第26話 欲求

「人間というものは、みんな似たような顔をした面白味のない種族だと思っていたんだが、案外といろんなのがいるんだな」

「そりゃあね、俺も人間だよ?」

「おまえはおまえだ。それ以外の何でもないさ」

「人間だって他の何かだってそれはそうだよ」

「何がだ?」

「同じものなんてどこにもないって事」


 ライカの言葉に、サッズは虚を突かれたようにきょとんとした顔をしていたが、しばらくしてうなずいた。


「なるほど」

「竜族は自分の存在が強すぎるから他の存在の微妙な差異が分からなくなるんじゃないかな?」

「話を難しくするのはよせ」

「いや、別に難しくしてません」


 城を後にした少年達は肩を並べて中央通りを歩いていた。

 早速両替屋に行くためである。


「あいつ、あんなに強いくせに弱い連中に従ってたな」

「班長さんを連れて行ったのは班長さんの部下の人達だね。お仕事を抜け出してたから連れて行かれたんだよ」

「部下?仕事?」

「言葉と意識が噛み合わないから理解出来ないんだっけ?えっとね、要するに仲間との約束を果たしてなかったって事」

「なるほど、それは仕方ないな」

「仕方ないよね」


 領主と別れて本城を後にした途端、現れたザイラックの部下達が、彼をたちまちのうちに取り囲み、そのまま連れ去ったのである。


「主殿ちくったなぁあああ!」という謎の叫びを残して。


 ライカ達の言うように、まあ仕方のない事であった。


 両替屋は、門前市と呼ばれる、街に入ってすぐの常設市場の中にあり、木製の大きな看板に国王と領主の承認印が焼かれていて、分かり易い店だった。

 別に商品を売る訳ではないので、店というのはおかしい話だが、みんな両替屋とか両替商とか呼んでいるので、誰もその点を気にしたりはしないのだろう。

 さすがに扱っている物が物なので、一般の店のようにちょっとした仕切り布だけだったり開けっ放しという訳にはいかないのか、その入り口には押し開け式の半扉が付いていた。

 入る時はそのまま押せば開くが、出る時は手前に引かなければならないので、入るより出る時の方が少し手間取る仕組みになっている。


「失礼します」


 礼儀正しく声を掛けて入ると、中の人間が一斉に視線を向けて来て、ライカは少しどきりとした。

 どきりとしたのは何か違和感を覚えたからだが、それが何なのかと考えて、彼等がにこやかでもなく、大きな声も出さないからだと気付く。

 普通商店の売主はにこやかに客に対するものだし、商品を売ろうと声を掛けて来るものなのだ。

 それに店内の造りも、客側は土間だが、店の人間側は上がり床になっていて、訪れた相手に少し威圧感を与える役割を担っている。


「こんにちは、坊ちゃん方。本日は何の御用で?」


 カウンターに寄ると、やっと一人が笑顔を見せて挨拶をしてきた。


「あの、これをお金に、じゃなかった、金粒と銅貨に換えて欲しいのですが」


 ライカは単純に換金を頼み掛けて、領主に教わった手順を思い出し、慌ててそちらへと言い換えて依頼する。

 差し出したのは金の可愛らしい象嵌の指輪で、領主からこれが一番安いだろうと言われた品だった。


「ふむ、暫くお待ちを」


 対応した男性は、その指輪を布を敷いた皿に受けると、丁寧に運ぶ。

 その丁寧さがお城の使用人の対応に似ているなと、ライカはそれを物珍しげに眺めた。

 男性は、客側から指輪が見える状態を維持したまま、作業台らしき机の上に指輪を置くと、まずは長い棒に紐の付いた左右非対象な道具の一方に指輪を括り、その逆側の穴に小さな金属の塊をフックで引っ掛けた。

