第38話 とある夏の日

 まるで祭り前の喧騒のような慌しさに、街の人間は目を丸くしていた。

 祭りと違うのは、その騒ぎが主に城の中で起きているらしい事だ。

 街の人間は「何か凄い量の荷物が行き来しているぞ」と、思いはしても、現実的にはほとんど自分達とは関係がないので、無責任にそれを遠目から眺めて取り沙汰するだけで、それに巻き込まれる事はなかった。


「おまえら、足元見すぎだろう」


 子供達に本を読んだ後、その日は食堂の仕事がないという事を知っている子供達に捕まって遊びに付き合わされる流れになだれ込んでしまい、それが解散した後も離れなかった二人程の子供を仕方なくぶら下げながら、いつもより遅い時間に帰宅しようとしていたライカは、レンガ地区の入り口でなにやら大きな声でやり取りをしている大人達を見掛けて足を止めた。

 珍しい事に、城の下働きのお仕着せを来た人物と、警備隊の目立つ制服を着た青年の組み合わせの二人がレンガ地区の住人らしい相手と立ち話しをしているようである。


「警備隊だ!」


 子供達がたちまち警戒の声を上げるのはレンガ地区ならではの事だ。

 それでいてどうやら彼らは避けられる程嫌われている訳ではないらしく、ライカの元から一直線に走り出した子供は、警備隊の青年にいきなり体当たりをかました。


「うお!」


 どうやら城の使用人の警護で来ていたらしい青年は、ぼんやりしていた所を突然の子供の襲撃にふいを突かれたという体で、みっともなくも尻もちをついてしまった。


「ばーか、そんなんでよく街を守るとか言ってるな!」

「う、お前ら」

「す、すみません、俺がしっかり捕まえておかなかったから」

「え~、兄ちゃんが謝るのは変だろ」

「変だ!変だ!」


 未だ片手を独占している子供も唱和して、賑やかな声が上がる。

 ライカは頭を抱えた。


「あ、坊主、前にさらわれそうになった子だな、確か大工のじいさんとこの」


 言われて、ライカは相手の顔をしげしげと見直してみたが、まだライカには人間の見分けが難しく、一度会った程度の相手だと個人としての識別が出来ない。

 しかし、事件の事を知っているとすれば風の班の誰かには違いないだろうと判断を下した。


「ええっと、風の班の方ですか?」

「あ~覚えてないか?まぁ話もしてないし無理もないよな、俺はケインズってんだよろしくな。ところでこのガキを引き剥がしてくれるかな?」

「あ、はい!すいません」


 ライカは空いた手でケインズの上に乗っかったままの少年の腋の下に手を差し込んで抱え上げた。


「お、上手い。子供の扱い慣れているね」

「あはは」

「え~!兄ちゃんさらわれそうになったってなんだよ!」

「なんだよ!」


 またも騒ぎ出す子供達をしっかり捕まえて、ライカは青年から少し距離を取った。

 この騒ぎに、なにやら交渉中だったらしい男達も驚いたらしく、手を止めて彼らを眺めている。


「その話はまた今度話すから、今日はもう帰るよ」

「え~、やだ!それにこいつ縄張り荒らしだぜ!追い出してやる!」

「お前ら、俺達警備隊相手に縄張りを主張するとはいい度胸だな。二度とそんな口が利けないようにお仕置きをしてやろうか?ああ?」

「ケインズさん、子供相手に、何言ってるんですか」


 なにやら子供と同じ調子でやり合い始めたケインズを呆れたように見ながら、ライカは、風の隊のラオタ班は変わり者ばかりだという評判を思い出した。

 変わり者というか、どうもザイラックの班の面々は警備隊という治安を守る組織の一員である自覚と威厳が薄い気がするライカであった。


「ちょっと、カイ殿。面白味の無い仕事でつまらないのは承知だが、邪魔をするならいっそ帰ってもらえないかね?」


 どうやらこちらのやり取りに苛立ったらしい城の人間が溜息混じりにケインズに注意した。

 それと、どうやらこの青年も、本名ではない短い呼び名を賜っているらしい。


「あ、どうもすみません。しかしですね、ここらで舐められると今回の取引も上手くいかないですよ」

「子供と本気でやり合う方が取引の妨害だ」


 お城の人が反論するも、ケインズの方も引きはしなかった。


「子供と言ってバカにしちゃいけませんよ。こいつらが大人にあることないこと吹き込んで、俺らの評判がですね……」

「そうだ!子供をバカにするな!」


 なぜか子供達は今度はケインズの側に着いたらしい。

 ライカはすっかり脱力して、この大人げない青年と子供達をどうするべきか悩んだ。

 とりあえず、まともそうな大人に話を振る事にする。


「城の方ですよね?ここらで見るのは珍しいですね」

「ああ、大量の品物の買い付けをしなければならなくなってね。こうやって交渉に来ている訳だが。しかし、商人でもないわしらにはキツイ事だよ」


 取引相手が目前にいるにも関わらず愚痴ってしまう彼は、どうみても交渉上手とは言えないだろう。

 相手をしているレンガ地区の住人らしき男の方は、この中の誰よりも落ち着いている。


「どうするんだ?俺達は別にお前らに売らなくてもちゃあんと使い道があるんだぞ?そもそも予定外に放出すれば自分達の食い扶持が減る事になるんだ。出来れば売るのは止めたいというのが正直な所だしな」

「か、勘弁してくれよ。お前達が私らにいい感情を持ってない事は分かるが、これはちゃんとした取引の話だ。只で召上げるとか、そういう事を言っている訳ではないのだぞ?お前達が飢えるような事はないし、どちらかというとそちらに得な条件で話を進めているじゃないか」


 どうやらややこしい取引の話がもつれているらしい。

 こういった事には、ライカとしても関わるべきではないとは分かるので言葉を挟むのは避けるに限ると話を聞かない事にした。

 やはり今は問題のはっきりとしている警備隊の青年と子供達の方をなんとかするべきだろう。

 ライカはそう心に決めて気合を入れる為に大きく息を吸った。


「ほら、二人共、大事な話をしているんだから邪魔しちゃ駄目だろ?ケインズさんもお仕事中なんでしょう?子供達を構ってたら班長さんに怒られますよ」


 ライカが班長という言葉を出した途端、子供達もケインズもびくりと身を竦ませる。


「やめろ!噂なんかして本人が現れたらどうするんだ!」

「そうだよ!あのおっさん容赦ないんだぜ!」


 またも息ぴったりに主張する青年と子供達を見ながら、実は仲良しなんじゃないかとライカは疑った。


(班長さん、人気ないな)


 ライカはちょっと気の毒に思ったが、とりあえず利用させてもらう事にする。


「それなら怖い班長さんが来ない内に帰るよ。さ、警備隊のお兄ちゃんにさよならをして」

「ちぇ、しょうがないな、じゃあまたな弱虫カイ!」「またな!泣き虫カイ!」

「てめぇら!今度会ったら覚えてろよ!てかお前らまでカイって呼ぶな!」

「そ、それじゃあ」


 ライカは子供達といっしょにケインズ青年に手の平を向けて軽い別れの挨拶をすると、その場を早足で後にした。

 なんだかんだ言いながら、ケインズの方も、ライカと子供達に手の平をひらひらとしてみせる。

 その様子を見る限り、彼がこの仕事に退屈していて、その気分晴らしに付き合わされたのではないか?と疑いたくなるにこやかさだった。

 再び両腕にしがみついた子供達と歩きながら、そういえば、とライカは思い出した。


「ケインズさんはどうしてカイって呼ばれてるの?」

「あの腐れおっさんがそう呼んでるからだよ」

「腐れおっさんって、」


 誰?と聞こうとして、そういえばザイラック班長さんをこの子がおっさんと呼んでいたな、と気付いた。

 それにしても、えらい言われようだ。


「あのおっさん、長い名前が面倒だからって自分の部下の名前全部適当に変えてやんの」

「そうなんだ」


 そういえば、以前ライカを治療所へ案内してくれたジャスラクスという青年もジルと呼ばれていたはずだ。

 名前を勝手に呼び変えられるのはさすがに少々気の毒な気もする。

 竜族には家族以外が真名を呼ばないように、家族以外の前では適度に名前を変えて呼ぶ風習があるが、人間世界ではそういうものは無かったはずだ。

 しかし、班長がそう呼ぶからといって、何も他の人間までそれに倣わなくていいようなものだが、案外、ザイラック班長は色々言われながらも人々に好かれているのかもしれないと、ライカは思う。

 そしてライカはそのまま少年達を市場へと連れて行くと、ハーブ屋へと顔を出した。


「サルトーさん」

「お、ライカ坊、今日はまたちっこいのが引っ付いてるな」

「あの、例のやつありますか?」

「おお、例のやつな、試しに作ってあるぜ、どれがいい?」


 ハーブ屋のサルトーは店の奥からなにやらごそごそと取り出すと、木で作られた二重蓋の小さな小物入れのような物を開いた。

 中には金黄色や淡い黄緑の、淡く透き通った小さな塊が入っている。


「何?これ」


 子供達は小さな綺麗な物に興味深深だ。


「飴だよ」

「飴?」


 ここの子供達にとって飴とは砂糖の木の樹液で冬に作るもので、夏場にはあまり見ないものである。

 しかも冬に作るものもあまりたくさん採ると木が駄目になるので、お祭りの日にちょっとだけ貰えるものだ。


「ハチミツとハーブとを組み合わせて色と香りを付けた飴をライカ坊が提案してな。まぁ試しに作ってみている所よ」

「ハーブ!」

「お薬?」


 子供達にとって、ハーブとは病気の時の薬であって、嗜好品ではない。

 どうも、飴とハーブというその組み合わせにピンと来ないようだった。


「いいから食べてごらん、こっちの青薬花のやつとか綺麗な色だろ」


 ライカが選んで子供達の口に入れてやる。

 子供達は恐る恐るという風に口を動かしていたが、やがて目を輝かせて夢中で口の中の物を味わい始めた。


「甘い!おいしい!」

「そうか、良かった。サルトーさん、これいくらで売るつもりですか?」

「そうさな、一個一カランはさすがに高いかな?」

「元々ハーブ自体が高いものですから、高くはないと思いますよ。ハチミツだってここらでは安いと言ったってひと壷二十カランぐらいはするんでしょう?」

「そこは花の群生地を熟知している強みで養蜂やってる野郎とは懇意だから、ハチミツは安く手に入るんだけどな」

「じゃあ、とりあえず二個で二カランでいいですね」


 言って懐から出した物入れから銅貨を二枚引っ張り出すライカの手を、サルトーは慌てて止める。


「おいおい、おりゃあライカ坊から金取るつもりはないよ」

「え、でも」

「そもそも色々新しい売り方をお前さんが考えてくれて。すっかり助かってるのは俺の方なんだぜ?それにライカ坊から金を取ったと女房にバレたら殺されちまうぜ」


 サルトーは恐妻家である。


「うーん、でもそれじゃあ俺は気軽に買いに来れなくなるから困ります」

「気軽に買いに来なくていいから気軽に貰いに来い」

「うんうん、兄ちゃん、もっと気軽に行こうぜ」

「気軽!気軽!」


 飴を舐め終わったのか、子供達が勢い付いて囃し立てる。


「おう、良い事言うな、もう一個ずつやろう」

「やった!」「わーい!」

「お前達……」


 眉間を押さえるライカに、サルトーは自慢気に言った。


「実はな、こないだこれを城に持って行ったんだよ。そしたら気に入られたらしくてさ、定期納入の契約を結べたのさ。どうやらお偉いさんが来るらしくて、珍しい上品な食い物が必要なんだと」

「お城に?」

「そうそう、だからこちとら毎日のアガリにピリピリする必要が無くなった訳だ。本当にライカ坊には感謝してるんだぜ」


 サルトーの、ハーブで色変わりした手がライカの頭をやや乱暴に撫で回した。


「まぁ気になるならまた今度採取に付き合ってくれよ、お前さんは山歩きが強いから助かるんだよな」

「分かりました」


 ライカはやや苦笑して、その提案を受け入れた。

 固辞しても誰も喜ばないだろうし、ライカとしてもサルトーの豊富な知識を学ぶ機会を得られるのは嬉しい事だと思っているので、採取に付き合う事自体は楽しみであって、全く苦にならない。

 なにより、自分が考えた物が他人の役に立ったという事が嬉しかったので、素直に一緒に喜びたいという気持ちもあったのである。


(それにしても、本当にお城に偉い人が来るんだな。前にお客さんが言っていたように、王様が来るのかな?)


 ライカにとって人間の王様という存在はなんとなく現実感がない相手だ。

 なにしろ、竜と違って、外見や能力が他の人間と明らかに違う訳ではないらしい。

 それなら、何を持ってして王となったのだろう?と不思議に思ってしまうのだ。

 しかしライカがいかに疑問に思おうとも、人間社会では王とは集団社会の頂点に君臨する存在である。

 もし本当に王様が来るのなら城の人々はさぞや大変だろうと、領主を始め、知り合った人々を思いやった。


「それじゃ、また。ありがとうございました!」

「おう、またな」


 ハーブ屋を離れると、ようやく満足したらしい子供達を送っていく事となった。

 どうやらさんざん暴れて疲れたらしく、眠そうにしている。

 静かなのはいいが、今度はやたら重い荷物になってしまった。


「ライカってば、ばっかねぇ」


 子供達のそれぞれの家を知らないのでセヌの家に行くと、出迎えた彼女にいの一番にそう言われる事となった。


「え?」

「すっかり振り回されちゃって。見ててごらん、みんなあんたに我侭言うようになるんだから」

「そ、そうかな?」

「ライカは甘やかしすぎ、迷惑な時はビシっと帰れ!って言うもんよ」

「ごめん」

「なんかくれてやったりしてないでしょうね?」

「う……」

「あげちゃったの?もう!ねだり癖がつくじゃないの!」


 思いっきり説教を食らったライカは、もうしませんと誓わされて追い出された。


 レンガ地区から家へと向かうと、自然に城の外壁を眺めながら通る事となる。

 夏なのでまだ明るいが、もう四点鐘の鐘も鳴ろうという頃なのに、城には荷車や人の出入りが絶えない様子だった。

 城門前を横切ろうとするライカの目前を、野菜を積んだ荷車が横切る。


「あ、晩御飯の買い物をして帰らなきゃ」


 ライカは祖父がカブを煮たものが食べたいと言っていたのをふいに思い出して市場方面に取って返した。

 確かカブは新しい物が葉物屋に入っていたはずだと、ライカは子供達と通った市場の様子を思い出して考える。

 食堂で働いているせいか、ライカは自然に食材の入荷状況に意識が向くようになってしまった。

 ついでに、おかみさんがカブのハチミツ漬はとても美味しいと言っていたのも思い出し、二人で食べる分を作るにはどのくらい買えばいいのか考えつつ、市場へと向かったのだった。

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