第2話
季節は梅雨前。曇り空は多いけれど、まだ雨が降るには早い六月のこと。
いつもとは違う始まりにざわつく教室で、結衣は目線を下げることなくしっかりと前を見つめた。
およそ三十数人の目が、一気に注がれる。
「え~、今日からうちのクラスメイトになる転校生を紹介する。雨宮結衣さんだ。ほい、拍手~」
結衣の隣でそう言ったのは、このクラスの担任で日本史担当だと言っていた宇喜多。やる気がないのか眠たいのか定かではない眼で、少しおざなりに紹介される。
だが、結衣は動じることなく一歩前に出た。
最初が肝心。これ万国共通である。
学校指定のオフホワイトのセーターと紺地のスカート。規則は緩めと事前に調べていたため、襟に巻くリボンは軽く締める程度。当然スカートも規定通りではなく膝よりも短いが、教師に注意されるほどではない長さにしている。
もともと髪色は茶色がかっているためそこは弄らず、軽くピンでとめて顔はしっかりと見えるように。化粧はしないが、手入れされた肌は綺麗に見えるはずだ。
「S県から転校してきました、雨宮です。よろしくお願いします」
声はお腹から、それでいてうるさくならないように一語一語丁寧に。
おまけとばかりにニッコリ笑って言えば、生徒達は隣り合った友人と話し始める。
「この時期に転校生って珍しいよね」
「でも可愛いじゃん」
「お嬢様っぽくない?」
「彼氏いんのかな?」
男女ともにおおむね好印象。結衣は笑顔の下でキュッと奥歯を噛み締めた。
「はいはい、静かに。雨宮の席は一番後ろだが、視力とか平気か?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
宇喜多に軽く礼を言い、唯一空いていた席を目指す。
その間も決して固くならず、けれど姿勢は崩れないように意識する。気を抜いたらきっとすぐに猫背になってしまうのだから。
注目の中席に着き、朝の連絡が始まったことでようやく生徒の視線が結衣から外れる。
それにホッと息をつくが、すぐに気を取り直してお腹に力を入れた。
(ダメだ! オープニング乗り切ったからって、油断するな、私!)
結衣は筆記用具を取り出し、連絡をメモしながら教室を見回す。
ごく普通の町中にある、普通よりちょっと進学率が良くて、ちょっと生徒の呼び込みに役立つ特色もあるかもしれない普通の公立高校。名前は蘇芳高校。
そんな普通の学校の普通のクラスで、結衣は普通ではない意気込みを新たにする。
(今日からここが私の舞台。今日から私は女優。一流女優だ!)
ホームルームの終わりを告げるチャイムの音色。それは、結衣にとって試合開始のゴングにも等しいものだった。
* * * * *
「はじめまして、雨宮さん! あたし吉川陽奈っていうの。よろしく!」
「オレ岡田! よっしくね!」
休み時間に入ると同時に、一人の女子生徒が結衣の傍に寄ってきた。その後ろには明るい笑顔の男子生徒。
「こちらこそよろしく!」
この二人はクラスのムードメーカーといったところだろうか。周りにはちらほら結衣を気にする生徒もいるが、まだ様子見といった感じだ。
「学校内のことまだ分からないよね? 良かったら後で案内するよ」
「ほんと? 助かる。この学校けっこう大きいから」
「ああ、うちって部活動には力入れててさ。そういう設備は充実させてるらしいんだよね」
「そうそう、部活見学したけど、いっぱいあって見るだけで疲れちゃったもん」
「へぇ、そうなんだ」
会話の端々でも口調には気をつける。
気取った喋り方はダメ。だがいきなり親しすぎるのも、つっけんどんなのも消極的なのもダメ。必要なのは喋りかけやすい雰囲気と口調だ。
「そうそう。雨宮さん、明日とか明後日、放課後空いてたりする?」
「放課後?」
「せっかくだし歓迎会しようかなって! それにオレらもまだ入学してちょっとだからさ、親睦会もかねて~、とか思ってんだけど。なあ、良いよな?」
岡田が周りで見ていたクラスメイトに声をかけると、いくつか『良いんじゃない?』とか、『楽しそう』という声が上がる。
(歓迎会か……馴染むのにはちょうど良いな)
出来るだけ早くクラスには溶け込んでしまいたい。そういうイベントがあるなら使わない手はなかった。
「どうかな、雨宮さん?」
「ん~、お誘いは嬉しいんだけど、実はまだ引越しの片づけがけっこう残ってて……」
「なら、来週は? 雨宮さんいないと意味ないし、予定ある?」
「来週、来週……」
乙女の必須アイテムの一つ、ちょっと可愛いスケジュール帳をめくる。
突然の引っ越しのため、今週は放課後全てに片付けやら買い出しやらが入っている。だが、クラスに馴染むためのイベントを後回しにするわけにもいかない。
「あ、来週なら大丈夫! 空いてる!」
「やった!」
「よっしゃ! じゃあ来週な!」
「うん、嬉しい。ありがとう!」
にこっと笑ってちゃんとお礼。
結衣の笑顔を見た岡田は少し頬を染め、吉川もほうっと息をつく。そんな二人を視界に収め、結衣はシャーペンを握りしめ内心ニヤリと笑った。
(よし、掴みは完璧! 計画通り!)
