第50話モーサッドとベルトレイン

 起きてみると、ナムリッドはいなくなっていた。

 さすがに生徒の部屋から教師が出勤というのはマズイと思ったのだろう。

 ここは基本的に男のいない世界だ。

 細かい異性関係のルールは、たぶんない。

 ルールはなくとも、周囲への配慮を考えて行動しなければ。


 俺の部屋には窓がないので、朝陽は差し込まない。

 しかし、時間割の上に埋め込まれた時計を見ると七時だった。

 目覚めるにはちょうどいい時間だ。

 換気設備はわからないが、空気は淀みなく爽やか。

 俺は気分よくベッドを抜け出した。


 顔を洗い、制服を着て、机の上に置いておいた魔剣・ペルチオーネを取る。

 わずかに抜いてある刃を、完全に鞘へ納めた。

 その瞬間、俺の右隣りにソードリング・ペルチオーネが姿を現す。

 ウサミミリボンに銀と黒のワンピースを着た、いつもの姿だ。

 ペルチオーネは元気いっぱいに声をあげた。

「マスター! 朝ごはん食べさせてくれるの?」

「ああ、寮の方は問題ないようだからな。学費や食費を納めてるわけでもないし、神立っていうぐらいだから懐が深いんだろう」

しばらくして朝食を告げる放送があった。

 ペルチオーネと一緒に食堂へ向かう。


 食堂に入ると、また角のある女の子に鋭い一瞥を投げかけられた。

 額に短い角が二本あり、金髪で瞳の色も金色をしている女の子だ。

 しかし一刹那のことに過ぎない。

 そういう目つきだというだけかもしれない。

 俺は気にせず食事を受け取ってテーブルについた。

 昨日の夕食と同じように、がら空きのテーブルにつき、シャルロッテの向かい側に座る。

 反対側の端では、やはりイクサが一人で食事を取っていた。


 朝食を終え、身支度を済ませると、サリーに案内されて教室へ向かう。

 俺とシャルロッテ、他にはイクサも一緒だ。

 イクサは相変わらず喋らないが、昨日に比べると、だいぶ力を取り戻したらしい。

 直径二十センチはある鉄球を小脇に抱え、しっかりした足取りでついてくる。

 ただ、制服の着こなしは微妙にズレていて、どことなくだらしない。


 花々の咲く庭園を抜け、教科棟に入る。

 朝のざわめきの中、薄い緑色の廊下を進んでいくと、俺たちはどうにも目立った。

 三年生たちの俺に対する態度は落ち着いたものだったが、下級生となるとそうはいかない。

 目を丸くされたり、好奇の視線をむけられたり。

 背後で笑いが起こることも多かった。

 シャルロッテの首の傷はボディステッチのようで目を引くし、イクサは足首につながった鉄球を持っている。

 それにペルチオーネは、周りの生徒より一回り年下のような外見だ。

 目立つ要因は、俺一人だけじゃない。


 指をさされる中、階段を上って三階へ行き、廊下をさらに端まで進む。

『3―C』の教室へたどりついたときには、少々気疲れしてしまっていた。

 ドアを開けて中へ入ると、大学の講義室に近い構成だった。

 数人がつける長い机とベンチが並んでいる。

 あまり広くはない。

 ぎゅうぎゅうに詰めて三十人入れるか、というところだ。

 後ろにいたイクサが足を早めて先に出た。

 かと思うと、最後列の窓際を取られてしまった。

 俺も狙っていたのに。

 シャルロッテと短い相談をした結果、俺たちは隣り合わせて、イクサの前の列に座ることにした。


「ペルチオーネ、おまえはどうするんだ? 勉強だからおしゃべりもしてられないぞ」

「う~ん……?」

 ペルチオーネはあごに指を当てて考えたあと、

「あたち、しばらく様子見する」と、姿を消した。

 ペルチオーネが消えたので、俺は窓際にしてもらう。

 サリーは俺たちと離れて、最前列の真ん中の席につく。

 居室に置かれていたパッド型の教科書とノートを、制服の入っていたでかいバッグに入れて持ってきていた。

 このバッグも通学用に使うにはちょっとダサいので、何か代わりになるものを買わなければならないだろう。

 教科書パッドを机の上に出して待っていると、徐々に生徒が集まり始めた。

 みんな俺たちより先に寮を出たはずなのに、どこで時間を使っていたのか。

 他の子たちはやはり、小洒落たバッグで教科書を運んでいた。

 例のちょっと気になる、角を生やした鬼っ子も同じクラスだった。

 彼女と二人の友だちが入ってきた直後、チャイムが鳴り、豊かな黒髪のクシナダ先生も現れた。

 これでクラスの生徒が全員だとすれば、十二人だ。

 思っていたより少なかった。