 その後すぐに指輪をそこから外すと、小さなランプで色々な角度から照らし、最後に金属で出来たカニの鋏のような物を出して指輪を挟むとじっとそれを眺め、頷く。


「金の指輪ですね、かなり古い物ですが、意匠は流行りに流されない基本的な柄。そうですね、銀貨で六枚、金粒だと今なら三粒という所ですね。この程度なら銀貨でお持ちになってもそうかさばるものではないですから、銀貨五枚と銅貨三十二枚でどうですか?この地方の銀貨の価値は高い方ですから、中央においでになる時にもよろしいかと思いますよ」


 ライカは慌てて計算した。

 ミリアムの店で定食は銅貨三枚で飲み物が付く。

 つまり銅貨三十二枚あれば十回食堂で食べられてお釣りが来るのだ。

 銀貨一枚が銅貨三十二枚程度という事なのであれば、全部で六十四回食事が出来る計算となる。

 サッズがどれだけの間この街にいるかは分からないが、当面は十分の額だった。


「それで良いです」

「そうですか、それで、これは一応お聞きしているのですが、こちらの品はどちらからお持ちした品物でしょうか?」

「ええっと」


 ライカは少しややこしいその経緯を軽く脳裏で辿って説明した。


「それは、領主様のところで交換していただいた品物です。元々は彼が持ち込んだ首飾りをお金に換える予定だったんですが、少し額が大きくなりすぎるという事で領主様が価値の小さい品物に分散してくださったのです」


 ライカは既にやりとりに興味を無くして入り口の扉をいじっているサッズを指して説明する。


「領主様の?それは証明を出来ますか?」

「聞かれたらこれを見せなさいと言われました」


 ライカは領主の焼印の入った革の袋を見せた。

 貰った品物を入れてもらった袋である。


「なるほど、確かに領主印です。そちらの方は外国の貴族の方ですかな?いや、失礼しました。これは取引に関係のない話題でしたね。それでは領主様のご紹介という事ならば私共も少しだけ信用増しをさせていただきましょう。銀貨五枚と銅貨三十六枚でお引取りさせていただきます。よろしいでしょうか?」


「あ、はい。ありがとうございます」


 色々と戸惑う事もありながらも、とりあえず換金を終えて、うろんな目付きになっていたサッズを伴って店を出た。


「終わったのか?」

「見てたら分かったろ?無事終わったよ」

「全然見てなかった」


 いっそ堂々とサッズは言い切る。


「ああ、まぁ分かってたけどね。でもさ、これってそもそもサッズのお金じゃないか。なんで俺に全部任せてるんだよ」

「あんなややこしい話が分かるか!なんで人間社会は飯一つ食うのにこんなに面倒なんだ?」

「なんかちょっと前に同じような話をした気がするぞ。とにかく使えるお金になったんだからいいだろ」


 彼等が両替屋を出た所でそうやって話していると、一人の男が近付いて来た。

 その男は、上着もズボンもただ着てるだけという感じで締めるべき所を締めておらず、髪も髭も手入れした痕跡もない。

 まるで怪しんでくれというような風体だった。

 なによりも顕著なのはその目付きで、ぼんやりとした中にかすかな狡猾さが見て取れる。


「坊や達」


 その男はニヤニヤしながらどこか媚びるような声で彼等に呼びかけた。


「坊や達、お金持ちなんだろ?おじさんにちょっとだけ分けてくれないかな?おじさんちょっとお金が足りなくて困ってるんだ」

「なんだ?戦いの申し出か?あまりにも力量の差が大きすぎて馬鹿馬鹿しすぎるんだが、やりたいなら受けてやるぞ?」


 ライカが何かを答える前に、サッズが平然と言い放つ。

 ライカはたちまち青くなった。


「え?坊や、血気盛んだな。おじさん、そんなに力持ちじゃないけど、子供に負ける程弱くないよ?いいのかな?怪我とかさせたくないし、ちょっとだけお金くれたら痛い事なんか無しで終わるんだよ?」

「ちょっと待って。その、彼はこんな見た目だけど、もの凄く強いんですよ。止めた方が良いです。それに喧嘩なんかしたらすぐに警備隊の人が来ますよ。ここ表門の近くじゃないですか」