結衣の傍には二人の他にも生徒が集まり始めた。気さくに話しかけて良いと判断したのだろう。これも順調にいっている証である。
(だが気は抜くな! この人達には知られちゃいけない。私が転校してきた理由!)
そう、今思い出しただけでもむかっ腹が立ち、自然と顔が歪んでくるあの理由。そしてバレてしまえば一貫の終わりと分かっているあの理由。
(絶対、絶っ対言えない……家族総出で、暴力事件起こしたなんてっ!!)
歓迎会の場所はファミレスが、とか、カラオケ行きたい、もうちょっとオシャレなお店がいい、なんていう会話に混じりながら、結衣は内面の怒りと焦りと不安を押し殺す。
ここにいる生徒は結衣が前の学校で入学直後に起こした事件を知らない。むしろ暴力なんて振るわなさそうな、どちらかといえばお淑やかな女子だと思っているだろう。
当然だ。
あの日から結衣は『第二の人生を歩む』と決めた。そのために仕草、言葉づかいに始まり、服装、髪型、笑顔の作り方まで、ありとあらゆることを『完璧な女の子』になれるように練習したのだ。
(あん時のことを後悔するつもりはないけど、生き辛いのだって嫌だしな……)
あの最低人間を殴ったことに後悔はない。だが、周りに迷惑をかけたのも事実で、結衣を避けたり、ご近所でいらぬ噂が立ったのも事実。
ましてや今回は家族にも目線が厳しかった。
(だからこそ、今度は失敗しない! 本性は絶対に隠し通す!! 見てて、天国のお母さん。私、立派なレディになって、ウハウハ青春ライフを送るからね!!)
口に出していれば先の事件とは別の意味で引かれたであろう目標を定めた結衣。そんな裏側を知らないクラスメイトは、楽しそうに歓迎会の予定をあれこれと相談していく。
「あ! お~い、須田! 須田も絶対来いよ!」
「そうそう! 絶対出席してよね!」
突然、岡田や吉川が入り口に向かって声をかける。『須田』と呼ばれた彼はこちらを振り向き、結衣の周りに集まる生徒に軽く目を見開いた。
「え、何の話?」
高校一年にしては高い身長、さらっとした黒髪と優しげな目。パッと見真面目そうな印象を受けるが、襟を軽く崩した制服の着こなしが似合っている。
(ほー……レベル高いな)
おそらく、世間一般の目から見て『格好いい』と評されるだろうな、と思う顔。
「だから、雨宮さんの歓迎パーティーだよ! 来週にしようって話してんだ!」
岡田の説明にようやく合点がいったのだろう。須田はスマホを取り出してスケジュールを確認しだした。そんな姿も様になっている。
「来週……ああ、大丈夫だよ。来週は委員会もないし」
「おし! なら行けるな!」
「全員そろいそうだね!!」
手を叩きあう二人を尻目に須田を見ていると、彼も気づいたのかニッコリと笑い返された。その顔は格好いいが、どちらかといえば柔らかく可愛い印象も受ける。
「雨宮さん、これからよろしく。俺は須田晃臣。一応、このクラスの委員長やってるから、困ったことがあったら聞いてね」
これぞまさしく絵に描いたような好青年。
結衣は負けじと清楚な笑顔を顔面に乗せた。
「ありがとう、まだ分からないことだらけだから助かるわ」
「うん、何でも聞いて」
二人のやり取りに周囲が軽くざわめく。何か笑顔が不自然だったか、と内心焦ったが、特に突っ込まれることなく須田は友人に呼ばれて去って行った。
その後ろ姿に、吉川達が黄色い声を上げる。
「かっこいいよねー、須田君! クラスどころか、うちの学年全体でも人気者なんだよ!」
「そうそう。成績優秀、スポーツ万能! 性格も優しいし! 何よりイケメン!!」
「ねー!! ほんと王子様みたいだよね!」
「おいおいー、他の男子もいること忘れんなよ~!」
色めき立つ女子に、岡田達ががっくりしたような声を上げる。
そんな彼らの隙間から見える須田の姿に、結衣は小さく目を眇めた。
(ふ~ん、王子様ね~……)
胡散臭いことこの上ない。漫画の世界じゃあるまいし、完璧な人間などこの世にいるはずもない。
須田晃臣は、確かにイケメンで非の打ちどころのない青年に見えるが、どうもそれだけではないように結衣には思えるのだった。
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