第30話 わたしって、賢かったの?
コタローは席に着くなり自転車の話を喋りまくった。4人が隣にいるのでわたしも諦めて自転車のことばかり喋った。多分、4人とも、本当に2人が自転車つながりだけの単なる友達と思っているだろう。
隣の4人は真剣な、というよりも鬼気迫る顔で勉強を続け、時折問題の内容について意見を言い合っている。なんだか、そういうシチュエーションが好きみたい。わたしとゆうきもいっぱしにポピーで資格試験の問題について議論してたことがあったから、まあ、なんとなく分かるけど。でもわたしたちはその時、滅多に客に話しかけない店長からたしなめられた。その時の店長とわたしとゆうきの遣り取りはこんな感じだった。
・・・・
「その資格って、仕事に使うためのものですよね。議論も時には必要ですけど、‘仕事ごっこ’にならないよう、気を付けてくださいね」
「はい・・・」
「偉そうなこと言ってすみませんね。でも、この年まで生きてると、議論するまでも無かったな、ってことが仕事の中でいっぱいあったもんですから。たとえば、喫茶店でお客さんに‘いらっしゃいませ’とか、‘ありがとうございます’って挨拶することについて、何か議論する必要、ありますか?」
「いえ・・・」
「でも、そういったごく自然な人間同士の遣り取りについても議論したがる会社にわたしはいたんですよ。それって、仕事に真剣に取り組んでるように見えて、実は‘ごっこ’でしかなかったりしますからね。議論に酔ってしまって、お客さんや取引先や同僚の生身の姿が見えなくならないように・・・」
・・・
「森野さん」
ポピーの店長の言葉を思い出してぼーっとしてる時に、さっき‘彼女さん?’って訊いた子が話しかけてきた。
「はい」
「森野さんって、3年生?受験は?」
「え、わたし、就職組なんで」
「森野さんって、どこの高校?」
「フタショーです」
「ああ・・・・」
って、何だ、その‘ああ・・・・’は。フタショー生は大学行く訳ないってか?なんか、ヤな感じだな。
「高瀬」
あ、コタローって呼ばない人がいた。菊池って人だっけ。
「お前、何で大学受けないんだよ」
コタローがきょとんとしてる。
「いや、別に。理由なんて特にないけど」
「じゃあ、お前、何で受験しないって決めた後も俺たちと一緒に学内模試とか受けてんだよ」
「何で、って・・・一応授業の一環だから受けないと卒業できないからな」
「じゃあ、何でお前がこの間の模試で学年3位なんだよ!東大の合格判定も80%だったじゃないか。何なんだよ!」
え、何それ!?コタローって頭良かったんだ!
「菊池、やめなよ」
一番物静かな感じの子が小声でたしなめてる。でも、菊池って子はやめない。
「高瀬、それともお前、勉強しないで3位だってのか?」
「いや、みんな程は努力してないかもしれないけど、今でもそれなりに勉強はしてる。それに、模試で志望校を東大って出したのは先生が勝手にやったんだよ。俺は知らない」
「何で勉強やめないんだよ!やっぱり大学に未練があるんじゃないか。でも、最後の最後では自信が無いから母親の介護を言い訳にして、俺たちのような努力を逃げてるだけだろ」
うわっ、サイテーだ、この菊池って人。コタロー怒れ!わたしが許す!
「菊池、俺がお前の気分を害したのならそれは申し訳なかった。謝る。俺はただ、自分のなすべきことが大学とは別ルートにあったってだけなんだ」
あれ?コタローって、こんな人だっけ?
「何だよ、高瀬のなすべきことって」
「早く仕事で一人前になることだよ」
「仕事って自転車屋のか」
「ああ」
「でも、俺らのような努力しなくて、一人前って言えるのか。俺らは大学行くのが目的じゃない。社会人になったその先の仕事でもベストを尽くして常に人間として努力し続ける道を歩むために今、立ち向かってる。信念があるんだよ。それとも、お前はその自転車屋を業界のトップ企業にするために努力していくつもりか。海外にも進出するつもりか。それなら認めてやる」
「いや、そこまでのことは考えてない。ただ、お客さんにできるだけいいサービスをして、自転車を楽しんだり、実用に使って貰えたら、って思ってる。それに、できれば俺はこの街にずっといたい」
「志が低すぎる。こんな奴に俺たちが負ける訳がない!気概もない奴はもう模試なんか受けるなよ!」
ああ、もう、我慢の限界だ!わたしが言ってやる!
「菊池さん!・・・・でしたっけ?・・・」
うう、この菊池って人の眼、すごく怖い。最初の一語は気合い十分で大声出せたけど、尻すぼみになっちゃった。でも、頑張って言おう。
「わたしはコタローくんのことは自転車が好きだってことくらいしか知りませんけど、志が低い、ってことは無いと思います。コタローくんはお母さんの病気のことも言い訳にしてないです。それどころか、ちゃんと4月から社会に出て立派に働き始めます。偉いと思います」
ああ、小学生の作文みたいなことしか言えなかった。
「ただ働くだけなら仕事じゃない。志あって初めて事を成したと言えるんだ!」
「じゃ、じゃあ、菊池さんの志って、何ですか?」
「俺の志はどんな分野であろうと大学で学んだことを最大限活かした仕事をして、社会に貢献することだよ。そして、高瀬みたいな楽な道は選ばずに努力を続けて社会全体がより幸福になるよう尽くすことだよ!」
「幸福って・・・わたしは今、菊池さんと話してて、全っ然幸福じゃないんですけど・・・」
「フタショーの奴には分かんないよ!」
ああ・・・怖い。言うんじゃなかった。どうせ、わたしはフタショーの女ですよ。なんか、泣きそうになってきた・・・
「菊池、悪いけど、シズルはお前なんかより、百倍賢いよ」
「何!」
え、コタロー・・・よく分かんないけど、菊池って人の方が、多分私より百倍頭いいよ。
「たとえば、菊池。お前が社会に出てばりばり仕事してる時に、認知症になったらどうする?」
「は?」
「だから、若年性の認知症になったら、お前は努力してない、ってことになるのか?」
「何言ってんだ。俺は認知症になったりしない」
「え、何で?」
「認知症にならないように、頭も体も鍛えてる」
「・・・ま、いいや。じゃお前が別の病気になったら?たとえば、癌でもなんでもいいけど」
「俺は病気にならない」
「だから、何で?」
「病気にならないように、心身ともに鍛えてるし、信念を持ってる人間はそれをはね返す」
「・・・・じゃ、お前が死んだら?仕事半ばに死んだら、どうなる?」
「寿命がくるまでは俺は、死なない。人生の目標のために俺は努力してる。そんな中途半端な年では死なない」
「菊池・・・お前、寿命の意味って分かってんのか?」
「当たり前だ」
「寿命、って、平均寿命のことじゃないぞ。みんなバラバラなんだぞ」
「当たり前だ」
「やっぱり、シズルの方が、賢いわ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます