第37話 ある夏の日

「どう考えても無理ですよ!」


 普段の彼には到底似つかわしくない強い口調で断言した補佐官は、テーブルを叩かんばかりの勢いで腕を振り回した。

 それを眺める領主、ラケルドは顎に手を当てて机に肘を付くというだらしない格好でその訴えを聞いている。


「ふむ、無理か」

「当たり前です!騎乗用の竜十頭、しかもその上竜車用の雌竜一頭、どこをどうしたらこれを食わせるだけの肉があると言うのですか?そもそも護衛兵や貴賓用の食事を用意するのさえ苦労するというのに。なにもこんな辺境に王自らが視察になどいらっしゃらなくてよろしいでしょうに」


 ほぼ激昂に近い状態の補佐官を困ったような顔で見上げると、その主であるはずのラケルドはやんわりと提案をしてみた。


「いや、別にうちだけの話ではないぞ、領地全てを回る予定だそうだ。それに地竜は雑食だ、別に肉だけ食わせる必要もあるまい」

「肉じゃなくても野菜だって、ここらで芋以外の何が穫れるというんですか?大体、よその領地はどうでもいいんですよ、勝手にどこへなりとも行ってくだされば。ですがうちは無理です」


 思いっきり断言されて、ラケルドは縮こまる亀のごとく更にテーブル近くにまで頭を沈めてしまったが、それでもなんとか説得を試みる。


「といってもうちだけ特別に免除して貰うという訳にはいくまい」

「あなたを特別扱いした所でいったい誰が文句を言うというんですか?しかもここが不毛の地だという事は誰だって知っている話です」

「まぁとにかく頭を冷やせ。いざとなれば俺がアルと一緒に果ての山脈に狩りに出る事も出来よう。高地羊はデカイし脂が多い。一頭でも竜十一頭の一日分くらいにはなるだろう」

「頭を冷やせと?国の英雄を統治が厳しい不毛の地へ追いやって、挙句に無理難題を吹っかけて来る王に腹を立てるなとおっしゃるのですか?」


 どうやら何気なくラケルドが発した言葉の内の何かが補佐官の心の奥に燻っていた不満の火を煽ったらしい。


「王は我らに悪意がある訳ではない。それどころかこの地を大事に思っているからこそここを我らに任せたのだよ」

「聖人君子ですかあなたは?そうじゃないでしょう?そもそもは俺達は流れの傭兵だった。契約を結んで戦い、結果を出して報酬を得る。それが当然じゃないですか?」


 補佐官のハイライは音を立ててギリッと歯を噛み締めると、言葉を継いだ。


「あなたは王と約束を交わした。他国が疲弊してこの国の豊かさを奪い合う事態になるのは明らかだったあの時。この国が壊滅の危機を迎える前に戦自体を終わらせるとね。そして事実それを果たした。ならばもう仕事は終わりだ。報酬を受け取って望みの暮らしをすればいい。どこか静かな場所で家族や友人だけで牧畜でもやって暮らす。そう語り合ったじゃないですか」

「ハイライ、ここは嫌いか?」

「そういう話ではありませんよ。ごまかさないでください。俺はこの国の仕打ちが、どうしても納得がいかないだけです」

「お前の怒りは俺の為のものだろう?ならばその怒りは必要ない。王は俺以上に俺の事を分かっていた。だからここを任せたのさ」


 どこまでも王を庇う主の言葉に、補佐官、ハイライは、ふっと目を細めた。


「本当にそうですか?あなたがこの国を出ないのは心残りがあるからではないのですか?」

「心残り?」


 不思議そうに見上げる主に、ハイライは眉根を寄せた難しい顔を向けた。


「私が知らないとでも思ったのですか?王の母君との繋ぎをこの城に置いている事を。時折文のやりとりをなさっているでしょう」

「ああ、あの方個人の情報網は多岐に渡っていて、多彩さでは未だに王家本体のそれ以上だ。とても参考になるよ」

「それだけですか?」

「それ以上の何があると言うんだ?」

「あなたとあの方の間に尊敬以上の気持ちがないとおっしゃるのですか?」

「一度しかお会いした事のない相手だぞ?」

「回数が問題だと?」


 ラケルドはとうとうたまりかねて吹き出した。


「お前にかかると何でも大事になってしまうな。俺はあの方に、そうだな、確かに崇拝に近い感情を抱いているが、それはお前の考えているような種類のものとは違うよ」

「私が何を考えているかあなたにお分かりになると?」


 ハイライの口調が硬いものになる。

 それは、何か耐え難いものに挑む時の彼の癖でもあった。


「いや、さっぱり分からんよ」


 対するラケルドの言葉は柔らかい。


「それなら言いましょうか?さっさと愛するお方を掻っ攫って、どこかひっそりと静かに暮らせる場所で生きるべきです。あなたもあの方ももう十分働いた。残りの人生を心のままに生きる事をいったい誰が咎めるというのですか?それが私の考えですよ」


