4live
naka-motoo
第1話 「前座」
その1
室田 英明(むろた ひであき)ボーカル・ギター。城戸高校2年生、16歳。
加藤 泰司(かとう たいじ) ギター。小山高校2年生、17歳。
白木 咲 (しらき えみ) ベース。鷹井高校2年生、17歳
武藤 一翔(むとう かずと)ドラム。鷹井第一高校2年生、17歳。
バンド名は、「4LIVE(フォー・リヴ)」。高校もバラバラ、好きな音楽もバラバラ、性格もバラバラ、見た目もバラバラ、身長も、血液型も、好きな食べ物も、バラバラ。
僕たち4人の唯一の共通点であり、初期の接点だったこと。それは、僕たちは、「殴られる側の人間」であった、ということ。そして、僕たち4人は、かつて僕たちを殴った人間と、ついうっかりと出会ってしまった場合、7割の確率で、今でも殴られる、ということ。
ちなみに、一応ロックバンドなので、好きな音楽の紹介だけしておきたい。
僕、室田 英明は、ekという東京の団地生まれのバンドが好きだ。どういう傾向の音楽が好き、ということではなく、ekが作る歌が好きなのだ。僕は、小学生の時からekが好きだった。今、ekのメンバーは全員中年になっている。
加藤 泰司は、洋楽全般が好きだが、特に好きなのが、サイケデリック・ファーズという、1970年代後半から1980年代を中心に活動していたバンドだ。好きになったきっかけは、そのバンドの曲をモチーフに作られた同名の映画、「プリティ・イン・ピンク」だ。父親がDVDレンタルで借りてきたのを、たまたま一緒に観たそうだ。主演女優は当時アメリカで10代のカリスマとなっていた女優だけれども、映画の内容はB級もいいところで、この映画の監督は、単に自分の好きなバンドの曲を集めたサウンドドラックを作りたかっただけではないかと言われていたらしい。ちなみに、彼の父親は、公開当時、この映画を二本立ての同時上映として観たらしい。どちらにしても、加藤の音楽の嗜好は、4人の中では一番ロックバンドらしいものだと思う。
白木 咲は、クラシックで育った。クラシックが好き、というよりは、クラシックしか聴かせて貰えなかった、と言っていた。幼稚園の頃からピアノを習っていて、今も定期的に先生に指導を受けに行っているそうだ。その先生も、もう70歳を過ぎ、冗談かもしれないがピアノ教室の跡をついでくれないかと言われることがあるそうだ。
武藤 一翔は、アニソンが好きだ。アニソンと言っても色々ある。最近は、若くこれから知られていくだろうというバンドの曲が、アニメの主題歌として使われることが多い。武藤は、そういう曲ももちろん好きだけれども、音楽との接点を求めているのではなく、アニメとの接点が多く、たまたま、アニメに使われていたバンドを知る機会が多い、ということのようだ。
僕たちは、お互いのことを、室田、加藤、武藤、と呼び、白木だけは、咲、と下の名前で呼んでいる。泰司とか一翔とかは、いかにもバンドっぽくて、そっちの名前で呼んだ方がいい気もするけれども、存在そのものがバンドっぽくない僕たちがそんな呼び方をするのは、自分達でも気持ち悪い、と思うので、そうしない。
本当は、言いたくはなかったのだけれども、やはり、この後、何かにつけて必要になると思うので、僕たちの共通点、「殴られる側」ということの説明もしておく。
一言で言うと、「いじめられっ子」ということだ。
僕は、小学校4年生の時に、なぜかクラスのリーダー格に通学時の帽子を取り上げられて捨てられたことがきっかけで、男子全員と女子の一部から、毎日殴る蹴るの暴行を受けた。参加する全員が楽しそうに笑っていた。よく分からないが、多分、本当に楽しかったのだろう。社会の授業の時に、基本的人権の話になり、先生が、
「この教室の中に、まさか、基本的人権を認められていない者はいないよな」
と、何気なく言うと、男子全員と女子の一部が、一番後ろの席に座っていた僕を、振り返って、にやにやと眺めた。
情けなかった。
加藤は、小学校5年生の修学旅行の時に車酔いしてゲロを吐いたことがきっかけで、「ゲロオ」というあだ名をつけられて苦しんだらしい。今は乗り物にも強くなり、そんなことは無くなっているが、街中を走っている観光バスを見ただけで気分が落ち込むそうだ。
武藤は、成績が良すぎていじめられていたらしい。しかしそのことが更に武藤を勉強へと走らせ、武藤自身はそれを‘悪循環’と捉えて苦しんできたようだ。だが実際は鶏と卵のように、どちらが先か分からない。唯一武藤がほっとできるのが勉強の合間に観るアニメだったようだ。
一番分からないのが、咲だ。身長174cm、女子としてはかなり背が高い方だが、今時は珍しくもない。髪もさらっとしながら光沢があり、ストレートで背中くらいまで伸ばしている。 体型も細身の、静かな美人、と言って差し支えない。強いて言えば、咲は小学校4年生の頃から、既に170cm近くの身長になっていた、ということがいじめられた原因の一つだったのだろうか。
小学生離れした身長に加え、長い髪。今は「静かな」という表現がしっくりくるけれども、小学生の目から見ると、暗くて怖い、というイメージだったのかもしれない。ホラー映画のヒロイン(幽霊)に似ているということから、そのヒロインの劇中での名前があだ名になったらしい。咲の口からそのあだ名がなんというものだったのかは聞いたことがない。ちなみに、そのヒロイン(幽霊)を演じた女優は、今では‘美人’の代名詞となるような女優になっているのだが。
僕たち4人がいじめられたきっかけや原因について、なんだかんだと言ってみたが、結局、4人全員に、何らかの人格的欠陥があったことは、多分、間違いがない。偶然ではなく、必然だった、というのが、少なくとも僕の認識だ。それは多分、協調性だったり、思いやりだったり、情熱だったり、ガッツだったり、何かが欠けていたのだろう。
僕たちは、僕たちの欠陥をあえて認める。いや、認めざるを得ない。
だから、僕は、‘彼ら’に向かってこう言う権利がある。
「では、あなたの欠陥を自分で言ってみろ」
僕たちは、別々の小学校でそれぞれの「殴られ」を繰り返して育った。
僕たちが一同に会したのは、4人が大木中学校に入学した時だ。
市内5つの小学校から入学してくる大木中学校で、僕たち4人はそれぞれ別々のクラスで、できるだけ自分を殴る蹴るしていた‘彼ら’とは目を合わせないようにして、小学校の時のことを無かったこととしてリセットしようと、暮らしていた。
