第64話 治療
血の匂いがする。
それが最初にライカの意識に上った。
「よし、そこに支え棒を入れろ、出すぞ!」
うなるような声が聞こえたかと思うと、血色を失った腕が見える。
「ゆっくり出せ!お前達、手を組め、乗せるぞ!」
兵士達が互いに向かい合って組んだ腕の上に引っ張り出された青年が乗せられた。
その上衣はじっとりと血を含んでいて、赤黒い。どうやら頭から出血があるようだ。
ユーゼイックと助手達はどこからか集めてきたらしいコケを敷いた上に敷布を乗せ、そこに彼を横たえる。
ライカは、その様子を見守りながら自分の仕事を続けていた。
沸いた湯を柄杓で汲み出し、助手の青年が容器に入れた材料の上にそれを慎重に注ぐ。
それで練られた薬を赤紫の毒消しの葉に塗り広げると傷に貼る薬になるのだ。
助手の青年の手つきは慎重でありながら手早く、見る見る内に複数の準備薬を作って行った。
これらは今助けられた者達用の物でもあるが、それ以前からの怪我人もまだ治療中でその治療にも使う。
治療は間断なく続けられていて、軽傷の治療は手早さが要求される状況だ。
スアン達は薬と患部を悪しきモノの進入から守る為に、それを覆う特製の泥を練っている。
最初の一人が助けられた後は、次々と人が引き出され、最後に出て来たのがノウスンだった。
「ノウスン、」
ライカがぎょっとした事に、彼の状態は一見して見て取れる程に酷い。
片足は完全に骨がはみ出して見えるぐらいに折れ、斜めに捩れていたし、腕も片方変な風に下がり、異様に腫れていた。
それでも彼は兵の助け手を払い除け、自力で歩こうともがいている。
先に助け出された青年達は簡易の治療所となった地面の上に横たわった状態でありながら、心配そうにその様子を見ていた。
その、先に助けられた中の一人をユーゼイックが手ずから担当していたが、胸が陥没していて、まともに呼吸が出来ていないようである。
ユーゼイックは彼の背を探り、額に汗を浮かべながらいくつかの部分に圧力を加え、その度に折れ曲がった状態の胸の骨に軽く触れて、一人頷いたり首を振ったりしていた。
「よし、いいか、君。ゆっくりと息を吸うんだ。ゆっくりとだぞ?痛かったら止めていいからね」
やがて一つ頷いて、ユーゼイックはその青年にゆっくり言い聞かせえるように指示を出す。
相手は声が出ないようであったが、それでも自分を看ている相手に目線を返すと、言葉に従って息を吸い込んだ。
だが、慌てた為か咳き込み、その咳が酷い痛みを誘発したらしく激しく身悶える。
ユーゼイックの大きく、しかし細い手が彼の喉に触れると彼の咳が止まった。
「大丈夫、ゆっくりと慌てないで」
青年は痛みによる涙を浮かべながら、それでも頷いてみせ、再びの挑戦を始める。
「いらん!俺らは自分の事は自分でやる!放っておけよ!」
その時、かすれた、しかし大きな声が辺りに響いた。
「しかし、その状態でこの礫石の道を降れる訳がない。他人の力を借りるべき時には借りた方が良い」
ノウスンである。
その、拒絶する姿勢を解そうと、領主が柔らかく話し掛けていた。
「このぐらいの怪我なんざ俺らの仲間は何度でも負ってきたさ。それでも他人に頼らずになんとかして来たのが俺らの誇りでもあるんだ、そもそもきさまらのように身分を振りかざして他人を見下げるような連中を信頼して身を預けたり出来るはずがないだろうが!」
ノウスンはだらりと下がった腕の側のボロボロになった上衣の袖を引き千切ると、明らかに折れている足をギリギリと歯を食いしばりながら縛り上げる。
「俺は帰る」
その騒ぎに、治療を受けていた彼の仲間達が体を起こそうとして、治療に当たっていた者に止められた。
「ダメですよ、下手に動いては折れている骨が肺に刺さってしまいます。肺というのは呼気の流れの元なのです。それが破損しては人は死んでしまうしかないのですよ」
ユーゼイックも、胸を陥没させて横たわっている青年を渾身の力で押さえ付けて言い聞かせている。
青年は口をパクパクとさせると手を払い、彼の言葉を拒否してみせた。
「いけません、治療をする者として怪我人にわざわざ危険な行為をさせる訳にはいかないでしょう?」
その様子に、ライカは溜息を吐くと騒ぎの大元に歩み寄る。
「ノウスン」
「また来やがったな、手前は関係ないだろ、なんにでも嘴を突っ込むんじゃねぇよ、騒ぎ鳥野郎!」
ライカはそれを無視すると、言葉を続けた。
「あなたは集団を率いるリーダーとして立派だし、彼等にとても慕われてもいます。ですが、あなたが彼等のリーダーなら、自分の気持ちだけを押し通すのは間違っているんではないですか?」
「関係ねぇって言ってるのにわかんねぇ奴だな、また殴られたいのか?」
「彼等を殺して、自分は不自由な体になって、それで満足なんですか?」
「なんだと!」
瞬時に雄叫ぶと、ノウスンはライカに殴り掛かろうとしたが、足を動かした途端に倒れ込んでしまう。
「あなたは彼等を守りたくて彼等のリーダーになったのではなかったんですか?違うのならあなたのやっている事に何の意味があるんです?」
「てめぇに俺らの何が分かる!何が劣る訳でもないのに、一方的に蔑まれるしかない俺らの何が分かる!自分達を蔑むやつらに大事な仲間を預けたり出来ると思うのか?」
這いずりながらも、ノウスンは言い募った。