 サリーは学級委員長的ポジションらしい。

 サリーの合図で起立と礼をして授業が始まる。

 黒板代わりのモニターを背にして、教壇に立ったクシナダ先生が口を開く。

「今日は初めて授業を受ける方もいますから、まず事象学を学ぶことの意義をお話します」

 俺たちのほうをちらりと見て続ける。

「みなさんは魔法を使って、自然にある世界の諸法則を歪めてしまいますが、それが元はどういう力であったのか、自然にはどういう形の法則が働いているべきなのか、それを知っておくことは大変有意義なのです。同じ魔法を使う場合でも、諸法則を前もって知り、その魔法でどういう変更を加えることになるかを理解している場合では、消費する力も威力も変わってきます……」

 いきなり堅い話だ。

 意識に靄がかかってくる……。


 隣のシャルロッテからは規則正しい息遣いが聞こえてきていた。

 まるで寝息みたいだ。

 俺は少し違和感を覚えて、シャルロッテに目を向ける。

 シャルロッテは紅い瞳を見開き、背筋を伸ばして座っていた。

 しかし、その瞳はなにもとらえていない。

 微動だにせず、ゆっくりした息遣いが続いているだけだ。

 俺は気づいた。

 こいつ……。


 寝てるッッッ!!!!!


 隣だから気づいたが、シャルロッテは目を開き、姿勢をただしたまま寝ていた。

 昼間には弱いという夜の種族の特性か、授業が退屈だからか。

 どっちにしろ、こんなときには素晴らしい特技だ。

 シャルロッテに注意を向けていて先生にバレてはマズイと、俺は窓の外へ視線を転じた。

 校庭の陸上競技トラックを、女の子たちが走りこんでいる。

 みんな制服とブーツのままだ。

 体操服じゃないことに少し驚いたが、考えてみれば当たり前か。

 けっきょく、あの制服とブーツでランニングより危険な戦闘を行うことになるんだから。

 ぼーっと眺めていると、二人の女の子がものすごい勢いで他の女の子たちを追い抜いていくのが目に入った。

 抜きつ抜かれつ、走り競り合う二人の女の子。

 片方は藍色のショートボブで、頭の上にはネコミミ。

 もういっぽうは、くるくる巻いた金髪。

 周りの女の子たちをどんどんと周回遅れにしているのは、イリアンとノーデリアだ!

 あの二人、けっこう根性あるな。


 その走りっぷりに見とれていると、先生に名前を呼ばれてしまった。

「タネツケくん! 事象学は聞き流すだけでもいいけど、注意は向けていて!」

「あ、すいません……」

 俺はしかたなく授業に集中した。

 集中したって理解できなかったけど。

 その後も同じ教室で座学が二時間続き、昼休みに入る。

 集団指揮担当のおばあちゃん先生が出ていっても、シャルロッテは身動きしなかった。

 昼になって眠りも深くなっているらしい。


 シャルロッテの肩を軽く叩きながら言う。

「シャルロッテ、昼だぞ。カフェテリアに行かないと」

 シャルロッテはビクリと震えたあと、呂律の回っていない口で答えた。

「れはおしょくじれすれ、いきまひょう」

「なに言ってるかわからないよ。いいなー、その起きてるフリの特技」

 じゃっかんよろめいているシャルロッテと連れ立って教室を出る。

 いきなり声をかけられた。

「先輩! これを受け取ってください!」

 黒髪おさげでメガネをかけた子が、深々と頭を下げて、白い封筒を俺に差し出している。

「えっ、俺に?」

「はい!」

 緊張で青ざめた顔が可愛そうなので、俺は封筒を受け取った。

 すると女の子は、なにも言わずに走り去る。


 シャルロッテがさして関心もなさそうに言う。

「いきなり恋文でしょうか……」

「さあ? 開けてみよう」

 俺はその場で封筒を開けてみた。

 もちろん中身は手紙だ。

『友達にこれを頼みました。体育館の裏で待っています。お食事の前にいらしてください。お願いします』

 俺が見えるようにしていたので、シャルロッテが言った。

「これはきちんと顔を出してあげなければなりませんね。みなさんには先生に呼ばれて遅れているとでも伝えておきます」

「そうだな、いちおう会って話を聞くぐらいはしないとな」

 顔は深刻そうにして、内心ドキドキしながら俺は答えた。

 俺たちは階下まで行き、庭園側の出入口を出たところでシャルロッテと別れた。


 体育館裏には初めて行くが、体育館が見えているので迷わない。

 庭園の中を進んでいると、いきなり背後から声をかけられた。

「そっち、ごはんじゃないでしょ?」

「うわっ!」

 マトイの声だ!