しかし、誰が何のためにそんなことを考えるのか知らないけれども、2・3年生による新入生の歓迎集会というものの中に、1年生からのお礼の‘出し物’をするため、7クラスから男女各1名ずつ選んで、3グループ作ろう、ということになった。
入学したてで、皆それぞれ猫を被ったり、大物の振りをしたり、おちゃらけて人気を取ろうとしたり、様々な神経をすり減らすような攻防が繰り広げられている各クラスの中、こういう人選を行おうとすると、その選び方はいくつかのパターンに分かれる。
たとえば、あいつはしっかりしたリーダータイプだ、ということで何となく自薦のような他薦のような、まともな選び方をされる場合。また、自発的に自薦の先制攻撃をすることによって、自己防衛を図る、まあまあまともな選び方をされる場合。
それから、小学校の時、あいつはちょろい奴だったから、生贄にしとけばいい、という、まともではない選び方をされる場合。僕たち4人は、‘生贄’として選ばれたタイプだった。
最初の打合せの時、7クラスからの計14人が集まり、一目見て僕たち4人は‘同類’だとお互いに悟った。何が、ということで悟るわけでもないけれども、雰囲気というか、お互いの挙動不審さをみれば、ああ、そうなのか、と、納得できたのだ。
僕たちは、はじき出されるように、4人でグループになっていた。
僕は、この打合せの前日から、ひたすら考え、自分の父親にも根回しをしていた。
僕は、一緒になった3人に向かって、こう言った。
「バンドにしない?」
グループごとの打合せの結果を担当の先生を含めた皆の前で発表する。
別のグループは、コーラスと、寸劇だった。
僕は4人の代表として、発表した。
「バンドにします」
生徒も先生も、「は?」という反応だった。
バンドという発想そのものに対してもだけれども、何よりも僕たち4人の風貌・雰囲気を見て、‘お前らが?’みたいな感じをあからさまに出していた。先生も、だ。
けれども、僕は用意周到の説明をした。
父親が音響機器メーカーに勤めている関係で、機材の貸し出しをしてもらえるよう、話がついていること。曲は、‘希望’を絵に描いたような前向きな(おめでたい)バンドの曲を演奏すること。服装も当然制服であること。
先生は、まあ、それなら、という感じで認めてくれた。
それから、僕は、死にもの狂いだった。僕は、小学校の時のような、殴られ続けるだけの時間の過ごし方をするのは、もう、耐え切れなかった。バンドは、そのような時間の過ごし方と訣別するための方便でしかない。
新入生の歓迎集会まで二週間しかない。楽器の割り振りは、なんとなく、という感じで決めた。冒頭に書いたままの割り振りだ。誰も、ロックバンドの楽器に触ったこともない。僕も、触ったこともない。
先生に説明した‘希望に満ちた前向きな曲’を演奏する‘おめでたい’バンドは別に好きでもなんでもない。こういった曲でないと許可してもらえないだろうということと、この、腐ったような稚拙な簡単な曲ならば、完全な素人の自分達もとりあえず何とか形にできるだろうと考えただけだ。それと、本番で、僕は、‘まともな音’を出す気は全くなかった。
父親のつてで、楽器屋とライブハウスと貸しスタジオをセットで経営している地元の店で、毎日放課後に練習させて貰った。その店のマスターがレッスンまでしてくれた。
とにかく、手取り足取りで僕たちは二週間、毎日毎日マスターのレッスンを受けた。マスターはあくまでも忍耐強く僕たちに向かい合ってくれた。一体何がマスターをしてこんなに真剣にさせたのか、正直、よく分からない。もしかしたら、父親との関係が、僕たちの扱いをいい加減にする訳にはいかない、という関係だったのかもしれない。
一番センスがあったのは、咲だ。さすがに幼稚園の頃からピアノやクラシックに触れているだけあって、飲み込みも早いし、ベースで肝心なリズム感も相当にあった。マスターも、ルックスもいいし、期待できる、と褒めていた。残り3人の男は、全員団栗の背比べでへたくそもいいところだった。特に、武藤は、スティックの握り方から徹底的に反復練習をしないと、音そのものが出るような気がしなかった。僕も、ギターを弾くどころか、まともに歌えるかどうかという状態だったので、マスターからはかなり厳しい叱責を受けた。
一週間たつと、とりあえず、音は出るようになった。僕のボーカルも棒読みではあるけれども、全く恥ずかしくなかった。そもそも、原曲をやっている‘おめでたいバンド’のボーカルは、歌っぽい歌ではあったけれども、全く心に響かない、という点では、結局棒読みと何ら変わらない、と思っていたので。
それからは、何も前に進んでいないような気はしたが、マスターからは、とりあえず、音が鳴っているな、という感じでは聴けるようになった、という評論を貰った。
僕は、こんな曲に対しては、この程度で十分だ、と判断した。後は、本番用の音を出すだけだ。
歓迎集会、本番。僕たちが、お礼の‘出し物’の一番目だった。機材のセットに時間がかかるので、トップバッターにしてもらえたようだ。
僕たちがステージの上に、うつむいてとぼとぼと上がり、それぞれの楽器をスタンバイして、ふっと客席を見ると、ざわざわした中に、笑っている人間が相当数いるのがはっきり見える。‘冷笑’というのを現実に見るのはもう、自分の人生にとっては当たり前で麻痺しつつあったので、特に緊張することも無かった。僕は、笑いというものが、本当に嫌いだった。笑いは恐怖でしかなかった。でも、僕はそれすら麻痺してしまっていたのだと思う。
何の躊躇もなく、僕はギターの最初の一音を叩きつけた。
アンプは最大出力に近い設定にし、それぞれの楽器に、極端に音が歪むようなエフェクターを設定しておいた。
僕は、‘彼ら’全員が難聴になってしまっても構わないと思っていた。そのために‘彼ら’以外の人たちも難聴になってしまっても仕方ないし、自分自身が難聴になるのは、当然の代償と思っていた。3人には、淡々と、事前に説明しておいた。
ギターの一音を合図に、もう一人のギター、ベース、ドラムも一斉に音を叩きつけた。大音量とエフェクターの効果で、体育館にいる全員にとって、拷問のような瞬間だったと思う。誰もあの‘おめでたい’バンドの曲とは分からないだろう。僕のボーカルも、楽器の轟音にかき消されて、ただ口をぱくぱくさせているようにしか見えなかったろう。もし、正面をまともに向いていることのできる人間がいたとしたらだけれども。