「坊や達、可愛いなぁ。そんな事でおじさんが諦めるって思ってるんだ?大丈夫だよ。警備隊が来るまでには終わってるから。おじさんこういう事に慣れててね。とても足が速いんだよ。だからさ、痛い事しないでちょっとお金を分けてくれればいいんだよ」


 その男はニヤニヤ笑いながらライカ達から少し離れて佇んでいる。

 周りから見れば単に立ち話をしているようにしか見えないだろう。

 男はそれを承知で警備隊に通報されないように立ち回っているのだ。

 これでサッズから先に手を出せば通報されるのはサッズの方になる。

 だが、ライカが心配しているのはそんな事ではなかった。


『ちょっと、サッズ。こんな事で人を殺しちゃ駄目だから』


 心声でサッズを嗜める。

 とはいえ竜族の感覚で言えば何かを奪い合って戦うのは当たり前の事で、特にサッズが好戦的という訳ではないのだ。


『分かってる。俺だってこんな弱い者相手に全力でいかない。だが戦いたいというのなら受けてやるしかないだろ?なかなか勇敢じゃないか。勇敢な者には敬意を払うのが礼儀だ』

『この人、戦いたいんじゃなくてお金が欲しいだけだと思うよ』

『他者から何かを奪うなら戦うしかないだろう?何が違うんだ?』

『ええっとね、ううん、間違ってはいないような気もするんだけど。でもこの人は別に戦いたいんじゃないと思うんだ』

『よく分からん』


 そんな風に見た目には言葉もなく視線を交わし合っている彼等に焦れたのか、男が脅し方を少し変えてきた。


「坊や達、おじさんこんな物持ってるんだけど」


 その男の胸元にちらりとナイフが見える。

 それと同時に、その男から僅かに戦意が走った。

 サッズがそれに反応し、ライカが慌ててそれを止めようとする。

 と、そこに別の声が割り込んだ。


「おっさん、なにしてんだ?」


 低く冷静な声。

 ライカはその声に覚えがあった。

 更に言えば、彼等を脅していた男の方もその声の主を知っていたらしい。


「あ、いや!何もしてないぞ。この坊ちゃん達にお慈悲を願ってただけで」

「あ?慈悲だと?何だそりゃ。滅んだ聖王様とやらを崇める馬鹿どもが唱えてる法螺話の事か?意外だな、お前がそんな信心深いとは知らなかったよ」

「そ、そうさ、俺はこう見えても聖王様の慈悲を毎日お祈りしてるんだぜ?」

「それで毎日働かずに慈悲とやらをせびってるのか?いいか、お前がそこらの連中に慈悲とやらをせびると俺達に迷惑が掛かるんだよ。警備隊の奴等がどんだけ俺達のねぐらを嗅ぎまわってると思ってるんだ?てめぇがこないだ酔っ払いの懐から金を抜いたせいだろうが」