 べ、別にやましいことなんかないけんども!

 驚愕しつつ振り返ると、そこにはニヤついたペルチオーネが立っていた。

「マトイの声真似とかすんな! 紛らわしい!」

「でも、どこ行くのマスター? あたち、ごはん食べたい」

「ちょっと人に会うだけだ。すぐに食えるよ」

「波乱と混沌?」

「いや、平穏と秩序だ。つまらないぞ、剣の中で寝ていたほうがいい」

「ついてく!」

「好きにしろ」


 俺たちは庭園を通りぬけ、陸上トラックを横切って体育館へ向かう。

 魔法棟の陰になって人目のつかない裏へ回った。

 まだ誰もいない。

 周囲に人の気配はないか、ペルチオーネに聞こうとしたとき、甲高い笑い声が響いた。

「見なさいよ、あのバカ面! 男ってホントにさもしいわね!」

 魔法棟の裏を回って、女の子たちがぞろぞろと現れた。

 六人。

 ほとんどは青と緑のリボン。

 下級生だ。

 ただ一人、金の縁取りに赤いリボンの三年がいた。

 そいつがリーダーらしく、先頭に立って歩いてくる。

 食事の度に俺を睨みつけていた鬼っ子だった。


 嫌な予感がしながらも俺は聞いた。

「手紙は見た。なんの用だ」

 鬼っ子は鼻で笑ったあとに答える。

「アンタみたいなちょうどいい見本が現れたから、男の愚劣さを教えてあげたいの」

 それから取り巻きの女の子たちに腕を差し伸べて言った。

「わたしの彼女たちに。ウフフフ」

 戸惑いがちな追従の笑いが起こる。

 周囲の女の子たちは、こいつほどには悪意がないようだった。

 面倒な恋愛事にならずに済んだと安心する反面、正直、不愉快でもある。

 地球で高校に通っていたころにも、似たようなことがあった。

 見せつけるためのピエロとして呼び出しを受けることは初めてじゃない。

 あのときはずいぶんなショックを受けた。

 だが、俺も死地をくぐり抜けて図太くなった。

 こんなイタズラがあるんじゃないかと、心の片隅で予想していたし、いまならなんてこともない。


 俺は肩をすくめて言ってやった。

「おまえの気が済んだんならそれでいい。俺は昼飯を食べに行く。いくぞ、ペルチオーネ」

 踵を返そうとしたところ、ペルチオーネが腕にすがって止めた。

「でも、背中を見せたらやられちゃうかも!」

「なに!?」

 鬼っ子が張り詰めた口調で言ってきた。

「器のでかいようなフリをするのが、なおさら気に入らないわ。少しばかり傷めつけてやらないと気がすまないのよ、アンタみたいな軽薄短小はっ!」

 鬼っ子が右ももに付けていた白いポーチからなにかを取り出す。

 それを持った右腕を伸ばすと、銀色の線が手から地面に垂れた。

 金属製の短い棒を、鎖状につなぎ合わせた武器。

 ゲーム知識で、俺はそれがなにかわかった。

 九節鞭という、金属製の鞭だ!

 この鬼っ子がどれほどの使い手だったとしても、そんな普通の武器なら俺の敵じゃない。

 だが、鬼っ子は鋭い目つきで挑んできた。

「アンタが抜くまで待ってあげるわ。それでも勝負になるかしら?」

 鬼っ子は九節鞭を回転させ始めて続けた。

「このモーサッドと、そのドリフティング・ウェポン、ベルトレインは無敵よ!」


 あの九節鞭はペルチオーネと同じ、力を求めて次元間を漂流する武器、ドリフティング・ウェポンか!

 そうなると話は違ってくる。

 下手に背中を見せれば、おそらく瞬殺だ。

 ドリフティング・ウェポンと戦ったことはない。


 だが、何事にも初めてはあるッ!


 俺は緊張しながらペルチオーネの柄に手をかけた。

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