担当の先生が、ものすごい血相でステージに駆け上がってきて、やめろやめろと、やはり口をぱくぱくさせているようにしか見えない声でどなり散らしていて、僕のところに詰め寄り、ギターをひったくった。20秒で終了した。たった20秒と捉えるか、20秒もの長い時間と捉えるか、人によってそれぞれだろう。僕は、20秒ものあいだ、‘彼ら’に苦痛と自分の激情を叩きつけることができ、本当に満足した。この後、どうなっても構わないとすら思った。他の3人がどう思ったかは分からない。
僕たち4人はステージから降ろされ、なぜか、保健室に連れて行かれた。一体何なのか、よく分からない。これで、あの小学校の時のような時間の過ごし方をせずに済むのか、結局よく分からなかった。
ただ、小学校の時は、限定的な意味で「浮いていた」僕らが、その20秒を境に、すべてのあらゆる意味で「浮いた存在」になってしまった。
僕の望んでいたものには、かなり近かったのかもしれない。
軽音楽部の設立は認められなった。だから、僕たち4人は帰宅部になった。
週2回、水曜日と土曜日に、マスターのスタジオに僕たちは集まった。
不思議なことに、スタジオ代というものを払ったことがなかった。楽器も機材も貸してくれた。僕たちは結局、自分で楽器を買いもしなかったので、練習はこの週2回だけで、後はイメージトレーニングとでもいうようなものだった。マスターは毎回ではないが、僕たちをレッスンしてくれることがたびたびだった。一体なぜマスターがここまで僕たちのことを構ってくれるのか、訳が分からなかった。
僕たちは、連れ立ってスタジオに行くわけでもなく、集合時間にそれぞれ自然発生的に集まって来て、無言のまま、練習を始めた。
曲は、上手いのか下手なのか分からないように、なるべく誰も知らなさそうな、マイナーなバンドの、それも簡単に弾けそうな曲ばかり選んだ。本当に適当に、you-tubeから、なんとなく、これはどうだろうか、という感じで選んでいった。あのおめでたいバンドの曲は、二度とやることはなかった。
中学校で、小学校と同じような時間の過ごし方をしたくない、という望みは、結局、満たされることはなかった。ただ、何かを命令された時に、僕は、俯いて、ぼそぼそと、「いやだ」というのが口癖になった。「いやだ」とつぶやくと、腹を蹴られたり、顔面を殴られたり、いいことは特にないけれども、あの20秒を境に、「どうなっても、構わない」という思いが、僕の気分を不思議なくらいにすっきりさせていた。殴る蹴るされたら痛いのは当たり前だけれども、精神的落ち込みは極端に減った。
僕は、‘彼ら’という言い方をしてきたが、本当は、‘あいつら’と、言いなおしたい。
あいつらにしたら、僕らと同じ空気を吸うのが気持ち悪い、という感覚かもしれないが、僕にしたら、こうだ。
「僕は、あいつらと同じ音楽を聴きたくない。同じ本を読みたくない。同じ景色で感動したくない。同じネタで笑いたくない。同じ映画で泣きたくない。同じ女の子を見て可愛いと思いたくない。同じ災害に逢って、同じ瞬間には死にたくない。そんな風になるくらいなら、もっと前に、別の理由で死んでしまった方がましだ」
僕らに憐憫、英語でいうならシンパシーを抱いてくれる人も何人かはいたようだ。特に、3年生の中には、「どうなっても、構わない」という似たような感覚を持っている人が結構いたようだ。‘冷笑’ではない、笑みと会釈を僕が廊下を歩いているときにしてくれた3年生の女子の先輩も何人かいたし、僕が下駄箱で帰ろうとしている時に、
「もうやらないの?」と声をかけてくれた3年生の男子の先輩もいた。
けれども、結局、その後3年間、大木中学校の生徒の前で、僕たちが演奏することはなかった。僕たちがバンド活動を続けていることを知っている人間もほとんどいなかったろう。
僕たちは今、別々の高校に通うようになったけれども、週2回、マスターのスタジオに集まることは何も変わっていない。
変わったと言えば、高校に入る前の春休み、4人とも、悪戦苦闘しながら短期のアルバイトをして、マスターの店で売っていた中古の楽器を買うことができた、というくらいだ。
その2
「高校で友達、いるの?」
僕は練習が終わって帰り支度を始めている3人に訊いた。
「アニメつながりの友達なら、何人かいる」
武藤はスティックを持った手をだらんと下げたままで答えた。
「室田は、いるの?」
加藤の問いに僕は即座に答える。
「いない」
加藤もぼそっと呟く。
「僕も、いない」
このバンドの男3人は自分のことを‘俺’と言えない。‘僕’と言う。
この辺は、結構重要なポイントではないかと自分でも感じる時がある。
‘俺’と自分を呼ぶことによって、自分がいる同年齢の集団の中での互いの壁が取り払われるような感覚が、大多数の男にはあるはずだ。‘俺’と呼ぶことで共感しあうのだ。
けれども、僕たち3人は、子供の頃からずっと自分のことを‘俺’と呼べなかった。‘俺’と言った方が皆に溶け込めると分かっているにも拘わらず、自分ごとき変な奴が‘俺’と自称していいのだろうか、と感じた。これは、「殴られ」を助長することとなった自分達自身の責任の一部だ。
その点、女は‘わたし’と言えば事足りる。‘俺’も‘僕’もない。羨ましいと思う。
そんな羨ましいはずの咲に向かって、3人が目で回答を促す。
「わたしは、」
咲の回答には少なからず興味がある。咲は「殴られ側」でさえなければ、どう見ても世の中で優遇されるべき容姿や才能を持つ人間だと思える。その咲が中学までの知り合いがそんなにいないであろう高校で、自分達が知らない充実した学生生活を送っていて欲しい、という期待のようなものもあった。そういう咲の知り合いであることによって、自分達自身も少しはまともな人間になったような気になれると思った。
「1人だけいる」
咲の答えは期待に応えているとも言えないし、応えていないとも言えないような、微妙なもので、男3人には判断しかねた。加藤は、咲に言った。
「1人でも、居るならいいな」
何となく、僕はスタジオの天井の方へと視線をやった。安っぽい暖色の照明が目に入り、眩しい、と目を閉じるとその残像が暗い瞼の中でオレンジ色に光った。
「みんな、学校でどうしてるの?」
武藤の問いの意味は、僕たちには良く伝わる。
それは、教室で1人ぽつんといる時間を、どうやって他のクラスメートに‘違和感がない’ように見せるか、‘友達のいない寂しい変な奴だ’という風に思わせないようにカモフラージュするかという問いだ。
「本を読んでる」
加藤は言う。
「僕も」
武藤も言う。
「本か、自習の振りをする」
僕がそう言うと加藤がすかさず、
「振りなんだ?」
と、曖昧な笑いをする。