「治療所の先生は一度も貴方達を蔑んだ事はないんじゃないですか?あの人は街の人みんなを怪我や病気から助けたいと言っていました。そんな人を悪く思うなら、それは貴方の嫌う貴方達を知りもしないで蔑む人たちとどこが違うと言うんですか?それに領主様だって貴方達を蔑んだりした事は無いんじゃないですか?」
「表ではどうでも見せる事は出来る、本当がどうだか分かりゃしないさ」
反論しながらも、ノウスンの言葉は弱い。
「俺より貴方達の方がこの街に長く住んでいるはずです。本当に分からないんですか?」
ノウスンは、返答を返さなかった。無言のまま体を引きずり上げると、顔を上げて周囲を窺い見る。
彼の仲間達は簡易の治療所で横たわっていたり、治療を終えぬまま起き上がり、彼の方を見て立ち尽くしていたりしていた。
誰もが彼の決定を待っている顔をしている。
「言っておくが治療に金は出せないからな」
舌打ちをして、言い捨てると、彼は仲間に顎をしゃくってみせた。
仲間達はホッとしたように治療者達の指示を受け入れて治療に戻る。
「そこは安心しろ、お前達はいわば今は私に雇われている形だろう。ならばその面倒をみるのはこちらの役割だからな」
「はっ、そういえばそうだったな。なら思いっきり良い薬を使ってもらわなきゃなんねぇぜ」
領主の言葉に勢いよく返した彼だったが、その全身には異常に汗が浮かび、顔色は悪かった。
「領主さま、彼をあっちに運ぶのでどなたか手伝ってもらえますか?」
ライカはさすがにそのままではまずいと思い、領主に依頼する。
「バカ言え!腐れ兵の手なんか借りるか!」
それに対してまたも喚いて、立ち上がろうとするのを抑えて、領主は彼の無事な方の肩を持ってその体を支え、足を半ば浮かせて体を半身分傾けた形で立ち上がらせた。
「まぁ任せろ、こういうのは得意なんでな」
「あ、俺も手伝います」
「いや、そっちの腕はどうも関節が外れているようだ、少し時間が掛かるがこのまま移動するから場所の準備の方を頼む」
「てめぇ、何を勝手に!」
「ふむ、金を払っている雇い主の言う事は聞いておくのが賢い稼ぎ方だぞ、ノウスン。上手くすればそれを盾に要望を通したりも出来るんじゃないのかね?」
「何言ってやがんだ、ったく、てめぇとしゃべってると疲れるぜ」
ぐったりと、気持ちのせいだけでもなさそうに彼の体から力が抜ける。
領主は体の角度をやや調整すると、何事も無かったように歩を進めだした。
「分かりました。あっちの準備をしておきます」
ライカは了解の意を示すと、その場は彼に任せ、ユーゼイックの元に戻る。
「よし、もう少しだ、ゆっくり息を吸い込んで」
戻ってみると、ユーゼイックが治療していた青年はかなり回復していた。
呼吸が規則的に行われ、胸のへこみはあまり目立たないぐらいまで戻っている。
ライカは驚いた顔でそれを見た。
「体の中で骨が折れているんでしょう?どうやって元に戻したんですか?」
「体というものは色々なもので支え合って成り立っているものです。元々骨を支える役目の筋に折れた部分を押し上げさせて元の位置に戻しているだけですよ」
「凄いですね」
「ですがまだ安心は出来ません。骨は折れたままですからね。なんらかの衝撃で内部の大事な臓器に刺さる可能性があります。そうならないように繋がるまで体を固定しなければならないのです」
「俺も骨を折った事があるんですが、自分ではあんまり覚えてないんですよ。痛かった事ぐらいしか記憶になかったんですけど、治すのは大変なんですね。それで、先生次の怪我人が来るんですが、彼も酷くって」
「ああ、彼も骨をやっているね。しかも外傷になっている。急いで治療しないと大変ですね」
ユーゼイックは一度手を休めると、ノウスンと領主の方を見て、考えてそう告げる。
「はい、彼の治療の為の場所はどうしたらいいでしょうか?」
「イージィに任せなさい。彼女は毒を注ぎ込む悪しきモノを防ぐ為の毒消しに詳しい。骨が飛び出る程の傷は傷だけではなく内部に入る毒が危険なのです。彼女の指示に従って準備してください」
「分かりました」
ライカは顔を巡らせて先生の助手の一人であるイージィを探した。
彼女は火の近くにいて、鍋の中に木の皮らしきものを入れて煮込んでいる。
「イージィさん」
「どうしました?」
「あの、彼の治療をするので先生がイージィさんに場所を用意してもらうようにと、彼、足の骨が折れて突き出ているんです」
「分かりました」
余分な言葉もなく、彼女はさっさと動きだした。
「これを地面に付けないようにして持っていてください。こちらの火の傍に場所を作ります。毒を持った悪しき精霊が入り込まないように下は石の上に直接布を引きましょう。少々体が痛いでしょうが、なるべく危険は避けた方がいいですから」
「はい」
ライカは渡されたやや茶色く染まった布を掲げ持つように持ち上げる。
その布からは松の独特な匂いがしていた。
領主に支えられて移動してくるノウスンを見ると、もはや顔色が土気色になっている。
「大変だ」
ライカは気持ちを引き締めて、自分への指示を取りこぼさないように、イージィの行う手順をじっと見つめた。
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