「あ、な、何のことだ?」


 男がきょろきょろと周りを見回した。

 自分のやった事を暴かれて誰かに聞かれて通報されるのを警戒しているのだろう。


「今日こそはてめえの性根を入れ替えてやるからな」


 言葉と共に踏み出した途端、男が脱兎のごとく逃げ出した。

 自慢したのは嘘ではないらしく、ひと飛びで店と店の間にするりと入り込んだと思ったら、瞬く間もなく見失ってしまう。


「ちっ、あのやろう逃げ足だけは速いんだからな」

「ノウスン?」


 そう、その声の主はレンガ地区の少年達のリーダーであるノウスンだった。


「ああん?てめぇなんだそのすました野郎は?」

「俺と一緒に育った、家族みたいな相手だよ。祭りの日に来たんだ」


 怪我の具合は?と続けようとしたライカの言葉は嘲るような言葉に遮られる。


「ふうん、精霊のふりでもして女を誑かしに来たって訳だ。お綺麗な自慢の顔でさぞかし沢山騙したろうな」

「ノウスン!」


 ライカの鋭い声に彼はニヤリとして見せた。


「へぇ、お前でもそんな顔が出来るんだ」


 だが、そんな彼の嫌味の矛先は横から叩き落される事となる。


「お前は何のつもりだ?」


 ひやりとした声がその場の空気を裂いて響いた。


「戦いに勝手に割り入るとは、相応の覚悟を持ってした事なんだろうな?」


 すうっと冷えた空気が更に軋むのがはっきりと聞こえる。

 ノウスンは思わず身を引いて、うっかりそうやって身を引いてしまった己に腹を立てたように一歩前に出た。


「ああ?何言ってんだ?なんだ、手前あいつに刻んでもらいたかったのか?お貴族様はそういう趣味があるのか?そりゃあ悪かったな」

「少なくともあの男は自分の欲する物の為に戦うつもりだった。それを関係のない者が止める資格はない」

「なんだ?資格?あいつはな、この街の鼻つまみもんだが、うちの地区のやつなんだよ。あいつが問題を起こすとうちの地区全体に警備隊の手が入るんだ。そっちこそ関係ねぇんだ!ひっこんでろ!そんなに痛い目が見たかったんなら、どっかの酒場で金でも払って痛めつけてくれる相手を探しな!」


 サッズを揶揄された事に腹を立てていたライカだったが、さすがにこの展開に呆然として、慌ててその間に割って入る。


「ほら、今の話聞いただろ?あの人は彼の身内なんだよ。だから彼が止めたんだ」


 ライカの分かり易い説明に、サッズは眉を寄せた。


「なるほど」


 とりあえず納得はしたらしい。


「なんだこの変態野郎は?ガキと遊ぶのが趣味のお前に似合いのお友達だな」

「ノウスン。貴方はさっきの人を止めに来たの?それとも俺と喧嘩をしに来たの?どっち?さっさと決めないと警備隊の人が向かってきてるみたいだけど?」


 ノウスンがぎょっとして振り向くと、確かに警備隊の隊服が人通りの向こうに見えた。


「ふん、お前らと遊んでる程俺も暇じゃないんでな。お前らがぼやぼやしてなきゃこんな真似をする必要もなかった訳だが。まぁいい、その顔見てるのも気分が悪い。おい、お貴族様。てめぇもお遊びに満足したらさっさと街から出てけよ!てめぇにはお遊びでもこっちは必死で生きてるんだ。迷惑なんだよ」


 言うだけ言ってさっと踵を返すと、毅然と顔を上げ、堂々と歩き去る。


「言ってる事は訳が分からんが、まぁ群れの頭らしい覇気はあったな」


 散々罵倒されたサッズだが、大半が理解出来ない言葉だったからかあまり気にならなかったらしかった。

 ライカはとりあえず大事にならずに納まった事にホッとしながらも、ノウスンの言葉の一部には納得するものがある。


「サッズ、人間と戦ったって何の意味もないんだから戦いを受けたりしちゃだめだよ」

「相手にだって戦う理由はあるんじゃないか?」

「命を賭けてまでの理由じゃないと思うんだ。俺達の見た目で弱いと誤解して来るんだよ」


 言われて、サッズは自分とライカを見比べ、うなずいた。


「なるほど、ちょっと騙してるようなもんか。分かったなるべく避ける」

「なるべく?」

「なるべく、だ」


 ライカは溜息を吐いたが、それ以上サッズが譲る訳が無いと分かっているので、それで納得する事にした。


「ご飯は食べちゃったけど、ミリアムに一応報告しなくっちゃいけないから食堂に戻ろう」

「ああ、分かった」


 サッズは伸びをすると、少し首を傾げる。


「なんならもう一度食べてもいいぞ?」

「やっぱり足りないんだろ?人間の食事じゃ」

「そんな事はない」

「いや、そんな事で意地を張らなくても良いから」

「意地を張ってる訳じゃない」


 二人はもはや先ほどのごたごたを忘れ去り、何事もなかったようにのんびりと言い合いながら、ミリアムの待つ食堂へと道を進んだのだった。

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