この4人は、見事なまでにスマホも携帯も持っていない。スマホをいじっていれば、‘自分はひとりぼっちじゃないんですよ’という恰好のアピールになるのに。
「咲は?」
僕が訊くと、咲はこう答えた。
「教室でその子が近くに居ない時は、ピアノ弾いてる」
「ピアノ?」
僕は、小学校の教室にあった、音楽の授業用のキーボードのようなものを想像し、談笑しているクラスメートたちの前でぽつんとピアノを弾く咲という異様な光景を思い浮かべた。
僕のとんちんかんな想像を知ってか知らずか、
「休み時間に音楽室によく行く」
と咲が付け足す。更に付け足す。
「その子もピアノやってる。音楽室に行ったら先にその子がピアノ弾いてて、同じクラスだって初めて気が付いた」
「その子もピアノ上手いの?」
咲がどの程度ピアノが上手いのかは弾いているのを聴いたことがないので分からないが、マスターは咲のベースを聴いただけで、相当な音楽センスがあるからピアノもかなり上手いはずだ、と言ったことがある。
「わたしより、上手い」
咲がそういうのだから、そうなのだろう。咲は事実しか言わない。自分の主観的な感想というものは極力排除した物言いをするのが、咲だ。
「その子は女?男?」
武藤の問いに、咲はふっ、と笑うような感じで答える。
「女」
咲は軽く笑って更に続ける。
「彼でもいると思った?」
「咲ならいてもおかしくないでしょ」
僕は咲に真顔で言う。
僕たちは、咲に対しては他の女子に対してとは違い、気持ち悪い奴と思われないかとか、恥ずかしいとかいうことを考えずにこういうことをすっと言える。
「まさか」
咲は半分笑い、半分真顔で答える。
「わたしは結婚とかできないんじゃないか、って思ってる」
僕はそれを聞いて、ああそうか、と一瞬目を閉じた。
僕も、自分が結婚できるとは思っていない。想像がつかない。もし、自分が気になる女の子がいたとして、仮に付き合えたとする。その子と一緒にいる時にもし、‘あいつら’とばったり出くわしたら、と、本気で想像することがある。
そして、もし、結婚して子供ができた時。子供と一緒に歩いていて、もし、‘あいつら’とばったり出くわし、子供の前で、「お前の父親は‘基本的人権’すらないようなちょろい奴だった」と嘲笑されたら。
現実的にこういうことはそうそうないだろうとは思う。でも、そのあり得ないようなことが万が一起こった時、子供もまた‘ちょろい奴’にされてしまうような、そんな恐れが深層心理に常にあるような気がする。
少なくとも。同窓会と名の付くものには決して行きたくはない。
「この4人は」
武藤が不意に言った。
「友達だよね?」
一瞬、皆、沈黙する。それから何十秒か、誰も喋らなかった。
仕方ないので、僕が言った。
「分からない」
その3
「ライブ、やらないのか?」
夏休みに入る前の6月の終わり。マスターが僕たちに訊いてきた。
土曜日の練習が終わった後のことだった。
一回だけ、ここのライブハウスのステージに上がったことがあった。カバーを2曲だけ演奏した。中学3年の受験が終わった後のこと。
それも、自分達からやりたいと言った訳ではなかった。
その夜は大学生のサークルバンドと、プロ志望のバンドの2組が演奏する予定だった。
その内の1組、大学生バンドの一人が、就職活動の企業訪問が長引いて、どうしても出演できなくなったと、ドタキャンを入れてきたのだ。どうせ自分達は趣味でバンドやってるだけだし、前座だから、と全く悪びれる様子もなく、電話でマスターに断りを入れたらしい。
マスターは受話器の向こうの相手を激しく叱責した。
「バイトのシフトのつもりか!仕事を何だと思ってるんだ!」
土曜日の夕方。練習を終え、帰ろうと事務室の前を通りかかった時、マスターの剣幕に僕たちは圧倒された。
そのマスターの剣幕を受けて、相手が何か言い返したらしい。その後のマスターの発した言葉の静かさと冷静さが、マスターの怒りと厳しさを却って表しているようだった。
「君は、どの会社にも受からない・・・・」
そう言ってマスターはビジネスフォンの受話器を音を立てないように置いた。
実は、僕たちもこの店で練習を始めてしばらくするまでは、‘前座なんだから’と、別にいてもいなくても構わないような感覚で前座のバンドというものを捉えていた。
だが、色んなステージに対するマスターの対応を見ていると、そうではないことに段々と気付いてきた。
前座のバンドそのものは、色々な理由でバンド活動をしている。プロ目指す者もあれば、この大学生のように純粋に娯楽としてやっている者もある。それは別にどんな理由でもいい。知ったことではない。
しかし、前座の後に登場する‘本命’バンドにとっては前座の意味がとても重いということをマスターは知り尽くしていた。
確かにこんな地方都市の場末のライブハウスで前座も本命もないだろうと言われればそれまでなのだが、前座の有無は本命バンドの格というか、イメージまで左右してしまうのだ。
それなりにその地方のライブハウスで名が知れるバンドになると、‘本命バンド’を目当てに来る客も前座バンドの品評が話のタネにもなるのだ。前座がセンスのいいバンドだと、自分達の目当ての本命バンドの評価まで上がるような気分になる。
「前座のバンドのドラム、結構よかったね」
などと仲間同士で話すことが、本命バンドへの思い入れを強くすることもある。
そして、今時は音楽配信企業等のスカウトなどが来るような時代ではなくなったが、音楽関係の出版社、特に零細だが掲載するバンドの傾向を絞り込み、コアなファンを取り込んでいる雑誌の記者は、ライブハウスに意外に足を運ぶ。バンドの評判を聞いて地方都市にふらっと出張してくることもあるのだ。それも、出版社の経費を使って、というよりは、自分の車を運転して週末に来る、という記者は今でも多い。そして、そんな記者は自分から記者だと名乗ることもない。黙って来て、ライブハウスで観て自分が感じたそのままを東京や大阪に戻ってから雑誌のレビューに書く。恐ろしい。
‘ロック’は権威とは最も無縁な世界であるはずだが、記者も人間だ。‘前座’という後押しがある方が、印象が良くなるのは、事実だ。
ただし、その逆もある。前座よりしょぼい、心に全く響かない歌を歌うバンドは、酷評を受け、代わって、前座のバンドが雑誌のレビューに書かれる。もちろん、‘前座’とは書かない。
その土曜日の夜の‘本命’のプロ志望バンドは、マスターが面倒を見て来たバンドだった。
もう一つ何かが足りない、というバンドではあったが、演奏技術も音楽への純粋な姿勢も備えており、曲も詩も非凡な歌を歌っていたらしい。僕たちは中学生だということで、ライブハウスの建物の方にはそもそも入ったこともなかった。したがって、僕たちはそのプロ志望バンドのステージも曲も観たことも聴いたことも無かった。ただ、マスターのバンドへの思い入れを聞いただけだ。
「何か弾いてくれないか」
開場までほとんど時間の無くなった状態で、マスターが僕たちに頼んだ。
僕たちはどれだけマスターの世話になったか分からない。それを思えば、否応なく引き受けるつもりは当然あったが、それでも訊いてみた。
「え、僕らで大丈夫なの?・・・」
マスターは、ああ、と頷いた。
「3曲・・・いや、2曲でいい。今日練習してたやつでいい。向こうのやつとこっちのやつと1曲ずつでどうだ?」
マスターがそう言った。
‘向こうのやつ’というのは、イギリスの‘The Reed’というバンドの‘There is a sickness’という曲だ。‘こっちのやつ’というのは、国内の‘詩的’というバンドの‘昼中’という曲だ。両方とも20年ほど前の曲で、you-tubeでたまたま見つけただけだ。しかも、耳コピなので、チューニングも何もない。僕たちの演奏は、原曲のメロディーや原型すら留めていない。こんなものでいいんだろうか。
「構わない。さっきの練習みたいに弾けばそれでいい。逆に、カバーでもお前らが弾くと、まるでお前ら自身の曲みたいになるのが俺は前からすごく不思議だった」
これは、褒められているのかどうなのか、判断がつかない。
もう一つ気になっていることがあった。
「服装は・・・」
加藤が訊いた。
その日の服装。男3人はチェックやら無地やらのシャツの上に普段着のセーターを着ただけ。武藤にいたってはトレーナーだ。靴は3人とも白っぽいスニーカー。
咲などは、スポーツ用品メーカーの紺色のジャージ上下に黒のスニーカーで自転車でここに通ってきたのだ。
「それでいい」
マスターが何の問題も無いように言う。
「でも、ジャージなんて・・・」
と咲が遠慮がちに言う。
「恥ずかしい・・・・」
マスターは真顔で言う。
「恰好だけバンドっぽくても余計恥ずかしいだろうが」
つまり、僕たちの演奏もバンドっぽくはないということなのだろう。何も言い返せない。さっきのマスターの剣幕を見ているだけに余計に。
「それより、お前らの親に電話するぞ。いいな?」
あ、それから。とマスターは付け足した。
「耳栓して出ろ。ステージ上は音量も音圧もスタジオとは比べ物にならないからな。お前らに難聴になってもらったら俺の責任問題だからな」
その3
初めて足を踏み入れたライブハウスという場所のステージ袖に僕たちはいた。
ちらりと客の方を見ると、びっしり。スタンディングでざっと200人くらいもいる。
僕はぎょっとした。
‘地方の場末のライブハウス’とマスター自ら自嘲して言っていたこの店、「ポピー」。
本当に閑古鳥が鳴いているような、せいぜい20~30人程度の客が仲間内のバンドから割り当てのチケットを強制的に買うように言われた知り合い同士の馴れ合いのステージ程度にしか思っていなかったが、それが完全に間違いであることに気が付いた。
冷や汗が出て、膝が本当にガクガクと震え始める。
中学1年の春、‘あいつら’に轟音を叩きつけた時のことを思えば、なんてことないと思っていたが、今、目の前にいる客1人1人の顔を見ると、全身が竦んでしまう。
談笑している客のその笑いの中には嘲笑というものが一つもない。僕にはそれがこれまでの経験から養われた肌感覚で分かる。
僕は、嘲笑こそが恐ろしい、恐怖を感じる笑いだと今まで思い込んでいたが、それは思い違いだった。
真面目な、と言ったら変だが、客同士の談笑の中に含まれる‘まっとうな笑い’こそが、本当に事実をえぐり、突きつける、恐ろしいものであることを覚った。
‘嘲笑’のごときは、単なる‘あいつら’の薄っぺらな虚構の笑いであり、真に恐れるべきものでもなんでもなかったのだ。
僕は、気を紛らすように、マスターがさっき僕たちの親に電話した様子を思い出していた。
「・・・あ、室田さんのお宅ですか。「ポピー」の近藤です。ええ、こちらこそいつもありがとうございます」
マスターが話している相手は僕の母親だろう。大体どういう風なことを話しているかは普段の母親の言動から想像できる。
「・・・ええ、まことに申し訳ないんですが、息子さんを少しお借りしますので。はい、ほんとに、酒とかタバコとかはライブハウスの店内では厳禁にしてますので、その辺は安心してください。ええ、息子さんの出番が終わったら、すぐに帰しますから、30分ほどだけ。・・・はい、はい、失礼します」
マスターは受話器を置いた途端に、通話中の笑顔から元の不機嫌な顔に戻った。
「次は加藤の親だな・・・」
また電話をかけ始める。
中学生を夜の時間帯にライブハウスのステージに上げるということは、おそらく、何らかの問題を抱えるのだろう。ひょっとしたら、違法性すらあるかもしれない。だとしたら、親に電話して‘了承’を取ったところで何らかの責任を免れるものではないだろう。ただし、強引に親に知らしめることで、‘あなたも同罪だから黙ってろ’ということをマスターは暗に言いたいだけではないか。
ただし、そういう責任分散だけが理由ではないだろう。
そもそも、学校で完全に浮いてしまった中学生を、ライブハウスも経営する個人事業主の所に週2回通わせることそのものが、普通の親ならばやらないことだ。
この成り行きには僕の父親が少なからず関わっている。
中1の時の‘轟音叩きつけ’の前後から、僕の父親はマスターを何度も脅していたようだ。これが、仕事上の力関係なのか、個人的な貸し借りなのか分からないけれども、マスターは僕の父親に何らかの負い目があるらしい。
轟音を叩きつけて4人が完全に中学の中で浮いてしまった後は、僕たちをフリースクールにでも通わせるような感覚で、マスターの所に週2回受け入れさせてしまった。
僕たちにも特に異存はなかった。残り3人の親も異存は無かった。
というのも、それぞれの親は全員、小学校の頃から4人が殴られる側の人間であり、実害を受けていたことを認知していたからだ。知っていて、それを止めることができなかったし、中学に入ってからも止める術を知らなかった。
だから、‘バンドなんて、不良みたいなこと・・・’などと知ったようなことを言える親は1人も居なかったのだ。これは僕の親も同じだ。だから、出し物でバンドをやるのに協力するよう父親にも認めさせた。
ただし、父親の誤算は、4人がバンドをやって自己のイメージアップを図るだけだと信じ込んで、僕が轟音叩きつけをやるとは思っていなかったことだ。