 息も継がずにさらりと言ってのけた言葉は、長い間彼の中に秘められていたものなのだろう。

 今更つっかえようも言い間違えようもない程に、幾度も胸の内で繰り返されていた言葉。

 ようやく吐き出された言葉は、しかし、届くべき相手になんらかの感銘を与えたようにも見えなかった。


「そうか、お前の考えは確かに聞いた。しかし、どうも今の問題の主旨とはずれているようだぞ」

「……そうですね。とにかく今回の視察とやらは我が領地には大いなる負担です」

「よく分かった。まぁとにかく下がって飯でも食って来い。どうせまた昼を抜いたんだろう?そんな不規則な食生活をするからイライラもするのだよ。家で愛息や愛妻の顔を見ながらでないと飯がまずいというのも分からんではないが、なんなら家に戻って奥方に何か作ってもらってはどうだ?」


 まるで全く意見の相違など無かったかのように飄々とそう言う主を見て、ハイライは軽く息を吐いた。

 その昔、この主に拾われたばかりの頃、ハイライは何度も何度もこの男に自分を殺すように懇願した事がある。

 しかし、彼がそう言う度に、この男は「そうか」とニコニコ笑いながら頭を撫でた。

 この男は決して譲らないものは、こうやって真綿に包むように守りきる。

 その事をずっと彼と暮らして来たハイライは良く知っているのだ。


「まだ仕事が残っておりますので家には帰りませんが。とりあえず今日は下がらせていただきます」


 ハイライは部屋を後にすると、礼を失すると知りながらも後ろ手に扉を閉めた。

 重要な話をする時の常で張り番の兵はいない。

 深く息を吐くと、ハイライは重厚な扉に寄り掛かるように体を預け、両手で顔を覆った。


「まるで子供の我が侭ですね」


 突然の声に虚を突かれたハイライが振り向いた先には、すらりとした女性のシルエットがある。


「女官頭、」


 彼女はそのいかつい顔からまるで彫像であるかのように表情を消して、彼に視線を注いでいた。


「盗み聞きですかな?王の母君の腹心は間諜までなされるのですか?」

「静かな場所での密談など愚かな事でしてよ、補佐官殿。あなたは戦の計略はとても優れていらっしゃるけれど貴族社会の権謀術策など全くお分かりにならないお方ですね」

「我らは貴族などではありませんからね」

「今は貴族です。現実を弁えていないと、主たる方の足元が危うくなるやもしれませんよ。それに、主様の方はその事をよくお分かりですわ」

「そうでしょうとも」


 やや投げやりに応えて、彼はむしょうにこの鉄壁の女性に感情をぶつけたい衝動に駆られた。


「貴女は、貴女の主の幸福をお望みではないのですか?若くして国の為にその身を捧げた女性。確かに物語としては素晴らしい内容でしょう。しかし、貴女の主も私の主も架空の人物ではなく、血肉を伴った人間だ。なぜ人としての幸福を求めてならないのです!」


 答えが返るとは、本人すら思っていなかったこの問いに、だが、彼女は応じる。


「貴方は、ご自分が幸福な結婚をなさって幸せな家庭を築いて、それこそが万人の幸福だと信じていらっしゃいます。それは素晴らしい事ですけれど、その枠に収まらない方も世の中には在るのです。小さな家庭を守るだけでは決して幸福に成り得ない人間が。そして、王はそれをよくご存知でした。なにしろ一番身近なご生母がそういうお方ですからね」

