業になりそうだなとライカは思った。

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