その後は、今度は父親が僕に有無を言わせない番だった。そしてマスターにも有無を言わせなかったようだ。強制的に‘仲間’っぽい同類の4人でつるませて、浮いているとはいいながらも4人はとりあえず一緒に行動してて、完全孤独ではないですよ、という風にしたかったらしい。そして、習い事か、放課後のフリースクールの教師のようにマスターを使っているのだ。
多分、マスターは、そういうしがらみのためだけに僕たちと付き合ってくれている、筈だ。
そうでないと、ここまで僕たちの世話を焼く理由が見つからない。
万に一つ、しがらみではないとしたら。
マスターの‘慈悲’という説明くらいしかなかろう。
たった1時間前のこの光景すら思い出しにくいほど、僕は緊張していた。
だが、その緊張を噛みしめる時間すら与えようとせずに、マスターはマイクを手にさっさとステージに上がって、客への挨拶を始めた。
「こんばんは。今日は見に来てくれてありがとう」
と、マスターはまず客席に声をかける。それから、前座の大学生バンドが急きょ出られなくなり、出演バンドの交代があることを告げる。そして、一応、前座とはいえ、大学生バンドを楽しみにしていたファンの皆さんに申し訳ない、というようなことを言う。
「いーよ、あんなバンド!」
後方からここにいない大学生バンドへのヤジが飛び、客席がどっと笑う。
僕はぞっとした。
これは、嘲笑ではない。あの大学生バンドを客観的に評価し、「あんなの駄目だ」と、意見を言う、いわば、‘正当な笑い’だ。
そして、僕たちのバンド名が告げられる。
「若いバンドです。4LIVE!」
たった、これだけ。
これだけ言って、マスターは後ろも振り向かずにさっさと反対側のステージ袖に歩み去って行った。
考える間などない、とにかく、ステージに出なくては、と、ギターを抱え、マイクスタンドに向かって歩き出した。右手と右足が一緒に出ているのではないかと心配になるくらい、ガタガタだった。かなり古い照明だが、やたらと眩しい光がステージ上から降り注いでくる。
後ろから、咲、武藤、加藤も我に返ったように歩き出して、それぞれのポジションに着いた。
客に何か声をかけるとしたら、ギター・ボーカルの僕が言うしかない。
しかし、僕たちは、自分達の服装がおかしく見られているのではないかと、そんなことばかりまず気になった。そして、僕たちが、‘若いバンド’というよりも、‘ただの子供’と見られているのではないかということも。
客席の様子を窺う。
客席は静まり返っている。新しいバンドに期待している、という様子では、絶対にない。
僕たちを値踏みしているのだ。
風貌は多分、とりあえず、今の段階ではどうでもいいのだろう。
ボーカルが小太りでオタク顔で、道路に寝そべってギターをかき鳴らして叫んでも、死ぬほど格好いいバンドもある。
だが。
これで僕たちが1音鳴らして期待はずれだったら。
やっぱり見た目通りのしょぼい奴らだと、切って捨てられるだろう。
僕たちの演奏の大半は、僕がカッティングでリズムを刻むところから始まる。
だが、‘こんばんは’ぐらい言った方がいいのだろうか、とか、余計なことを考える内に、5秒、10秒と過ぎていく。
ちょうどその時、緊張で震える僕の右手に持ったピックが、弦に触れてしまい、外れた音が1音出た。もう、後には戻れない、と、そのままカッティングを始め、5度目の動作で、ガーン、と力強く弦に叩きつけた。
すかさず、武藤のドラムがそれに応えて今までにない鋭いスネアをたたき出す。
そして、武藤のバスドラに連動するように、咲のベースがこのバンドの技量としては唯一正確無比な気持ちのいいリズムを作り出す。その瞬間、加藤がリフをかき鳴らし始めた。
‘The Reed’の曲。歌詞は英語だが、僕は自分が何と発音しているのか分からない状態でマイクスタンドの前に突っ立って、唇をマイクにくっつけて歌う。
自分の声がびりびりとスピーカーから自分自身の体に伝わってくる。
途中で、ギターを弾いているのか、歌っているのか、よく分からなくなる。
なんだか分からないまま、あっという間に演奏を終えた。
2曲目、何か言おうかと思ったが、そんな余裕もなく、すぐにギターを弾き始めた。
‘詩的’の曲。
1曲目よりもスピードはやや緩やかだが、手数の多い曲だ。本当の意味でまともに弾けているのは咲と武藤だけだろう。僕と加藤は、曲の‘雰囲気’を演奏しているに過ぎない。
気が付くと僕のボーカルが棒読みになっているが、そんなことに構う余裕すらなかった。
最後はスピードを緩めて曲を終え、僕は、客に何と声をかければよいのか、考えたが分からない。
つい、
「おやすみなさい」
と、ぼそっと言ってしまった。くすくす笑う女の声もする。
考えてみたら、本命バンドが後に控えているのに、‘おやすみなさい’はないかもしれない。
演奏が終わって、ステージ袖に引っ込むと、マスターが声をかけてきた。
「1曲だけ、観て行けよ」
僕たちは、本命バンドの演奏をステージ袖から観た。
完璧な演奏だった。
音がタイトで、1音1音が締まっている。
僕たちのようにぼんやりとした音ではない。
ボーカルの声もいい。オリジナル曲のようだが、歌詞もなかなかいい。
客とのやりとりも上手い。
ああ、凄いな、と思う。オムニバス盤ながら、インディーレーベルから出た新人バンド特集のCDに曲が収録されているらしい。
200人も集まるなら、ここに出演してるだけで食っていけるんじゃないですか、と他人事で甘い言葉すらかけてあげたくなる。
でも、確かに、あと一つ何かが足りない、というのが漠然と僕にも分かる。
必要なものが10あるとしたら、このバンドは8か9までを、おそらく努力で手に入れてしまっている、と思う。
それに引き換え、僕たちは10の内、2か、ひょっとしたら1しかないかもしれない。
でも、と、僕は思った。
この、本命バンドは、‘バンドのための努力’ばかりしていても、いつまでたってもこのままじゃないかな、と直感した。
それが、なんなのか、分からない。無理やりたとえ話を出すとしたら、演歌歌手の歌に魂があるかどうか、みたいな範疇に入って行かざるを得ない。
たとえば。スナック回りをしたとか、下積みの付き人時代が長かった、とか言うだけでは、同情からファンにはなって貰えても、ただ、それだけの話だ。そんなのは‘歌手としての努力’の範囲に収まる程度のことだ。それに対して。極端に貧乏な家庭で育ち、物も満足に食べられなかったとか、親が海の仕事で亡くなって天涯孤独になったとか、そういう定性要因は、ファンがその情報を得ようと得まいと、歌からにじみ出てくる。‘因果なもの’とも言えるだろう。