「珍しいですね、お口が軽い」


 動かない硬い表情と紡ぐ言葉に含まれている愛情とが相容れず、ハイライは女官頭の顔をいぶかしげに見た。


「そうですね。わたくしも、殿方の涙を見るのは久々なので気持ちが昂ぶったのかもしれませんね」


 にこりともせずにそう言われて、ハイライはさっと顔に朱を昇らせた。

 敵とも味方とも判別し辛いこの女傑に弱みを見せた事を悔いているのだ。


「貴方といい貴公子殿といい、あの方の周りは激情家ばかりで、あの方のご苦労が慮られますね」


 言い募られる言葉に、却ってハイライの頭はすっと冷えた。


「それは、心外ですね。あの山豚男と一緒にされるなど、地面の下のミミズと同列に語られる方がマシなぐらいです」

「ほほほ」


 女官頭、セッツアーナは初めて表情を動かすと笑ってみせた。


「お仲がよろしい事ですこと。他に何が無くても、それはあなた方の宝ですわ。大事になさってくださいね」


 胸に両手を当てて、正式な騎士の礼をすると、彼女は現れた時と同じように、足音もほとんど無く静かに立ち去った。

 騎士制度は廃止され、兵士に簡易式のものが残るのみで、今やそんな礼を使う者は無い。

 それに騎士の礼は騎士以外が、ましてや女性がするようなものでは有り得ないが、しかし、彼女のそれはあまりにも様になっていて、見る者に違和感を生じさせなかった。


「……恐ろしいお方だ。あんな女性を使う王の母君も、まぁ俺なんぞの手には負えないんだろうな」


 ハイライは一つ頭を振ると、背筋を伸ばして、彼女とは逆の方向へと歩み去った。


 ―◇ ◇ ◇―


 夕食時の食堂は恐ろしいぐらいに賑やかだ。

 その騒ぎが危険な状態に行かないように、このバクサーの一枝亭では酒は二杯しか出さない事になっている。

 なので、


「でさ、とっておきの話があるんだよ、聞きたいだろ?だからな?麦酒をもう一杯」

「だ・め・で・す」


 そんな客のわがままもにこやかにミリアムがばっさりと切って捨てるのだ。

 この手の攻防はミリアムにとってはしょっちゅうの事ですっかりその対応には慣れている。


「おいおい、そんなみえみえの手なんか使っても駄目なのはあったりまえだろ」

「嘘じゃねぇよ!城方の下働きの奴に聞いたんだよ」

「本当でもダメです」

「うおおお!にべもねぇ!なぁ~ライカ坊なんか言ってやってくれよ」

「お酒は二杯の決まりですよ」


 ライカもにっこりと笑って言った。


「だからご飯食べたら酒場へ行きなさいってば」

「酒場は高けぇんだよ、まぁ綺麗なねぇちゃんはいるけどさ」

「それは普通の酒場じゃないでしょう」

「市場奥の酒場は女っ気が全然ねぇんだよ」

「知りません」


 ミリアムに愚痴っている所へライカがスープを運んで来る。


「下味に葡萄酒を使っていますからこれで我慢してください」

「お?そんな上等なもんいいのか?」

「大丈夫ですよ、栓を開けてかなり経った残りで、他に使い道が無かったとの事ですから」

「うおい、大丈夫なのか?」


 にこりと笑うライカの顔を不安に満ちた目で伺いながら男は別の意味でもう一度確認した。


「嫌なら食わなくていいんだぞ?」


 奥の調理場から怒声紛いのダミ声が飛ぶ。


「おやっさん!」


 客は思いっきりびびってスープを口に運んだ。


「く、食うよ!食いますよ!」

「大丈夫、美味しいですよ、さっきちょっと味見させて貰いましたから」


 滅多に口を挟まない親父さんの声にびびった客を流石に気の毒に思ったライカが励ますように声を掛けた。


「まさか食べられない物を出したりしませんよ」

「うう、坊主、俺の孤独な心を癒してくれよ」


 言って、その腰に抱き付こうとする客を、ミリアムが引き剥がす。


「うちの子になにするんですか?今さりげなくお尻を撫でたでしょう」

「う~ん、男のケツはやっぱり硬くてつまらない」


 ライカも最近は、それが危険なものではないと理解した為、客の仕掛けてくるいたずらの全てを避けたりしなくなったので、偶にはこういう事も起きるようになっていた。

 人足として集められた者達の中には家族を失っている者も多く、彼等はその寂しさを他人との接触で癒やそうとしているかのように人懐っこい。


「さっさと食べて、その高い酒場とやらへ行ってください」

「そういえば前、領主様にも尻を撫でられたんですけど。そういう挨拶が流行ってるんでしょうか?」


 しかし、この日の戯れは、ライカの記憶を刺激して、とんでもない暴露に至ってしまった。

 瞬間、食堂の中を沈黙が支配する。


「領主様?」

「いや、あの方女の噂は聞かないが、そういう話も聞かないぞ」


 ヒソヒソと潜めた囁きが交わされた。


「どうせ誰かが余計な事を吹き込んだに決まってるでしょう。あの方案外騙され易いわよ」


 ある意味ミリアムの評価が一番酷かったが、しかし、この街の住人にとっては説得力があったようである。


「ありうる、周りが癖がありすぎるからな」

「犯人はなんとなく見当がつくぜ」


 領主を肴にそれぞれが勝手に盛り上がり始めた。

 と、先程酒の為に話題を提供しようと提案していた男が、スープを啜りながら呟く。


「しかし、王様が来るらしいから、そういう悪ふざけは程々にしといてくれないとなぁ」

「え?どういう事?」

「なんだ?それがとっときの話か?胡散臭いな。こんな辺境へ王様が来る訳ねぇだろ、どうせ代理の誰かが来るってのを聞き間違えたんじゃねぇか?」

「いや、本当だって、調理場がそりゃ大騒ぎでさ、王様に出すような食い物なんか出来ねぇってさ」

「おいおい」


 しかし、周りは本気にしなかった。

 当然といえば当然である。

 単純に王都からは馬で八日程も掛かる距離である事もあるし、ましてこの場所は王国の西の果て、本来人の住む環境ではない地域であるがゆえに他の居住地から離れていて、途中に全く人の住まない、水もない荒野を二日程度掛けて踏破する必要があったのだ。

 このような無茶な行程を王本人が是としたとしても周りが許すはずがない。

 そのぐらいは王や貴族に縁のない人間でも容易に想像出来た。


「いや、本当だって」

「スープの酒の量が多すぎたんじゃねぇか?」

「違いねぇ!」


 と、いう訳で、バクサーの一枝亭の一日は、この日もやはり様々な真偽入り混じった話題を振りまきつつ、賑やかに過ぎたのだった。

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