第7話 精霊祭~英雄を詠う者~

 城の前庭の中にそんな通路がある事をライカは初めて知った。

 確かに城内はあちこちに低木どころか人間よりも遥かに長く生きているであろう大木もそこかしこに佇み、一瞥しただけでは全体を見渡せないようになっている。

 しかしこの通路はかなり広く作られていて前庭を斜めに横断しているので、むしろ見つからない方が不思議な感じがした。


「ここは元々水路の周りにあった回廊や、その休憩場所に下働きの者が主人の邪魔をしないように簡単な食べ物やお茶などを運ぶ為の通路なんだ。回廊は取り壊してしまったが、ここは城の壁に繋がっていて壊すのは危険だからそのまま残った。しかし、現在はこの通路を使う意味がないので今は使われていないのだよ」

「使われていないにしては綺麗ですね。灯火も灯されていますし」

「うちには手抜きを許さない気骨のある女官頭がいるからな。こういう所もまめに手入れをしてくれている。本当にありがたい限りだ」

「あ、もしかするとその方にお会いした事があるかもしれません」

「ほう。それは運が良いな。彼女は素晴らしい人だから、言葉を交わすのはもちろんとしてその佇まいを目にするだけでも幸運な事だ」

「ええ、素敵な方でした」


 ライカの言葉に、領主は面白そうにその顔を見た。


「彼女の素晴らしさを理解する事が出来るというのも、またとても幸せな事だぞ」


 領主の言葉に、ライカは一度垣間見たきりのその女性、セッツアーナの姿を思い浮かべる。

 しっかりとした骨格で上背のあるその体をまっすぐに伸ばし、確固とした眼差しで、争い事で混乱したその場を一瞬の内に掌握した。

 その姿からだけで窺える、巌のような精神の強靭さが、より強き者に惹かれる竜族として培ったライカの素地に感動を与えるのだ。


「こんな広いお城を使わない場所まで管理するなんて大変でしょうね」

「俺達のように細々とした事はさっぱり分からない名ばかりの上司には想像も出来ない程だろうな。と、そろそろ外に出るぞ、警備の兵に見付からないように周囲に注意するのだぞ」


 彼はこの城の主のはずなのに、なぜ見回りの兵士から隠れなければならないのだろう?と、ライカは半ば呆れ気味に思った。

 それに、警備が厳重なはずの城の中を易々と、全く見つかる事なく堂々と雑談をしながら移動出来ている事も本当なら問題とすべき事なのではないだろうか?とも思う。

 だが、模範となるべき大人であるはずの現在の引率者の領主本人は、全く悪びれる事なく色々と大事なはずの決まりごとを気軽に捨て置いて自身の心のままに行動しているようだった。


 通路の出口は夏には可愛い小さな花が咲く低木の茂みに囲まれた小道に合流していて、それが壁際の同じ種類の低木の後ろへと続いている。

 低木と言っても領主の頭を隠す程には丈があり、外からは彼等の姿は見つけられないだろう。

 実際、ライカは自分がこの通路に入り込むまで、この壁際の茂みと壁の間にこんなに広い空間があるとは思ってもみなかったのだ。


「お城ってなんかすごいですね」

「まぁ基本的に城というのは戦の為にあるものだからな。大概が迷路のようになっていて、そこで働く人間は自分の使う通路ぐらいしか把握していないのが普通だ。と言ってもこの城の成り立ちを考えると、単に寛いでいる娘を煩わせたくなかっただけかもしれんが」


 壁沿いに進むと、一度は遠ざかった声が聞こえて来た。

 同時に楽器の音も響いて来る。

 その楽器の音は、何かが空間を振動させて立てる高く硬いものだ。

 それが、いくつかの違う音色を一度に響かせ、大気を柔らかく震わせ、解けるように広がっている。


「あれはセタンという楽器だな」

「セタン?」

「ああ、三本の馬の毛を、こう中をくり抜いた木に張り渡して音を響かせるようになっている。俺も五年ぐらい前に初めて見て、興味を持って触ってみた事があるからなんとなく分かる」


 彼等はのんびり話をしながら、その音と、不思議な節回しで響く男の言葉がより良く聞こえる場所を探してそこに腰を落ち着けた。

 壁越しだが、それは壁を隔てて丁度向こう側らしく、思ったよりも明瞭に聞こえて来る。


 セタンの音が急に潜まり、それに相対するかのように男の声が強く響いた。


「そう、数々の苦難はこの時の為。神が彼を世にしろしめす為、

     人の子は知るだろう、我らを愛しき子と呼びし神はその子を見捨てはしなかった。

  争いを収めよ!

      神の意向は彼に託され、世界は光を迎え入れる。

    世界を巡り、うつし世のあまねく知恵をその身に帯しその方は、遂にこの国に降り立った。

 世界最強の獣の主、知恵の泉の所有者にして、偉大なる慈しみの心を抱きし者。

       あなた方が知り、愛し、仰ぎ見るそのお方こそが、

            世の終焉を止めるべく自らの使命を悟りし唯一人の英雄であったのだ。

 偉大なるかな、英雄ラケルド、やがて王の栄光を分け与えられサクルの名を頂くお方。


      見よ!謁見の間の扉は開かれた!

   赤き、命と大地を表す床を踏んで、彼の神の名代たる証の御姿が現れ出でる!

     その広々とした広間を埋め尽くす、名高き者達の末、地を納める偉大な者達は、

         その威に打たれて我知らず頭を下げ、

                   王は玉座より立ち上がり、同じ床を踏みたもう。

 膝を付き、頭を下げ、王に対する敬意を示す英雄を、若き王は永くの友のように腕に抱いた。

                 『待っていたぞ!我が心の友よ!』

    その王の御心に応えて英雄は誓いを述べる。

   『偉大なる王よ、時は来たれり。世を覆う暗雲を除き、世に安らぎを取り戻しましょうぞ』

  神は、その偉大なる瞬間を称え、

       天上よりは真の王と英雄を称える楽が降り注ぎ、人々は喜びに空を仰いだ」


 男の響き渡る声に合わせるように、セタンの音が段々と高まり、誓いを述べると同時に弾けるような音の洪水が辺りを埋める。

 それは、人の心の奥に響き渡るような声であり音であった。

 歌や語り、全くそのような経験が皆無であったライカですら、その音と節との強弱によって打ち込まれた物語に眩んだように息を詰めてしまう。

 ましてや進んでそれを聞きに来ていた聴衆は、その語りに息を呑み、高まりの頂上で弾けるような歓声を上げた。


「まあなんだ、俺が王に初めてお目通り叶ったのは地下牢で、だったのだがな」


 どこか照れたような柔らかい言葉が、ぼうっとしていたライカの耳に滑り込み、意識を覚醒させる。

 声の示すままに横を見ると、領主ラケルドは穏やかに苦笑を浮かべていた。


「ええっと、それではこの人の話は嘘なんですか?それなら訂正した方がいいのではないですか?」


 高まった胸を急激に冷まされて、ライカはややがっかりしたように問う。


「いや、嘘とは少し違うかな?聞こえるだろう、人々の熱狂が。この物語は、人々の望みなのだよ。それは彼等のものであって誰にも奪う事の出来ないものだ」

「望み」


 ライカは少し考えて再び領主を仰ぎ見た。


「そういえば、領主様は前にもそう言ってましたね。確かレンガ地区の地下の事で、領主様が知らないでいる事が彼等の望みだから知らない事にしておいてくれって」

「そうだったかな?」


 ラケルドは笑い、未だ続く自分の英雄譚の語りを背後に聞きながらライカにまっすぐ向き直る。


「一つ、お前の疑問に答えを出す導きにでもなれば良いとして、俺の考えを聞いておくか?」

「はい。お願いします」

「これは俺が今の時点で辿り着いた一つの答えに過ぎない。これが正しいとも限らないし、お前の求めているものからは大きく外れている可能性もある。だから、決して俺の言葉を丸呑みにはするなよ」


 彼は暫し流れるセタンの音を聴くように目を閉じた。


「人間には他の種族と大きく隔たっているところがある。それはまだ起こっていない事をまるで目前で見るように思う事が出来るという能力だ」


 ライカはその言葉に、ラケルドの魂の半身であるアルファルスから言われた事を思い出した。

 そう、彼も人間は見た事もない出来事を目前に見てしまう生き物だと言わなかっただろうか?


「それは備えるという知恵となって人間という種族を他の種族から守る鎧となり武器となった。だが一方で、それは人間自身を苦しめる毒ともなった」

「毒?」

「そうだ。本来生き物というものは危険にこそ最も敏感になるものだ。自らの命を守る事が最優先なのだからそれは当然だ。しかし、だからこそまだ見ぬ先の時を見るようになった人間は、まだ起こってもいない危険や苦しみを予感して、それが起こりもしない内からその苦しみを味わい恐怖に苛まれる事となったのだ」

「起こっていないのに?」

「ああ、極端に言えば明日天が落ちてきて我らは滅びるかもしれない。という有り得ないような事ですら、完全な自信を持って笑い飛ばす事が出来ないのが人間なのだ」


 ライカはさすがに首をひねった。

 そんな事を心配する必要があるのだろうか?もし本当にそれが起きたとして、どうしようも出来ないのに。

 ライカのあからさまな疑惑の顔に領主は笑った。


「このたとえは極端だが、そうだな、昔話をしようか?俺は物心付いた時から戦争で荒れ果てた場所にいた。周りの人間も皆似たようなものだ。俺は彼等に問うた。この酷い事はいつ終わるのだろうか?と。そうすると、誰もが口を揃えて言ったものだ。『終わる訳がない』と」


 ラケルドは少し息を吐くと、話を続ける。


「人は自らの生み出した幻想の未来に絶望する事の出来る生き物なのだ」

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