これは、歌手としての努力の範囲を超えた次元の話だ。もし、その‘生い立ち’や‘境遇’そのものをも「努力」と呼ぶことができるとしたら、それは‘人間としての努力’と言えるかもしれない。‘歌手のためだけの努力’しかやりようのない人たちは永遠に同じところを回り続けてベテランになっていくしかないだろう。
僕たちが10の内2か1持っているものは、多分、「殴られる側」にいたことによって自分達に染みついてしまった‘性根’だろう。しかし、これは努力でも何でもない。いいのか悪いのかも分からないけれども、小学校の時から、なんだかんだと毎日、毎時、毎分、毎秒、休むことなく、‘晒されてきた’結果のものだ。少なくともこの本命バンドが今から得たいと思っても、今更無理な代物ではある。
多分、誰もこんな定性要因なんかいらないだろうけれども。
だから、マスターが、「1曲だけ、観て行けよ」と言ったのは、この本命バンドを参考にしろ、という意味ではなかったのだと思う。多分。
その4
中学3年の時の‘初ライブ’の記憶をぼんやりと思い出しながら、マスターがもう一度繰り返して言うのを僕は聞いていた。
「ライブ、やりたいだろ」
僕がマスターの言葉に何か反応する前に、武藤が答えた。
「いや、そんなにやりたい、ってこともないけど」
マスターが苦笑いのような、なんとも言えない嫌な感じの笑い顔になる。
「お前ら、なんでバンドやってるの?」
今までに、何回かこの問いを受けたことはあった。「なんで?」と訊かれると、「さあ」としか答えようがないのが、僕たちなのだ。
咲が口を開いた。
「わたしは、この場所が好きだから」
「ああ?」
マスターが間髪入れずに短い疑問符を発し、咲の次の言葉を促す。
「ここに集まるなら、別に、バンドでなくてもいい」
「そうか・・・」
マスターが怒っているのか、呆れているのか、表情からは読み取れない。
「そういう感覚が、お前らのいいところかもしれないな・・・」
マスターは手元にあったコーヒーのボトルに口をつけ、ごくごくと大量に飲んだ。
「ライブ、やってくれ」
今のやりとりとあまりつながらない文脈でのマスターの言葉に、僕たちは軽く緊張した。
「隣で?」
隣とは、この‘ポピー’のライブハウスのことだ。僕は中3の時のあの夜の感覚を思い出した。僕は、積極的ではないけれども、もう一度あの時の客たちのような顔を見てみたいと思った。
「隣じゃない」
「え?」
言葉を発したのは加藤だったが、僕らは同じ思いで一斉にマスターの顔を見た。
「‘大都’の隣のイベント広場で。7月に‘たかい夕涼みシリーズ’っていう連続イベントをまちづくり法人が主催するんだ。その内の一晩が、‘BARたかい’ってのをやる。あそこの簡易ステージの前に丸テーブルを並べて。ビヤガーデンじゃないぞ。勤め帰りの人らにまあ、ハイボールとかカクテルとか出すんだろうな」
‘大都’はこの鷹井市における唯一のデパートだ。大都と20m程の間隔を空けて立つ立体駐車場とにガラスの屋根をかけ、吹きさらしではあるけれども全天候型のイベントスペースがある。以前、何かのイベントの設営準備の時見かけたが、床からステージがせり出してきていた。また、機材の入った倉庫も床からせり出して、設営後、またフラットな広場に戻るというかなりお金をかけた仕様だ。高齢化とまちなか回帰を意識して作られた複合施設で、この市の市長が中心となって進めてきた取組の一つだ。市を走る市電やコミュニティバスと言った公共交通を整備し、いずれは老いにより車での移動ができなくなるであろう高齢者のまちなか生活が事足りるようにマンションや図書館、総合病院などもこの一角に詰め込まれ始めている。
そして、このポピーは、大都のあるアーケードの続きではあるけれども、数百メートル離れた場所に位置する。アーケード自体さびれているが、ポピーはさらにさびれた、アーケードの端っこにある。まちづくり法人の事務所もこのアーケードの中にある。
「3組ほど出演バンドを見繕ってくれと頼まれてな。あまりうるさいやつはやめてくれ、って言われた」
「え・・・でも、それって、僕たちでいいの?」
武藤が訊く。なんだか中3の時とほぼ同じやりとりをしているような気がする。
「うん、いい。謝礼もそんなに出ないしな・・・
見た目もお前らみたいなバンドの方が、バーの客も緊張しないだろうし。
まあ、3組出る内の前座だな」
「でも、そんな雰囲気のバーなのに、でかい音出すとまずいんじゃない?」
僕は、ポピーに出演するのが、激情で叫ぶようなバンドが多いことを段々と知っていたので、こう聞いた。
「まずい。だから、音量は絞るそうだ。基本、生ドラムの音量に遮られない程度に他の楽器の音を合わせる、って感じだろうな。
曲も、あんまりやかましい曲は駄目だぞ。それでな」
マスターは僕の方に顔を向ける。
「室田は詩は書けるか?」
突拍子もない問いのような気がしたが、直接的に答えようと、しばらく考える。
詩・・・というか、日記っぽい感じのものを気が向いたら週に2~3回書く、という習慣を、実は小学生の時から続けている。主には‘あいつら’と僕との惨めな関係を打ち消したいという、ぐじぐじした情けない内容の記録や感情を2~3行で書きなぐっただけのものだ。余白が多く、それでも薄いノート2冊にも満たない程度のものだ。
「詩、っぽいものは、たまに書くけど」
この僕の答えには、マスターよりも、バンドの他の3人が「え?」と反応した。
「室田、って詩を書いてたんだ・・・」
なぜか咲が感慨深げに、ぼそっと呟く。僕は否定も何もせず、できるだけ平然とした顔を装っていた。
「誰か曲書いてないか?」
みんなで顔を見合わせる。見合わせている顔の中、咲だけが俯いた。
「何曲か、ある・・・
ピアノ用に作った曲だけど・・・」
咲が、恥ずかしそうに、呟くように言うと、ほう?と、マスターが鋭く興味を示す。
「どんな曲?」
マスターが咲に訊く。
「・・・嫌な事があって鍵盤を叩きつけるのにちょうどいい激しい曲とか。
反対に、何か別のいい場所がないかな、っていう現実逃避の気持ちの能天気な曲とか、4、5曲。
でも、作ったわたしの気持ちさえ横にどければ、アレンジでどんな曲にもできる」
「お前ら、楽譜読めるか?」
マスターは、咲以外の男3人に訊いた。3人とも、即座に首を振る。
「しょうがないな・・・
咲、お前の曲は楽譜に起こしてあるんだろう?悪いけど、こいつらに音にして聞かせてやりたいから、弾いたやつを持って来てくれないか?
ピアノの音を生で録音するのは大変だろうから、ノートPCと専用の演奏キーボードを貸してやる。それで弾いてデータで持って来てくれないか」
ううん、と咲は首を振る。
「楽譜はPCに入力してあるから、そのデータをUSBで持ってくる」
咲の答えを聞いて、マスターは満足そうに頷く。男3人は、全く話についていけない。
しかも、曲や詩をどうするというのか、未だに僕は呑み込めていない。
「どうせうるさくないような曲を選ぶなら、オリジナル曲でやった方が早いだろう。
スピードはともかく、抑えた曲をやるのもいいぞ。咲の曲を使って、アレンジは俺がしてやる。お前らが耳コピでできるようにな。
それで、室田はそれに詩をつけろ」
そう言うとマスターは、改めて僕の顔をじろじろ見て、続けた。
「曲に詩をつけるとなると、お前の独りよがりじゃ駄目だぞ。少なくとも、お前の感情を整理しないと書けないぞ」
出演は、決まった、ということになるのだろう。
4人の内、誰一人として「出ます」とは言っていないのだけれども。
これが僕たちが殴られる側にあった最大の理由かもしれない。
反面、それが僕たちらしさと言ったら言ったになるのかもしれない。
その5
咲の曲はどれも美しい曲だった。
「鍵盤を叩きつけるのにちょうどいい激しい曲」もメロディーはあくまでも美しく、皆、引き込まれていった。
PCで再生される咲の曲、5曲。
それが、スタジオのスピーカーからやたらクリアな音で流れてくる。
僕は、その内の1曲に胸がきゅーっと締め付けられるような、感動を覚えた。
ああ、この曲に歌詞をつけて歌ってみたい、と本当に素直に思えた。
甘酸っぱい、という言葉を今時使っていいものかどうか分からないが、そうとしか表現できないような、切なくて明るくて涙と笑顔の両方が表情に出てしまうような、メロディー。
どうやったらこんなメロディーが浮かんでくるのだろう。
僕はピアノの奏法が良く分からないが、咲の作った曲は、どれも、左手でベースラインを弾くような感覚で、それに、右手を高速で叩きつけてメロディーラインや、あるいはリフを弾いているのではないかと感じる。
さらに咲はそれを二重か三重に音を重ねており、このデモ音源だけで十分ではないかと思えるほどのクオリティーを感じさせる。
「すごく、いいな。俺は最初のやつと、三曲目、五曲目がよかったが、みんなはどうだ?」
マスターは自分の意見を言った上で皆の考えを訊く。
僕は、自分で歌うなら、五曲目の、自分の胸を締め付けた曲を是非とも入れたいと思った。
「五曲目、歌ってみたい」
みんなに宣言した。
「分かった」
マスターがそう言うと、他の3人も、なんとなく、頷いた。
「後のみんなはどうだ?咲は?自分の曲だから、どうだ?」
マスターの問いに咲は、僕たちでないとそうとは気づかないぐらいの小さな笑みを浮かべて答えた。
「わたしは、どの曲も‘いい’と思って作ったから、どれでもいい。加藤と武藤はどれ?」
「僕は、一曲目を叩いてみたい」
武藤が呟く。僕は、そうだろうと思った。一曲目はメロディーは単純だが、ピアノの低音部分で弾き出されるベースラインにバスドラを重ね合わせると、とても気分よく叩ける曲だと感じた。
「僕は、三曲目。リフが耳に残る」
加藤は、ピアノの鍵盤が執拗に繰り返す短く、キャッチーな三曲目のメロディーを、ギターのリフになぞらえたようだ。もちろん、咲がバンドを意識してそのように弾いたのかもしれない。
けれども、残念なことに、今、このスタジオで聴いている音源は、あくまでもPCのソフトが入力された音符によって奏でているものであって、咲自身が鍵盤に直接触れて弾いたものではない。僕たち4人は、中学一年以来の5年目の付き合いになるが、実は咲がピアノを弾くのを一度も聴いたことが無い。別の年上のバンドに頼まれて、スタジオにあるキーボードを軽く弾いたのを何度か聴いたことはあるが、それはあくまでも彼らのデモ音源の音に厚みを持たせるためのシンプルなコードのようなものだった。
咲が本気で鍵盤を叩きつける姿を一度見てみたいと思う。怒りで叩きつけるのも見たいし、抑えきれない喜びで叩きつけることがあるなら、それも見てみたい。
「分かった。じゃあ、その三曲」
そういって、マスターはギターを手に取った。
一曲目、三曲目を順にギターで弾いてみせる。驚いた。たった今聴いたばかりの曲を、見事にバンドのためにアレンジし始めている。PCの機械的な演奏が、マスターのギターによって、熱と涼を伴った、生々しい現実として、目の前に突き付けられるようだ。
「五曲目は、こんな感じでどうだ」
マスターが、抑えた感じのギターで弾く。どうやら、歌を際立出せるためにわざとそうしているようだ。PCの音源を聴いただけでも感動したが、マスターのギターが醸し出すリアルな感覚に、身震いすらしてしまう。
「ギター二人分とベースは俺が実際に弾いたのを重ねて録音する。ドラムだけは悪いがリズムボックスで勘弁してくれ。そのデモをお前らに渡すから、耳で聴いて練習しろ。バラバラの個人練習も必要だから、チューニングだけはきちんとしとけ。俺の演奏・一音一音にこだわる必要は無い。自分で膨らませたり削ったりしろ」
マスターは、それから、と言って僕の方を向く。
「室田には咲のPC音源をMP3にでもして渡すから、ボーカルラインは自分で考えてくれ。詩も作れ。詩の方に合わせたボーカルラインにしてもいい。
詩ができ上がらない内は、‘あー’でも‘わー’でもいいから、でたらめな単語を並べてボーカルラインの練習をしろ。全体練習の時も皆の前ででたらめ単語で歌え」
僕が、えー、というような顔をするとマスターはすかさず釘を刺してきた。
「お前の好きな‘ek’のボーカルもそうやってレコーディング作業をしてるぞ。適当な英語みたいなでたらめな歌詞でデモ音源を送り付けるプロもいるぞ」
へえ、そういうものなのか。だが、いざ歌う時にまともに声を出せるか不安になる。ならば、できるだけ早く詩を作りたい、と思う。
それよりも、僕はマスターのことが気にかかる。素直に訊いてみた。
「マスターは、なんでそんなに上手いの?」
「技術的には上手くもない」
マスターは照れ隠しなのか、吐き捨てるようにそう言った次の瞬間、珍しく素直そうな笑顔で付け足した。
「人生経験、が、滲み出るんだろうな」
今、六月の終わり。イベントが七月の終わり。
一応、高校生で期末試験も来週一週間、みっちりある。
とりあえずはそちらをこなしつつ頭の中で詩を練り、試験後の残り三週間に賭けようか。
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